新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ

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渡辺淳一氏の表と裏

2014年05月07日 | 文化

  谷崎潤一郎にあこがれ                      

                           2014年5月7日

 

 作家の渡辺淳一さんが80歳で前立腺がんのため、亡くなりました。わたしが新聞社から系列の出版社の出向していた時、しばらくお付合いをしていただきました。忘れられない裏話がいくつかあり、読者の方々のお役に多少は立てるのではないかと思い、このブログでご紹介します。

 

 わたしは文学愛好家でもなければ、渡辺さんの愛読者でもありませんでした。渡辺さんの文学論をかける能力はありません。わたしは経営再建のために新聞社から派遣されており、編集のためではありませんでした。渡辺さんもそのことを知った上で、わたしと何度か会食をともにしたり、個人事務所を訪問させてくれたのだと思います。

 

 周到に構想を練り、書けばベストセラーになるという大家でしたから、お酒が回るといい機会だと思い、あれこれぶしつけな質問をさせていただいたりしていました。この出版社はわたしが出向したころ、古くからの女流文学賞をやめ、婦人公論文芸賞に改組しました。新設の文学賞には、渡辺さんに座長格で選考委員の一人になっていただきました。伝統があり、最高格の文学賞に位置づけられてきた谷崎潤一郎賞と婦人公論文芸賞(後に中央公論文芸賞に)という二つを中公は看板にすえることになりました。出版不況でどこの出版社の文学賞も、純文学系ほど、よい作品に恵まれなくなっています。「新設の賞は渡辺さんにお任せするとして、谷崎賞の候補作品がなく、毎年、困っています。どうしたらよいのでしょうか」。ある晩、そうたずねました。

 

 返ってきた答えに驚きました。「中村さん、わたしを谷崎賞の選考委員にしてくれないか。純文学と称して、だれも読む気がしない、おもしろくない作品ばかりに賞をだしている。まず、そこから変えたらどうでしょうか」。新聞の連載小説の常連である渡辺さんの作品を、わたしでも何点か読んでいます。男女の恋愛小説というか性愛小説が多く、きわどい場面をこれでもか、これでもか、と書き連ねる渡辺文学は、いわゆる純文学と対極にあります。当時の谷崎賞の選考委員は、もう亡くなられている丸谷才一、井上ひさし氏など、硬派の論客がそろっており、おそらくは渡辺文学の否定論者ばかりでした。歴代選考委員には、大岡昇平、三島由紀夫、大江健三郎、ドナルド・キーン氏らがおり、谷崎賞は作家のあがりのコースに位置づけられてきました。

 

 そこに渡辺さんが割って入ることに皆が抵抗するでしょうし、受け入れたとしても、選考委員会の論議は毎度、けんか別れになったことでしょう。渡辺さんの死去を受けて、各紙は関連記事、評伝を載せています。流行語になった「失楽園」や「愛の流刑地」などを代表作としてあげ、「恋愛小説の第一人者」「恋愛小説 人の本質追求」などと賞賛しています。小説にうといわたしでも、渡辺文学は恋愛小説というより、もっと狭い意味での性愛小説だと、思わざるをえません。特に男の読者を引きずり込むうまさ、分りやすさは群を抜いていても、本質はエンターテインメント小説作家ではないでしょうか。

 

 谷崎潤一郎は「痴人の愛」「春琴抄」「細雪」などを代表作として、情痴や時代風俗を扱いながら、初期の耽美主義から次第に芸術性を高め、近代日本文学を代表する作家となり、ノーベル文学賞の候補にまでのぼりつめました。「わたしを谷崎賞の選考委員に」という渡辺氏の申し出の背後には、恋愛小説作家、性愛小説作家と片付けられることは不満であり、もっと高い次元に位置づけてほしいという願いがあったのかもしれません。これだけベストセラーを出せれば、もう満足しているのだろう勘違いしてはいけないのですね。作家の心理は複雑です。

 

 関西の芦屋市に谷崎潤一郎記念館があります。関東大震災後、谷崎が関西に移住し、ここで作家活動したことを記念して芦屋市が建てた和風の建造物です。芦屋市では毎年夏、有名作家を招いて、講演会を開いており、わたしのいた新聞社が後援していました。わたしが大阪に出向していた時に渡辺さんが講師に招かれて、こられましたので、終了後、夕食に招待しました。ステーキと活あわびの鉄板焼きをあっさりとたいらげ、赤ワインをたっぷり飲み、食後はホテルのバーで、愛好しているバレンタイン17年もののスコッチで気分よく酔われました。

 

 「書評欄は不満だね。なぜもっと売れている本をとりあげないのか」

 「人間はスキャンダラスにならないといけない」

 「人はもっと通俗的にならないといけない」

 

 なんどか聞かされた渡辺節が続きました。渡辺さんに接していて、いつも不思議に感じたことがあります。小説は、数知れない女性との実体験をベースに書いているといわれています。その体験をもとにきわどい場面を連発して書きます。その渡辺さんの顔の表情は、さっぱりとして柔和で、インテリ風で、どうみても医者(若い頃は実際に札幌医科大学の医師)です。見るからに女好きの顔ではありません。作風と渡辺さんが漂わす人間的風情がまったく一致しないのです。ひとに「スキャンダラスであれ」と説きながら、渡辺さんの顔はその反対でした。いつか謎を解く機会を持ちたいと思っているうちに、この世を去っていかれました。

 

 



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