台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺跡

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

花蓮港廳 カウワン祠

2008-12-13 10:52:10 | 花蓮港廳
カウワン祠は秀林郷景美村の景美小学校右横から入る裏山にあった。当時、この辺りは蕃社カウワンと呼ばれていたところである。現在この辺りは台湾料理で使用される山野菜の一種で山蘇の畑となっている。ちょうど、山蘇の収穫を終えて帰ろうとする阿美族の方にお会いし、神社の場所を教えていただいた。うっそうと茂る木立の中に全く忘れた存在のように唯一残る鳥居が印象的であった。
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花蓮港廳 玉里社

2008-12-13 10:43:21 | 花蓮港廳




参道への入口は住民の民家の一部となっている。鳥居は2柱残っており、民家入口と本殿に続く石段を登ってゆくともう1つの鳥居がある。この鳥居には「昭和十一年八月吉日建立」と刻まれていた。石燈籠は不完全なものも含めて16基残っており、この内石段奥の鳥居以降には10基がある。残念ながらこの先にあった拝殿および本殿の神社遺跡は無い。これだけ多くの神社遺跡を残しながら遺跡の保存・整理が出来ていないのは唯一玉里社だけであり、非常に残念に思われる。
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花蓮港廳 林田神社

2008-10-19 15:48:37 | 花蓮港廳




林田神社は林田村の中心であった中野部落の耕地に建立された。現在の復興路39号後方にあった。最初に訪問したときは全く場所が確定できなかった。パパイヤ畑を入り込んでゆくと整地用の機材が散乱している土地の横側に石燈籠の土台が無造作に横たわっていた。辺りを見回したところ神社の玉垣が残っていた。また、玉垣にはこの付近の移民地に住んでいたと思われる人達の名前が刻み込まれていた。神社の石柵内は長年の放置により草木に覆われており、近くの民家より鎌を借りて本殿まで切り開いていった。無社格としては大きな規模の神社であり、拝殿遺跡の石座が残っており、その後方には本殿と思われる基壇の遺跡があった。
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花蓮港廳 豊田神社

2008-10-19 15:33:26 | 花蓮港廳




豊田神社は花蓮港廳の移民村豊田に守護神として建立された「無格社」である。資料によると鎮座は林田神社と同じ年であるが、わずか一日早く鎮座している。現在、豊田神社は釋迦牟尼佛および不動明王を祀る碧蓮寺に建て替えられている。数多くの新旧の石燈籠と一対の狛犬も残されている。庭園内には昭和17年(1942年)に第18代長谷川清総督によって書かれた「開村30周年記念」の碑がある。
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花蓮港廳 佐久間神社

2008-10-19 01:15:02 | 花蓮港廳
第5代佐久間佐馬太総督(1906年~1915年)を祭神とする久間神社は太魯閣国立公園の天祥に建立された。この地は以前タイヤル族の塔比多(Tapido)部落があったところである。塔比多とはタイヤル語でシュロの木を意味している。現在、この場所は文天祥塑像となっており、1960年に台中から花蓮を結ぶ東西横断道路が開通したときに大理石で造られた「正気歌」の碑文建てられた。文天祥とは南宋の人間で、20歳のときに科挙を状元(首席の事)で合格し、のちに丞相になっている。蒙古軍が大挙して南宋を襲来したとき、文天祥は私財をなげうって兵を募り、蒙古軍に抵抗したが、最後は捕らえられ、牢獄に入れられ処刑された。「正気歌」は、文天祥が獄中にいるときに作られた歌である。
「正気歌」までの石段は当時のものである。
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