オ気楽ナ・・・毎日

休日のドライブや旅先で見つけたモノを紹介しています。
主に、山口県内。たいして珍しいものはないかも・・・

河内ダム

2014-05-07 22:57:46 | 近代遺産

『河内藤園』に行く途中、目に止まったのが

この河内ダムの堰堤。
なんか感じるところがあったので、帰りに寄ってみることにしました。

近づいてよく見ると、切り石を積んだ堰堤?
手前側の洪水吐の部分は、アーチ型の石橋のような造りになっています。
堰堤中央部にあるのは、取水塔ですね。

説明板には、「大正8年に着工され、前後面石積みの重力式含石コンクリート造りである。」と書かれていました。
いまいちよく理解できなかったので、家に帰っていろいろ調べてみたところ、建設当時は高価だったコンクリートを節約する目的もあって、コンクリートの前面と後面に切り石を積んで覆う造りになっているんだそうな。
八幡製鉄所の工業用水を確保するために建造され、昭和2年竣工。
いまも現役で、八幡製鉄所に水を送りつづけています。

堰堤の高さは43.1m。長さは189m。
上は貯水池を周回するサイクリングロードの一部にもなっていて、自由に入れます。

堰堤中央部にある、取水塔です。

これも、表面に小ぶりな割り石がびっしりと貼られた、凝った造り。
設計時に、ヨーロッパの中世古城をイメージしたとか。
当時の会計検査院に、「公園じゃあるまいし、贅沢すぎる」と怒られたとかいう話も残っています。
それを考えると、堰堤本体の石積みも、経済的な理由だけでないように思えますね。

堰堤のはるか下にも、建設当時からの建物、「弁室」が残っていました。
この周辺には桜の木が植えられ、公園として整備されているようですよ。

ダムの堰堤だけでなく、貯水池周辺には、ダム建設当時から残っている珍しい橋もあるそうです。
今度は、紅葉の時期に行く予定なので、そのときにまた探索してみましょう。


旧本郷村役場と「十一庄屋義挙400年碑」

2013-11-07 23:10:01 | 近代遺産

旧本郷村の中心部の四つ角に、とってもレトロな雰囲気の建物を見つけました。

実はこの建物、元の村役場で、今は岩国市役所の本郷支所。
現役で使われています。

木板張りで、瓦屋根。
昭和17年築だそうです。
玄関のトーチも、いろいろ装飾が入っていて、時代を感じますね。

窓はさすがにアルミサッシに替えてありますが、上の小さい明かりとり(?)の部分は、木枠で波ガラス。
外壁に張られた板も、そうとう年季がはいってますな。

この手の建物が、建設当初からずっと同じ目的で使用されているのは、珍しいんじゃないかな?

ただ、見物するぶんには素敵な建物だけど、中で働く職員の方は、いろいろ不便なこともあるんでしょうねぇ。
建て替えの話も出ているそうですが、そうなったとしても、この建物は残してほしいな。

四つ角を曲がってすぐのところには、こんな碑がありました。

詳細は、こちらを読んでくださいませ。
その昔、実際に起こった悲しい歴史が書かれてあります。
税金が73%って、考えられん・・・。


向道ダム

2013-10-26 23:13:15 | 近代遺産

旧国道筋を走っていたら、いつのまにか『向道ダム』まで来てしまいました。

堰堤の高さは43.3m、幅120.9m。
戦前の昭和13年に着工し、昭和15年に完成しました。
多目的ダムとしては、日本で最初に運用が開始されたダムなんだそうな。

ダムの管理事務所の入り口ドアに、「ダムカードの配布を希望の方は、インターホンを押してください」との張り紙があった。
「ダムカード」って、なんじゃ?

ま、タダでくれる物なら、貰っておこう~♪

と、貰ってきたのがこれ。
トランプぐらいの大きさのカードで、表にダムの写真、裏にダムのデータが書かれています。

後で調べたら、2007年度から国土交通省が管理するダムで配布され始めたのが最初みたい。
現地のダム管理事務所に行かないと貰えないので、ダムマニアの間で収集する事が流行っているのだそうな。

全てのダムでカードがあるわけではなく、山口県では、12のダムで配布されています。
この後、調子に乗って、『菅野ダム』と『島地川ダム』まで行って、それぞれのダムカードを貰ってきました。(^-^;


さて、ダムの脇から下を覗きこむと

謎の建物があります。

下へ降りる道を探してみたら、「向道発電所→」という看板のところから細い道がありました。

建物は、発電所の建屋だったんですね。

コンクリートの外壁に、瓦ぶきの屋根。
なかなか趣きのある建物です。
原発が停止している今、フル稼働しているのか、発電器のタービンが回っているような音が聞こえていました。

ダムの堰堤の下のほうは、ゆるやかなスロープのようになっているんだな。
放流する水の勢いで、川床が削れないようにする工夫でしょう。

発電所の下、新しいブロックで蓋をされた部分は、元は何だったんだろ?

土留めのコンクリ壁に、唐突に蛇口が・・・・。
水が流れっぱなしなんだけど、大丈夫ですかね?


宇部市・桃山配水池の登録文化財

2013-10-19 23:09:36 | 近代遺産

宇部市小串・桃山町にある宇部市の水道施設には、国指定登録有形文化財に指定されている建造物が二つあります。
ちょうど、宇部まで行く機会があったので、寄ってみることにしました。

まずは、『桃山配水計量室』という建物。

車で急坂を登っていくと、突然、道のど真ん中に現れます。
大正13年に造られた、味のあるレンガ造りの八角形の建物。
八角形なのに、地元ではなぜか「六角堂」と呼ばれているそうな。

詳しい説明は、こちらの看板を読んでくださいませ。

建物を避けるように、向かって左側を車が、右側を歩行者が通るようになっています。
ですが、くねっと曲がっているうえに狭い。

車体を擦ってしまう車も多いのでしょう。
レンガが、かなり削れてしまっております。
文化財なのに・・・・いいのか?

裏側には、文化庁による登録文化財のプレートが貼ってありました。


『配水計量室』から、さらに山手のほうに進むと、突当たりのフェンスで囲まれた敷地の中に、もう一つの建造物があります。

コンクリート製の角柱のようなのが、もう一つの登録文化財、『旧桃山1号配水池監視廊入口』。
そして、奥のほうに見える宇宙船のようなものは、現在使われている『3号配水池』です。
上に展望塔が立っていて、事前に調べておいた情報によると、土日・祝日は一般開放されているとのこと。

でも、フェンスは閉められて鍵がかかってる?

フェンス沿いに歩き、案内板を見つけます。
ほら、「土曜・日曜・祝日は一般開放しています」と書いてあるじゃ・・・・な・・Σ( ̄Д ̄;)なぬぅっ!!

「土曜日」の字の上に「(第二・第四)」という文字が(こっそり)追加してあるーーっ!
今日は・・・・第三土曜日・・・。

とほほ・・・そりゃないぜ。

しょうがないので、遠くからフェンス越しに、外観だけ撮ってきました。
説明板のほうも読んでくださいませ。

展望塔、登りたかったな・・・。


「デカマル君の大先輩」と沈下橋

2013-09-20 23:14:21 | 近代遺産

岩国市美川町にある、『錦川第2発電所』。

錦川水系で現役で動いている水力発電所は、全部で10ヶ所あるのですが、その中でも二番目の出力があり、また、二番目に古い発電所です。

周南市金峰にある取水口から、山中を貫いた、長さ8kmの導水管を使って水が送られてきます。
で、ここで一気に100mほどの落差を使った水の勢いを利用して、タービンを回し、発電する仕組み。

発電を開始したのは、昭和2年ということですから、90年近くも前に出来た施設なんですね。
昔の建物って、独創的な装飾なんか施されて面白いんですが、外から見た限り、ここにはそういうものはなかったな。

素通りするつもりだったのが、この看板のフレーズが気に入ったので、立ち寄ってみました。(^^;

他の発電所にも、こういった愛称のようなものが、用意されているのかな?
今度、別のところにも行ってみよう。

発電した電気を送るための、巨大な鉄塔と高圧線。
山を越えて、どこに送られていくのでしょうね。

 

さて、錦川第2発電所のすぐ前には、錦川を渡る沈下橋、『長走橋』があります。

実は、これが本来の目的だったりする。
車で、この橋を渡ってみたかったのです。

橋を渡る前に、一回、車をとめて深呼吸。(笑)

コンクリートの橋げたが新しめに見えますよね。
実は、何年か前の台風のときに橋げたが折れちゃって、手前側半分は新しく作り直したんです。

気持ちを落ちつけて、いざ突入っ!

いやいや。結構、怖いっす。
車の両側、20cmぐらいは余裕があると見たんだが、脱輪したらシャレにならんので、プレッシャーかかるなぁ。

一気に渡れば、まだいいんだけど、写真撮ろうと思って橋上に止まった瞬間、怖さが3割増し。
良い子は決してマネをしないでね。

でも、川の流れは綺麗だったなぁ。
バカなマネしないで、歩いて渡って、風景を楽しめばよかった・・・・(;-_-)


六日市側の岩日線遺構

2013-09-18 23:20:05 | 近代遺産

以前、錦川清流線に乗ったときの記事に書いたのですが、錦川清流線の前身である国鉄岩日線は、当時の終点である「錦町駅」から先、六日市の駅までの軌道は、ほとんど完成していました。
ですが、国鉄再建策によって、事業は凍結。
一度も使われないまま放棄された軌道跡は、わずかに、錦町駅から雙津峡までを「とことこトレイン」という形で、観光用の自動車を走らすことで活用しています。

錦町側のほうは、国道434号線沿いに車を走らせますと、並行して伸びる軌道跡をいやでも見る事ができるわけですが、六日市側がどうなっているのか、ちょっと気になりました。

で、やってきたのが『道の駅むいかいち温泉』。
ここの敷地が、岩日線の「六日市駅」になる予定だった場所なのです。

ここから「六日市ずい道(トンネル)」まで、岩日線(になる予定)だった軌道跡には、遊歩道があるらしい。
売店のおばちゃんに場所を聞き、第3駐車場の奥から、敷地の東端へ細い道を歩くと

温泉施設のプールの脇に出てきます。(矢印のように出てきます)
見えている側が、駅の予定地だったわけですな。

で、後ろ側は、遊歩道になります。
向こうに見える坂が、鉄道にしては不自然な急こう配。
そして、手前のほうの敷地の幅が広いことを考えますと、このへんは土盛りした土手の上に、線路を通す予定だったのでしょう。
その土手を削ったあとに、遊歩道がある感じですね。

少し先まで歩いてみます。
坂の手前に、遊歩道の案内板がありました。

全長747m。
往復で1.5kmかぁ・・・。
ちと、歩くの辛いな。

ってことで、駐車場に戻って、車で遊歩道の終点近くまで行きます。
県道沿いの「こうやまきギャラリー」のところで曲がると、高速道の下をくぐるところで、裏側から遊歩道へ上がれるようになっていますよ。

道の駅の方向。

で、こっちは遊歩道の終点方向。

トンネルの50mほど手前で、遊歩道は終わり。

伸びかけの雑草を踏み、トンネルに近づきます。
入口にはフェンスが張られ、中には入れないようになっています。

トンネルの長さは、4679m。
錦町側から、この長大なトンネルで山脈を貫き、一気に六日市側に出る予定だったみたい。
トンネルそのものは完成していて、その昔、六日市の子供が、歩いて錦町側に出てきて、大騒ぎになったこともあるんだって。

写真ではよく写っていませんが、奥の方はレールを敷くための溝をつけたコンクリート舗装になっています。
トンネルの中は全く荒れてなく、綺麗なもんだな。(未使用ですしね)

トンネル脇に埋め込まれたプレート。
完成したのは、昭和52年。
以後、30年以上放置されているわけです。

勿体ないというか、なんというか・・・・・。
何かに活用できないもんですかね。


石炭記念館(常盤公園)と、その他の国境の碑

2013-09-08 21:14:08 | 近代遺産

炭鉱についての話が出たので、ついでに、常盤公園にある『石炭記念館』にも寄ってみました。

昭和44年に、日本で初めて建てられた石炭記念館です。
建物の上に乗っているやぐらは、宇部炭田のうち『東見初炭鉱』で使われていた縦坑櫓を移設したもの。
展望台として改装され、エレベーターで上にあがることができます。

建物の外にも、炭鉱で使われていたトロッコや機械が展示してありますね。

入館は無料ですが、入口に、「無断で館内の撮影はご遠慮ください」と書いてあったので、展示物を写真に撮るのは控えました。
館内には、かつての坑道を半地下構造にして再現したものや、炭鉱で使われていた道具の展示、炭鉱の歴史の紹介などがありました。

エレベーターで展望台にあがります。
ここからの風景ぐらいは、写真撮ってもいいでしょー。

宇部市街の方向も、遠くまで見渡せます。
無料の望遠鏡も設置してあるよ。

山口宇部空港も、全体がよく見えますね。
粘れば、飛行機が離着陸する場面が楽しめるかも。

常盤公園のシンボルともいえる、常盤湖。
江戸時代中期の1698年に完成した、灌漑用の人造湖です。
湖底からは、石炭を露天掘りの遺構が、いくつも発見されていて、『宇部炭田発祥の地』の碑もあるそうな。

と、いうことは、石炭を掘った穴に水を溜めたのが、常盤湖なのか?
とも思ったけど、時代は江戸時代初期。
石炭なんて、塩田ぐらいにしか使われていなかったろうし、大規模な産業にも成りえなかったでしょう。
石炭層が露出して、農地に向かない荒れ地を利用して、灌漑用のため池を造ったと考えるほうが、普通でしょうね。
じゃあ、いまも、湖底に石炭がたくさん眠っているのかな?

ところで・・・

常盤湖の名物(?)だったスワンボートの乗り場が、こんなことになっちゃってました。
利用客が減って、営業をやめちゃったのかなぁ・・・。

その近くには、新しく、スイーツの店がオープンしていました。
公園内も、いろいろと変化していっているんですね。


さて、常盤公園の近く、国道190号線の中央分離帯にも、「周防国・長門国の国境」を示した標柱があるのです。

これ・・・といっても、何が何かわかんないや・・・(>_<)

交通量の多い国道だから、停めることもできんし、かといって、どこかに停めて歩いてくる時間もなかった。
なので、車を運転しながら、カメラだけ出して、めくら撮りしたんです。
また今度、ちゃんと計画たててから、訪問しよう。

こちらは、国道2号線、割小松峠にある、旧山陽道の国境碑。

宇部市と山口市の境あたり、この看板の下にありますよ。


長生炭鉱跡

2013-09-07 21:34:02 | 近代遺産

黒崎から見えた、海中にある煙突のようなもの。

こちらは、2本のうち沖側にあるものですが、「ピーヤー」といって、海底炭鉱の排気・入気坑として使われたものです。
かつて、このピーヤーの下には、『長生炭鉱』という海底炭鉱がありました。

宇部の炭田は、周防灘の下の浅いところに炭層があって、たびたび大規模な水没事故を起こしています。
この『長生炭鉱』は、その中でも特に浅い場所を掘り進めており、海底下10mまで掘り上げたという証言もあるようです。

第二次世界大戦中の1942年2月、坑口から沖合1kmのところで海の底が抜け、坑道がすべて水没する事故が発生。
183名の犠牲者(そのうち137名が朝鮮人労働者)が出て、坑道は放棄されました。
犠牲者はすべて、引き上げられることもなく、今も海底に眠っています。

床波海岸側から見たピーヤー。
かなり岸に近い場所にあります。

この辺りの海岸と、JR宇部線に挟まれた地域が、『長生炭鉱』の坑口や作業所、住宅があった場所だと思われますが

ご覧のように、かなり広い場所が荒れ放題。

完全に草に埋もれた、古い建物も見えましたが、使われなくなった炭鉱住宅でしょうか?

敷地の東側の端に、かろうじて生き残っている炭鉱住宅らしきものを発見しました。

まだ、人が住んでいらっしゃるようですね。

海側にある石段。
セメントの下から赤レンガが顔を出していて、歴史を感じさせます。


敷地内のどこかに、昭和57年に建てられた「殉難者の碑」があるそうなのですが、見つけることができませんでした。

こちらは、今年の2月に建てられた、追悼の碑。
床波の住宅街の一角にあります。
碑の手前に置いてある木材は、海底よりひきあげた、坑道を支えるために組まれていたものだそうです。


幻の国境の島

2013-09-05 21:34:31 | 近代遺産

山口宇部空港の西側、調整池の中には、へんてこりんな人工島があります。

これ。
何なんだろうなぁ・・・と気になって、調べてみました。

実は以前、ここの近く、亀浦の海岸から沖合300mに、『鍋島』という宇部市で唯一の島(無人島)があったのです。
が、山口宇部空港の滑走路伸延工事で、1999年に埋め立てられ、消滅してしまいます。
その『鍋島』を1/2スケールで再現したのが、この人工島なんだそうな。
使われている岩の一部や、上に生えている松も、『鍋島』から移植したんだって。

で、この『鍋島』のコピー、ここだけではなくて・・・

常盤公園内の「常盤神社」。
その境内に・・・・

ほら。


こちらは、1/30スケール。
でも、木が繁りすぎちゃって、何がなんだか、わからんな。
もちろん、ここの木も、『鍋島』から移植したもの。


で、もう一つ。
こちらは、少し西側にある「床波漁港」。

沖の防波堤の内側にある、要塞みたいなのが、新「鍋島」。

『鍋島』にあった、「住吉社」「厳島社」を合祀した祠を、こちらに移してあります。
ここにも、元の島から移植した松が植えてあるぞ。

 

小さな小島が消えたぐらいで、何でこんなに大騒ぎなのか・・・というと。

『鍋島』というのは、昔でいう「周防国」と「長門国」の国境を示す島だったのです。
ある意味、地元の方々にとっては、故郷のシンボル的存在だったのでしょうね。
島が位置した場所の近くに、少しばかりの痕跡があるというので・・・

常盤海岸まで、足をのばしてみました。
ちなみにこの海岸、車で行くことはできませんし、近くに停める場所もありません。
おかげで、かなりの距離、歩くはめに・・・・。

少し昔の地図では、常盤海水浴場なんて表示もありますが、今は遊泳禁止。
空港の滑走路延長で、禁止措置がとられたんでしょうか。
消波ブロックは、護岸のためというより、海水浴をさせない為に置かれているのかも。

空港の滑走路の先端まで来ました。
先端からちょっと先の擁壁に・・・・

あったー。
「周防」と「長門」の境界表示。

さらに、海岸側の防波堤内側の道の突当たりから、野道を山のほうに入っていきますと

国境の碑もあります。

こちらは、『鍋島』の消滅を惜しんで、地元の方々が建てられたもの。
詳しくは、↓を読んでね。

「周防国」と「長門国」は、大内氏の時代より同じ行政区。
国境というのを、あまり意識したことはなかったのですが、こういうのを探すのも、面白いですね。


「筑後川昇開橋」

2013-07-07 21:39:51 | 近代遺産

九州に出かける少し前、「『筑後川昇開橋』の可動部分の修理が終わり、1年半ぶりに動くようになった」というニュースを見たので、せっかくですから行ってみることにしました。

こちらが『筑後川昇開橋』。
福岡県大川市と、佐賀市諸富街のあいだの筑後川にかかる、長さ507mの橋です。

昭和10年、旧国鉄佐賀線の鉄道橋として開通。
昭和62年、佐賀線の廃止にともない、その役割を終えます。

解体撤去される予定でしたが、地元の根強い要望で、平成8年に、遊歩道として復活。
平成15年、国の重要文化財に指定、平成19年には、機械遺産として登録されました。

大型船舶を通過させるため、橋中央にある二つの塔の間で、橋げたが上下する可動橋です。

橋の両側は公園になっており、こちらは諸富町側ですが、佐賀線で使われていた警報機やポイントが保存されておりました。

遊歩道入口から見た、橋の様子。
手前に、鉄道のレールが埋め込まれているのがわかります?

中央部までやってきました。
見上げると、巨大な塔の姿がカッコいい。

可動する橋げたは、30分おきに上げ下ろしするみたいですね。

ちょうど下におりている時間で、通行可能でした。(^^)
可動部分の先(大川市側)に、機械室があって、職員さんが常駐しています。

せっかくなので、可動部分だけ渡って、また戻ろうと思っていたんです。
そしたら、職員のおじさんに話かけられまして・・・・
「どこから来なさった?」
「山口からです。」
「へぇー、そりゃ、遠くからありがとうございましたね。じゃあ、ちょっと動かしますので、後ろに下がって」
と、言うなり

動かす時間でもないのに、橋げたを上昇させてみせて下さいました。

大きさが大きさですから、もの「ゴォンゴォン」と凄い音がするのかと思いきや、実はとっても静かでスムーズ。

「もう、このぐらいで、良かですか?」

いやいや、もう十分でございます。(本来は、高さ23mまで上昇します。)
たった一人の観光客のために、重要文化財を動かしていただきまして、ありがとうございました。

塔の上のほう、赤い丸で囲んでいる部分ですが、ゴマ粒のように見えるのは、ハヤブサなんだそうです。
この時期、必ず来るんだそうな。
望遠レンズ持ってきてればよかったなぁぁ・・・・。