このマンガを詠め!サブカルエンタな道

メジャー、マイナー限らず個人的にマンガやアニメをご紹介。記憶の片隅で残るものがメインかな・・・

浦沢に三度苦水を飲まされるのか・・・マンガ「ビリーバット」

2010年07月23日 13時24分06秒 | 浦沢直樹
第4巻が出たのでようやくモーニング派とコミックス派の時間軸が近づいて、
ぼくもこの作品についてすこし語れるだけの整理がついてきたので、
まだ謎は謎のままだが、ここまでの私見を書いてみたいと思う。

この作品のぼくなりのキャッチだと以下のようになる。

『「モンスター」、「20世紀少年」と、
不可解な伏線や謎を残すだけ残して終わってしまった、
かの2作品を彷彿とさせる作品として、
ただいまモーニングにて隔週連載中!』

その「ビリーバット」は第1話から意表を突いた。
コウモリのキャラクターを主人公にした
アメコミ風のハードボイルドアクションマンガが
フルカラーで描かれるだけだったのだ。

それが2話まで続いたので、
ぼくを含む読者の幾人かは浦沢が作風を変えてきたのかと、
不振に思い、疑念を持ったりもしたはずだ。
しかし、第2話の後半で謎は明かされ、
このアメコミ風マンガが作中作であり、
主人公はどうやらその作品を描く日系人の漫画家の
ケヴィン・ヤマガタである、ことがわかってくる。

そのケヴィンが描く、いまアメリカで人気のキャラクター
“ビリー”が実は日本ですでに描かれていたことを知り、
盗作疑惑を持たされたケヴィンは再び日本に行く。

そうして、ケヴィンはこの作品に秘められた謎に足を踏み込むわけだが、
今回の「ビリーバット」がこれまでの2作品と明らかに違うのは、
その謎の舞台となる世界が現実に起こった歴史的事件を土台としていることだ。

「モンスター」では「もうひとつのモンスター~ANOTHER MONSTER-The investigative report-」
(ヴェルナー・ヴェーバー、浦沢直樹共著 長崎尚志訳)
という副読本的な書籍が出ている。
これにより、マンガでは語られなかった伏線的エピソードを追記すると同時に、
実際の歴史や事件を紛れさせることによりリアリティを加味している。
「20世紀少年」も同様に、60年代以降の日本の歴史を綴りながら、
現実の既視感を漂わせ、さも起こりそうなリアリティでぼくらを煽っている。

「モンスター」にしろ「20世紀少年」にしろ
リアリティのある作品として読者を魅了したが、
そこで描かれるリアリティはあくまで作者の想像力の中で産み出された域を超えない。
しかしながら、「ビリーバット」はその域を超えてしまっている。

自身の盗作疑惑の潔白を明らかにするため日本に戻ったケヴィンが、
まず初めに巻き込まれる事件が「下山事件」である。

「下山事件」は、連合国の占領下にあった1949年(昭和24年)に
日本国有鉄道(国鉄)初代総裁・下山定則が出勤途中に失踪し、
翌日未明に汽車の線路上で轢死体となって発見された事件である。
事件発生直後からマスコミでは自殺説・他殺説が入り乱れ、
警察は公式の捜査結果を発表することなく捜査を打ち切った。
下山事件から約1ヵ月の間に国鉄に関連した三鷹事件、松川事件が相次いで発生している。
それらは主にGHQが共産党や国鉄労組の勢力を抑えこむために
画策したのではないかとされたが、いまだに謎は謎のままである。
松本清張などがその謎に迫ったり、映画にもなった事件である。

そんな「下山事件」やその他の事件をまるで予言したかのように、
マンガで描く唐麻雑風は、ケヴィンに対して「いいもんかね悪もんかね?!」と問う。
これはまさしく「20世紀少年」のテーマである。
「おまえがつづきを描いておまえが止めろ」
そして、コミック第1巻のラストは、月面に描かれたコウモリ。
それはかの米大統領についてのことが予見されている。

そうして時代は遡り、コウモリはキリストにまつわる歴史に現れ、
ニューヨークのタクシードライバーの下で、黒人と白人の啀み合いの間で奇跡を起こし、
さらにはフランシスコ・ザビエルによって導かれ、
伊賀の忍者の下で天下騒乱の火種を起こす。
そんな幾多の歴史的事件や出来事はコウモリによって預言され、
コウモリは人間たちを善悪を顧みず翻弄するのである。

そして、時代はまたケヴィンの下に戻り、
オズワルドが潜むアメリカでコウモリが誘う陰謀が始まる。
ケネディ暗殺という陰謀が…
そこでケヴィンは、自身が描くマンガ「ビリーバット」で
この陰謀を止めることができるのか。

結果的にこの作品は、「20世紀少年」のテーマを継承している。
それは、漫画家が世界を救えるのか、という命題である。
浦沢はこの命題について自分なりの結論を導こうとしているのではないだろうか。

「20世紀少年」の映画版の第3章で、
角田はオープニングすぐにオッチョと別行動をとりそれっきりである。
映画ではその後の角田は結局描かれなかった。
ぼくは角田の物語が、ケヴィンへと受け継がれたのではないかと思うのだ。
マンガで世界を救う物語が・・・。

そんな夢物語はたぶん手塚でも思いつかなかったんじゃないだろうか。
そんなお話になることを期待しながら、いまは成り行きを見守っていたい。