このマンガを詠め!サブカルエンタな道

メジャー、マイナー限らず個人的にマンガやアニメをご紹介。記憶の片隅で残るものがメインかな・・・

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浦沢に三度苦水を飲まされるのか・・・マンガ「ビリーバット」

2010年07月23日 13時24分06秒 | 浦沢直樹
第4巻が出たのでようやくモーニング派とコミックス派の時間軸が近づいて、
ぼくもこの作品についてすこし語れるだけの整理がついてきたので、
まだ謎は謎のままだが、ここまでの私見を書いてみたいと思う。

この作品のぼくなりのキャッチだと以下のようになる。

『「モンスター」、「20世紀少年」と、
不可解な伏線や謎を残すだけ残して終わってしまった、
かの2作品を彷彿とさせる作品として、
ただいまモーニングにて隔週連載中!』

その「ビリーバット」は第1話から意表を突いた。
コウモリのキャラクターを主人公にした
アメコミ風のハードボイルドアクションマンガが
フルカラーで描かれるだけだったのだ。

それが2話まで続いたので、
ぼくを含む読者の幾人かは浦沢が作風を変えてきたのかと、
不振に思い、疑念を持ったりもしたはずだ。
しかし、第2話の後半で謎は明かされ、
このアメコミ風マンガが作中作であり、
主人公はどうやらその作品を描く日系人の漫画家の
ケヴィン・ヤマガタである、ことがわかってくる。

そのケヴィンが描く、いまアメリカで人気のキャラクター
“ビリー”が実は日本ですでに描かれていたことを知り、
盗作疑惑を持たされたケヴィンは再び日本に行く。

そうして、ケヴィンはこの作品に秘められた謎に足を踏み込むわけだが、
今回の「ビリーバット」がこれまでの2作品と明らかに違うのは、
その謎の舞台となる世界が現実に起こった歴史的事件を土台としていることだ。

「モンスター」では「もうひとつのモンスター~ANOTHER MONSTER-The investigative report-」
(ヴェルナー・ヴェーバー、浦沢直樹共著 長崎尚志訳)
という副読本的な書籍が出ている。
これにより、マンガでは語られなかった伏線的エピソードを追記すると同時に、
実際の歴史や事件を紛れさせることによりリアリティを加味している。
「20世紀少年」も同様に、60年代以降の日本の歴史を綴りながら、
現実の既視感を漂わせ、さも起こりそうなリアリティでぼくらを煽っている。

「モンスター」にしろ「20世紀少年」にしろ
リアリティのある作品として読者を魅了したが、
そこで描かれるリアリティはあくまで作者の想像力の中で産み出された域を超えない。
しかしながら、「ビリーバット」はその域を超えてしまっている。

自身の盗作疑惑の潔白を明らかにするため日本に戻ったケヴィンが、
まず初めに巻き込まれる事件が「下山事件」である。

「下山事件」は、連合国の占領下にあった1949年(昭和24年)に
日本国有鉄道(国鉄)初代総裁・下山定則が出勤途中に失踪し、
翌日未明に汽車の線路上で轢死体となって発見された事件である。
事件発生直後からマスコミでは自殺説・他殺説が入り乱れ、
警察は公式の捜査結果を発表することなく捜査を打ち切った。
下山事件から約1ヵ月の間に国鉄に関連した三鷹事件、松川事件が相次いで発生している。
それらは主にGHQが共産党や国鉄労組の勢力を抑えこむために
画策したのではないかとされたが、いまだに謎は謎のままである。
松本清張などがその謎に迫ったり、映画にもなった事件である。

そんな「下山事件」やその他の事件をまるで予言したかのように、
マンガで描く唐麻雑風は、ケヴィンに対して「いいもんかね悪もんかね?!」と問う。
これはまさしく「20世紀少年」のテーマである。
「おまえがつづきを描いておまえが止めろ」
そして、コミック第1巻のラストは、月面に描かれたコウモリ。
それはかの米大統領についてのことが予見されている。

そうして時代は遡り、コウモリはキリストにまつわる歴史に現れ、
ニューヨークのタクシードライバーの下で、黒人と白人の啀み合いの間で奇跡を起こし、
さらにはフランシスコ・ザビエルによって導かれ、
伊賀の忍者の下で天下騒乱の火種を起こす。
そんな幾多の歴史的事件や出来事はコウモリによって預言され、
コウモリは人間たちを善悪を顧みず翻弄するのである。

そして、時代はまたケヴィンの下に戻り、
オズワルドが潜むアメリカでコウモリが誘う陰謀が始まる。
ケネディ暗殺という陰謀が…
そこでケヴィンは、自身が描くマンガ「ビリーバット」で
この陰謀を止めることができるのか。

結果的にこの作品は、「20世紀少年」のテーマを継承している。
それは、漫画家が世界を救えるのか、という命題である。
浦沢はこの命題について自分なりの結論を導こうとしているのではないだろうか。

「20世紀少年」の映画版の第3章で、
角田はオープニングすぐにオッチョと別行動をとりそれっきりである。
映画ではその後の角田は結局描かれなかった。
ぼくは角田の物語が、ケヴィンへと受け継がれたのではないかと思うのだ。
マンガで世界を救う物語が・・・。

そんな夢物語はたぶん手塚でも思いつかなかったんじゃないだろうか。
そんなお話になることを期待しながら、いまは成り行きを見守っていたい。
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漫画「20世紀少年」カツマタ君についての考察

2007年09月28日 23時40分39秒 | 浦沢直樹
9月28日、ようやく単行本の下巻が発売された。
これでコミックス派も含めて完全な完結となった、
漫画「20世紀少年~21世紀少年」

この未曾有のミステリーの終焉を迎えて、
そして最後に与えられた解答も含めて、
もう一度1巻から読み直す必要がある。

それは、ナニが解決しナニが残されたのか…
そしてこの作品がぼくらにナニを残したのか…

今回発売された最終巻である
「21世紀少年 下巻」で最後に本当のともだちの正体を
〝カツマタ君〟としてしまった。
では、この〝カツマタ君〟なる存在がこの作品の解答として
納得できるものであるのか…非常に気になるところである。

---------------
2007.07.23
「20世紀少年」考察で有名なaleisiaさんへ
最終話直後にmixiでコメントした文章を引用

今回の最終話が本当に最終話であると仮定するなら、
浦沢氏の中でのこれまでの伏線のようなエピソードも含め、
VAや子供の記憶という曖昧な、信憑性に欠くエピソードで
構成していることが前提にあるのかもしれません。

事実、マルオとケロヨンの中で子供時代の記憶の相違を
指摘しあうエピソードがあるように、
この物語の正解は誰も記憶してないのではないでしょうか・・・

たぶん浦沢氏の中で、今回の最終話は最初からできていたと思います。
つまりは、この最終話にいかにもっていくか、T-REXが流れる校舎で
終わらせるエンディングにどうもっていくか・・・

本意ではなかったにしろ、一部の人には納得のエンディングだったようです。
このときの「よお、おまえさ・・・」
「カツマタ君だろ」は、
たぶん誰でもよかったのだと思ういます。
ストーリーの流れで
「おまえ、ドンキーだろ」でも
「モンちゃんだろ」でも
どうにでもできたのではないしょうか。。。

そういう意味では、伏線にこだわることが本意かというと、
そうではないのかもしれないけど、
でもこだわりたいのも本意です。

だから、来年公開の映画が伏線の回収になっていた方が、
ぼく的には納得がいくのかなと思います。

ぼくの中での最終話はそんな印象です。
---------------

これが最終話読後の率直な感想だった。
最終巻をまとめて読破しての感想は、
まとめ方は確かにうまく、エンディングとしての体裁は
整っていると思った。
しかし、でもやはり納得いかないのは
風呂敷を広げるだけ広げたあの謎の数々。
あれらはいったいなんだったのか…

ぼくは再度1巻から、今度はカツマタ君が
本当の〝ともだち〟であるという前提で読み返してみようと思う。

カツマタ君のことが最初に登場するのは、
1巻107ページからのドンキーのお通夜での会話。
ドンキーの理科室での事件の話題で出た、
「大好きなフナの解剖の前日に死んだカツマタ君」として登場する。
「なにしろ、カツマタ君がバケて出て、フナの解剖してるんだから。」
これはモンちゃんのセリフ。
あのとき、夜の理科室に行ったのは、
モンちゃん、ケロヨン、ドンキー、コンチ、とあともうひとり。
このもうひとりが結局回収されていない。
そして、理科室でドンキーが見たものの真相も結局きちんと回収されていない。

この後、カツマタ君のエピソードは
11巻220ページの大福堂製薬の戸倉によって語られるまで出てこない。
戸倉はヤマネとの回想の中で、ヤマネが語ったセリフとして以下のように語る。
「小学校の時、仲の良かったコが死んだんだって…」
「そのコは理科が大好きな子でね。」
「解剖実験を楽しみにしてたのに、その前日に死んじゃったんだって。」
「でも、彼は寂しくなかったんだ…」
「夜ごと学校に忍びこんでは…」
「その仲の良かったコの幽霊と、実験を繰り返していたんだって。」
「理科室で…」
ここに出てくるコは、1巻を前提にすればカツマタ君だと推測できる。
そして、カツマタ君が生きていたのだとすれば、ヤマネは夜な夜なカツマタ君とおそらくフクベエも一緒に、夜の理科室で怪しい実験や計画を立てていたということだろうか…

次に、12巻107ページ、
ヨシツネの秘密基地内でのヨシツネとユキジの会話。
〝ともだち〟が1971年の理科室での出来事を隠そうとしたと考えた二人は、そのとき何があったかを思い出す。
ユキジ「フナの解剖…」
「男子が騒いでたのよね…」
「実験大好きな子の幽霊が出るって…」
ヨシツネ「あ…」「理科の実験大好きなカツマタ君が…」
ユキジ「フナの解剖の前日に死んじゃって…」
「夜な夜な理科室にバケて出て、解剖してるって…」
この会話では1巻のモンちゃんの会話を復唱しているに過ぎない。

14巻110ページでのVA内で
モンちゃん、ケロヨン、ドンキー、コンチの4人が
夜の理科室へと向かう途中、理科室のあの怪談話となり、
ケロヨンが話し出す。
給食のかっぽう着を理科室に忘れた西尾の友達が、
放課後ひとりで理科室に取りに行ったとき、
忘れたかっぽう着を手に取るとかっぽう着が濡れていた。
しかたなく持ち上げると、その下に解剖したフナがあった。
怖くなってあわてて理科室を出たのだが、出るとき一瞬振り返ると
「そこに立ってんたんだって…」
「カツマタ君が………」

これは怪談話の類でしかない。
しかし、その後の会話でカツマタ君についての
はじめての具体的な話題が語られる。
ケロヨン「カツマタってどんな奴だっけ…」
コンチ「俺、よく知らない…」
ケロヨン「2組だっけ?」
モンちゃん「5組だろ。」
ケロヨン「なんで死んだんだ?」
モンちゃん「それがよくわからないんだ…」
「葬式とかやんなかったのかな?」
「先生は行ったんじゃないのか?」
ケロヨン「とにかく、フナの解剖やりたかったのに、その前の日に死んじゃって…」

ここではじめてカツマタ君が彼らの同学年だろうこと、5組だったらしいこと、どうやって死んだのかはあまり知られていないことが分かる。

そして、16巻45ページの、本当の〝ともだち〟がVA内に記憶のインストールを行っているらしいシーンで、フクベエによって唐突にその名が出る。
フクベエは鏡に写る自分の顔を見ながら、
「顔…」「あるよな…」「君は…」「誰?」「サダキヨ…?」「くく…」
「違うよ、くく…」「君は…」「カツマタ君?」「くくく、違うよ。」
「じゃあ君は、誰?」
このシーンは結局真実を語っていたことになる。

結局その後、20巻第11話189ページからなるキリコの回想まで出てこない。
しかし、これもカツマタ君というよりはもうひとりの〝ともだち〟のエピソードでしかない。

そして、「21世紀少年」上巻162ページのチョーさんの残したメモに、
「ハットリ以外にもう一人 その先の人物」
「?年時代?供たちの間で?んだとされている→団体に在籍」
とある。
ここで、カツマタ君のことを知ってれば、もうカツマタ君しかないと思うだろう。
でも、それでいいの?ってのが率直な感想である。

すべての巻を読み終えて、ぼくが想起できたカツマタ君のエピソードは以上である。
後半は、「もうカツマタ君にしてしまえ…」
っていうような乱暴なまとめ方に感じたりもした。

そして、最後のケンヂの一言で終焉する、
それまでの謎のほとんどを回収しないまま。

それが、浦沢が求めた結末だったのか…
いまだにしっくりこない、喉に物が詰まったような感覚を、まだ誰もが感じているに違いない…というか、そうでありたいものだ。
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昭和40年代を描いた大塚英志の2作品

2007年09月05日 00時48分04秒 | 大塚英志
大塚英志原作で戦後の昭和を描いた2作品「アンラッキーヤングメン」と「東京事件」が同時期にコミック化された。
この2作品は戦後の混沌とした中で実際に起きたいくつかの事件や事故をベースに昭和45年の三島由紀夫自決のあたりまでが描かれ、偽史的なフィクションとしてまとめられている。特に、三億円事件と三島由紀夫が絡んだストーリーはどちらの作品にも登場する。
ただこの2作品は同時代を描きながらも似て非なるものである。

「アンラッキーヤングメン」は、角川書店のエセ(?)文芸誌「野生時代」に連載された作品で、作画は藤原カムイが担当している。藤原カムイは荒俣宏の「帝都大戦」や押井守の「犬狼伝説」、最近では矢作俊彦の「気分はもう戦争2」などを描きつつ「ドラゴンクエスト」シリーズで少年誌でも有名である。
藤原カムイの画力は大友克洋の繊細な描写と鳥山明のクリエイティブなマンガ的ユーモアのそれぞれをバランスよく持ち合わせているように思う。
「アンラッキーヤングメン」の主要な人物はすべて実在されたとする人物を投影する。連続射殺魔事件の永山則夫ことN、連合赤軍事件の永田洋子ことヨーコ、三島由紀夫こと作家M、そして「3億円事件」のシナリオを書き、本作の語り部として8ミリカメラを回す漫才師Tは北野武を投影している。
そうして、3億円事件を背景に、1968年前後の、文字どおり幸福でない若者たちの物語が淡々と綴られる。犯罪を犯した者、これから犯す者が螺旋階段を昇っていく、たどりつかない場所をめざして…。それを石川啄木の詩がBGMのようにまた淡々と流れるのだ。
この作品は、実は時代性を語っているようで、しかしながらいたって抽象的な、それでいて誰の時代にも存在するある種淡い記憶のなにものでもない。ぼくらはいわゆる若気の至りの中で、虚無感の中を邁進したのではなかったか…
そういう意味で、だれもが共感できる作品に仕上がっていると思う…そう思うのはぼくだけかもしれないけど…

もうひとつの「東京事件」は、「多重人格探偵サイコ」が連載されていた「少年エース」の増刊号として、主にウルトラマンシリーズの円谷プロと仮面ライダーシリーズの石森プロに代表される特撮系のヒーロー物を扱ったマンガ雑誌「特撮エース」で、おそらく読者の意に反した形で連載されていたと思われる作品である。
この作品は、確かに過去の実際の迷宮入りした事件を取り扱ってるものの、その設定は、同じ大塚英志の作品「黒鷺死体宅配便」と同じで、5人いる能力者(ただし1名は特殊能力なし)がタイムトラベルをベースに事件解決に挑む、といったもの。いわゆるSFミステリーとなっている。
しかしながら、作画の菅野博之の画力は前述の藤原カムイを彷彿とさせるほど、劇画チックな細かい描きこみはリアルさを演出している。菅野博之で調べると著名なところでは「地球防衛企業ダイ・ガ-ド 」。アニメにもなったこの作品の、マンガの作画とアニメでのキャラクター原案でクレジットされている。ただぼくのリアルなアニメではないため、あまり記憶にはないのだけど…
「東京事件」について戻るとして、この作品が少年誌において、昭和40年代を舞台にレトロなSFミステリーとなっていることは前述したとおりだが、扱われる事件にぼくはちょっと心が躍った。それは、ぼくが知らない非常に興味深いものだったからだ。
「草加次郎事件」(昭和37年)「もく星号事件」(昭和27年)「三億円事件」(昭和43年)「光クラブ事件」(昭和23年)「三島事件」(昭和45年)これらは実際に日本の昭和期に起こった事実である。これらの詳細については、ぜひマンガを読んでいただきたい。

こうして、大塚英志の昭和40年代におけるヒトククリがひとつ終わった気がする。
そして(小説版とドラマ版において)連合赤軍事件で誕生したことになっている雨宮一彦の物語が再開する。
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いまさらですが「20世紀少年」論評~序章

2007年02月25日 01時41分53秒 | 浦沢直樹
これまで他のブログでアップしたものを以下に再アップした上で、
一時の、なんちゃって連載終了、そして半年間の休載、連載再開したもタイトル変更と、
なにやら意味不明な展開とそれに伴う熱狂的な読者の当惑や失望、怒り、罵倒など、
多くの話題をさらいながら、最終章が連載中ですが、
ぼくなりの「20世紀少年」論を展開したいと思います。

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20世紀少年
2003.09.05-16:19:20
浦沢直樹の作品と言えば、「MONSTER」が定番化しているころに
スピリッツの別冊でこの「20世紀少年」の特集の雑誌を購入したのがきっかけだった。
それ以来、はまりまくってしまっているのだが、
この作品のモチーフとしているロックやヒーローや世紀末といった感覚は、
もろぼくの少年期とダブっていしまう。
そして、オウムやテロ、ウイルスといった現代病理がリアリティを与える。
「MONSTER」に通じる謎的なもの(ちゃんと読んだことないからあまりあたってないかも)
を受け継ぎながら、さらに独自の世界観を作ってしまっている。
ネット上では、首謀者のともだちが誰なのか、ケンヂは生きているのか、
といった議論が飛び交っているが、この漫画のすごいところは勧善懲悪が逆転に逆転していく、
らせん状のストーリー展開。
じつはともだちはケンヂなのだ、みたいな書き込みが出てくるのも頷けなくもない。
ただストーリーは徐々にどうにもおさめようのない展開になってきている。

どうやって完結させるつもりなんだ、浦沢先生。

というぼくも含めての愛読者の感想ではないのかなあ。
ただこれさえも、浦沢直樹の手の内のようで、なんだか浦沢先生がお釈迦様に見えてきたよ。

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ケンヂ復活!
2005.03.15-08:50:57
コミック派の方たち、ネタバレでごめんなさい。
でもでも、いてもたってもいられなくて書き込みしました。
今朝一日遅くコンビニでスピリッツを立ち読み。
最近は掲載してるかどうか、すでにドキドキなのだが、
今週もあっさり掲載。
プルートウをとりあえず書き上げたからかなあ。
と思いつつ読み進める。ストーリーについては割愛します。

が、最後のひとコマ
「俺はケンヂだ」
とサングラスを取った矢吹丈と名乗る男の目はまさしくケンヂ!

ばんざ~い、おもわず両手を挙げそうになりましたが、
とりあえず「おうっ」という意味不明の嗚咽のような奇声を出してしまいました。
2000年の血の大晦日で死んだことになって以来、
当然のごとく回想でしか登場しなかったケンヂ(ほとんど子供時代)が
ようやく姿を現したのです。
これまで矢吹丈として出てていたものの、
それがケンヂであることをにわかに信じられなかったのだが、
結果的にはやっぱりというオチでした。
でも、それ以上にケンヂの復活はファンがずっとずっと待ち望んでいたことで、
涙が出るぐらいに単純に嬉しいです。
そして、あの大晦日の夜に忽然と姿を消して、
いまこうして姿を現したケンヂのストーリーがこれから語られるわけで、
またしても浦沢先生にやられました。

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週刊ビッグコミックスピリッツで、1999年の連載開始からすでに8年が経ち、
コミックスは22巻まで刊行。

小学館漫画賞、文化庁メディア芸術祭優秀賞、
海外ではアングレーム国際漫画祭の最優秀長編賞を受賞しているらしい。(知らなかった・・・)

2006年3月に突然最終話が掲載され、「完」の文字が一頁に大きく描かれていた。
そして、「2007年新春、最終章登場!!(※早口言葉です。3回言ってみましょう!)」
と、熱狂的な読者を馬鹿にしたような連載中断とも取れる状況に
ネット上では多くの物議を呼ぶこととなった。

その後、NHKの「プロフェッショナル」に登場した浦沢直樹は、
そのときのことを“体調不良により連載を継続できなくなった”と弁明した。

そして、最終章が「21世紀少年」と意味深なタイトル変更により
(20世紀少年は完結したので・・・ということなのだろうか?)、
予定通り新春号の2006年12月25日発売号より連載を再開している。
さらには、実写映画化が決定し、2008年に第一部公開予定、ということは
当然第二部以降もあるってことですよね。

浦沢直樹は、同窓会でまったく覚えていない友人が自分を覚えていることの違和感や喪失感から
この作品は生まれた、と何かのインタビューで語ってたような気がするが、
同様のことを作中でもマルオに語らせている。
「案外子ども時代の記憶なってあいまいなものだ」
しかし、この作品はその曖昧模糊な子ども時代の記憶を辿ってストーリーは展開される。
そこに、辻褄の合わない難解さが生まれて、謎を深めさせているように思う。

次回は、再度22巻及び最終章6話(明後日には7話になるけど)を読み直し、
具体的な論評ができたら、と思いますが、そんなことができるほど
自分に余裕がないんで、与力があればアップさせていただきます。
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少女漫画の名作中の名作「キャンディ・キャンディ」

2006年06月20日 18時33分19秒 | 最近のレビュー
昨夜おもむろに読み出したら、たまらず全巻完読してしまった。
その作品とは、講談社の少女向け漫画誌「なかよし」に70年代に連載されていた
原画・いがらしゆみこ、原作・水木杏子の少女漫画の不朽の名作
「キャンディ・キャンディ」である。

なぜ女兄弟もいないぼくの家にいまだに「キャンディ・キャンディ」があるのか…
実をいうとぼくが中学生のときに揃えちゃったんのだ。
もともとおふくろが誰かからもらってきたもので、
何巻か足りない分は女友達から無理言ってもらったりした記憶がある。
それで全巻揃えたんだよなあ。

当時はアニメにもなってて、あの主題歌は誰でも唄えたはず。
ぼくもそばかすがあったから妙に親近感があったのを覚えている。
まあオンエアーはぼくが小学生低学年の頃だけどね。

そんな「キャンディ・キャンディ」とは、
孤児としてポニーの家という孤児院に引き取られたキャンディース・ホワイトが、
いろんな苦難や偏見に負けず、心ある周りの人々の愛情を受けて成長する過程を、
彼女の純愛を交えながら描かれるビルドゥングス・ロマンといえるだろう。

ここで、いろいろな要素があるのだが、キャンディを養女として迎える
ウイリアム大おじさまは間違いなく「足長おじさん」を彷彿としている。
また、キャンディを取り巻く友人たちの構成や人間関係は
「生徒諸君!」などの少女漫画に見られるものだ。
さらには、キャンディの性格は「生徒諸君!」のナッキーにも通じているし、
よかった探しをするポリアンナなども想起される。

キャンディキャンディの一番感動的なところは、
丘の上の王子さま=アルバートさん=ウイリアム大おじさま、という展開である。
キャンディがアンソニーを好きになるのも、
そのアンソニーの面影を感じるテリィを好きになるのも、
実は子供の頃にであった「丘の上の王子さま」への恋心から派生している。

そして、孤児であるキャンディを自分の一存で養女に迎え入れ、
その後金銭的な支援を行う足長おじさんのウイリアム大おじさまは影の存在として、
表向きはアルバートという名で精神的な支援をキャンディにするのだ。

この作品の彼こそがトリックスターであることは間違いない。
キャンディはこの若きトリックスターによって、
紆余曲折した多感な少女期、青年期を送ることになる。
それは、ウイリアム・アルバート・アドーレーが求めた
キャンディース・ホワイト・アードレーの真のレディーへの道だったのだと思う。
貴族階級のアードレー一族の養女でありながら、
看護婦の道を選んだキャンディの意思はそのまま
アルバート=ウイリアムの意思でもあったのだろう。

最後の最後で、ウイリアム大おじさまが現れる瞬間は感動的である。
誰もが知っているあのアルバートが、
誰もが尊敬の念で憧れるウイリアム大おじさまなのである。
そして、キャンディの願いが成就された瞬間でもあるのだ。
このとき、ぼくら読者はそのハッピーエンドに素直に感動してしまう。

ということで、今度はアニメがみたいかな(^^♪
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細野不二彦「ママ」

2006年05月22日 01時18分39秒 | 最近のレビュー
細野不二彦の「ママ」をひさびさに一気に完読して感じたのは、
いまの、子供はいないにしてもバツイチとなった自分に
すごくタイムリーな作品だったということだ。
子供が大好きなぼくとしては、
バツイチ子持ちの女性はすごく憧れる存在であり、
そんな女性との恋愛劇がぼくの中で未消化のまま放置された感じである。

ところで、この機会に細野不二彦という漫画家を調べてみたら
意外な、なおかつ非常にオタクな事実にびっくりした。
細野不二彦のデビュー作は意外や意外、
高千穂遥×安彦良和「クラッシャー・ジョウ」だったのだ。

この作品にマンガがあったことすら知らなかった。
「クラッシャー・ジョウ」のキャラクターデザインは安彦良和であり、
文字通り「機動戦士ガンダム」「ダーティー・ペア」「アリオン」で
言わずもがなのデザイナー(漫画家)である。
しかしながら、この「クラッシャー・ジョウ」は、
今は亡き『マンガ少年』に1979年計3ヶ月連載されている。
このマンガ雑誌は、実は漫画家フリークには超有名で、
かの手塚治虫「火の鳥」、石森章太郎「サイボーグ009」
そして大友克洋「SOS東京探検隊」(単行本持ってます、もちろん火の鳥もだけど)
までもが連載、掲載されていたマニアックにしてカリスマ的雑誌なのだ。

ぼく的には、細野不二彦と言えばサンデー連載の
「さすがの猿飛」「GUーGUーがんも」「どっきりドクター」
なんかがインスパイアされる。
まあ、アニメにもなった作品だけに印象強いですよね。

そんな中で、「ママ」という作品は、
17歳の高校生・萩原行と同じ17歳にしてバツイチ子持ちの江夏みさを、
そして行の同級生で恋人となる佐倉恵との三角関係をベースに、
江夏の息子である留ボーがトリックスターとなり、
最終的に行と江夏が結ばれるというストーリーである。

ところで、この作品によく比較されるのが、
同じ小学館のスピリッツで連載していた「めぞん一刻」である。
この作品も、未亡人の音無響子と浪人生の五代裕作の恋愛劇で、
このときのトリックスターは音無響子の飼い犬にして、
音無響子の死んだご主人と同じ名の「惣一郎」
そして一刻館に住まう怪しい人々であり、
この辺はルーミックワールドの何ものでもない。

だから、このふたつの作品は設定は非常に似てるにしても、
似て非なり、といった感じがする。

ということで、この細野不二彦の「ママ」については、
いまの自分の立場にとてもマッチした、
非常に酷な作品として記憶されることになった。

ところで、細野不二彦って、もともと「スタジオぬえ」という
80年代のアニメではとても活躍したアニメ制作会社の出身だったんですね。
まあ、おたくな話題で申し訳ないが・・・
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夢戦士ウィングマン 実写化待望!

2006年05月19日 00時23分43秒 | 最近のレビュー
こないだ久々読み返してたら一気に読破してしまった。なかなかいまでもおもしろい作品です。
「夢戦士ウィングマン」
桂正和のデビュー作で、1983年から2年ほど週刊少年ジャンプで連載した。

主人公の広野健太はヒーローおたくで、実際にウィングマンなるヒーローを自ら作り、コスチュームも自作しコスプレよろしく、正義の味方ごっこをしている中学生。
そこに、異世界よりもたらされた、書き込んだことが叶ってしまう、デスノートのようなノート「ドリームノート」を巡って、地球と異世界との現実の戦いが始まり、健太は本物のヒーローとして戦いながら成長していくのだ。

しかしながら、実際はいわゆるヒーロー物のパロディであり、どちらかというと学園ラブコメというストーリー設定で、これに、あおい、みく、ももこ、布沢久美子、アイドルのくるみ、そしてリロといった美少女キャラがウィングマンを中心に活躍する。当然、恋愛劇にも発展していく。

このウィングマンのヒットは、実は彼女たち美少女キャラの完成度にも大きく起因している。

桂正和自身、後の「電影少女」や「I"s(アイズ)」でもわかるように、美少女キャラを描くことによりすばらしい才能を発揮する。

結果的に桂正和は美少女を描くことに方向性を求め、そっちのオタクな方々の支持を得ることになるわけだが、
再度この作品「ウィングマン」を見直してみると、そのストーリーや表現方法の秀逸なことに驚く。
特に、あおいの生まれ育ったポドリムスがリメルによって征服され、ウィングマンによって奪還するまでのストーリーは
かなり秀逸であると思う。逆に、その後のお話はなくてもよかったかも、って感じですが・・・。

でもでも、最後のすべての記憶を消し去り、過去に引き戻し、お話を終焉させるあたりは
さすがおたくな桂正和らしいラストだったと思う。

アニメにもなったが、これは実写化も可能なストーリーである。
クドカンが哀川翔と三池崇史とともに世に送り出した「ゼブラーマン」に通ずるヒーロー映画になると思う。
戦隊物や仮面ライダーシリーズとは異質なものとして、「アリ」だと思う。

実写化したウィングガールズが見てみたい、というエロ親父的見解が実は本音なんだけどね(*^。^*)
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浦沢直樹が描くもうひとつの鉄腕アトム「PLUTO」《ネタバレ》

2006年04月04日 11時25分09秒 | 浦沢直樹
※注意 このレビューにはネタバレが含まれます。

以下は「PLUTO」の単行本第1巻が出た頃に書いたレビュー。

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手塚治虫の鉄腕アトム「地上最大のロボット」の巻に登場するロボット探偵ゲジヒトの目から見た、もうひとつの鉄腕アトム「地上最大のロボット」の巻きが、この浦沢直樹の「プルートウ」である。
という解釈で読んでみたものの、これは浦沢直樹の目から見た作品であり、手塚治虫のストーリーに浦沢直樹らしい解釈を交えながら、膨らませるだけ膨らませてしまっている。浦沢自身、いま読み返すと、あのストーリーがない、といった行間の喪失を感じているが、この「PLUTO」はまさに浦沢が勝手に作り上げた行間を作品化したものに違いない。
つまるところ、原作のストーリーからは想像できないような拡大解釈がこれから展開されるわけである。リアルな画とシリアスなストーリー展開で、ぼくらの鉄腕アトムはどうやって活躍するのだろう。
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このとき、第1巻のラストで、アトムは普通の少年として登場する。そこには「劇画おばQ」とは違う、別のストーリーの中でアトムという少年ロボットが登場するパラレルワールドである。

その後も、御茶ノ水博士やタワシ警部など、鉄腕アトムに登場するキャラクターは登場するものの、そこには手塚作品とは明らかに違う設定やストーリーが内包しており、浦沢ワールドとしての鉄腕アトムはすでに一人歩きを始めている。

浦沢直樹は明らかに別の世界観で、鉄腕アトムを描こうとしているのは間違いない。原作をなぞらえながらも、独自の感性で、行間を埋めると言うよりも、リ・イマジネーションしていると言える。

この作品の主人公となっているドイツのロボット刑事ゲジヒトは、原作では中盤あたりであっさりやられてしまうのだが、今回はゲジヒトがPLUTOの裏のキャラとして鍵を握っているようである。

そして、PLUTOを取り巻く陰謀はゲジヒトの消された過去の記憶とも直結して、さらにはボラー調査団とも直結しているようである。

謎解き的な要素もかなり普段に盛り込まれているようである。

そして、アトムが死んだということは、原作をなぞれば天馬博士が登場し、10万馬力を100万馬力に改造して復活すると考えられるのだが・・・

「20世紀少年」と一緒に目が離せなくなってしまった作品である。
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気分はもう戦争~アンラッキーヤングメン

2006年02月18日 23時36分36秒 | 大塚英志
「気分はもう戦争」は、漫画アクションに連載され、81年に単行本が発売されたたマンガです。
大友克洋と矢作俊彦が、自身もキャラクターにして、ソ連とアメリカとの冷戦の最中に、中国とソ連の国境付近で大国間紛争が起こり、日本が戦争に突入してしまった世界での群像劇をオムニバスと続き物とがごっちゃになりながら、大友・矢作の作家コンビと、左翼と右翼とアメリカ人傭兵の3人組とがハチャメチャやってくれます。

とにかく、「ぼくたちは戦争がしたいんだあ」というアイロニーをシンプルに受け止めて、シンプルに読むのがベストな傑作です。

そして、そのリメイクとして登場したのが、藤原カムイ版の「気分はもう戦争2」
もちろん原作は矢作俊彦です。
多重人格探偵サイコと同じ少年エースで連載されました。
なぜに少年誌というのもありますが、サイコが連載されてるぐらいだから、まあいいかって感じ。
今回は、911よろしく、カリフォルニア、フロリダ、パリ、そして東京のディズニーランド(ディズニーワールド)がテロ攻撃にあいます。そして、日米同盟である安保が崩れたことにより、日米の関係がおかしくなります。そんな中で、韓国と日本が対馬を舞台に戦争を始めます。東京ではテロも勃発。そして、リストラされたスズキさんと謎の女子高生が戦争に巻き込まれていきます。というところまでで、単行本の1巻出たんですが、その後休載となって音信不通です。
続き早く見たいっす。

そして、今回のメインは「アンラッキー・ヤングメン」
大塚英志と藤原カムイのおそらく初めての顔合わせではないでしょうか。角川の「野生時代」というエセ文芸誌に連載されてるんですが、ストーリーはなかなか秀逸で、60年代に起こった3億円事件などの実際の事件や時事ネタを通して、当時の若者(ヤングメン)のなんだかもどかしい日常が描かれます。

これまで柳田国男や折口信夫のサーガをやってきましたので、この辺の話はお得意ですね。

日本赤軍の永田洋子や三島由紀夫などの実在する人物を下敷きにしていますが、タイトルは元ネタは大江の「われらの時代」に出てくるジャズバンドの名前らしく、ここでも大江健三郎がネタとして使われています。

この作品はこれまでの大塚作品の中でもっとも大人っぽい作品となりそうです。かなり文学的で、石川啄木の詩を引用するあたりは、他の大塚作品にない雰囲気さえあります。しかし、1話のページ数の少なさで一気に読まないとわかりづらいストーリー展開のため、ぜひ早く単行本で見たいものです。

藤原カムイいわく、「いよいよ物語も終盤を迎え、残すところあと数話」らしいので楽しみに待ちたいものです。
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性教育としてのメルモ

2006年02月16日 23時39分24秒 | 最近のレビュー
手塚治虫が性に対して突っ込んだ作品を残したとすれば、そのひとつは「ふしぎなメルモ」である。

メルモは、天国のお母さんから若返ったり、大人になったりする不思議な魔法のキャンディーをもらい、そのキャンディーでいろんな事件を解決していく、いわゆる魔法少女系の作品だ。

しかし、手塚作品だからなのか、ストーリーはエスカレートしていく。
大人の女になったメルモは、9歳のくせにエロティシズムを感じさせるような容姿になり、それ相応の反応を回りはし、そういうことを想起させる描写がアニメで表現される。
そうかと思えば、どんどん若返っていき、しまいには受精卵、そして精子と卵子に分離し、微細胞レベルまでミクロ化していく、という生物学的な表現が現れる。

まさに、性教育を絵に描いたようなアニメである。
実のところ、ぼくはこのふしぎなメルモで精子と卵子が受精して子供ができることを知った。おそらく10歳ぐらいのメルモとそう対して変わらない年齢だったと思う。そんな内容は理科の授業でもまだ出てこないし、まして性教育にはあと2年ほど早い時期である。
ぼくはこのことを知ったとき、当然精子と卵子が結合する行為がどのようなものかについては無知だったことは言うまでもない。

では、どのように結合するのか。

この時期、男女が結合するなどキスという行為以外知らないわけで、ぼくは口から口へ精子が運ばれ卵子にたどり着くのだと真剣に想像した。しかし、そのときの疑問は、では挨拶代わりにキスをする欧米人はいつでも妊娠してしまうのでは、ということだった。

こんな気持ちの悪い想像をさせる「ふしぎなメルモ」は、おそらく手塚治虫だからこそ創造しえた性教育漫画であると思う。
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カーリングといえば「ちょっとヨロシク!」

2006年02月15日 02時03分43秒 | 最近のレビュー
カーリングは初戦惜しくもロシアに逆転負けをしてしまったが、
見てるとやっぱり引き込まれてしまう案外面白いスポーツだ。

カーリングって氷上のビー玉って感じの戦略スポーツだよね。

ところで、カーリングをなぜぼくは知ってるんだっけと思ってふと考えたら、
そうです、週刊少年サンデーで連載されていた吉田聡の漫画
「ちょっとヨロシク!」が後にも先にもこれだけなのだ。

この漫画は、
スポーツ万能で成績優秀の一年生・羽田に対して、ライバル心むき出しの3年生番長の苺谷が、羽田を負かそうといろんな部活を設立して対決するギャグ漫画。部活を設立しては羽田に負けて、次の部活を設立してまた負けてというパターンなんだけど、この部活の中でカーリングが登場するのです。

もともと吉田聡は湘南爆走族でブレイクした漫画家。その後、小学館のサンデーに移って始めた漫画で、だからギャグのセンスはかなり一流だ。

吉田聡の奥深さは、いろんなマイナーなスポーツを登場させるのだけれど、
それをきちんと説明して、読者に興味を持たせている。
いま読んでもおそらくとても新鮮に感じるような漫画かもしれない。
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原作「風の谷のナウシカ」

2005年09月29日 22時58分04秒 | 最近のレビュー
「風の谷のナウシカ」と言えば、ジブリアニメの第1作目として多くのファンを持つアニメ映画でありますが、この映画には原作の漫画があったことはあまり多くの人は知らないようです。また知っていてもきちんと完読されている人はさらに減るでしょう。ちなみに、実はこの作品はジブリが作ってません。ですから実際のジブリ第1作目はラピュタの方です。

原作の「風の谷のナウシカ」は、当時オタクやおたくがまだそのように呼ばれるちょっと前に、比較的清く正しいアニメ雑誌として徳間書店から発刊されていた「アニメージュ」というアニメ雑誌に連載されていました。

もともとアニメ化を前提とした企画だったのですが、連載の途中でアニメの方が先行して放映され、中断に中断を重ねながら、結局13年の連載期間を経て完結したのです。そのためなのか、アニメの方は原作の2巻目途中までの設定しか含まれておらず、ワイド版で7巻まであるストーリーにはもちろん対応していませんが、その設定すらも踏襲できておらず、風の谷とトルメキアの2項対立を巨神兵という過去の生物兵器を基盤に描いた勧善懲悪のお話に終始している気がします。

しかし、原作の「風の谷のナウシカ」はもっと複雑でグロいストーリーになっています。アニメには出てこない第3の種族である土鬼諸侯連合(ドルク)が持つ不可思議な力や文明を焼き尽くした「火の7日間」と呼ばれる最終戦争の謎、さらには腐海で生きる第4の種族である森の人など、話は想像を絶するところに膨らんでいきます。

自然と人工物の対立を描いていると思いきや、自然の象徴である王蟲でさえ、実は人間が作り出した人工物であった、というオチは、宮崎駿が創造する究極の人間悪なのかもしれません。

原作を完読して思ったのは、大友克洋の「AKIRA」にすごくよく似ていると思いました。人間の都合の良いように自然や生き物に手を加えていくことによって生まれるもの、行き着く場所がなんなのか、それを創造したのではないかと思うのです。

ところで、宮崎駿はずっとナウシカ的なヒロインを描き続けているようにも思います。原作のナウシカは巨神兵にしろドルクの王にしろ敵や悪を内包してしまいます。千と千尋でも千尋は顔なしを助けます。また、ハウルでもソフィーは荒地の魔女をかばいます。そういうキャラクターが宮崎駿のヒロインの原点であり、それは母性であると思います。

原作で描かれたものは、アニメでは描かれない、描くことができなかった、強くて怖い母性の人としてのナウシカであると思います。それこそが宮崎駿が描きたかったものだったのではないでしょうか。
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多重人格探偵サイコ

2005年09月22日 19時27分21秒 | 大塚英志
この流れなら行けるかも。

大塚英志はグロい死体や犯罪がいっぱい出てくるマンガ「多重人格探偵サイコ」の原作者ですが、大塚英志はおそらくマダラで本来やろうと思ってできなかったメディアミックスのパズルを完成させようとしてるんだと思います。

この作品は、「月刊少年エース」という少年誌に連載されています。
おそらく10代から20代まで(おたくは年齢関係ないけどね)の比較的オタクな青少年向けの雑誌です。アキバ系を代表する雑誌のひとつと言っていいでしょう。

もともと角川書店と大塚英志とは因縁の関係があります(メディアワークスの株問題?とか)。だけど、それも半ば作り物のようにも見えるのだけど、

このマンガには死体がいろんな形で無機質に登場し、サイコサスペンスをより複雑にしています。まあサイコミステリーとかサイコホラーでもいいんだけどね。そんで、このマンガを題材にこれまで小説、テレビドラマ、演劇、ラジオドラマといったメディアミックスを敢行しています。あとはゲームだけすかねえ。

しかしながら、これらのメディアを変えた作品それぞれは、タイトルも含めた基本となる素材が一緒なだけで、ストーリーの連続性や関連性さえもわざと断ち切られています。各メディアはそれぞれ独自の世界観のもとに執り行われているわけです。

ここが今までのメディアミックスと一線を画すことになると大塚英志は考えているのではないでしょうか。

それにしても久々に見たサイコの連載は10ページくらいの中途半端なものだったが、間に合わないからぶつ切りにしてんだろうけど、これも角川に対する嫌がらせっぽいよね。
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駕籠真太郎の「輝け!大東亜共栄圏」

2005年09月22日 18時21分09秒 | ボツ

はじめにナニをと思い、いろいろ考えて悩みあぐねいておりました。
というのも、昨日博多駅のヨドバシカメラに行ったらとてもグロいマンガを見つけたからです。

記憶に残るものではないのですが、そのマンガの発想が幼少期の自分を見ているようでとてもこそばゆい感覚になったのです。

その作品は、あまりご紹介したくない、というか知らなくていいようなマンガです。
ご紹介に値しません。

しかし、そのマンガが記憶の中でマスに出たがっているのがよくわかります。だから、読んでくれとは到底言いたくないのですが、
こんな馬鹿らしいマンガがあることぐらいに留めといてください。
そして、このマンガに幼少期の記憶であったとしても共感してしまう自分に恥ずかしさとともに懐かしさを覚えるのでした。

それで、そのマンガとは駕籠真太郎の「輝け!大東亜共栄圏」であります。
女体を改造して兵器にして戦争をするというやばい話です。

ごめんなさい。
こんなマンガ紹介してしまって… 許してください。

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