バルカンの古都ブラショフ便り

ルーマニアのブラショフ市へ国際親善・文化交流のために駐在することに。日本では馴染みの薄い東欧での見聞・体験を紹介します。

あまりにチャウシェスク的な「国民の館」

2007年01月21日 16時06分01秒 | ルーマニア事情

人間は絶対的な権力を持つと何を建てたいと思うのだろうか? 一つの実例がここにある。ブカレストにある「国民の館」。「国民の・・」とは名ばかりで、実はチャウシェスクによるチャウシェスクのための権力誇示モニュメントである。ただ巨大な物を造りさえすれば、国内外の畏敬を集めることが出来るという単純な発想で、地上建造物としては世界第2番目の大きさ(一番は米国防省庁舎ペンタゴン。)というこの建物が造られた。

元々、ブカレストはバルカンの小パリと呼ばれ、美しい建物や通りを有する古都であった。下の写真を見て頂きたい。右側の白い優雅な建物と、左側の茶色っぽい無粋な建物が見える。元々は白い建物が周囲を占めていた。ところが共産党時代に、ここに大通りとその両側にアパート列を建造することになり左側の茶色い建物が割り込むような形で建てられた。将に「木に竹を接いだ」ように、異質の建物が不調和に繋がっている。

チャウシェスクは共産党関係の巨大な建物や大通りを街中至る所に建設し、そのために旧市内の歴史的建造物はことごとく破壊されてしまった。その最たるものが、統一大通りである。パリに憧れた彼はシャンゼリゼ通りと同じ長さ・幅の大通りを造ってしまった。そのルーマニア版シャンゼイゼ通りの終着が「国民の館」である。 
 
統一大通りから国民の館を望む  豪華な大理石柱が並ぶ巨大ホール

宮殿の内部は、天井・壁・窓枠に至るまで純金装飾が施され、豪華な柱はルーマニア各地から集められた最上級の色とりどりの大理石がふんだんに使われている。贅の限りを尽くしたという感じだが、その陰で国民は「欧州での最貧国」と言われるような飢餓を強いられた。一説によると、晩餐会で宮殿のシャンデリアが灯されるごとにブカレスト市内の1/3が停電になったという。
現在、宮殿は見学できるが、入場料は日本円で約2000円。当国平均月収の約一割に当たる。 説明は全て英語で、明らかに外国人観光客をターゲットにしている。故チャウシェスクの遺産は今は外貨稼ぎに貢献している。(高いコストを払って。)
とにかく、巨大さには圧倒されるが、知的なもの、美的なものからは程遠い。乱暴な比較かも知れないが、その百年ほど前に、カロル国王が建造したペレシュ城(2006年11月21日ブログ参照)がうっとりとするような美的感動を人々に与えることと比べれば、何たる違いであろうか!

話は飛ぶが、自然院は80年代サウジアラビアに駐在したことがある。第2次オイルショックの頃で世界から集まるオイルダラーを使って国造りに沸き返っていた頃である。当時の国王は首都リヤドの因習的な風土を嫌い、開放的な紅海に面したジェッダに理想の私的宮殿を造った。その建設を請け負ったのは日本の大手ゼネコンK建設。懇意にしていた関係者の方の手引きで引き渡し前の宮殿を見せて頂いた。世界一の、とてつもない大富豪のお宅である。興味津々。庭は砂漠にふんだんに水(原油を燃やして海水を蒸発させ、その蒸気から作った水)を撒いて緑化したもの、建物は分厚い大理石で覆われた堂々としたもの。将に「砂上の楼閣」。「王様がここにお尻をおろすのかな」と思いながら金ぴかの便座に触ったりした。(不遜なヤジウマ) 真ん中に大きな噴水がある部屋があったり(下の写真)するのはアラビア的。もっとアラビア的なのは、大きなプールのような瓢箪型お風呂で、これが4箇所ある。イスラム法では、4人の妻とその家族を平等に扱わなければならないという掟があるので、なるほどと納得した覚えがある。イスラムではアラベスクに代表されるように直線模様が珍重されるなど、日本人とは美的感覚が全く異なる。従ってこれを自然院が評することは固より烏滸がましい限りだが、それを承知で言わして頂ければ、とんでもない贅沢をしているというほかは、それほど感動するものではなかった。

これらを見ると、所詮、人間は有り余る富があっても絶対的権力があっても、それだけでは大したことはできないものだという気がする。 (無理に自分に納得させている面もあるが。)


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1 コメント

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さすが!! (ならん) (ならん)
2007-01-23 22:49:35
自然院さまの言うとおり!!ですね。    
このコメントは、本当に心のある人の言葉だと思います。
私は、日本にいながら世界の生のことを教えてもらえる事に喜びを感じています。

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