ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.115レポート

2017-06-22 21:17:22 | Weblog
毎年この季節が来るとゲリラ豪雨と、ジトジトと蒸し暑い気候のせいで鬱々としがちなのだが、今年の梅雨は様子が違う。陽射しは初夏のそれを越えて真夏のようなのに、どことなく爽やかなのだ。まあ、暑さはこれからが本番なのだろうが、梅雨なのに雨もあまり降らない。6月のジネンカフェのこの日も梅雨入り前で、雨が降って来る気配もなかった。ジネンカフェVOL.115のゲストは、名古屋市北区辻町住宅の一角で高齢者の小規模通所介護事業所〈まちの縁側 楽〉を運営されている、NPO法人10人村の理事長・虫明達夫さんと浜島真里さんのお二人。お話のタイトルは『小規模ディ施設だから出来ること』

【まちの縁側 楽】
名古屋の北部、北区の県営辻町住宅の一角に、虫明達夫さんが理事長を務めるNPO法人10人村が運営する「小規模通所介護事業所まちの縁側 楽」はある。広い表通り沿いではなく、高層住宅の棟と棟の間の抜け道に面しているためか、辺りは昼間でも薄暗い。しかし、「楽」の扉を開けて一歩建物の中に足を踏み入れると、利用者さんの弾けるような笑い声に迎えられる。ひとがこんなふうに笑いあえる環境にあるということは、無条件でよいことだと思う。ましてや人生の晩年を迎えている高齢者の方々が。「まちの縁側 楽」のある棟は一階部分が店舗になっている造りだが、十年前にはもう空き店舗が並んでいたらしい…。その一区画を虫明さんたちが借り受け、改装の許可ももらって「小規模通所介護事業所まちの縁側 楽」をオープンさせたというわけだ。

【「楽」の日常】
「まちの縁側 楽」のモットーは「利用者の方に一日一回は笑っていただく」ことだという。しかし、実際には冒頭にも書いたように、利用者の誰もが一日中穏やかに微笑んでいるか、大笑いをされている。笑っていない時には皆さん歌や工作、算数に坊主めくりなどに熱中されているのだ。つまり自分がストレスを感じること、嫌な思いをすることはしなくてもよいのである。天気のよい日は散歩や日向ぼっこなども楽しみにされているという。虫明さん自身も「福祉をやっているつもりはなく、自分も利用者さんと一緒に笑っているだけ」だそうだ。また、ディ施設にありがちな利用者間同士のトラブルもなく、逆にお互いに助けあったり、教えあったりする姿がみられるという。お互いがお互いを認めあい、ストレスがなく教えあう関係だからこそ、トラブルが起きないのだろう。

【ある利用者さんのエピソード】
「まちの縁側 楽」の利用者さんで、毎年一ヶ月ぐらい入院する方がおられたという。退院間際に病院の医師から「ディ施設はナースやドクターが常時いるところにして下さい」と言われたが、ご本人は「嫌だ、楽に行く」と譲らない。そして一ヶ月後の診察で「お元気になられましたね」と太鼓判を押された。そういうことを5年間も繰り返していたという。

【小規模ディ施設ならではのケア】
オープン当時とは異なり、現在は「第1・楽」「第2・楽」とに分かれてはいるものの、どちらも定員10名程度の小規模デイである。小規模施設には大規模施設では難しいケアが出来る。利用者さん・スタッフ双方が、顔と顔がみえる関係性を築くことが出来るのだ。これは双方の信頼関係を築けるのみならず、利用者さんの健康状態などもスタッフが把握しやすく、安心して家族を任せることが出来るから、利用者さんのご家族にとっても、そして「まちの縁側 楽」を相談に来た高齢者のケア・プランを立てるケアマネさんにとっても、安心して薦めやすい。現に「まちの縁側 楽」によく顔を出すケアマネさんが、いつも言っているのだとか。「ここはいいよー、利用者がいつも笑っていて楽しそう~。うちのデイのスタッフにも見学に行けと言ってやりたいわ」と。後ほど書くが、虫明さんはNPOを立ち上げる前、いろいろな福祉施設に勤めている。その時に学んだのであろう。小規模デイ施設には、大規模施設に出来ないケアが出来るということを。虫明さん自身は「利用者さんやスタッフに恵まれているだけ」と謙遜されておられたが…。

【虫明さんのボランティア事始め】
その虫明達夫さんは、1949年生まれ。俗に言う団塊の世代である。もともとは会社勤めをされていたのだが、1990年頃から地域活動に興味を持ち始め、兵庫県を中心にして関西に大災害をもたらした95年の阪神淡路大震災の時にボランティアとして動きたかったのだが、仕事もあって動けず、忸怩たる思いをされていた。虫明さんがボランティアの世界に関わったのは、97年のナホトカ号重油流出事故が最初であった。ロシアのタンカーが日本海を航行中に島根県の隠岐島沖で航行不能になり、船体が二つに割れて積んでいた重油が流れ出したという事故だ。流れ出した重油は大方の予測を越えて、島根県沖から福井県の越前加賀海岸、石川県沖という広範囲に漂着した。漂着したその重油を回収し、重油にまみれた海鳥を救出したり、海岸線を清掃するために自衛隊や全国からボランティアが集った。この時に虫明さんも毎週末、雪道を北陸へと車を走らせたのだ。

【ひとの想いの凄さを目の当たりにする】
この時に虫明さんが通われたのは、福井県の水晶浜海水浴場。普段は名前の通り美しい白い砂浜と、オパールのような青い海で知られた海水浴場である。そこに重油が押し寄せ、水晶のような海水浴場の景観を真っ黒に染めていたのだ。それを人海戦術によって元通りの美しい海水浴場の景観に戻して行ったのだが、それはまさにひとの想いの結晶だったという。真っ黒い景観が一週間、二週間、一ヶ月でみるみる元通りになってゆくのを目の当たりにした虫明さんは、改めて人力の凄さ、ひとの想い、ボランティアの力の凄さを感じたとか。若い人たち、耳や鼻にピアスをしている若者も、虫明さんたちと懸命にボランティアに励んでいた。どんなひとでも目的がはっきりとしていれば、動けるものなのだなと思ったという。

【孤立化する弱者の現状を目の当たりにする】
それをきっかけに虫明さんは小牧市の〈ボランティアコーディネーター養成講座〉を受け、活躍をし始める。2000年の東海豪雨の際には、名古屋市北区の名古屋市社会福祉協議会が本部となり立ち上がったボランティアセンターに〈災害ボランティアコーディネーター〉として一週間通い、頼まれて市内の弱者宅を見に行ったら、聴覚障がいの方が押入の上の段をひっくり返してそこに座って一晩過ごしていたり、別の住宅では高齢者がベッドの上で縮こまりながらぽつんと座っていたという。その姿に愕然とすると同時に、孤立している社会的弱者の現状を目の当たりにしたそうだ。

【防災計画は誰も知らない?】
その時に地域の力が弱くなって来ているのを感じると共に、防災計画はどうなっているのか気になり、小牧市のものだが調べてみたら、防災計画の中で高齢者や障がい者などの弱者対策のマニュアルも立ててあることになっている。しかし、そのことを当時の高齢福祉課に尋ねてみても、誰もそんなものは知らない。「消防が作ったんじゃないの?」という話を聞いて驚き、呆れたという。施設に通っている人は、その施設の職員さんが利用者の人たちのことを心配して駆け回っていたが、そういうところに属してないと社会的弱者は救われないよな…と思ったという。現在は各地できちんとした対策が立てられ、いろいろと活動をされている方々が出てきている。

【世界がもし100人の村だったら】
東海豪雨の翌年、2001年に虫明さんは会社を辞め、ヘルパー2級資格を取得する。この年は9.11にアメリカで同時多発テロが起こり、ニューヨークのワールドトレードセンタービルに旅客機が突っ込み、その映像が配信されて世界中の人々に衝撃を与えた年でもある。広がる格差やそれによる理不尽さを抱えた人たちがあふれ、その影響からか『世界がもし100人の村だったら』というタイトルの本が出版され、流行した。この『世界がもし100人の村だったら』は、もともとはアメリカの環境科学者・ドネラ・メドウス教授が1990年に著した「村の現状報告」が原点になっているらしい。これは世界をひとつの村に例えて、人種、経済状態、政治体制、宗教などの差異に関する比率はそのままに、人口だけを1,000人規模に縮小して説明したものだ。それがネットによって拡散してゆくうちに100人になり、部分的に削除されたり、加筆されたりして流布したものであるという。日本ではワシントンDCの元世界銀行に勤務していた中野裕弓さんが、元同僚から受け取ったメールを日本語に訳したものが最初だとされており、後に翻訳家の池田香代子さんとC・ダグラス・ラミスが再話をし、日本語に訳して出版されたものだ。虫明さんもこの本を読み、100人から更に人数を減らして10人ならどうなのだろう? という夢想をされていたという。それが後々設立するNPO法人の名の由来になり、小規模ディ施設運営の発想へ繋がってゆくのである。

【NPO法人設立と小規模ディ施設運営開始】
2001年に会社を辞めた虫明さんは、それ以降高齢者や障害者施設で働いたり、いろいろなボランティア活動(野外教育NPO、タイでの図書館づくり、視覚障害者のガイドヘルパー、災害ボランティア等々)をされている。それはあたかも次への人生の予行演習であるかのように…。そして資格に関しても、ヘルパー1級、介護福祉士を取得される。また、この時期に仕事上のパートナー・浜島真里さんと出会われている。そうして迎えた2006年10月、満を持して虫明さんは〈NPO法人10人村〉の設立申請をされた。小規模通所介護事業所の母胎となる法人である。翌年2月に設立許可が下り、同年4月に〈小規模通所介護事業所まちの縁側「楽」〉をオープンさせたのであった。オープンさせるにあたっては候補地が虫明さんの地元の小牧と、浜島さんの地元の名古屋市北区が挙がっていたが、新興住宅地が多い小牧よりも北区の方が需要が多そうだということもあり、たまたま県営の辻町住宅の物件が空いていたので現在の場所にオープンさせたという。

【浜島真里さんと虫明さんとの出会い】
浜島真里さんは、もともと〈子育て支援系〉のボランティアグループで活動されていた人であった。お子さんが小さな頃から〈自分がいま出来る事は何だろう?〉と考えていて、生涯学習センターで〈子どもをみる・預かる・講座を開く〉という、育ちあいのボランティアグループがあることを知り、そのグループにご縁があって所属されたのだ。しかし、子育ても一段落したところで、ご自分のお母様も介護が必要な年齢になって来られるだろうし、これからは福祉も介護系かなと思ってヘルパー資格を3級から順々に取得して行く中で虫明さんと出会われたそうだ。

【チームケアの可能性を求めて】
それまではご自分に自信がなく、ホームヘルパーなら家事の延長で利用者さんに寄り添いながら出来るかと思っていたのだが、そのうちにチームケアの方に興味を持ち始め、みんなで何かをした方が大きなことが出来るよね…との思いで、一度50人~60人規模のデイ施設に勤めたのだという。しかし、そこでは確かに人数はみていても顔はみていない。今日この人と話していないし、話す時間もなければ常にバタバタと走っていて、7kgも痩せて
こんな想いをするのなら…と。それでも二年間勤めて学べることは吸収して、自分の身の丈にあったデイサービスをやってみたいと思った時に、たまたま共通の想いを持っていた虫明さんと小規模デイ施設を運営することになったのだという。それから10年間、長いような、短いような年月が流れ去り、現在に至っているという。

【その後の10人村】
虫明さん率いるNPO法人10人村はその後、小牧市の新児童館・大城児童館の指定管理を受託し、小牧市・指定管理者・地域住民の3者による地域運営協議会を設置させ、〈公設地域運営〉をモットーに運営しているそうだ。更に同じ小牧市の篠岡、味岡児童館の指定管理を受託されている。

【大久保的まとめ】
虫明達夫さんと初めてお目にかかったのは、10年ほど前。ちょうど虫明さんがNPO法人の設立申請をするかしないかの時期だったろう。両者に共通の知りあいであり、まちの縁側育くみ隊、10人村双方の理事を務めている坪井俊和氏の紹介であった。とても気さくで面白く、繊細さを持ち合わせているシャイな人だという印象をもった。それは10年が経過した現在でも変わらない。浜島さんとは「まちの縁側 楽」がオープンする前か、オープンの時か、坪井氏たちと遊びに行った時に会っている。あれから10年の歳月が流れた。この10年の間、4、5回「まちの縁側 楽」にお邪魔させていただく機会があった。その度に虫明さんや浜島さんはもちろん、利用者さんたちからも笑顔で迎えられ、気恥ずかしいやら、心地よいやら、複雑な気持ちでいる。しかし、それは決して悪い感じではなく、好ましい感覚なのである。介護ビジネスを巡る動きは制度がコロコロと変わったり、介護士不足で小規模なところほど運営が苦しくなるとも聞いている。しかしながら、浜島さんではないが、大規模施設ではひとりひとりの利用者さんに費やす時間に限界があり、スタッフ・利用者双方にストレスが掛かる。その結果がスタッフと利用者、利用者同士、スタッフ同士のトラブルに繋がってゆくのだ。人生の晩年を心穏やかに、笑いながら日々を過ごしたいものだ。そうはいうものの、私は別に大規模デイ施設を否定しているわけではない。大規模デイには医療行為が出来るナースやドクターもおられるだろうし、〈衆人の中の孤独〉を好む高齢者はこちらの方が向いているだろう。要は、向き・不向きなのだ。大規模・小規模、どちらも必要なのである。虫明達夫さんと浜島真里さんのご健闘を心より願っている。

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