ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.106レポート

2016-09-03 22:03:01 | Weblog
夏が来る前から今夏は例年にないほどの烈暑になると言われていたが、本当に暑い! 8月に入り、一層暑さが倍増したようだ。気温が35℃の真夏日はざらで、37℃~39℃台の日々が何日も続いている。全国的に熱中症で搬送される人々が後を絶たない。皆様もお気をつけて。屋内にいても油断は出来ません。さて、今月のゲストは北海道出身で、6年前に暑~い名古屋にやって来られた〈しらまこプロジェクト〉の白川陽一さん。白川さんは何も伊達や酔狂で夏場の暑い名古屋に来られたわけではない。北海道で教師をされていた白川さんは、もともと関心があったサードプレイスやファシリテーションを学ぶため、6年前に名古屋の大学の大学院へと入学されたのである。その後サードプレイスを研究しながらも、自らも実験的サードプレイス〈うずみん〉を立ち上げようとされたり、いろいろなところでファシリテーションをされたり、学校の先生をされたりして、現在は名古屋市青少年交流プラザ・ユースクエアの職員をされつつ、いろいろな対話型イベント等の企画、計画、運営、ファシリテーターとして活躍されておられる。お話のタイトルは『コミュニティづくりのその先には』

【三つの顔をもつ男】
人が誰しも生きる上において、幾つかの顔を使い分けているように、白川陽一さんには大きく分けて三つの顔がある。一つ目はユースクエアの職員としての顔。二つ目は対話と学びの場としてのイベントなどの企画・計画・運営に携わるワークショップデザイナー・ファシリテーターとしての顔。そしてもう一つは、コミュニティ難民としての顔(この言葉はアサダワタルさんが使っている表現で、知らない人には説明が必要だろう。実は寡聞にして私も知らなかったのだが、言葉の説明は後述することにしよう)。一番目の顔は勤め人としての顔だが、二番目と三番目の顔ともリンクしている。そしてそれは白川陽一さんというひとを物語るキーワードになっているようだ。

【名古屋市青少年センター・ユースクエアとは?】
現在の白川さんの職業は、名古屋市青少年交流プラザ・ユースクエアの職員である。北海道におられた時や、名古屋に来られてからも一時期学校の教師をされていたので、堅くて安定した職業から転職されたということだ。ユースクエアは名古屋市の公共施設なのだが、管理・運営を民間に委託しているので、そこの職員は公務員ではない。名古屋駅から地下鉄で20分。名古屋市営地下鉄『名城公園』から北東へ500メートルのところにあり、近くには日本の商店街の中で二番目に旧いといわれている柳原通商店街がある。どんな施設なのかは説明するよりも、ユースクエアのHPをみてもらった方が早いのでURLを載せておこう。http://www.yousquare.city.nagoya.jp/
簡単に言ってしまえば、青少年の生き甲斐や仲間づくりを後押しする施設であり、機関なのだ。独自でイベントを催したり、講座を設けたりもしている。名古屋市の条例によれば、〈社会性、主体性に富み、人間性豊かな活力あふれる青少年の育成を図る〉 教育施設ということになる。因みに〈青少年〉とは、ユースクエアによれば 小学生から34歳までのひとを呼ぶのだそうだ。貸し館業務も行っているので、それ以外の方でも利用は出来るが、主なターゲットは青少年ということだ。行っている主な業務としては、貸し館業務の他にも就活や自立支援、社会参加・参画支援の三本柱があり、白川さんが担当していのは「青少年の社会参加・参画支援」ということになる。

【ユースクエアはサードプレイス である】
サードプレイスとは、アメリカの社会学者レイ・オルデンバーグ氏がその著書の中で述べておられる概念で、地域社会の中でコミュニティを育むのには、都市の中に自宅(プライベートゾーン)と職場や学校(パブリックゾーン)の中間にある第三の居場所が必要だとされているのだ。日本では昔から家々の縁側とか、床屋、銭湯、神社仏閣がそれに相当していたが、訳あって現代の住宅事情や社会風潮からそれらのところからサードプレイス的機能が失われつつある中で、新たなるサードプレイス的特質を備えた公共施設・民間施設が生まれてきている。居場所の捉え方についてはいろいろな概念があるが、ユースクエアはまさにサードプレイスだということが出来るだろう。

【都市の中で遊ぼうとすると…】
小学生から34歳までの青少年が都市の中で遊ぼうとか、時間を過ごそうとすると、家と学校、あるいは家と職場とか、家とバイト先とか、それだけで完結してしまうことって昔よりは少なくなったものの、まだまだ多いと白川さんは思っている。そういう人たちがもっと都市を楽しむにはどうすればよいかと考える時に、コモンスペースが無料で使えて、自由におしゃべりが出来たり、公共施設がそのようなサード・プレイス的な機能を提供出来ることは大事なことだと白川さんは考えていて、ユースクエアはそういう場であってほしいと思っている。

【サードプレイスのABC―A=場に対する愛着(Attachment)】
ユースクエアで行っていることを、サードプレイスの観点から白川さんなりに分析してみると三つのカテゴリーに分けられるという。A,自分の愛着が持てる場所。ユースクエアに集う若者たちに自分はここにいてもよいのだと思ってもらい、役割感とか、帰属意識が持てて親しみのある場所として利用してもらう。その結果として〈寂しくない〉とか〈勇気が出る〉〈元気が出る〉などの心理作用を促し、それがユースクエアで催すイベントを企画し、主体的に関わる「ユースクエア企画委員会」に繋がっていると白川さんは思う。また地域からユースクエアに対してボランティア要請が来た時に、地域と若者とをつなげるためにボランティアを募って派遣するという業務もしているという。白川さんは「ユースクエア企画委員会」のサポート役として会議の運営や人間関係づくりをしたり、イベント時の見守りをしたり、地域のニーズとボランティアの若者とを結ぶコーディネーターとして日々動かれているという。
【サードプレイスのABC―B=between making】
B,私発協働。白川さんの知りあいのあるひとりの高校生が、高校生同士の学びの場を高校生の力で運営したいと数年前に思い立ち、2014年にその子の想いに共感して集まってきた高校生の団体が作られた。ユースクエアとしては何も関わってはいないのだが、たまたま個人の想いに共感して集まってきたのがユースクエアだったという成り行きで、場所に対する愛着はそれほどないけれど(後々出て来るとしても)、個人の想いに共感してそれが拡散してひとが集まってきている…。ユースクエアを利用する団体さんには、結構こういう団体さんが多いのだそうだ。サークル活動のようなもので、高校生が学校の授業みたいなことをしてみようということで、白川さんは部活動の顧問のような感じで関わっていた のだ。

【サードプレイスのABC―C=Collaboration】
C,コラボレーション。Bは、あるひとりの人の想いに共感してひとが集まって来る感じだったのだが、Cは、それぞれが〈こうあればよいのに…〉という理想を抱きつつ、更にそれを高めあう関係でユースクエアという〈場〉を利用する。例えばフューチャーセッションというワークショップを通してその場限りの結論ではなく、そこに参加した者同士でアクションを起こしてゆく。そういう拠点としてユースクエアを使ってもらう。サードプレイスではあるのだが、そんなふうに社会に対してアクティブに発信してゆくポジションとしてユースクエアを利用するというのも有りなのかなと白川さんは思っている。

【ワークショップデザイナー、ファシリテーター】
白川さんの二つ目の顔は、ワークショップデザイナー・ファシリテーターとしての顔である。ジネンカフェ拡大版でもお世話になっているのだが、いろいろな機会に対話の場を設けてワークショップを行うのである。その対話の場を自ら作ったり、依頼されたり、進行役を兼ねることも多い。主に教育、看護(この秋からある看護学校の非常勤講師として人間関係づくりについて教えられるそうだ)、舞台芸術関係…。最近はこの舞台芸術関係者とのコラボレーションが多くなっているそうだ。

【舞台芸術をワークショップする】
静岡に『静岡県舞台芸術センター(SPAC)』という「専用の劇場や稽古場を拠点として、俳優、舞台技術・制作スタッフが活動を行う日本で初めての公立文化事業集団」がある。演劇舞台芸術専門の劇場(舞台芸術劇場)や、宿泊設備・稽古場を備えた公園(舞台芸術公園)を有している。その二箇所を使って、2012年から劇団うりんこの制作・平松隆之さんと合宿ワークショップを行って来ている。一回につき三日間行い、最初は劇を見終わった後のそれぞれの感想を語りあうということを、ワールドカフェで行っているのだそうだ。三日間を通していろいろなテーマで行い、好評で今年度も行うことが決定している。
その劇場(センター)では絶えず何らかの演劇が公開されているので、毎年お客さんが集まりそうな演目の時にあわせて行われることが多く、そうなると全国から演劇に関わっていたり、関心をもっている人たちが集まって来るので、そういう中でワークショップをさせてもらえるのは、白川さんにとって幸せなことだという。

【劇場を地域の中の大事な場所にしたい】
静岡県舞台芸術センターでは、単に演目を公演して観てもらうだけではなく、劇場を地域の中の大事な場所にしたいという想いがあり、観劇のみではなく話しあう場とか、舞台芸術を通していろいろな人たちが交じりあうといいなと思っていた。そこに白川さんたちが〈ワールドカフェ〉という方法論を持って行ったら好評を博し、毎年行うようになったのだという。

【ワークショップの先祖帰り】
面白いものである。「ワークショップ」とは、もともと美術や演劇や映画などの芸術分野から派生したものだが、80年代の演劇関係者の間では〈演劇の感想を求めるなんて野暮だ〉とか、〈演劇はその場だけで消え去るものだ〉という風潮があったらしい。世紀が移り、ワークショップが先祖返りをしたことになるのだろうか? しかし、演劇関係者ではなくても、映画なり、美術展なり、演劇やコンサートなどに友人と行き、その帰りにお茶でも飲みながら互いに感想などを交換する時間はとても有意義なものだし、楽しいものだ。ヨーロッパなどではオペラなどを観た帰りに一緒に観に行った人や、見知らぬ人たちとも感想を語りあいながら賑やかに食事やお茶をするのはあたりまえになっている。白川さんも自分が観劇や映画を見終わったあとに、隣の席の人たちと感想を述べ会えたら楽しいだろうな…と思っていたので、ワールドカフェ方式によるワークショップを提案したのだとか。このプログラムを導入したことにより、ただの劇場がひとつのサードプレイス的な場になって行き、観劇していた知らない者同士がそれをきっかけで知りあいになることが起こり始めているそうだ。

【縁は異なもの味なもの】
その静岡県舞台芸術センターでの〈ワールドカフェ〉という意見交換の手法が飛び火して、全国いろいろな地域から「うちでもやってよ」というオファーが来ているという。大きなものとしては東京での国際的な舞台芸術フェスティバルである〈フェスティバル/トーキョー(F/T)〉という、あいちトリエンナーレの舞台芸術版のような芸術祭があり、それにも白川さんは招かれていて、半年ぐらい付いて行うのだが、それもこれも静岡県舞台芸術センターで行った時に学生だった参加者の青年が〈フェスティバル/トーキョー〉のスタッフとして働くことになり、あの時のワークショップ体験が印象に残っているから…と縁があって昨年も今年も招いてくれたのだという。白川さん自身演劇経験は中学生の時に文化祭でクラス劇を創作した程度なのだが、それっきりになっていて、今こうした形で関わりが出来て嬉しいという。〈縁は異なもの味なもの〉という諺がある。本来は男女の縁はどこでどう結ばれるかわからず、不思議でおもしろいものであるという意味なのだが、男女の仲に限らす人と人との縁は不思議で面白い。白川さんを劇団うりんこの平松隆之さんに紹介したのは、しらまこプロジェクトのもうひとり・加藤舞美さんだし、平松さんと白川さんとの結びつきが静岡県舞台芸術センターでの〈ワールドカフェ〉を生み、そこに参加していた青年が東京の〈フェスティバル/トーキョー〉に白川さんを招いたのである。これぞ縁パワーであろう。

【演劇とワールドカフェの親和性】
演劇とワールドカフェをかけあわせている事例は、他にはないらしい。たぶん国内にもないし、海外にもないのではないかという。白川さんによれば、演劇とワールドカフェは親和性が高いという。普段から言葉にならないことを、それでも何とか言葉にしようとしている人たちが集まっていて、そういう人たちはもともと対話することの親和性が高い人たちなので、状況的には遣りやすいのだという。なお、このワークショップには、題材となる劇の演出家は入らない。あくまでも観劇者中心に展開されるのだ。もちろん、その中には一般の静岡県民も演劇好きな人もおられるし、役者志望の方や劇場の運営者の方もいらっしゃる。演出家が入ることによって、正解を求めるような話しあいになりかねないからだ。合意形成を求めず、対話と気づきを楽しむ…。それがワールドカフェというワークショップなのだ。

【コミュニティ難民としての顔】
さて、白川陽一さんのもうひとつの顔とは、「コミュニティ難民」としての顔である。「コミュニティ難民」とは、音楽構成・演奏、著述、文化プロジェクト構想 ・演出、講演・大学講師などマルチな活動をされているアサダワタルさんが使っている表現で、要するに特定のコミュニティに属さず、自由にコミュニティを渡り歩く人たちのことをそう呼ぶらしい。白川さんは活動分野としては限られた部分があるものの、どこか特定のコミュニティに属しているかと言えば、そんな意識はなくて一応ユースクエアの職員なのだが、ユースクエアだけに留まっているわけではなく、いろいろなコミュニティに顔を出している。また表現手段も〈対話〉というキーワードはあるものの、所変われば人との関わり方も変わって来ている。そういう人たちのことをコミュニティ難民というのだそうだ。白川さんは
いろいろなところで、いろいろなことをしている人なのだが、ご自分のことを分かりやすく説明する時には「ユースクエアの職員です」と言ったり、「看護専門学校の非常勤講師です」と言ったり、「NPOに属している人です」と言うこともあるそうだが、重点的に属している感じはあまりないそうで、それぞれの関わり方も全然違うという。

【コミュニティ難民とは?】
白川さんによれば、アサダワタルさんはその著書の中で、コミュニティ難民をこんなふうに定義しているという。「複数のコミュニティに分散的、流動的に属する状態。かつそれに伴い、表現手段が拡散的になる状態が長引くことで、コミュニティ難民の人は自分の生産活動の特定が困難になる」つまり、自分は何者なのか解らなくなって来る…。どのコミュニティにも片足を入れているので親密感は持っているのだが、同時に疎外感もあるというのだ。どのコミュニティにも属しているので自分は何者なのか解らない状態で、そのどのコミュニティにも親しい人もいれば、そうでもない人もいる…。北海道から名古屋にきた時の白川さんは、まさにそういう状態であったという。更にコミュニティ難民のひとは「また、そのことによって活動初期はアイデンティティーの揺らぎを基にした多少の戸惑いや精神の不安定さを伴うこともある」のだそうで、白川さんも名古屋に来られた当初、非常に精神が不安定だったという。それはまあ、自分が決めたこととはいえ、〈教師〉という安定した職業を棄てて北海道から名古屋に来られたわけだから、普通に考えても何かに寄りかかりたいとか、そういう感覚になるだろう。アサダワタルさんは更にこんなふうに続けている。「しかし、徐々にその独特な浮遊感の心地よさに気づいてしまうことで逆に開き直り、意識的にコミュニティ難民の状態を目指すようになる」白川さんも、自分はいままさにそういう状態になってきているな、このままでよいんだという開き直りが出てきていると感じているという。

【コミュニティ難民は少数派?】
しかし、その感覚というものは、年代とか未婚か既婚か、または子どもが居るのか居ないのか、人生のステージによっても変わってくるような気がする。既婚者で子どもがまだ小さかったら家と職場との往復だけで精一杯だろうし、子どもが居なくても経済的や心理的な理由からサードプレイスなど必要ではないという人もいよう。また、年代によっては人生に安定感を求める人たちが多いのに違いない。だからコミュニティ難民という人たちは、少数派なのかも知れない。しかし…と白川さんは思う。家と職場・学校との往復だけで本当によいのか? その往復だけで精一杯だからしようがないよね? と言うが、本当にしようがないのか…?と。

【しらまこプロジェクト】
そんなふうにいろいろな活動をされている白川さんだが、そのいろいろとされている活動を横糸だとすると、それを意味づけている縦糸が白川さんにはある。それが〈しらまこプロジェクト〉というわけだ。〈プロジェクト〉などというと、なにやら大人数で大掛かりなイベント等を企画し、実施してゆくイメージがあるが、そうではなく生き方や働き方や暮らし方など白川さんと問題意識が似ている加藤舞美さんとのコラボ企画というか、ふたりがもつ問題意識や関心事を検証するため、実験的なイベントを実施するユニット名のようなものなのだ。例えば3.11の東日本大震災以降、自分たちの暮らし方の揺らぎについて話をしたことがあり、どうやって暮らしてゆけばよいのだろう? このままではよくないのではないか? という疑問から〈うずみん〉が生まれたり、この震災以降SNSが飛躍的に発達したが、その一方で情報発信や情報共有とか、どういう情報をどういう方法で流したらどうなるのか整理が出来なくなって来ている現状もある中で、インターネットラジオを始めたり、テレビ的なUstreamをやってみたりもされたそうだ。「本」についても電子書籍全盛の昨今で、情報量という意味では紙の書籍より電子書籍の方が優れていると思うのに、紙の本を愛してやまない人がいるのは何故だろうという疑問から、いまの時代だからこその〈本〉って何か役割とか、機能とかあるのかなと言って本を作ってみようとしたこともあったという。〈あのひとの話を聴いてみたいよね〉と思ったら、自分たちの知っている人たちと一緒に時間を共有出来たら何か起きるのだろうかと考え、参加者からお金を集めてその人を呼んでイベントをしたり、アハ体験(脳科学の分野で注目されている体験のことで、人の脳は何かを閃いたり、何事かに気がついた時に活性化されるという)にも一定の量が必要だよね?と言っていて、どれぐらいの量を話せば閃きが訪れるのだろうと思い、不定期でただひたすらに30時間ぐらい対話をするイベントを開催しているとか。この対話の中から実現に至ったイベントもあれば、至っていないものもある。

【震災以降のコミュニティスペースづくり】
3.11の東日本大震災以降に、白川陽一さんと加藤舞美さん、森田恭平さんの三人でコミュニティスペースづくりをされたこともある。いわゆる〈うずみん〉のことだ。〈うずみん〉についてはVOL.072のレポートに詳しく書かれてあるので、そちらをご参照いただきたい。それは2012年のことで、白川さん曰く「まだ僕が安定してなかった時期」だったそうだ。もともと事務所スペースだったところを、シェアハウスが流行り始めた頃だったのでいろいろな人と暮らしを分かちあう感覚で、老若男女問わずワークショップ形式で床に木片を貼ったり、居室を区切る壁代わりの書棚やベッドを作ったり、要らない食器を砕いてそれをセメントに混ぜてシャワールームを作ろうとした。費用をあまりかけられないという事情もあり、そこら辺に余っているものをリサイクルしたのである。白川さんが使っていたまな板も、床の一部に使われたそうだ。この〈うずみんづくりワークショップ〉には、延べ411名が参加したという。その中には母娘で参加していた方たちもいらして、中学生の娘さんの奮闘ぶりをお母さんと共に、周りの大人たちも応援したり、ワークショップをする度にSNSで呼びかけると、毎回20名は集まってくれて〈コミュニティスペースを作る過程から人々が集まっている〉状況が珍しく、取材されたこともあるそうだ。また、静岡県浜松に先行事例があり、アイデアを使う許可をもらうと共にそこの人を招いて交流したこともあった。その人たちがSNSで紹介してくれて、一時はネットでお祭り騒ぎになったこともあったという。


【住める家&みんなが集まれる居場所を目指したのだけれど…】
白川さんたちが〈うずみん〉で目指したのは、自分たちが住める家&みんなが集える居場所であった。だからこそ床づくりワークショップに参加した人たちに、この場に愛着を持ってもらおうと、床の木片にワークショップ参加者の名前を印したり、助成金を取ったり、いろいろな催しを企画し、自由に振る舞えるような工夫をしたり、床の模様も前作った人のものに上書きしてもよいことにしたので、そこから様々な対話やコラボレーションが生まれて行ったりもしたが、いろいろな事情から〈うずみん〉は、活動終了した。

【コミュニティづくりの先には何がある?】
そんな白川さんだが、昔は自分のことを認めて貰いたいとか、承認欲求が強かったそうだ。しかし、最近ではそういうことよりも、「ユースクエアの職員」という肩書きを持ったが、
肩書きを持った時に出来ること、肩書きを外した時に出来ることの相違や、肩書きを持つということは権力を持つというなので、どうして権力をもつ者に従わなければいけないのかとか、ひとと何かを決める時に時間を掛けないで合意が自然に生まれる方法はないのかというところに興味を持ったり、加藤舞美さんと行っているような軽やかな実験的検証作業が出来たらいいなと思ったり、そういうところに関心が移って来ているという。居場所づくりに関しても、いまはまた新たに始めたいとはあまり思ってないという。〈うずみん〉とか〈ユースクエア〉で解ったのは、居場所づくりは精神的コスト(負荷)がかかるということ。続けるのにもエネルギーが要るし、いろいろな人の協力も必要だし、それが重いのだという。重いと一回始めたら終わりにくくなるということがあって、〈うずみんづくり〉を行っていた時は続けられたけれど、終わってしまった現在、また同じ事は出来ないというのだ。それはそうだと思う。ひとつの組織でもプロジェクトでも構わないのだが、続いているうちはモチベーションも高く、エネルギーも注ぎ込めるものだ。しかし、その組織なりプロジェクトが解散してしまえば、そこに込めたモチベーションは下がり、エネルギーも注ぎ込めなくなるのはあたりまえのことだろう。その状況からまた以前と同じようなことが出来るかといえば、その人の性格にもよるだろうけれど、限りなく難しいことのように思う。白川さんも、それだから「コミュニティづくり」の先には何があるのだろうと思っているという。

【大久保的まとめ】
約一ヶ月かかって、白川さんのお話をまとめ終えた。始めた時はまだ真夏の真っ最中だったのに、日差しは相変わらず厳しいものの、吹く風や空やそこかしこに秋の気配が感じ取れる、そんな頃合いになってしまった。冒頭の記述と現在の気候とがそぐわないのはそのためだ。お許しを。白川陽一さんと出会ったのは、4~5年前。白川さんがまだ大学院生の頃だ。紹介してくれたのは、ここでも何度かお名前が出ている加藤舞美さんであった。その後、ジネンカフェ拡大版ではもうすっかりお馴染みになったワールドカフェのファシリテーターとして関わってもらったり、〈パルル〉や〈うずみん〉の活動の紹介をジネンカフェでして下さったりもした。私にとって白川陽一さんは居場所づくりを研究されている人であり、ワークショップデザイナー・ファシリテーターとしての印象が強い。そんな白川さんが「居場所づくりは、いまは新たに考えてない」と伺って、些か意外な感じがしたが、考えてみればひとはそのライフステージごとに関心があるものが移り変わるのが普通なのだ。別に白川さんは居場所が必要ないと言っているわけではなく、自分が居場所をつくることはもういいと言っているのだ。そう、ひととは移り変わるものと、変わらないものとを身内に抱えながら生きているものだ。白川さんも自分の核となるものは変わってないと思われる。しかし同時に関心事が移りゆく自分の有り様を好ましく思っているという。それは好奇心が旺盛な証でもあり、自分を含めた生き物としてのひとの生活や営みに興味を失っていない証である。5年後、10年後、15年後、20年後の白川さんはなにをされていて、どんなものに関心を持っているだろうか? これからもご自分の関心事を社会と結びつけて、活躍されることを祈って筆を置きたいと思う。

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