そよ風の向こうに~

横浜市自死遺族の集い「そよ風」に参加していましたが、2013年4月にセルフヘルプグループを設立して月1回語り合っています

開催日(詳細はclickしてご覧下さい)

人それぞれ

2015-01-25 21:41:06 | 自死遺族
「お子さんは何人?」と聞かれたら「ひとり」と生きている子供の数だけ答える。これは亡くなったあの子を大切に思うからこそ。

以前も書いたから昨日は端折ってしまいましたが、「お子さん何人?」は話の接ぎ穂にすぎないから。その次は「お歳は?」「ご結婚は?」と話は発展して行く。
そんなどうでもいいような世間話に、亡くなったあの子を引っ張り出したくない。話を発展させるためなら「ひとり」で十分だと思うから。
聞く方も私の子供の人数なんてどうでもいいのです。話の接ぎ穂だから。

生きている子供との関係は現在進行形だけれど、亡くなったあの子との関係は私の中では聖域。許可なく何人にも踏み込んでほしくないから。世間話のネタにされたくはない。

大切な子供だから話す人。大切な子供だから話さない人。大切の仕方は人それぞれ。

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言わない理由

2015-01-24 22:57:55 | 自死遺族
以前も書いたが「お子さん何人ですか?」と聞かれたら、「ひとり」と答えます。

生きている子供の数だけを言います。それは亡くなった子供のことを隠しているわけではありません。言う必要がないから。ただ、それだけです。

自死遺族の活動家は「自死であることを隠さず話せる世の中」を目指しているようだが、話さないこと=隠していると思われると心外です。

話さない自由もあるはずだ。

あまり人に知られていない病気で亡くなった場合、病名を言ってもわからないだろう。いちいち病気の説明をするのは面倒なので、私だったら言わない。それと同じ気持ちだ。

何で死んだのか?わからない。
ああいうことや、こういうことが原因なのだろうなと推測することはある。それでも死ななくてもよかったんじゃないか。同じような困難な状況にあっても生きている人もいるのに何で死んだんだ?
5年経って、いろいろわかってきたこともあるけれど、最後の最後、やはりわからない。

自分自身、がんが再発したかも?と思った時、自分の「死」を身近に感じた時、とても怖かった。そこを自ら超える、その部分が私には想像も出来ないこと。

一番身近にいた親の私がわからないことを他人に言っても理解出来ないだろうと思う。
私にはそのメカニズムがわからない。
説明出来ない。だから、言わない。それだけです。

恥ずかしいことなどと思ったことは一度もありません。

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日常が戻る

2015-01-22 22:06:18 | 自死遺族
子供が亡くなって、それも自殺という形で。
楽しいことなどなく、生きている喜びもなく、もうひとり子供はいるけれど、もう親の手は離れ、親としての役目は終わった。いつ死んでもいい。そう思っていた時期もあった。

でも、今はやはり死ぬのは怖い。苦しむのは怖い。そう思う。

そうでなければ、再発したかもしれないと思っただけで、あんな心境にはならなかっただろう。告知されたわけでもないのに、目の前、真っ暗、頭、真っ白。

あの子が亡くなった当時は、「何処か知らないところに旅行に行って、そこで事故で・・・」などということをよく口走っていた。
あの頃は家にいるのがつらくて昼間はほとんど出かけていた。それが今は家で寝ているのが一番楽でいい。

非日常生活だったのに、いつの間にか日常が戻っていた。そうしたら、「何処か知らないところに・・・」ということは言わなくなった。

年齢を重ねれば、この世にいる知り合いよりあの世にいる知り合いの方が多かったりするが、それでもまだまだこちらの世界にいたい。昨日、改めてそう思った。

あの子も鎮痛剤をよく使用していたが、肝臓は大丈夫だったのだろうか?と思った。
体の調子がよくないと思考は停滞します。私自身、薬で肝臓がダメージを受けるなど、考えたことがなかったので、あの子に関しても、その点は気にしていませんでした。
もっと気配りをする必要があったのに・・・と後悔ばかりです。

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再発!?

2015-01-21 21:46:33 | 雑感
先週、血液検査をしました。ガンで胃を切除して以来、定期的にしているもの。
がんセンターには昨年春、5年経ったのでもう行っていないのですが、血液検査は近所の内科医院で従来通り行っていました。
前回は昨年8月。いつも問題なかったので、今回も心配していなかったのですが・・・

肝臓の数値が4種類ともかなり高い。

「うちでは対処出来ないから紹介状書くので大きな病院に行って下さい。何処がいいかな?手術したがんセンターがいいと思うけど」
「すぐ行った方がいいですか?」
「そうですね。それがいいですね」

その足で急遽がんセンターへ。予約ではないので待たされたけれどお昼過ぎには呼ばれ、「う~ん、この数値は・・・」その言葉で心臓がバクバクして来て、頭の中は真っ白。
血液検査と尿検査をして、4時からCTを撮影して、その後、結果を聞くことに。
急なCT検査なので、3時間近く待つことに。

造影剤を使用するので飲食禁止。することはないし、頭の中は「再発」の2文字がぐるぐる回っていました。情報コーナーにある再発関係の本を真剣に読んだり。

電話したら「CT撮っても、特に何も映っていないかもしれないじゃない」と言われたけれど、「撮るからには、そんなことはないだろう」と思っていました。もうすっかり再発モードでしたから。

で、結果は特に何も映っていませんでした。ガンの再発ではないだろうと。
どうも薬害の可能性大。
腰痛や肩こりで市販の筋肉弛緩剤や鎮痛剤を昨年末から使ったので、それが原因?
今年の初めから、食欲が落ち、体重減少。疲労感も。肝臓が悪かったんですね。

とりあえず、消化剤以外の薬断ち。サプリメントも断ちます。
これで数値下がるといいな。今日の検査結果は先週のより下がっていました。基準値はかなりオーバーしていますが。

治ったわけじゃないけれど、とりあえず再発でなくてよかった。久しぶりに自分の「死」は強く意識した1日でした。

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貧困な福祉

2015-01-19 22:26:05 | 雑感
<哀歓記>離れなかった母娘 /大阪(毎日新聞) - goo ニュース

こういう記事は読んでいると胸がつまり、居た堪れない思いになる。

80歳。私よりずっと年上。私は自分のことだけでも最近年齢を感じ、いっぱいいっぱいになることがあるのに、介護される方ではなく介護する方とは。

親の愛が無償の愛とか言うのは、あまり好きではないのですが、こういう方ならそう言っても過言ではないのでは?と思います。

寝たきりの人をひとりでお風呂に入れていたのか!?と驚きでした。
お嬢さんの体はずっと寝たきりなので軽かったかもしれない。でも、子供ではないのだから。
部屋の暖房はついていなかったのかな?エアコンが入れっ放しだったら、凍死しないで一命は取り留めたのでは?いろいろな思いが巡ります。

「父の恩は山よりも高く母の恩は海よりも深し」という言葉がありますが、それにばかりに頼り切る現在の福祉のあり方に、時々憤りを感じます。
もしかしたら、施設やヘルパーなど他人の手に委ねる手段もあったかもしれないけれど、それを母親が望まなかったのかもしれない。

でも、それはやはり親なら子供の面倒を見るのは当然のことという過度なまでの刷り込みがあるからだと思う。
母親の献身的介護。すばらしいですよ。でも、これを美談のように扱ったら何も変わらないと思う。

母親の年齢を考えるとふたり一緒に入れる施設があれば、このふたりは亡くなることはなかったのではないかと思えてならない。

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