眠りながら歩きたい

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記憶力減退の激しさに、自分のための備忘録として。
それにしても悲しきかな、文才の無さよ。

パラノーマル・アクティビティ第2章 TOKYO NIGHT

2010-11-23 | 映画

 

監督/長江俊和

 

監督の長江俊和は、テレビの「放送禁止」シリーズを作ってきた人です。フェイクドキュメント映画としては史上最大規模のヒットとなった前作に(まあ「クローバー・フィールド」もあるけどちょっと意味が違う)、そのテイストが入ってきたらどんな映画になるのだろう、という期待はごく自然なもの。当然、長江監督が何をやらかしてくれるのか、というのがこの作品の一番の期待どころです。

 

以下、映画の内容、結末に触れています。

 

 

 

 

 

 

 

驚くべきことに、ほとんど前作と同じことが繰り返されます。舞台が東京であることや、カップルでなくて、姉と弟が主人公であることなど、勿論変更されたところはあっても、何でも撮ろうとする弟の鬱陶しさや、霊的なものを見る力のある知り合いの登場など、確かこれは前作にもあったような…という場面が次々に描かれます。そうか、これはリメイクなのか、と密かに納得しつつ見ていると、後半で突然、リメイクではなくちゃんとした続編だった、と知らされて更に驚きました。そうだったのか!前作の恐怖はそのまま続いていたんだ!こういう仕掛けは愉しいですね。

 

予告篇にも出て来ますが、今回は定点カメラが2台に増え、姉と弟の寝室それぞれに設置され、スプリットスクリーン的に、二つの画面が並んで描かれるのが面白いところ。設定を姉弟にし、部屋を別々にしたことで、2台のカメラを使うというアイディアがちゃんと生かされる怪奇現象が起きるのも愉しい。前作に倣い、何かが起きるときには、ズゥーンンン…と低く唸る音響効果も恐ろしい。場内が、本当に水を打ったように静かになり、観客の集中力が異様に高まっているのを感じられるのも、映画館で映画を見る醍醐味。何かあればはっと息を飲み、何もなければほっと息を吐く、前作共々、アトラクションとしては上出来だと思います。ただ、この調子だと同じことをやっているだけで、いまいち盛り上がらない。不安になっているときにやってくるクライマックス、これは怒涛の展開。ここに至って「放送禁止」の監督であるということが、ぐわっと一気に噴き出して来て、前作とは違った方向へ突っ走ります。

 

このクライマックスが怖いのは、定点カメラではなくて、弟の主観カメラが決定的な場面を録画している、ということです。この主観カメラは、姉の寝室の窓ガラスが割れて十字架が燃え上がる、という超常現象もとらえていますが、それは役割としては定点カメラと同じです。弟がその場にカメラを置いて行って、それで撮れてしまう。それは単なるカメラの主観映像に過ぎず、撮っている人間の主観ではありません。しかしこのクライマックスでは、弟自身がカメラを回し、その眼の前で衝撃的な事態が起きてしまいます。恐怖そのものに直接触れてしまう。その動揺と恐怖がそのまま、後ろで見ている観客にダイレクトに伝わる仕掛けになっているのが素晴らしい。客観に過ぎなかった映像が、最後に至って主観になってしまう、傍観者だった弟=観客が当事者になってしまう瞬間です。客観による恐怖を主観に置き換えるという作業は、前作にはなかったアプローチであり、本当に真実は見えているか?とクライマックスで問いかけることで世界への積極的な没入を誘う(傍観→主観)「放送禁止」が、ここで繋がっています。その見事な移行の演出力と、前作が完成させている構成を、自分のフィールドに力技で持ち込む力量に、監督の意地を見た気がします。オーレン・ペリより、全然上だと思いました。

ジャンル:
映画(DVD)
キーワード
オーレン・ペリ スプリットスクリーン アクティビティ
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