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高麗神社 広開土王碑 日高市

2010年10月30日 16時12分28秒 | 寺社
高麗神社 広開土王碑 日高市

巾着田を訪ねた後、高麗神社に足を伸ばした。神社に「広開土王碑」の碑文の拓本を貼った角柱があった。(写真)

この名を聞くのは、中学校の歴史の教科書以来である。「好太王」とも呼ばれる「広開土王」は、4世紀末の391年に即位した高句麗最盛期の国王で、その版図を朝鮮の歴史上最大に広げたことで知られる。

韓流ドラマファンなら、「大王四神記(だいおうしじんき)」という歴史ファンタジードラマを覚えている人もおられよう。人気のペ・ヨンジュンが演じた主役の「談徳(タムドク)」がこの大王である。

このドラマの人気で、高麗神社に参拝客が増え、地元ではおみやげ用に「四神カステラ」や「四神ドレッシング」ができたほどだ。

「高麗」と「高句麗」(こうくり ハングル読みではコグリョ)は同じことで、高麗は古代の日本語。高句麗は現地名だ。当時まだ朝鮮にはハングルはなく、漢字を使っていた。

高麗は、日本語では「こま」と読む。高句麗とともに朝鮮の三国時代を競いあった百済、新羅を「くだら」「しらぎ」と日本読みするのと同じだ。

「こま」には、「狛」、「巨麻」の字も当てられ、東京都の狛江市や山梨県の巨麻郡も高麗と関わりがある。

「四神」とは、中国神話に登場する世界の四方向を守る聖獣。 東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武。日本の大相撲の吊り屋根にも、方向を示す四隅に四色の房が下がっている。これも四神。東の青は青龍、南の赤は朱雀、西の白は白虎、北の黒は玄武で、土俵を守護している。

四神は日本の高松塚古墳、キトラ古墳にも描かれている。四神は高句麗様式の古墳の特徴になっている。高句麗の古墳群は世界遺産に指定されているほどすばらしいもので、ツングース族の騎馬民族が創った国だったので、馬に乗った騎射の姿の壁画など、色も鮮やかで美しい。

「広開土王碑」の碑文は、1802字の漢字からなり、好太王の業績などが記されている。注目されるのは、三国時代の日本の朝鮮半島進出とそれに対する対応が文字で書き残されていることだ。

・日本は391年、海を渡り百済・加羅(伽耶)・新羅を破り、臣下とした

・399-400年には新羅に侵入、太王は5万の大軍を派遣して救援した

・404年には黄海道地方(現在の北朝鮮の南西部)に侵入したので、太王はこれを討ち大敗させた

などと記されている。

この碑は、現在の中国吉林省集安市の好太王陵の近くにあり、高さ約6m、幅約1.5m。日本と朝鮮半島の古代史の貴重な資料である。

この高句麗も、668年に唐・新羅の攻撃で滅亡した。これより8年前の660年、百済も滅んでいる。百済、高句麗の亡国で多くの渡来人が来日することになった。三国のうち、最後には新羅が唐を追い出し、朝鮮半島を統一した。

高句麗の渡来人は、朝廷の命で、現在の日高市周辺に出来た武蔵国高麗郷(こまごうり)に移され、開拓に当たった。日高市は高麗村と高麗川村が合併して日高町となり、その後、市に昇格した。高麗神社は、そのリーダー「高麗王若光(じゃっこう)」を祀る神社なので、「広開土王碑」を模したものが立っているわけである。

高麗神社は言わば、古代朝鮮と日本との接点なのである。


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