素晴らしい風景!!

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◎木彫りの里“井波”そして瑞泉寺参拝◎

2016年09月07日 | 古寺巡礼

八日町通り 

                                                                  瑞泉寺に続く石畳の通りで両側には、井波美術館や彫刻店、郷土玩具店、造り酒屋、格子戸のある町家などが軒を連ねるほか、木製あんどんや木製の欄干、木彫りのバス標識などがあり、落ち着いた風情を醸し出しています。                                                     また、建物の軒先に掲げられている世帯主の木彫りの干支からは、木彫りの里「井波」らしさが感じられます。

門前町として発展し、彫刻工房が並び木の香りが漂う。                  随所に井波彫刻が見られ、工房では作業現場も見ることができました。彫刻の町らしく通り沿いの看板や街灯の七福神など、散策していても楽しい。

八日町通りを抜け真宗大谷派井波別院『瑞泉寺』を参拝しました。

明徳元年(1390)、本願寺 5代綽如(しゃくにょ)上人によって開かれた寺院。

                                                      現在の本堂は、明治18年(1885)に井波の大工や彫刻師などによって再建されたもので、北陸地方の真宗木造建築の寺院としては最も大きな建物です。                                      なかでも、山門正面の精緻な彫刻が見所で、その多くは井波大工の力作、井波彫刻の基となったものだそうです。                              この山門は、昭和40年4月1日に県重要文化財に指定されました。

綽如上人は永和年中(1375~79年)杉谷(現在の八乙女山)の山中に草庵を結んで、宗祖「親鸞聖人」の教義を広められておりました。                                         当時、中国から国書が朝廷に送られてきましたが、その文字が難解を極めたため、青蓮院門跡は、その解読に博学多識の綽如上人を推挙されました。             上人は直ちに越中から上洛され、かくて国書の意義が明らかになり、返書までしたためられ、ようやく国の体面を保つことができたのだそうです。             天皇は大変に喜ばれ「周圓」の号を授けられました。

上人の深い学問に益々感銘を受け、聖徳太子絵伝八幅と、太子2歳の南無仏木像一体を下賜されました。                                 9月1日に参拝した時、特別御開帳の時間にあたり、聖徳太子像を拝観できると聞き、何と運の良いと思いましたが、御開帳が30秒ほどで礼拝し頭を上げたら既に閉扉されていた。

獅子の「子落し彫り」が見られる勅使門。

 

 


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