紀伊山地の霊場と参詣道《大峯奥駈道》(おおみねおくがけみち)は平成16年7月にユネスコ世界文化遺産に登録されました。 大峯奥駈道は1300年前、のちに修験道の開祖となった役小角(えんのおづの)「役行者(えんのぎょうじゃ)」によって修験道の修行場として開かれた古(いにしえ)の道。 吉野(奈良県)と熊野三山(和歌山県)を結ぶ全長100km以上ともいわれる大峰山脈をたどる秘境の地であります。
古の日本人は、遥かなる峰々・豊かな森・断崖絶壁などに畏敬の念を抱き、また水を生み、生命の源と考えた山岳を、神聖な場所として崇めてきました。 この自然崇拝や神道と仏教などが融和したものが修験道とのことであります。
紀伊半島の背骨である大峯奥駈道は日の出と共に出発し、日の入りまでたっぷり歩き続けるという超ハードなコースで約 1週間の行程で上級健脚者なら踏破可能とのことであり、無理のできない私たちは、その一部を修験者になった気分で歩いて来ました。
洞川温泉を7時半に出発し道幅の狭い国道309号線を上り、行者還岳(ぎょうじゃがえりだけ)の南側に位置する行者還トンネル西口登山口を目指した。到着、8時10分。
日本百名山で紹介されている大峯山は、山上ヶ岳から南の弥山(みせん)[1895m]・八経ヶ岳(はっきょうがたけ)[1915m]を含む山全体をさし、中でも八経ヶ岳(別名:仏経ヶ岳、八剣山)は、近畿・中国両地方の最高峰です。 登山準備を済ませ、8時20分出発。
まずは沢沿いを進み、沢を離れると大峯奥駈道の尾根に出るまで厳しい急登に汗を流す。
付近にはトウヒ・シラベ(シラビソ)の原生林につつまれ、また弥山と八経ヶ岳の鞍部には 7月初旬に国の天然記念物であるオオヤマレンゲが見られるとのことで楽しみに向かいました。
奥駈道出合着、9時30分。 10分休憩。
尾根に出てから聖宝ノ宿跡(修験者の座像あり)辺りまでは平坦路でハイキング気分、ここならトレイルランに最高のコースと感じた。
11時過ぎ、弥山に向けて急な木道の階段が始まる。 30分頑張ったら弥山小屋が見えた。
これが合羽を着ての登高であったら辛さも倍増だが、合羽を着ないで歩けるだけラッキーであった。 弥山小屋到着、11時35分。
弥山の天河奥宮(弥山神社)は大峯奥駈道から外れていたが、近くであり参拝して来た。
弥山の天河奥宮は奈良県吉野郡天川村坪内にある「天河大辨財天社」の奥宮が祭祀され、水の神として古くから聖地とされてきました。 弥山とは仏教の世界観を表した須弥山(しゅみせん)から名付けられ大峯の中心的山岳とのことです。
4月下旬から11月中旬のシーズンは管理人の常駐する弥山小屋が営業されており、小屋横にはチップ制の公衆トイレがあります。 昼食を済ませ12時出発。
弥山から八経ヶ岳までは吊り尾根状の登山道を進む。 下り出して間もなく前方に八経ヶ岳のピークが望めた。
この吊り尾根には地図にも表示されている通り、オオヤマレンゲの自生地があり期待通り沢山の花を見ることができました。
その美しさから天女花とも呼ばれ、古くから大峯奥駈道で修行する行者に親しまれてきました。
が平成に入り、このオオヤマレンゲ群落の衰退が指摘され、二ホンジカの食害から守るための防護柵が設置されています。 通過の際は必ず閉めるよう、ご協力をお願い致します。 以前はかき分けながら進まなくては ならないほど茂っていたとのことです。 ここは奈良県のため、鹿は神の使いとして大切にされていますが、日本中で農作物や森林に対する被害が甚大となっています。
立ち枯れの木々を見ながら、最後の登りに頑張り八経ヶ岳山頂へ。登頂12時半。
今回は、全長100km以上と言われる大峯奥駈道をほんの数km歩かせて頂いただけなのですが、八経ヶ岳山頂に立つと、完全踏破したような気分になりました。
でも、残りの部分も必ず歩き通してみたいと考えています。 12時50分下山開始。
曇ってはいたが、かすかに遠方の山々が水墨画の様に素晴らしい山岳風景を見せてくれた。 世界遺産「大峯奥駈道」の真髄、深い歴史の森を縦走する修験道の魂(こころ)満喫の道です。
下山は往路を戻りました。 十分に奥駈道の雰囲気を味わいながら ポツポツきた小雨と共に。
木道の階段や岩・木の根が濡れているので、スリップに十分注意して頂いた。
弥山小屋着、13時10分。 10分休憩。 聖宝ノ宿跡着、14時。 5分休憩。
弁天ノ森着、14時33分。 5分休憩。 歩き出して間もなく、花に詳しい方が後で「アッショウキランが咲いている。」と声を上げたので、撮影会が始まりました。 先日、上高地で見たものより綺麗に咲いていました。
奥駈道出合着、15時。 5分休憩。 行者還トンネル西口駐車場着、15時50分。 目的のオオヤマレンゲにショウキラン、他にも沢山の花が見られて皆さん満足の山旅でした。