京都の南郊に位置する宇治の地は源氏物語の「宇治十帖」の舞台であり平安時代の初期より貴族達の別荘が営まれていた。現在の平等院の地は9世紀の末頃に光源氏のモデルと言われて居る左大臣の「源 融」の別荘であった物が宇多天皇に渡り、其の孫である「源 重信」を経て998年に時の権力者である歴史上で有名な「藤原 道長」の別荘「宇治殿」と成った。道長は1027年に没したが其の子の関白「藤原 頼通」に寄って宇治殿は寺院に改められた。
平安前期までの日本の仏教は現世での救済を求めるもので有ったが調度此の頃は日本では「末法思想」(釈迦の入滅から2000年以降は修行をしても悟りを得る者が居ず仏法が廃れると言う思想)が広く信じられて蔓延して然も天災、人災が続いた為に人々の不安は一層深まり終末論的な世相と捉えられる様に成って此の不安から逃れる為に厭世的な思想として仏教も現世での救済から来世での救済思想に変って行った。其の事から当時の貴族は極楽往生を願い、西方極楽浄土の救主とされる阿弥陀如来を本尊とする仏堂を盛んに造営された。
此の平等院鳳凰堂と堂内の阿弥陀仏、壁扉画や雲に乗った供養菩薩像、周囲の庭園などは「観無量寿経」の諸説に基づき西方極楽浄土を観想する為、現世に於ける極楽浄土を現した物で有るらしい。従って前に訪れた醍醐寺とは雰囲気が全く違う荘厳華麗な寺院であった。宇治の平等院鳳凰堂は10円銅貨の裏側に採用されて居るので非常に有名だが私は今回訪れたのが初めてで此れまでは一般の寺と同様な作りと思って居ただけに其の華麗な色彩には驚いた。然し此の場所の内部に関しては全て撮影禁止と成って居る為に写真に残す事は出来なかった。
庭園を散策しながら鳳凰堂の写真を撮って居たら庭園の掃除をして居たおじさんが態々写真を撮るなら此のアングルと丁寧に教えてくれたのが中央の写真、然し夕方が迫った居た事と逆光気味で旨く撮れずに残念至極・・・・・・此の場所に滞在中は人の波が途絶える事は無かった。
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