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2017_06_12 ディエンビエンフー市内観光

2017-06-12 21:41:14 | 39 ベトナム


【スケッチ第2弾! ムー・チャン・チャイの棚田】


1954年のディエンビエンフーの戦いは、フランス領からの独立を求めた、第一次インドシナ戦争の最大の戦いである。同戦争の大きな転機となり、フランスがベトナム撤退を余儀なくされた戦いだった。ベトナム人民軍とフランス軍双方で約1万人の戦死者をだした戦跡を見る。





まずは宿の直ぐ隣のディエンビエンフー博物館に入る。写真が沢山展示されているが、意外なのはこの写真がないことだ。ネット等で検索すると、フランス軍に勝利した歓喜のこの写真がヒットするが博物館にはないのだ。変なの! ビデオによるディエンビエンフーの戦いを、ビデオと同期した戦争状態が分かるパネルもあり、戦争の進捗が分かりやすかった。




ホーチミンルートでの南ベトナム解放戦線への物資輸送に、自転車等を使った写真を何度も見ている。この写真は1954年頃らしく、荷車の車軸はすり減り曲がっている。自発的ではなかろうが、子供達が一生懸命押しているようだ。ベトナム戦争の20年前でも、独立国家を目指すベトナム人の力強さを感じさせる。






市内ナムシン川にフランス軍が架けた、幅5mの旧ムオンタイン橋。現在も当時のままで利用されている。対岸に市場があり往来はかなりのもので、私はバイクでも徒歩でも渡ってみる。幅が狭くバイクがガンガン通るので、徒歩だと常に左右を見てないと危険を感じる。橋のたもとには『1954年5月7日14時、第312師団360中隊がムオンタイン橋を攻撃し、司令部を撃滅した』とある(ガイドブックから引用)。




フランス軍の陣地のひとつでもあった戦勝の丘から見た、ディエンビエンフーの街。




フランス軍が最後まで立てこもったひとつの、A1の丘。ベトナム人民軍が使用した960Kgの爆弾の跡がすり鉢状に残っており、衝撃の大きさを語っている。

※どの会場でもそうだが、写真や展示物の説明がほとんどベトナム語で、英語での説明はほんの僅か。英語なら少しは理解できるのだがなーー。




市内の戦跡をあらかた見たので、ラオス国境に比較的近い郊外のウーバァ温泉で疲れを癒やす。無色透明で、温い。なんだか普通の風呂の気がする。




日本の友人がこの温泉を勧めてくれたと受付の男性に話すと、いきなり写真を一緒に撮ろうという。友好の印?




温泉前には池があり、正にビューポイントがある。涼を求める小屋かと思ったら、釣り糸を垂らしている人がいた。そう言えば、造りが雑かな?




温泉からの帰路、家族連れが立寄っている道端のパイナップル屋を発見。食後の果物を探していたので、バイクを停めて買い求める。これで幾らだと思います。小ぶりですが、2個分で10,000ドン(50円)です。フォー一杯が20,000ドンとすると、10,000ドンは300円前後の価値でしょうか?
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