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浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 1999年 中央公論社 1-2ー3

2017年06月17日 | 日本近現代史

         ▲浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 1999年 中央公論社 

 

▲浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 1999年 中央公論社 

 

今回は第2章の3 の抄録

 

付家老家

中山家(二万五千石)成瀬家(三万五千石)、竹越家(三万石)、安藤家三万八千石)、水野家(三万五千石)の5グループ

御三家が成立したときに家康の命で水戸徳川家(中山)、尾張家(成瀬、竹越)、紀伊徳川家(安藤、水野)の付家老になった家。

もともと、徳川直参の名家で、石高も万石以上のため、王政復古のとき、彼らを味方につける必要もあり、新政府の利害に合致。

「慶応4年1月24日、「官軍」が江戸に向かって進撃している最中、新政府により諸侯とされた。」

外様の岩国城主・吉川家(三万石もこのグループに入る。

毛利家の一門だが、王政復古の功績で、諸侯もなった。

大政奉還以前からの諸侯(大名)は表高一万石であっても子爵以上を与えられたのに、これらの家は男爵にとどめられた。吉川家は後で子爵に昇格するが、付家老の家は、ずっと男爵のままだった。

 『華族誕生 名誉と体面の明治』 (41-43頁)

 

交代寄合・高家

「新諸侯」最後のグループ

山名、池田、山崎、平野、、大沢、生駒の七家

交代寄合は旗本だが、知行地に済み、諸侯と同じように、参勤交代をする。石高は三千石以上一万石以下。

大政奉還の時、新政府に協力して加増されたり「高直し」して石高が万石以上あることを申請して認めてもらった六家がめでたく諸侯にすべり込む。

厳密な調査の上で諸侯になったかは、あやしいという。

慶応4年6月20日~明治元年11月20日にかけての半年間の間に諸侯になった。

少しでも新政府の味方が欲しいがための昇格であったと浅見は指摘している。

 

ばれたインチキ

大沢家の場合、高家(徳川幕府で主として、朝廷関係の儀式を取り仕切る役柄の家)、三千五百五十石。

当時の大沢家の知行所の実高五千四百八十五石だったが、諸侯への昇格を狙い、新政府に対して「石高1万六石」として申告。プラス4521石の割り増し申告。

官軍が江戸に攻め上る際輸送などで協力したこともあり申告を認め、改元直後の明治元年9月18日、大沢家は諸侯になった。

しかし嘘はばれた。大沢家が収穫できるはずの土地は、浜名湖の水面だった!

新公卿家のほとんども時代の激動の産物であった。 『華族誕生 名誉と体面の明治』(45~46頁)

 

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