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歴史は事実で文学はフィクションなのか あるいはテクストと解釈または権力と権威のこと1-2

2016年12月07日 | 批評・歴史・フィクシ...

  ▲長谷川貴彦 『現代歴史学への展望 言語論的転回を超えて』 2016年5月 岩波書店2800円+税

 

 

歴史は事実で文学はフィクションなのか あるいはテクストと解釈または権力と権威のこと1-2

 

歴史は事実で文学はフィクションなのか 

歴史学が上のような問いを問い、文学はただのフィクションなのか、大岡昇平が松本清張や、井上靖と作品をめぐって、いつだったか論争したこともあった、古くて新しい問題

あるいは、それより以前だと「政治か文学か」などという論争も戦後昭和史は記録している。

最終審判者がなく、それを認め合うゲームの規則も互いに認めた上で論争をしているわけではないので、当の作家たちが論争をやめると、何が論争であったのか、論争故に遺産として、遺していたのは何だったのかも読者にはさっぱり見えてこなかった。

それはどうしてなのか、順を追って考えたいのだが、今年、2016年に入ってから、長谷川貴彦が、『現代歴史学への展望 言語論的転回を超えて』という論集を岩波書店から出版している。

ここ20年間に考えてきた、歴史理論や、戦後史学史を一望しようという試みであるとうたっている。

著者は1963年生まれというから、戦後すぐの政治色の強い論争や、実証主義的史家の一次史料第一主義の閉塞からは免れて、戦後史学史を振りかえっているようだ。

このところ、出版から半年以内の新刊本屋から買うものは、雑誌か、新書程度に限定されているので、いよいよ、時代から取り残されていく寂寥感が漂い始めている。これはまずい!

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2015年秋に出た、『歴史を射つ』 の出版、シンポジウムにも名が記されていた、長谷川貴彦が、最近自著を出版したことを知り、この本を読んでから、論文集『歴史を射つ』を取りかかろう。

 ▲長谷川貴彦 『現代歴史学への展望 言語論的転回を超えて』 2016年5月 岩波書店

表紙下の帯にはこうある。

「ポスト「転回」の時代 

歴史学はどこに向かうのか

言語論的転回や文化論的転回を経て、歴史学はどう変わったのか。

歴史学の理論や方法論を一望する、格好の現代歴史学ガイド 」

また、裏面帯には、「はしがき」からのことばが引用されている。

「歴史学が直面していた内在的な問題とは、社会史のアポリア、それに挑戦する言語論的転回ということであり、外在的な問題とは、グローバリゼーションと結びついた新自由主義の台頭であったといえようか。本書は、そうした歴史研究の推移についてのスナップ・ショットを描こうとするものである。また、その推移を日本における戦後歴史学から社会史への史学的発展と絡めることによって、現代の歴史学における課題を明らかにしたい。」

このように、この本を書く趣旨・意気込みを記しているのだから、その誘惑に乗らないわけにはいかないだろう。

 

▲▼長谷川貴彦 『現代歴史学への展望 言語論的転回を超えて』 目次

▲ 長谷川貴彦 『現代歴史学への展望 言語論的転回を超えて』 目次

 

以下、目次順に従い、抄録・コメントを記す。「茶色字」は原文」「黒字はブログ主のコメントなど」

「はしがき・・・・・・・転回する歴史学」 と題した、この本の執筆の趣旨を記している。

「史学史が、通俗的な学説史や研究史と異なるのはいわば歴史学的な「学知」を社会思想史の対象としてみる、言いかえれば、歴史学的な思考様式ないしは(丸山真男や内田義彦流に言えば)思惟様式として取り扱うものであり、歴史学をめぐる時代環境をより強く意識している点にある。」

「歴史研究のパラダイムとしての戦後歴史学が背景に退いた」

「その批判として登場した社会史研究のパラダイムも、いくつかの点で、アポリアに直面していた」

               ↓

「実証主義と結びついた社会史は、ミクロな地域社会レベルでの分析に下降・沈潜していった」

               ↓

「大きな社会変動を捉える視点を失わせた」

               ↓

       「言語論的転回の登場」

               ↓

       「思想・文化の規定性を主張」

               ↓

       「因果関係の逆転」 (歴史学の内在的問題)

 

この間、歴史研究が、新自由主義の台頭にさらされていた(外在的な問題)を、どう史学者は応答するのか。

 

まえがきで、この後は、この本に収録された、論文の考察の背景や、目論みを語っているのだが、この論集の中では、第二部の、「言語論的転回以降の歴史学を射程に入れた理論的考察を試みているので、この第二部を論の要として、これから注目して、抄録してみたい。

また、著者は、イギリス近代史を専門領域とする歴史研究者なのだが、第三部では、資本主義の揺籃の地イギリスと、後発ながら急激に経済発展を遂げた日本が、ともに戦後マルクス主義の影響力が強力であった点では共通していながら、両国の言語論的転回の影響の側面を比較してみることで、、現代日本の歴史学に欠落している問題群を析出すると言う。

さてその著者の戦後史学史を考察した、スナップ・ショットは、現代史学の核心を射抜き、フォーカスは合っているのだろうか。これを眺めるどこにも居心地のいい展望観客席はないかもしれないのだが・・・・・・

 

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例年、12月から、新年にかけては、辞典・事典、論集などを求め、気分刷新を図るのだが、今年の年末は、石井孝の問い、「明治維新は、パックス・ブリタニカに遠く遠因する背景の中で、「孝明天皇の死があったのか」 解かれぬ謎で、年末を迎えそうである。

孝明天皇の死の謎は重たいのだが

目を転じて、以下の論集で、新年を迎えたい。

来年は、世界史の正念場になるのではないか・・・・・・・

 ▲ 山本有三造 編 『帝国の研究』 2003年 名古屋大学出版会 定価5500円+税

▲ 山本有三造 編 『帝国の研究』  目次

 

2001年911事件以後、アメリカによるアフガニスタン・イラク侵攻の中、帝国についての見直しと、再検討が進められていた。

日本の10人の論者による、「帝国という概念の研究」

「原理・類型・関係」 とサブタイトルが題されているように、世界史の全てを貫通するような意味で、「帝国」が論じられているわけではない、しかし、にもかかわらず「帝国」は論じられるべきであるという、世界現代史の要請の中で論じられていた!

定価5500円+税、というやや値の張る本だったので、古書店に入る頃探そうと、日本の古本屋で定期的にチェックしていたのだが、名古屋大学出版会という、知名度がやや低いのか、マイナーなところから出たので、古本屋さんになかなか降りてこない。待つこと10年だ。類書に講談社から、選書メチエより山下範久編の『帝国論』2006年があるが、この本は、京都大学人文科学研究所共同研究として、長年研究継続していたもの。この本をを凌ぐ類書は、日本ではまだ未刊ではないだろうか。格闘に値する本であると思う。京都大学では、随分昔のことだが、中江兆民や、ルソーなど、桑原武夫らが中心になって、学際的な研究を公刊してきたのだが、その共同研究体制は今でも継続しているのだろう。

今、「ファシズム」はという用語は、ある種の日本史学研究者のグループによるとイタリアの特殊歴史に根ざす用語であって、日本の近現代史に転用・使用してはいけないというような、「用語の焚書」のような状況が起きているようだ。「天皇制」「天皇制ファシズム」「帝国主義」などの用語が、焚書の刑にさらされ炎上している。

しかし、日本近代の歴史をたどれば、帝国・帝国主義ということばは、大正期には、かなり肯定的なニュアンスで語られていた。「人道的帝国主義」などと題された本もある。

「帝国の原理・類型・関係」 は、2017年 の 世界史の大変動を解く鍵となるのではないだろうか。奇しくも来年は、ロシア革命100年、ゲバラ没後50年、幕末・維新から150年。パクス・アメリカーナの終焉と暴発を見届ける起点となる年になるかも知れない。

 

続く

 

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