●暮らしの落書き帳(タニー(太田肇司/JF3TBM:著)

世間派ブログ。
平凡な暮らしの話題を綴っています。
文責:太田肇司
jf3tbm@yahoo.co.jp

●廣島。

2016年10月19日 | 戦後70年を迎えて・・・
公休と有休を組み合わせて、2泊3日で広島に行ってきた。


【写真:何度、訪れても原爆の恐ろしさを感じる】

到着時、クライマックス戦で広島が勝ったらしく、
町はカープファンであふれていた。
歓楽街の一部でファン同士が優勝を称えて、
ハイタッチやファン同士の胴上げも見たが、
阪神が優勝したときのような狂乱など皆無で、
カープのユニフォームを着たファンが歩いているが、
みんな、口数は少なく大人しく家路を急いでいるように見えた。

川に飛び込むアホはいない。


▲広島電鉄はユニークだ。


▲乗務員が信号待ちのときに手を振ってくれる。


▲昭和53年に全廃した京都市電も広島で活躍。

関西、とりわけ大阪だと、
阪神が優勝したら間違いなく道頓堀に飛び込むアホがいて、
運悪く命を落とすファンが出る。

広島では『その気配』すらなく拍子抜けした。

さて、今回の広島訪問の第一目的は、
身内に会うことだったのだが、
その合間に『平和』を考える場所に行きたいと、
駆け足で回ってきた。

原爆ドームと資料館は38年ぶり。


▲38年前、ここで千羽鶴を捧げた。

中学の修学旅行で訪問して以来のことで、
当時のことを思い出す。
原爆のことについては、
読者の皆さんも学校時代に平和教育なんぞで、
いろいろ見聞きしたと思うので詳細は割愛する。

ひとつ言えるのは米軍は緻密に作戦を実行した。

原爆ドームと呼ばれる当時の『産業奨励館』のそばに、
『相生橋』が架かっていて、その形状がT字型で、
上空からも格好の目標になった。


▲保存されている『相生橋』の欄干の一部

エノラゲイはT字の橋の4km手前から投下し急旋回して逃げた。

原爆が最大限の効果を発揮するように、
数百メートル上空で爆発するように設計されていると聞いていたが、
展示されていた爆弾の再現品には『センサー』のアンテナが付いていて、
確実に広島の中心部に投下して、
市全体を爆風・熱線・放射線で壊滅させた。

生物は75年間生きられないと噂も飛んだ。

実際には爆風や熱線から奇跡的に助かった被爆した植物も、
その二世が逞しく育っている。


▲被爆した『アオギリ』の二世。

改めて平和のありがたさを感じた。

広島・長崎が原爆に襲われ、
国内各地が焼夷弾や機銃掃射の空襲にやられた。
大阪に至っては終戦の前日に、
今のJR京橋駅も直撃され、
大阪城にあった砲兵工廠も壊滅された。

戦争は、軍部の暴走と言われるが・・・

軍部の暴走と言ってしまうと、
軍幹部の頭のおかしい人が暴走して、
戦線を拡大したかのような印象を受けるが、
私は、そうではないと考えている。

外交的に、職業的に、メンツ的に『拡大した』。

戦争末期に至っては『ヤケクソ』にも見えるが、
後にも先にもどうしょうもない状況だったのだろう。
公開される情報も『体裁を繕う』のが精いっぱい。
だが、その気質は今も昔も『あんまり変わっていない』気がする。
特に、日本人は流行を追い、
体裁を整えて『やった気になる』のが欠点だと思う。


▲人間魚雷『回天』の復元品。(特攻兵器)
 出撃前の特攻隊員の音声も聞ける。
 聞いていると、泣けてくる。

当時の特攻隊員が、今の日本を見たらどう思うのだろう・・・。

今の政界が『にっちもさっちもいかない』ように見える。
予算委員会も、五輪も、東京新市場問題も、
とにかく『体裁』ばかりに映る。

戦争は『究極の外交手段』と認識している。

かつては資源を目的にした『国家間の領土争い』だった。
今、平和のありがたさをかみしめているが、
実際のところはテロのリスクを抱えている。

広島との往復に新幹線を利用したが・・・。

最近、外国人旅行者をはじめ、
国内旅行、出張の人が『こぞって』、
ガラガラ(キャリーバッグ)を使っている。
テロリストがガラガラの中に危険なものを入れて、
新幹線の棚に置いてトイレに行くふりをして、
途中下車してしまえばカンタンに作戦が実行されてしまう。


▲ガラガラの車内・・・。

そんなこともふと考えてしまうくらいみんな平和ボケしている。

2020東京五輪を控えて『おもてなし』の言葉だけが空回りしている。
広島訪問最終日には『宮島』にも訪れたが、
帰りのJR(在来線)では、
我先に席を陣取ったのは『大阪のオバハン』で、
20数年前に流行った『オバタリアン』の行動そのもの。

おもてなしの精神などない。

遠目に見えたのが、外国人観光客を押しのけて、
オバタリアン集団は席を取る技術は高齢化しても衰えていない。
呆れた外国人バックパッカーは、
宮島口から広島駅まで立っていた。


▲3度目の宮島だが、厳島神社の荘厳さに圧倒される。

いろいろ思うところがあった広島。また機会を作って訪問したい。

♪ねがい♪

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●戦後70年、今を生きる私たちの課題の考察

2015年08月19日 | 戦後70年を迎えて・・・

【写真:天王寺七坂に残る焼夷弾炸裂の焦げ跡】

8月15日に『戦後70年』関連の記事を書こうと思っていたが、
しばらく『終戦特番』の様子を見て、
15日が過ぎてから書くことにした。

メディアの特集は『体験者の伝承』が多かった


▲空襲で折れた神社の鳥居

伝承は『戦争を風化させない』という点では大事だ。
しかし『なぜ、戦争になったか』という検証も大事だ。
その検証がほとんど報道されていない。

戦争とは・・・

究極の外交手段であり、
最低の外交手段であり、
最悪の外交手段である。

話し合いで解決策が見いだせない場合に武力行使になる

今、周辺諸国(主に中国と北朝鮮)が、
相変わらず軍拡政策で威嚇している。
まぁ、ここいらと『ドンパチ』になることはないだろうが、
メディアが『中国が海洋で軍拡』や『北が核開発云々』と伝え、
いろいろ外交カードを切っている。

仮に平和的な話し合いが決裂したら武力行使になる懸念もある

先の大戦も『外交交渉がこじれた結果』、
日本の国力増強を恐れた列強諸国が『日本をハメた』のが原因だと思っている。
日本は敗戦国だから『日本の大義名分』は封印され、
多くの犠牲者を出したことだけが自虐的に報道されている。

太平洋戦争というのは『アメリカ側』の戦争名である

日本は『大東亜戦争』という名目で戦った。
大東亜戦争という名は戦後『封印』された。
戦争に『聖戦』もクソもないと思うのだが、
なんでもかんでもアメリカの都合のいいように使われている日本が情けなく思う。
さらに原爆投下に関しても、
『ウラニウムタイプ』と『プルトニウムタイプ』の2種を、
それぞれ長崎、廣島に投下して『実地実験』したことも許せんと考えている。
終戦の日のたび、首相が『おわび』するが、
アメリカ側が『原爆投下や焼夷弾攻撃や機銃掃射に関するおわび』など聞いたことがない。

戦勝国はおわびなどする必要がないのだろうか・・・?

今後も戦争など反対に決まっているが、
『なぜ、最悪の外交手段に出ざるを得なかったか』の検証が甘い。
さらに危惧するのは『平和ボケ』が『平和飽き』に変化しつつある。
安保法制に関しても国会では揚げ足取りに終始し、
反対派の行動がヒステリックに報道されている。

もう少し冷静に客観的に報道できんものか・・・?

今頃になって『昭和天皇の戦争責任云々』もどうかと思う。
実際、天皇の名のもとに行われた戦争だから、
最高責任者である昭和天皇にも戦争責任はあると考える。
しかし、当時のアメリカにすれば、
皇室を廃止して直接統治していたら、
地下でくすぶっていた共産主義者が立ち上がり、
日本が共産国家樹立に向けての動きがあったかもしれない。
それをさけるために皇室を存続させ間接統治したというのが、
一般的に周知されているGHQの占領政策だったのだろう。

直接統治されていて共産主義者が立ち上がったら・・・

当然、ソ連が加勢し米ソが本土決戦で代理戦争になって、
南北分断の憂き目に遭っていたかも知れない。


▲茶臼山近くの寺に移設された『ベルリンの壁』

実際、昭和50年頃までは『赤軍派』が暗躍し、
あさま山荘、内ゲバ、よど号、ダッカ事件・・・、
団塊世代が若かりし頃、
国内には赤化の動きがあって『日本はテロリストがうようよいた』。

そういう歴史の積み重ねで今日に至っている

戦争の悲惨さを伝承することも大事だが、
なぜ、武力行使という外交手段に出たか・・・、
ここを考えていかないと、
ただ単にヒステリックに『センソーハンタイ』のお祭り騒ぎに終始するだろう。

自虐的ばかりではなく『向き合うこと』が大事

平和が当たり前になって、
平和ボケから平和に飽きて、
戦争できる国、云々と変化している。
これでは諸国からもあまり信用されないと思う。
日本人のご都合主義は仕方ないが、
もう少し『歴史を知る姿勢』や『最悪の外交を知る』のが、
今を生きる私たちに求められた課題だと、
私は考えている。

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●なぜ、開戦に至ったのか『戦前』のことが割と曖昧なのが気になる

2015年08月08日 | 戦後70年を迎えて・・・

【写真:なかなか興味深い戦後史だと思う】

今年は『戦後70の節目の年』といわれている。
昨今『安保法制』が物議を醸しているが、
今まで『先送りしてきた案件』で、
安保法制は『戦後処理の積み残し案件』のように感じる。
言いかえれば『戦後の処理はまだまだ山積』ということだ。

歴史は出来事の羅列ではなく『積み重ね』だ

歴史認識も大事なことなのだが、
日本人は『わりとあいまい』にしてしまう傾向があると思うのだ。
毎年、終戦記念日が近づく8月に入ると、
各テレビ局は『特集』を組んでいるが、
多くが敗戦色が濃くなってきた昭和19年以後の映像が多い。

・大都市の空襲
・沖縄戦
・神風特攻隊の出撃
・広島・長崎の原子爆弾
・玉音放送

概ね、このパターンだ

もちろん、戦争の悲惨さや愚かしさを記憶するためには、
これらの映像を用いた特番も大事だ。
戦後生まれが人口の多くを占めるようになっているから、
機会があれば戦争について触れ、
戦争についての意識づけや学習も大事だと思う。

しかし、なぜ無謀な戦争に突入したか・・・があいまいに伝えられている

今の時勢をかんがみれば『あいまい』にしておかないと、
安保法制も通しにくいという事情などもあるのかもしれない。
日本人はとかく『都合よく解釈する傾向がある』と感じている。

敗戦といわず終戦と言う

案外、『負けるが勝ち』に解釈し、
戦争には負けたが目的は戦後も経済発展を通じて果たした。
また目的は日本もアメリカも同じだったことにして、
八紘一宇も安全保障も『しばらくアメリカさん、たのんますわ』みたいな感じ。
アメリカは『終戦間もなく再軍備』を求めてきて、
警察予備隊⇒自衛隊と再軍備のベースを作らせた。

当時は日本の共産化が本気で危惧されていた

まぁ、終戦間もなくに今以上に再軍備を持ったら、
ソ連とアメリカの代理戦争の舞台にされていたかも知れない。
こうなれば朝鮮半島のように日本が南北に分断したかもわからん。
当時の政治家は『経済復興』を前に出し、
GHQが納得するような平和国家を目指した憲法で落ち着かせたように感じる。
よくはわからないが『どうもGHQの押し付け憲法でもない』ようにも思う。

なにはともあれ平和が70年続いているのはすごいことだ

アメリカの要求どおり軍拡路線に走っていたら、
きっと経済成長はここまでにはならなかったのだろう。
経済成長を至上課題に置き、
敗戦を終戦と置き換え『ファンタジー』を創作した。

これからの時代は『戦争を映像の中のもの』という認識ではいけないと思う

開戦に至った理由も『軍部の暴走』ではなく、
アメリカ・イギリス・中国・オランダなどの『日本包囲網』が敷かれ、
ある意味で『日本はハメられた』部分も多分にあるだろう。
凄惨な場面が何度も映されて刷り込みが入っているが、
どうも開戦に至るまでの『戦前』が『すごくあいまい』なのが、
本当に気になるのである。

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●模擬原爆

2015年07月22日 | 戦後70年を迎えて・・・

【写真:模擬原爆。中身は焼夷弾】


もうすぐ『廣島』『長崎』の原爆の日です。
実際の原爆が投下されるまでの約1ヶ月間に,
米空軍がシュミレーションを実施していたのはご存知でしょうか。



さらに、いつまでも韓国や中国に『おわび』をして、
アメリカの残虐行為を怨まないのは、
いつも不思議に思います。



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●高高度から投下された『模擬原爆』は50発
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模擬原爆は『原爆投下訓練』を目的に、
原爆用爆弾と同じ形状で通常の火薬(ナパームなど)を充填し、
昭和20年7月20日から8月14日にかけて、
東京、富山、滋賀、大阪、和歌山などに約50発を投下。

カボチャのような形状だったので『パンプキン爆弾』とも呼ばれたらしい

寸法や重量も広島型や長崎型と同じ『模擬原爆』をB-29に搭載し、
数機編隊が高高度で飛来。

従来の『大編隊』で飛来して、
大量の焼夷弾を投下する空襲とは明らかに違っていた。

米軍の狙いは『こういうB-29の編隊もあるのだぞ』ということを、
日本人に『慣れさせるため』に、
事前に周到に仕掛けた。

慣れさせる・・・、

今の日本も何かに『慣れさされてはいまいか』と思う今日このごろ

※この記事は2007年8月に掲載したものをリライトしたものです。
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