エンジェル田中のホボ毎日記

☆私たちは何を知り、何を祈り、何を伝えるべきなのか? 大衆伝導師“エンジェル田中”が語るレアな聖書メッセージ!

不信仰の光

2016年06月29日 | 日記

「ほら、見てみろよ、こいつは王様なんだゼ、ユダヤ人の王、バンザ〜イ!!」と、ローマの兵隊たち

「お前が言う真理って・・何なんだ?」と、ローマのお偉いさん

「やれやれ、神の子だったら、自分を救ってみろよ・・」と、周りにいたヤジウマたち

「残念だな、十字架から降りて来たら信じてやるのに...」と、ユダヤの権力者たち

おそらく一番大声で汚くののしっていたのは、一緒に十字架につけられていた強盗だろう

「お前!神の子だったら、早くオレたちを救えよ、このバカヤローーー!!!」(えんぢぇる訳)

 

 「もし、キリストがオレの目の前に現れて奇跡を見せてくれたら、そりゃオレだって信じるよ」などと言ってる人がたまにいるが、それは間違い。信じない人は、目の前で奇跡を見せられても信じない。実際、キリストと接していたほとんどの人が、最後にはイエスをあざ笑ったのだ。

 

ところで、あなたは最近、人からののしられたり、あざ笑われたりしたことがあるだろうか?

 冗談ではなく、本当に面と向かって人からあざ笑われたりしたら、これはかなりこたえる。

 アタシは嫌なことは割とすぐ忘れてしまうタチなので、自分のことについてはそれほど苦々しい思いはないのだが、

 自分の身内(教会、家族、クリスチャン全般)のことを言われると、こたえると言うより、直ぐに頭に血が上ってしまう。

 

昨夜、ネットである報道番組を見ていたら、非常に良識のある(と言われている)コメンテーターが、ある歴史上の人物(クリスチャン)を揶揄して、こう言っていた。

「キリスト教には閻魔さんがいないから、クリスチャンは嘘をつくんだよ..」と。

それに追い打ちをかけるように、今朝、『疑うという福音』というタイトルにつられて、TED(ぬいぐるみのクマのことではない)の動画を見てしまった。

その動画のメッセンジャーは、以前、教会に通っていたことのあるアメリカ人の青年。彼曰く、

 

「ほとばしる緊張感、救いへの切なる願い、汗ばむ掌、そして後ろの方に座る あまり興味のなさそうな人たち・・・」(と、ここで笑い)

「私に課された課題は、慾望をコントロールし、悪魔と怠惰に打ち勝ち、自分の不信仰に勝利する事。だけど、それは12歳の私には難しかった・・」(ここでも笑い)

 「人々が 一堂に会します。聖歌隊は席に残り、執事とその奥様たち、言うなればブルジョア教会員たちは、祭壇の最前列に陣取ります。ご存知の通り、アメリカではキリストの再臨の時でさえ、VIP席が用意されているのです」(ここでは大笑い)

 「奇跡など起きないという真実を前にして、キリストの再臨をもう一度待つには、我々の命はあまりにも短すぎるのです」(それで結論は・・)

 「疑うという福音は、絶望し、もう後がないように思える時でも あなたを勇気付け、希望を与え、その先を照らしてくれるはずです。苦しい時も、盲目的信仰という思考停止に溺れることなく、自分を問い直す内なる声が、小 さく、微かな、しかしかけがえのない光となって、暗闇を照らし出すのです。囁きであれ、叫びであれ、ただシンプルに、こう言うのです。“別の道もあるはず だ”と。ありがとうございました!」(最後に大拍手)

 

“不信仰の光”というメッセージをアタシは初めて聞いたが、アタシはこの青年が言っていることよりも、聴衆の反応の方が気になった。クリスチャンがあざ笑われている所を久方に見たからである。

では聖書は、もし世間からあざ笑われたら、どうしなさいと言っているのか?

実はこの聖書箇所ほど、日常生活と切り離され、キリスト教の神棚に供えられている言葉はないのだが、それはマタイ5章39節、『誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい』である。

で、ここでちょっと解説をしておきたい。仮に、あなたの目の前にいる人が、あなたを殴ろうとした。するとパンチはあなたの右頬か正面に来る。つまり、あなたの左頬を殴るには、手の平とゲンコでは無理なので、逆手で手の甲ではたくと言うことになる。

ユダヤ社会において、相手を手の甲ではたくという行為は侮蔑を現すので、この箇所は“人に殴られたら、殴られたまでいろ” と言っているのではなく、“もし、人から言われのない中傷を受けても、虚心坦懐、ほっときんしゃい!”という教えなのである。であるなら、 何とか日常生活にも適応可能かな・・と。

いずれにせよ、教会は“クリスチャンはクリスチャン同士〜♪”といった生ぬる〜い環境から脱し、もっと一般社会との接点をつくって行かなければならない。

幸か不幸か、日本人が彼のスピーチを聞いても、おそらく笑いは起こらないだろう。何故なら、彼が言っている皮肉の意味が分からないから。

つまり、日本の場合は、あざ笑われる以前の問題なのである。

 

誰も健全な教えを聞こうとしない時が来ます。その時、人々は自分の都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師達を寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方に反れて行くようになります。(2テモテ4:3)


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父親復活!

2016年06月23日 | 日記

現代社会に蔓延する様々な問題の根源、特に青少年の犯罪や、麻薬、性的乱れなどの源は、『家庭における父親の権威喪失にある』と、多くの社会心理学者たちは結論付けている。

子育てについて聖書は何と言っているのか? 例えばエペソ6章Ⅰ節−4節の言葉は、家庭内における父親の権威が前提となっており、それがなければ成り立たない教えである。

つまり、現代社会に混乱している様々な問題の根源は、人が最初に従うべき社会ルールである“父親の権威”をないがしろにして来た結果であり、これが日本宣教を停滞させている元凶の一つなのである。(メッセージより抜粋)


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続・ねずみ男の都

2016年06月21日 | 日記

案の定、必死でへばり付いていたねずみ男は、気の毒にも無理矢理ひっぺがされてしまった。

最初シカトを決め込んでいた時の権力も、“この騒動がこのまま参院選に影響されたらたまったもんぢゃない”と思ったのであろう。

それにつけても、外国の軍艦がどんどん領海侵犯してるっつーのに、ねずみ男騒動をトップに流し続けている日本のマスコミの情けなさよ..。

アタシだって、いつまでもこんなことを書いてるバアイではないのだが、最後に一つだけ付け加えておきたいことがある。

ねずみ男がいた都の本部は、鬼太郎がいる茅葺きではなく、ブレードランナーに出て来てもおかしくないような建物である。(写真参照)

“さすが900万の有権者を抱えている都だけのことはある!”と、都民は思っているのかも知れないが、

都民でないアタシとしては、“こんなもん税金でつくる必要があるんかい!?” と思っている。

ともかく、ねずみ男のお金の使い方を見れば分かるように、あれはお金がどっかにごろごろとあった使い方である。

だから、450円のコヒー代に18000円ももらうことが出来た。

問題は、“ところでこの17550円はどっから出てきたの?”ってことである。

これがどっかの共産国の話しなら、うっちゃっとくしかないのだが、

同じ日本で、税金がこんな使い方をされてるのを黙って見ているワケにはいかない。

それで増税とか言われても、“はぁ??” でしょ。つーか、普通なら怒るわな。

あ、それと“誰がこんな内々のことをチクッタのか?”ってことも、誰も触れないよね。

つまり、こういった都の体質が変わらない限り、次の人はねずみ男の教訓を活かして、うまくやるだけの話しなんだから、

もしアタシが都民なら、“都議会議員の給料を半分にします!”ぐらいのことを言う人でなきゃ、アホらしくて投票出来んと思う。

 

あなた方は、神と富とに仕えることは出来ない。(ルカ16:13)


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復讐するは我にあり

2016年06月17日 | 日記

世界の黒沢、世界の小澤、世界の北野、世界の山ちゃん...

このおきまりのセリフを聞くと、「もぉ、えぇちゅうねん・・」と思うのはアタシだけ?

十分インターナショナルなのにも係らず、わざわざ “世界の・” と表現するこの国際感覚のなさ...。

そりゃ、州が一つの国みたくなっていて、海も雪も見たことなくて、ホンダが日本の会社だと知らないアメリカ人は山ほどいる。

しかし、さすがにアメリカ大統領の名前や、イギリスの首都を知らない日本人はいないでしょ?

その一般常識・教養レベルの高さと、国際感覚の低さのとのギャップがあまりに大き過ぎる。

例えば、今日本でネコも杓子もって感じになっている伊藤若冲。

だが10年前、若冲の名間を知っている日本人がいったいどれだけいたか?

若冲は数年前、あるアメリカ人のコレクターが紹介したことよって、マスコミに知れ渡った。

「これ、すっごいやんか!?」と、桂離宮や浮世絵や黒沢を世界に紹介したのは、何と全て外国人なのだ。

すっごいものをつくっても、世界にアピール出来ない。世界市場を知らない。それ以前にすっごいことが分かってない..。

日本が一番!とか、そういったある種の優越感はあるくせに、世界を前にすると、よよょ・・と、尻込みしてしまう。

こういった外人コンプレックスと言うか、国際感覚の欠如が、聖書に対する無知とつながっているのだ!

と、アタシはかなり思っている。 (メッセージより抜粋)

 


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じゃぱにぃずじんぢゃぁ

2016年06月16日 | 日記

日本に帰って来て、よく食べられるようになったのが “ミョウガ”で、

逆にあまり食べられなくなったのが “シアントロ”。二つともアタシの好物である。

英語でミョウガのことを “Japanese ginger” と言うのだが、アメリカ人はミョウガなんて知らないし、中国人も食べない。

実にミョウガは、日本でしか食べられていない、ユニークな食材なのである。(ザマーミロ)

で、何でミョウガのことを書いているのか言うと、

“ミョウガのサクサク感を均等に出すためのミョウガの切り方!”

というのを、昨日テレビでやっていて、その切り方にいたく関心したからである。

その情報の出所は勿論、ミョウガ生産、断トツ一位を誇る高知在住の主婦たち。

別に難しい事でも何でもないのだが、こんな切り方は、教えてもらわなければ出来るもんじゃない。

アタシはこの方法を、実に半世紀近い月日を経て、幸運にも知ることが出来たのだが、

ミョウガ好きの日本人の大半が、この事を知らないまま、この世を去って行くことを考えると、

牧師を生業としている身の上として、聖書クラスの重要性を痛感せざるを得なかったのであった..。

御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にある(申命記30:14)

{:実演すれば7秒、しかしこれを文章化しようとすると70文字ぐらいかかりそうなので、知りたい人は岐阜まで来てちょうだい。どうしても遠方で来れない人は、図解付きで何とか解説してみますのでメールください。但し、ミョウガ好きな人に限ります}


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What Would Jesus Do?

2016年06月02日 | 日記

主にあって喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい!

「喜びの手紙」と言われているピリピ書。この手紙を書いたのは晩年のパウロである。

彼は波乱の伝道人生を引退し、エルサレム教会からもらった退職金で地中海沿いに家を買い、年金でゆうゆう自適の生活をしながら「あぁ、何と幸せ!」と言って書いた書簡・・・ではない。

この手紙は、彼がロ-マの牢獄の中で書いた手紙、別名『獄中書簡』なのである。

人は、「さあ喜びなさい!」と言われて、「はい、分かりました、喜びます」とは行かない。

人が本当に喜ぶためには、喜べるだけの根拠が必要なのだ。

鎖につながれ、明日をも知れぬ身でありならがら、何故パウロは喜んでいられたのか?

その理由・根拠は何処にあるのか?私達が知りたいのはそこである。(メッセージより抜粋)

 


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炎天下での謝罪

2016年06月01日 | 日記

 「最近、暑くなりましたねぇ~」などと言っているバアイではない。

沖縄の炎天下でプラカードを持って道路脇に立ち、道行く車に頭を下げている人たち。

「アタシが変わるから、もう家に帰って冷たいレモネードでも飲みんしゃい!」

と、この赤い服を着た女の子に、逆に申し訳ない気持ちになってしまう。

問題は、こういった報道を全くしない日本のメディア!「偏向報道もいい加減にしろ!!」と言いたい。

同じアメリカネタなら、謝罪なきオバマさんをありがたがる前にこっちの謝罪を報道すべきだろ。

「特にNHK!何で朝のトップニュースが清原なんだよ!? おい

        

        

 

 あなた方の愛が、深い知識において、鋭い感覚においていよいよ増し加わり、

  それによって本当に重要なことが何であるかを見分けられるように。(フィリピ1章9−10節)

 
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