エンジェル田中のホボ毎日記

☆私たちは何を知り、何を祈り、何を伝えるべきなのか? 大衆伝導師“エンジェル田中”が語るレアな聖書メッセージ!

霊の目

2009年12月31日 | 日記
 花について知るには、長い時間を必要とする。しかし、花の美しさを知るには一瞬もかからない。神を知ることもそれと同じである。

 真の幸福は、目で見えるものによらず、霊的な目によってはじめて認知できる。肉体の目は、神などの霊的な存在を見ることは出来ないが、霊の目が開かれたら、霊である神をはっきりと認知することができる。

 霊の目とは、人間の知識とか経験とは全く関係ないものである。それは、神について様々な知識を持っている神学者と、実際に神と出会った子供は、色彩について様々な知識を持っている盲人の大学教授と、目が見えている人ほどの違いがある。ちなみに前者には必ず批判や批評が伴うが、後者には全くその必要がない。



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エンジェル田中の“嗚呼、カンチガイ”シリーズその⑦

2009年12月30日 | 日記
一度洗礼を受けたら、神は責任を持ってその人を救ってくれる

 洗礼を受けたから神の子になったのではなく、神の子となった証しとして洗礼を受けるのである。親が子供を愛し、心配し、責任を持つのは当然のことである。世間から見たら、どうしようもないアホであっても、親からすれば、それでも自分の子供は可愛い。その意味において、親の愛というのは、神の愛に最もよく似ている。

 だがしかし、いくら親が心配しようが、言うことは聞かない、家には居つかない、親も世間を嘗めきって、勝手放題をした挙句に仕出かした責任は、いくら親でも持つことは出来ない。神との関係を絶ち、神の手を振り切り、神の庇護から自ら離れ去る。そのことを聖書では、聖霊を汚す罪と言う。

神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら、その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱する者だからです。(ヘブライ6:5-6)



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キリストバカ

2009年12月29日 | 日記
 人がつくった神と、人をつくった神。この「が」と「を」では、天地の差がある。残念ながら、日本人の場合はほとんどが「が」の方で、神も紙も基本的に大差はない状況である。

 実際、日本人が想像している神というのは、ことごとく屈折しており、罰(バチ)をあてたり、祟ったり、憑り付いたりする神か、信じていよういがいまいが、何をしても全部水に流して、誰でも天国に連れて行ってくれる超アマの神か、大きく分けてその二通り。

 神様がいるとすれば、そんなバカっぽい存在であるワケがないことぐらい、少し冷静になって考えれば、分かりそうなものなのだが、仏壇と神棚を同居させても、何ら疑問を感じない日本人独特の神観の稚拙さは、実に特筆すべきものがある。

 おそらく彼らは信じられないのではなく、信じたくないのであろう。そういった人々に、聖書の神を伝えることは、ネコに算数を教えるぐらいに難しいことである。と言うか、時にはかなりバカバカしくなることもある。

 しかし、それでも諦めないで伝え続ける。こんなことは、彼らよりもバカにならなければ、とても出来ることではない。その意味において、伝道はどれだけキリスト・バカに成り切るれるか。そこにかかっているのである。



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新鮮な驚きをもってクリスマス

2009年12月25日 | 日記
 アメリカにある某神学校の児童教育担当の教授は、毎年、クリスマスの授業で、この『クリスマス降誕劇』を、生徒たちに読み聞かせていた。それは、こんな内容であった。


 嘘つき、泥棒、弱い者いじめ、先生には悪態の限りを尽くし、神を罵るかと思えば、ゴミ箱に火をつけるという、わんぱく・おてんばを遥かに通り越した6人のタナカ姉弟たち。そんな彼らが、タダでお菓子をたくさんもらえると聞いて、教会にやって来た。折りしも、ちょうどその時はクリスマス降誕劇の練習中であった。

 「おい、お前ら、何だか面白ろそうなことやってんじゃん。折角、教会に来てやったんだからさ、今年はアタシらが全部やってやるよ。」 と言って、何と劇を乗っ取ってしまった。

 長女のムツコは、毎年マリア役をやっている女の子を脅迫して、マリアになり、他の兄妹たちもヨセフ、天使、3人の博士の役になった。練習の合間に、トイレでタバコを吸い、その煙を見て驚いた教会の婦人会の人が火事と思って、消防に電話をし、消防車が教会に来るわで、教会は近所を巻き込んでの大騒ぎとなった。

 教会の子供たちにとっては、少々マンネリ化していた毎年恒例の劇だったが、彼らにとっては全てが初体験。クリスマスがキリストの誕生日だということは知っていたが、羊飼いや、博士たちや、星や、満員の宿屋ことなどについては全く知らない。

 「羊飼いって誰よ?こいつら、どこから来たヤツ?」

 「宿って誰が泊まるんだよ?イエスかい?」

 「何で、妊娠してたのに予約しなかったんだよ!」

 「バカ!これはな、2千年前の話なんだよ」

 「くそっ、それにしても、何だって誰も部屋貸さないんだ!」

 「生まれてくる赤ちゃんがイエスだって、誰も知らなかったんだからしょがないじゃん」

 「だってマリアは知ってたんだろ、何でマリアは誰にも言わないんだ?」

 「アタシなら、言ってやるよ。メシアだぞ、ふざけんな!って」

 「大体、旦那のヨセフは何で黙ったままなんだ?」

 「こいつ、頭悪いのか?」

 「飼馬桶って何?馬小屋にベッドが置いてあったのか?」

 「布にくるんだって、どういうこと?」

 「何だって、赤ん坊をくるんで、家畜のエサ箱に入れとくんだよ?」

 「児童福祉はどうなってんだ?訴えられっぞ!」

 「じゃ、宿屋の主人に、いい加減にして、赤ん坊を小屋から連れ出せって言えよ」


 こんな感じで、劇の練習中は、チンプンカンプンな質問だらけで、全然前に進まない。そうして、話しはヘロデ大王へと及んだ。


 「え~!! 生まれたばかりの子供を殺すなんて!キモ過ぎじゃん。いったいぜんたい、なんで?」

 「最初に何があったのか、初めっから話さなきゃわかんねーよ!!」


 何故か彼らは、ヘロデ王のことに興味を持った。そうして、彼らは生まれて初めて図書館に行き、ヘロデ王のこととかをいろいろと調べ出した。・・・さて、遂にクリスマス劇の当日がやって来た。題して、『新鮮な驚きをもってクリスマス』


 「こんなことがアタシらのために起こったなんて!」

 天使役のアキミが、世界の一大ニュースでもあるかのように、大声をはりあげて叫んだ。会場は悪い噂と、いつもと違う雰囲気を感じ、誰もがしぃ~んとして黙っている。

 「あんたがたに、みどりごが生まれたんだよ!」

 そして、博士役の3人は自分たちの家に、慈善団体から贈られていたハムを詰めたバスケットを持ってきた。それは貧しい彼らの家では実に貴重なハムだった。

 「おい、聞いてんのか、あんたがたのために、救い主の赤ちゃんが生まれたって言ってんだよ!」


それでは皆さん、Merry Christmas!!!!



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十字架と復活

2009年12月24日 | 日記
 同性愛やドラッグ中毒に陥っている人々は必ず、「自分は誰にも迷惑をかけていないのだから、とやかく言われることはない。」と言う。おかしな新興宗教や異端にはまっている人々は、「真理に至る道はいろいろあるのだから、何も聖書の神だけを強要される必要はない。」と主張する。金権主義に陥っている政治家や実業界の人々は、「別に法律には触れていないのだから、非難される筋合いはない。」と訴える。

 このような主張や考え方は全て、時代や環境によって変化する自分を中心とした相対的な価値基準であり、十字架と復活は勿論、自分が神によって創造された被造物であることを認知出来ない霊的文盲な人々の発想である。彼等は、実は自分がサタンに操られていることに気付かないまま、サタンと一緒に地獄に落ちることを、自ら選択している哀しくも愚かな人々である。

 とにもかくにも、アタシたちにとって本当に重要なことはただ一つ、『十字架と復活』である。もし、世の中の人々が、イエス・キリストが人類の罪のために十字架につき、三日後に甦ったという事実を知ってしまったとしたら、小賢しい理屈も、へったくれもない。誰もが何も言わないで、ただイエスに従うであろう。聖書という書物は、「何で十字架が必要だったのか?」ということと、「十字架で救われるにはどうしたらいいのか?」ということと、「十字架で救われた後はどうしたらいいのか?」という、この三つのことを補足するために存在しているのである。



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世のため人のため

2009年12月22日 | 日記
 NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』が、打ち切りを検討されているらしい。巷の噂によると、原因は茂木さんの何億円という脱税。「そうかぁ、チト残念かも・・・」と思ってたら、今度は、この番組のエクゼクティブプロデューサーが警察に逮捕された。容疑は7千円分の商品の万引き。

 いくらプロフェッショナルとは言え、人間は原罪を持っている以上、罪を犯すし、失敗もする。このことは例外なく、多かれ少なかれ誰の身の上にも起こって来る。従って、脱税だろうが、万引きだろうが、問題はそこに悔い改めがあるか否かである。しかし、これはアタシたちクリスチャンの考えであって、日本の社会には、この悔い改めの概念がないため、一度失敗したらまず復帰はあり得ない。

 ところが日本は、その人に商品価値がありさえすれば、たとえ殺人者であっても、とことん利用されてしまう社会でもある。此間の草なぎ君みたく、中途半端に落ちて直ぐに何食わぬ顔をして復帰するよりも、とことんドン底まで落ちて、キリストと出会ってもらった方が、何よりもその人のため、社会のためなのである。



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本当のクリスマス

2009年12月19日 | 日記
 明日のクリスマス礼拝には、ノンクリスチャンの人達が何人か来てくださる予定である。つまり、彼らに福音を伝える絶好のチャンスなので、優し~く、穏やか~に、清楚~な雰囲気の中で、イエス・キリスト降誕のお話しを誰にでも、分かり易~く、お話ししたいのである。アタシだって。

 救世主誕生に感謝することは自然なことではあるが、聖書において誕生日はほとんど重視されていない。実際は、キリストは生れた日ではなく、自分が十字架で死んだ日を憶えるように、弟子たちに命じられた。にも係わらず、現代のクリスチャンにとっての最も大きなイベントがクリスマスだというのは、非聖書的とまでは言わないが、ちょっと「う~ん・・・」な話しなのである。

 「聖書の何処を探しても、キリストの誕生日を祝いなさいとは書いてないし、そもそも、キリストは12月生れではない。また、教会で行なわれているキリストの降誕劇は、神学的に見るとほとんど「???」な内容である。」 なんてぇことを言ったりしたら、みんなシラけるだろうなぁ・・本当のことだけど、本当のことって、人を傷付けるもんなぁ・・・。

 いずれにせよ、大切なことはキリストの愛を伝えること。ぶっちゃけた話し、それが出来れば、その方法については何だっていいのである。ただ少なくとも、キリストの降誕は、伝説でも、懐かしむ話しでも、既に終わった話しでもないことは伝えておかなければならない。何故なら、キリストはもう一度、再びこの地上に来られるからである。



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どっちが得?

2009年12月18日 | 日記
 今年も残すところ、後半月である。「月日が経つのは早いものよのぉ・・」などと悠長なことを言ってるバヤイではない。人間、年を取るということは実に哀しいことである。体力も知力も衰え、どんな美貌も失われ、夢も希望も薄らぎ、そんな自分の老いに絶望を感じつつも、頑固さだけは凝り固まって行く。『駿馬も老いれば駄馬に劣る』という諺があるが、じゃ、アタシらのような駄馬が老いたら、いったいどうなってしまうのか・・・考えただけでも恐ろしい。

 ところがである。キリストの福音を信じ、永遠の命が与えられると、年を取れば取るほど希望に近付いて行く人生に変えられて行く。人生これに勝る喜びはない。アタシはこれがないのに、日々平然として(でもないのだろうが)生きている人たちを見ると、「よくやってられんなぁ・・」と、本当に感心する。彼らから見れば、「何だよ永遠の命って?バッカじゃないの??」と言うことになるのであろうが、早い話しが、“同じバカならどっちが得か?”ということなのである。



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