Good News Sendai

☆仙台集会の活動模様をお知らせしています。

桃のいい香りが・・・

2008年08月07日 | Weblog

 いつも朝起きてすぐ、梅干と緑茶を一杯飲む事にしてるのだけれど、今日は内科の血液検査の日、起きてから喉がカラカラなのだけれどちょっと舐める程度にしておいた。先月は八日間も病院通い。これがなかなか忙しいのです。 年齢がいって、どこか具合悪いところが出てくると連鎖的にあちこちの調子が狂って来るのですね。 若い時には自分が疲れを起こすとか、身体に無理がかかるなんて事は考えもしなかったです。甘かった。伝道だ。家庭集会だと元気印のおきょうさんで通っていたので、この頃電話が来て「今よこになっていた」というと「えっ!あなたが?」と昔から知っている人はいいます。その後必ず「歳をとったのねえ」と追い討ち。言われなくたって自覚しております。この頃は・・・・
 
 出掛けに及川さんから昨日福島に行ってきたのでと電話、丁度私は予約時間が迫っていたので出かけて、帰ってきたら玄関前に箱入りの桃を届けてくださっていた。 なんともいえない桃のいい香りが部屋中にひろがってシアワセ!! 消防点検の日だったけれどキャンセルして、香りにつつまれて夕方まで一休みしたら痛みが治まった。 及川さんありがとう!!

 それから長瀬さんの検査結果はセーフだったそうです
皆さんにありがとうございますとよろしくお伝えくださいとのことです。

 府中市に住むお友達に「実業之日本社」で出している「聖書・・知れば知るほど」をお送りしました。この方は「勝利ある人生」を学び終えて引っ越され、老後は仙台でと今住まいの整理中。又一緒に集まる事ができるようなので喜んでいます。

 この本を監修・執筆された守部喜雅先生から中国のキリスト教事情のお話をお聞きした時に求めた本ですが、とても読みやすくまとまっているので一人で学ぶのには良い本だと思いました。中国の方々の信仰のお証しはとても力強く、先生は「日本人は聖書があっても読まないで済んでいるクリスチャンがいますね」とチクリ。私達はみことばに触れる幸いな環境にいるのになまぬるくてはもったいないことですね。 

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箴言を読みましょう!!

2008年08月05日 | Weblog

 一週間があっというまに過ぎ、昨日は午前と午後と病院のかけもち。午前は甲状腺の検査の結果を聞きに行き、検査は又来年で大丈夫でしょうとお墨付きを貰ってホッとしたところ。暑さにうだりながら午後はいつもの眼科へ、ここは網膜の病気が専門なので視力が落ちて杖と奥さんの肩が頼りの方が3組もいらした。私は小学1年生の男の子とお母さんとお話ししながら、ここにいる方々にどうやったらイエス・キリストを伝え、聖書を読んでもらえるだろうかと考えていた。

 この頃特に気になるのは子供たちの事。両親が心を合わせ箴言を基にして子供を育てたら、世間を騒がすような事件が少しずつでも減っていくのではないだろうか。減って行って欲しいものだ。 わが事を振り返ると自分自身がそうしたかったと胸のうずくことばかりだけれど、終わった事はもうしょうがない。これからの人達になんとか知らせるとか、警鐘を鳴らしては行けないだろうか。 

 なにやら私は小さい子とお年寄りと犬とにはすぐ仲良しになれる。赤ちゃんに「可愛いねえ」と言ってあとは心の中で(神様に愛されているんだよ。早く出会えるようにね)とつぶやいて笑いかけるとニッと笑ってくれるこの瞬間が大好き。疲れがどっかに吹っ飛んでしまう。 あとはお母さんに「子育て愉しんでね。」と声をかけて、すっかり「ばあば」らしい振る舞いをしている。 若い人には余計なお世話かもしれませんね。 

 でも、仙台はまだ小都市のよさがあって信号待ちをしているチョッとの時間にも話が返ってくるのが嬉しい。とにもかくにも子供達を見るとまず、お母さんになんとか聖書の神様を知って欲しくてたまらない気持ちになってしまう。「何処でも良いからまず箴言を読んで聞かせてくれるところはないものだろうか?」 と思う。紙芝居にしたらいいかなあ。

 話しは変わって・・・この間、メッセージを聞いている時に何の脈絡も無いのにフッとことばが浮かんだので書きとめた。 「祈りことばをいのらないで、神にいのること」・・そうだよね。次の日ある姉から電話が来て、「S姉の礼拝の時のお祈りが素晴らしかった。来週自分が祈りの当番なのにあんな祈りができないし、どうしようかと思ってた」という・・・ああこのことだったかと納得して、早速「さては祈りに心をあわせてアーメンではなくて、人の祈りに聞きほれていたね?来週は祈りのことばを立派に祈るのではなくて短くても神様に心を注ぎだすように祈ることって言われたよ」で一件落着。
その夜、心に浮かんだ事・・・
 朝早く散歩した時に見る、農学部で飼われている羊達。ふわふわの毛で覆われている時は自信ありげに、しあわせそうに草を食んでいるけれど、その時が来て毛を刈られると生々しい薄ピンクいろの皮膚がみえるようになる。そのみじめな姿に羊ははづかしそうにこちらを見ている、自分でもみじめと思っているのだろうか?

 人の世でも同じ。裕福さや人の賞賛、上質の生活に包まれたとしても、地上での与えられた時間が終わって、神の前に立つ時、私達の行いや全ての事が羊の毛がなくなったように、全てさらけ出される時、人は恥ずかしくみじめに思うのだろうか?
ヘブル9:27 「そして、人間には、一度死ぬ事と死後にさばきを受けることが定まっている。」 神を知らない人達にイエスの十字架の意味を知って欲しい・・・地上にある時からイエスが私達の救い主、創造主、助け主、癒し主、導きの主、私の隠れ家の主であることを知り、地上での出来事を全て主に言い表しながら、不安な思いを主に委ね、清清しく平安に導かれながら生きることを・・・

 神の前に、神が私達に望んでおられる生き方・・・神を愛し人を愛する事・・・それができない時、自分の罪深さに泣き、苦しみ、うめきそのように生きたいと祈り、地上の事は地上で主の前に清算していける幸いをぜひ知って欲しい・・・地上の殻を脱ぎ、裸の魂が主の(神の)前に立つ時どんなにか素晴らしい神の栄光の輝きの中に招き入れられることかを。

 クリスチャンの方々、神はわたしたちのすべて・・・自分の欲に引かれてこれから犯すであろう罪のひとつひとつをすべて知っておられる主に恥も外聞もなくすべてを注ぎだして慟哭し、祈り、そして主に愛されている喜びと慰めと平安で満たされたら・・・栄光の主の膝の中に子供のようにすっぽりとはいって癒されることを期待しようではありませんか!

 知性、教養、友情、すべてのなかに生き生きと働いてくださる主と共に歩み、始めは真似をする事があっても、年数が立つうちに環境、性格に溶け合って素敵な個性となって主の香りを放つ事ができるでしょう。もっともっと自由な神の子として生きられるでしょう。 とここまで、夜中に教えられたことでした。
おまけです。
 クリスチャンとかけて愛子様ととく・・・そのこころは、神の子(天皇の子)という最高の立場を良くわかっていない。(自覚がない)・・・雅師いわく・・・なるほどといたく感心してしまいました。
ガラテヤ3:26 「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子供です。」

 読んでくださっている方々へ偉そうに書きましたが、夜中に教えられた事を真っ暗な中でノートに斜め書きしたものです。でもわたしたちに言われてる事なんだと思って書きました。読み取ってくださいね。それでは夏バテにご注意を。 

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素敵な随筆家!! 大橋先生

2008年07月26日 | Weblog


    大橋先生   後ろが天使の伊藤さん

 先日、上の階に住んでおられる星川さんから前に頂いていた「百歳の叡知」というご本の作者の「大橋先生と友人の伊藤さんが千葉から来られるので、ご一緒にお食事をいかがですか?」とお誘いをいただいた。

 大橋先生はお姑さんをなくされ、まもなくご主人にも先立たれ、残されたお舅さんとの日々を人間の心の深い部分と向き合って、内省され、その生き方を通して私たち読者にも自分の来し方を反省させられたり、またこれからの私の生き方もこうありたいと思わせられるような文章を綴っておられる先生です。ご本を読んだ時からぜひお会いしたいと思っていたものですから願ったり、叶ったりのチャンス到来でした。それに美味いものに目のない私は二つ返事でOK!! 勝山館というところで夜にフレンチをごちそうになりました。大きなガラス越しに和風庭園があり、能舞台の両脇にかがり火もたかれており、雨上がりのしっとりとした風情のなか、楽しい会話とおいしいお料理をいただいて、至福の時を過ごさせて頂きました。

 私はいつもは約束時間ぎりぎりに行く人なのだけれど、この時ばかりは、珍しく約束の一時間も前に着いてドキドキわくわくしながら、もう一度先生の本をおさらいしていました。さあ、時間になりました。「あっ!いらした」と立って待っているのに星川さんが私を見ても気がつかない! 近づいていくと「あらっ!恭子さんだと思わなかったわ。まあ!」・・・それもそのはず、いつも廊下で会う時は、Tシャツにもんぺに前掛けに男物のサンダル履きといったいでたちだから。 その日は招待してくださる方に恥をかかせてはなるまいと一張羅を着て行ったのです。 それにしてもあの驚きようは「してやったりと思う反面、ちょいとショック」でもありましたが・・・

 大橋美恵子先生は今年で71歳。(先生ごめんなさい言っちゃったですよね) とても思慮深く、それでいて明るくシャキッとしておられて、高ぶったところのないお話しも、教養にあふれていてとても勉強になりました。 これからの生活のお手本にしたい先生です。

 もうひと方の伊藤若子さんは・・・先生がご主人を突然亡くされた時にあまりにも悲嘆にくれ、打ちひしがれている様子を見たお坊さんが、お骨を食べてしまうのではないかと心配されて家には持ち帰らないようにしたそうです。・・・その時からお家にきて励まし、仕事をずっと手伝ってくださったそうです。先生にとっては「舞い降りた天使」のようだったといっておられました。先生は立ち直るまで六年かかり、今でも伊藤さんを「天使なの」と呼ばれています。 ほんとうに物静かなそれでいて明るい方でした。

 星川さんもこの先生の本に心動かされ、多くの人に読んで欲しいと、熱い心で先生のバックアップをされているかたです。

先生の著書を紹介します。
 「見る眼差」・・・随筆集
 「春来」・・・・・・・歌集
 「存在の仕方」・随筆集
 「百合の咲く庭」・歌集
 「自画像」・・「百歳の叡知」・・・などなど
  講演録・・・72冊

略歴:千葉大を出て小学校教師になるも家庭に入り、36歳で高校の非常勤講師に招かれる。「教える事」は「学ぶ事」に気づき、斉藤茂吉の高弟でもあり、美智子妃殿下に歌の進講もなさった佐藤佐太郎師について短歌を学ぶ。千葉地方裁判所で民事と家事の調停委員にも従事。 各地で講演会。さまざまなジャンルの読書会を毎月自宅で始めてから27年目を迎えられたとか、今では52人もの方があつまるので年に一度、千葉のホテルオークラで会をもたれるそうです。今年は8月21日、但し出席は女性のみ。

 今回は「自省録」マルクス・アウレリュース・・岩波文庫だそうです。
なによりも嬉しかったのは「聖書を2年半かけて読書会で読み通したの」「神様はおられますね」と言ってくださったことです。これからもしたい事がたくさんあるので、7月30日の72回目になる講演会を最後に講演活動をおやめになるそうです。

 その時の原稿40枚を頂戴して読みました。確かで、力ある文章に引き込まれあっという間に読み終えました。ヨハネ1:1〜5 ヨブ記の苦しみについても引用されていました。今までの私にはご縁がなかったけれど、先生に進められた「自省録」を生活時間を見直して挑戦してみようかなあと思っているところです。
先生には聖書の神、イエスキリストの十字架がご自分のためであったというところまで気づいて欲しいと願いつつ・・・
先生の講演録の中から・・・・たくさんある素晴らしい言葉から一つだけおすそ分け・・・「人生におけるもろもろの恐れや心配は、実害を十倍にも百倍にも誇張して見ている自分の心の拡大鏡の故だと言うこと・・・」。

ちなみにワインセラーも見学させてもらえました。
10℃に保たれた部屋に二万三千本は圧巻でした。

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GNS集会 (7/23/08)

2008年07月26日 | Weblog

 集会を終わって直ぐブログに書き込もうとしたらなぜか?アップロードに失敗し続け、あれやこれや操作しているうちに前に書いたブログの写真まで消えてしまったと言うありさまで写真を載せ直すのにまあ時間のかかったこと夜半過ぎ目はショボショボ疲れ果て、もう明日にしようと横になった途端、グラリゆさゆさと大きな揺れが・・・あわてて飛び起きてベランダの戸をあけて逃げ道を確保し、すぐ義母に電話して無事確認。次の朝点検したら又この間と同じ本棚のビデオ類が散らばっていてがっくり。横目でみながらまだそのままにしています。さて、23日に行なわれた集会レポートです。皆が揃うのを待って、少し遅れて始まりました。

 122:みどりもふかき
 521:キリストにはかえられません
祈り:伊藤さん、及川さん、わたし

メッセージ:『風の吹くまま』 (啓介先生の礼拝CDから)

 先ずは、家庭菜園から教えられた人生の3大原則から・・・
 種をまかなきゃ芽は出ない。
 蒔いた種は全て芽が出ない。
 ナスの種からトマトは出ない。

 では、どうしたら人生の実を付けることができるのか?
 木で一番大切なのは「根」。外からは見えないが根本的な存在意義。人生における「Being/何故生きるのか?」にあたる。
自分のBeingを、この世において実現させるための努力と訓練。それが「幹」の部分。「Doing/どう生きるのか?」にあたる。
 木は自然のストレスの中で成長するように、人間も苦難の中にいる時に成長する。どんなに強い嵐に遭っても、根っこさえしっかりしていれば、倒れることはない。たとえ倒れたとしても、また新しい芽を出し、再生することができる!

クリスチャンの救いの確信
1) 罪からの解放の確信 ローマ8:2 第一ヨハネ1:9
2) 天国民の確信(永遠の命を持っている)第一ヨハネ5:10-11
3) 私たちの人生は聖霊が導いてくださる。箴言3:5
4) クリスチャンの祈りは答えられる。エレミヤ33:3 ヨハネ14:1
                          第一ヨハネ5:14 ヨハネ15:7
5) イエス様を信じる者  ヨハネ15:17 第一ヨハネ5:5
                第一コリント10:13
応用編
 刈り込みには「痛みと不安」が伴うが、その目的は人生に豊かな実を結ぶため。神様の刈り込みは、「訓戒段階」と、「訓練段階」の2つのパターンがある。
訓戒 (実がついていない人) 自分の罪意識に注目。                
訓練 (実が少しだけついている人) 自分の心の平安に注目。

手放さなければならないもの
訓戒 罪
訓練 自我

成すべき対応
訓戒悔い改め
訓練神様に信頼する
 クリスチャンは解放され続ける。船に乗った時と同じ、揺れに身を任す!成長させてくださるのは神様 アーメン

CDを聞き終えてから罪意識の事について
 長瀬さんがいろいろとご自分のことを証ししてくださいました。登米の幼稚園の日曜学校で先生が話してくださった事が、その時は分らなかったけれど、尚絅女学院で賛美歌と聖書に触れた時はっきりと確信を持つ事ができ洗礼を受けられたそうです。結婚されてからは教会に行けなかったので、啓介先生に祈っていただいた時はこころが癒され涙がわあっと出たそうです。ご主人の痛みが激しいときも、「私にはどうしてあげることもできないけれど神様に頼んで祈るしかないよ」と話しているそうです。皆で心を合わせてご主人のためにも祈り、29日に内視鏡検査を受けられる長瀬姉のためにも祈りました。

 夢中になって話し込んでしまい、4時45分に終わりました。帰りに二人でいる時大塚さんが180度変わってみたいと言ってくれた事が私には最高のプレゼントでした


前列右から 伊藤さん、岸上さん、大塚さん、後列右の長瀬さんと私。


 伝道のため仙台に帰郷されていた及川さんもゲスト参加してくださいました!

ここでちょっと出席者のプロフィールを・・・

清水さん: 20代に神学校を卒業され、40年以上の落ち着いた信仰者。そうそう、いい事を教えてもらいました。 「梅干はつけたばかりの時はとっても塩っ辛くて食べられないけれど、年数が立てば塩の味は感じられなくて旨みがまし、まろやかになる」 なるほど信仰者も同じだなぁ!と思いました。教えようとする態度、押し付ける態度ではなく、聞くことから始めなければと思っていたところだったので、味わい深い言葉でした。

(前列左が清水さん)

伊藤さん: ただいまJTJ神学校の通信教育で学ばれていて、又家庭集会もしておられるバリバリの信仰者でもあり、伝道者。

岸上さん: 賜物は親切。みんなの送り迎えを一手に引き受けてくださり、ヘルパーさんをしておられます。

大塚さん: 洋菓子、和菓子、パンなんでもござれの料理人。集会の時はとっても楽しみ。

私: 義母と母と近所の年配の方を老老介護中。

       お知らせです
        次回の集会は、8月の第四水曜日(8月27日)になります。

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梅雨があけました。

2008年07月20日 | Weblog

 東北地方は梅雨明け宣言が出ました。今年は雨が少ないので夏に水不足にならないかと心配です。ダムのところにだけど〜んと降ってくれて、市内にはさっとお湿り程度降ってくれるといいねなどと都合のいい話をしています。


  昨日(19日)はまた地震がありました。かなり揺れが長かったので急いでベランダの戸を開け、じっとしつつ、なにか倒れないかと目をこらしていました。揺れが収まった後すぐお風呂に水を溜め水確保!! 先回の地震で被害に合われた方々は今どんなお気持ちでいられるでしょう。一日も早く自宅で生活できるようにと祈るばかりです。

 おとといのブログを書き終えたあと、辻岡先生にもっと素敵なお話しを聞いていたのを思い出したので忘れないうちに書きますね。ことばが違ったり、忘れているところがあるかもしれませんがおゆるしくださいね。 神様がなさったことに目をとめてください。


 ある若いカップルが先生に,「避妊をしたのに妊娠をしてしまった」と中絶の相談にきたそうです。 先生は牧師さんですので「人間が何をしようと、いのちを与えられるのは 神様です。中絶というのは殺人なのですよ。母体にも影響があるし、生んで欲しい」とお話されたそうです。当然お互いの両親にも経済力がなくてどうして育てていけるのかと言われたそうですが、先生は女性に「生みなさい。誰も育ててくれる人がいなかったら私が引き取ります」と励ましたそうです。

 この女性は決心して生みました。あるクリスチャンホームの方の希望でそこに預ける事になり、その女性は涙ながらに手紙で「しあわせにしてください」と託したそうです。クリスチャンのご夫妻はいつか子供が大きくなった時、話さなければならないし、会わせてもあげたいと思っていたそうです。そして祈りと共に毎日愛情をそそがれ育てられていたのでしょう。


 ある日のことその子に「お母さん。僕を生んだ時おっぱいはうんと出た?」と聞かれたそうです。このお母さんはきっとずっと祈っておられたことなのでしょう。「OOちゃんを生んだのは別な女の人なの。お母さんは神様からOOちゃんを育てるようにと言われたのよ」と答えたそうです。そばにいた妹さんと「ふ〜んそうなんだ」と納得したのだそうです。子供なので又ある日に「僕を生んだ時ね・・・・・」と別な質問をしたら妹さんに「産んだ人は違うの!」といわれ、「あっ!そうだった」と本当に自然な感じで会話ができ、現在は大きくなられて、ご一家そろって愛情あふれる、思いやりに満ちた素晴らしいクリスチャンホームをつくられているそうです。

 辻岡先生のお働きも素晴らしいことですし、何よりもお母さんが神様から知恵をいただいて「別のお母さん」と言わず、「女の人」と言った事が私には感動的でした。「別のお母さん」と言ったらきっと子供の心は混乱するでしょうから。


人格は神様が下さるいのちといっていいかもしれません。
人権は人間が生まれながらに持っている正当な権利です。
私はこの頃ニュースを見ていていろいろと考えさせられることが多いのです。

 神様から離れている人間が思うこと、人の心の内側からから出てくるものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、・・・
マルコ7章21〜22節
ガラテヤ5章16〜21節

 こういうことが今日数多くの事件となっていますよね。神様が人間に求めておられる基準が土台になっていないと、自分のしたい事、好きな事を主張し、それを社会に認めさせようと する風潮が世界的にあるように思います。 皆さんご存知のとおりですよね。胸が痛むし、おそろしく、悲しい事件ばかりです。
 
 日本では裁判員制度が導入されようとしていますが、これも私が選ばれることがあったら・・・と不安材料のひとつです。 無作為に選ばれた人達には博識の方や、経験豊かな人も多いでしょうけれど、今までのいろんな事件を見て、一人の強い意見や感情にながされたりする事のないように出来るだろうかとか、弁護する方々も一生懸命しておられると思いますが、罪を軽くすることに多く心を傾けないで、被疑者に本気で罪を認めさせ、被害者の方々に真心を持って謝罪できるように導いてあげられたら、素晴らしいことだなあと思います。量刑の判断はその後からでも遅くないのでは・・・とも思ったり。

 本当に裁くのは神様だと信じながらも、この世の決め事には責任を持たなければなりませんものね。ともあれ私なんかはとても弱くて、「あっ、またばかみたいなことをしちゃった」と後から気がつくことが多いほうなので、神さまのみ言葉・・・「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」
ガラテヤ5章22章〜23節 のみ言葉を自分の身につけてくださいと祈り続けることにしましょうか。 なにはともあれ、凶悪な事件が起き無いような世の中になって欲しいと願います。

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斉藤恵さんと

2008年07月18日 | Weblog

眼科の帰りに義母のところでおしゃべりをしていると、啓介先生の仙台集会の時、お母様といらしてくださった恵さんからTELがあり会う事になりました。(この姉妹はピアノの先生をしておられます)二時間ばかりモスバーガーでお茶を飲みながらたくさん話しました。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてをまなびました。」 詩篇119章71節 のみ言葉が浮かび、そこからつながってくるいろんな証しをさせていただきました。

もうひとつ、何週間か前「小さな命を守る会」の辻岡健象ご夫妻のお話を聞く機会があって「いのちの尊厳と性の大切さ」というお話から考えさせられた事や、聞いたお話しをし、あっというまに時間が過ぎました。話した一部を箇条書きにしますね。
聖書は「教育」ではなくて「いのち」・・・命の創造主。私の命の主と聖書は言う。教会はいのち。 性も聖書。
☆ アダムとイブは神が直接創り責任をもった。男性と女性が結婚によって子供ができるように計画された。
☆ある医師・・・医療のはずが、患者のいいなりになり、救うどころか中絶する時代になっている。一人の医師が、 「小さな子にしたことはイエス様にしたこと」マタイ25章40節 のみことばに霊の目が開かれ、何万人も中絶して殺してしまったと悔い改めた時、イエス様から全ての罪が赦され、天国行きの切符を手に入れた。ヨハネ14章2節〜
☆自分を愛せないと人を愛せない。
☆今複合の性感染症が4人に1人・・・エイズに移行する。
コンドームでもエイズは85%は防げるが15%は防げない。
若い女性がエイズに罹り「なんで自分ばかりが」と1000人と交渉。
日本は米国を越えてのエイズ先進国になりつつある。
☆性の堕落でホルモンが変わる。アルコールやニコチン依存症と同じ。

☆ある教師・・・ある事情で妊娠。生むか生まないか迷ったが生むと決心し、半年休暇を取り出産に備えた。しかし母に生む力が弱く、子も重度の複合障害があることと、生まれてくる力がない事が分り中絶を勧められたが生むことを決心した。生まれて直ぐ死ぬと思ったが、母は綿棒で乳を含ませ、今日一日、明日一日と乳をやり、その子は充分に母の愛を受け、139日生き、母を輝かせて天に帰った。・・・いのちは長短ではなくその喜び、輝き。
 聖書の教会の仕事。
人は必ず失敗する・・・もう一回やりなおす。
もう一年待ってみよう・・・イチジクのたとえ・・・もう一回もう一回と信仰によって待つ。

その時は聞いていなくても立ち直ると輝いてくる。せめない・・・神様だけの権限だから。
☆性感染症の恐怖・・・つのぶえをならすこと。
☆ミッション⇒宣教⇒世に使わされているもの⇒責任を問われる
☆生きたことば・・・性もいのちも神のもの
☆人権と人格の違い
神様の御前に立った時、私たちは成すべきことをしましたと言えるでしょうか? 言える人は幸いですね。 

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宝くじで教えられた事。

2008年07月15日 | Weblog

 今ちまたではサマージャンボを売り出していて、購入者の様子がTVのニュースで流れていました。それを見ていてこの間のグリーンジャンボのことを思い出しています。私はいつも聖書を読んで心に響いたみ言葉を祈りますが、しばらくのあいだ祈っていたみことばに箴言30章7節〜9節があります。ちょっと開いて見てくださいね。いいみことばでしょう?長いので書きませんが後で読んでみてくださいね。

 なのにです。グリーンジャンボのCMをしている時から、「神様必要です。今度は買っていいですか?」 「買いますよ。主よ」 「ほんとに買いますから当ててくださいますか?」 「絶対あたると信じます。あなたは必要をご存知です。」「あなたが絶対あててくださいね。」 「あたったら、あの人、この人、あっちへ、そっちへ、教会も建てたい」とまあ、さまざまな自分でも呆れるほど真剣に祈りをしつつ、上に書いたみ言葉が心のどこかにちらつきながら、初めて「宝くじ」のことを祈りました。 

 それなのに期日まで買いに行くのを忘れていて、最終日のぎりぎりの時間に売り場に行きセーフ!!なぜ宝くじかというと、あるクリスチャンで良い働き(!?)をしている方から借金を申し込まれたのです。 私にとっては大金で主人に内緒でという訳にも行かず、さりとて主人からも私の母からも「商売をするからには金を貸すな。借りるな。」と一家言として言われているので・・・やはり話してみても案の定でした。借りたい人は「クリスチャン」だから信用してもらいたいと言っていましたが・・・これが主人には禁句なのです。

 十数年前ある方の就職を頼まれ、忙しい仕事の合間を縫って東奔西走し、やっとある事を条件に就職が決まり、同時に結婚式もあげてめでたしめでたしだったのですが、数年してその約束が破られているのをお世話になった人から聞かされ大問題になりました。その時に関わった人々に主人はあきれかえってしまったということがあり「クリスチャン」=「信用」という図式が消えてしまったのです。

 本当に私たちは先に救われ、主の愛を受けている者としてもっともっと誠実に人と関わっていかなくてはと思わされた出来事でした。・・・ということもあってグリーンジャンボとなったわけですが・・・・さて抽選が終わってからも番号を見るのが恐くて、しばらくしてから主人に見てもらいました。 さあどうだったと思いますか? 三千円分買って三千三百円当たっていました。損はなかったのです。この事が分った時、私の思ったことは「確かに祈りは聞かれていた」ということでした。

 神様が「あなたの思いはわかった。だがそれぞれのことは、わたしがめんどうをみるのだよ。」と言われているようでした。それぞれの人が信仰によって主により頼み、よりすがって歩めばいいのだと気がつきました。 そして今後も私は私の出来うる事を喜びながら主と歩ませていただければいいのだともう一度確認したのです。

 主人は一人だけ「この人はほんもののクリスチャンだと感じる」という方がいます。もちろん私の尊敬するお一人でもありますが。東京にあるクリスチャン学生寮「ティラナスホール」の寮母さんをしておられます木藤光子さん・祈りの人です。 長男がお世話になり今も親交が続いている方です。  

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日曜日

2008年07月13日 | Weblog

 今日は日曜礼拝の日。今まで持病の神経痛があってなかなか礼拝に行けなかったのだけど今日は主人がついでと言って乗せて行ってくれた。 「バプテスト仙台北キリスト教会」 この教会の前身は旭丘教会といって私が30歳の頃友人に初めて連れて行ってもらった教会です。

 雅牧師がまだ学生の頃からの知り合いで、師のお母様から「私のあとについて祈ってね」と言われ何がなんだか分らずに私のこれからの人生を主におゆだねするお祈りをしたものでした。その時のこみ上げてくる嬉しさは忘れていませんが、そのあとすぐに「あっしまった。まずいことをしてしまったのでは」というにがい思いにとらわれたのも事実でした。それは私が商家の長男の嫁であり、いろいろなしきたりの中で生活をしていたからです。それはおいおい証ししていく事にいたしましょう。         


 その三年後、洗礼を受けてから29年になりますが、いつもみことばの約束通り、主は私の右の手を硬く握り、守り、導き、愛し続けてくださっています。そしてときどきは愛のムチも・・・愛されている証拠ですね。

佐藤雅・律子牧師夫妻です。




今野さんと信仰の母民子さん



執事長の吉田さんご夫妻



遠慮なく頂いてきました。 菊里さん



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GNS第一回集会 (7/09/08)

2008年07月10日 | Weblog

 賛美:雨をふりそそぎ(570) かいぬしわが主よ(354)
祈り:導かれるままに (清水さん、伊藤さん、私)
聖書箇所:ルカ福音書16章19節〜31節
『厳粛な「死」をみつめてどう生きるか』
アブラハムのふところ・・・パラダイスの別名。
ハデスとの間には渡る事の出来ない深い淵がある。
イエスが教えようとした意味。金持ちがハデスに落ちた理由。
聖書の大切さ・・・などなど
賛美:主よみてもて(285)
祈り:全員が一言ずつ祈る。

 清水さんや伊藤さんの信仰体験から来る深いお証しや、みことばの説き証しなど、5人ともそれぞれが個性豊かで正直に、活発に意見交換ができおもしろかったです。 伊藤さんが「主を真ん中にしたまじわりはいいねえ」と感想。 あっという間に3時半が過ぎました。そのあと大塚さんのお点前と手作り羊羹がふるまわれ、エマオの正剛(せいごう)館長さんと大越さんもお招きしての茶会。 もちろんお代わりの連続で大塚さんは大忙しでした。おいしく、楽しく、勉強になったひとときでした。



正剛館長と大越さん


なかなかのお点前


大忙しの大塚さん                                   
                  岸上さん                       伊藤さん

 満足満足
残念ながら清水さんは一足早く帰られました。 (恭子

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集会場所のご案内

2008年07月02日 | Weblog

長らくパソコン操作に手間取り、悪戦苦闘しておりますが、今日はテストがてら集会場所をご案内してみたいと思います。まずは住所から、


 〒980-0012
 仙台市青葉区錦町1-13-6
   東北教区センターエマオ 内 
  022-222-0990
 毎月第2-4水曜日 午後1時〜3時

いつも笑顔でお世話して下さる窓口の大越さんです。

 

エマオの玄関です。左の方にキリスト教書店が見えます。


今日はここまで。 (恭子

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