新しい年を迎えたと思ったらもう立春が過ぎ、もうすぐ三月の足音が聞こえて来るようです。大変長いこと書き込みが出来ないでいます。
その間嬉しい事(友人がイースターに洗礼を受けることになりました)やOさんと娘さんのKちゃんが定期的に私と一緒に教会に通うことになったり・・・とお知らせしたいことがたくさんあったのですが・・・
一月に母が小さい手術をして落ち着いてはきたのですが、パーキンソン病が進んで身動きがとれません。90歳の義母は年齢と共に弱って手がかかるようになってきて大変です。
私もお相撲さんならば体力の限界と言って引退できるのでしょうが、家族を世話するのはそうはいきません。私も自分の痛みの我慢の限界を越え、休んでは仕事をし、仕事をしては休んでいるので夫がフル回転してくれています。介護に携わっていて下さる方々のなんて大変なことか、ありがたい事かもっとヘルパーさんの待遇を見直してあげられないものかと考えながら・・・忙しくも、又息も絶え絶えになりながら過ごしています。
体力と時間が許せばすぐ集会を再開するつもりですが、今のところ体調を見ながら個々と会ったり、電話で話したりしています。本当のところ電話で話すのが一番ありがたいです。
というわけで見通しがつくまでしばらくブログに書き込むのをお休みさせていただきますね。
グッドニュースがあればすぐお知らせします。
ではではしばらくのあいだおやすみなさい。
今日は大塚さんと一美さんとクリスマス礼拝に出席しました。長瀬さんは残念ながら出席できずでした。皆さんはどのようなクリスマスの礼拝をおささげしたでしょうか? さて、3日の集会後、痛みの我慢が頂点に達し、なにかがピキッと切れた感じでちょこっと家事をしては長らく寝込む事に。挙句にブロック注射があまり効かず半病人の体たらく、・・・でも心は守られ、平安のうちに主からいろんなことを教えられながら、今日やっとパソコンに向かっています。
人によって信仰の姿勢は様々にあると思いますが、私の場合今までは夜中の1時半から2時の間に決まって目が覚めて自分の祈りの部屋に行き、聖書を読んだり、祈ったりしていました。夏場はしらじらと夜が明けて太陽の美しく、明るくなっていくのを見るのが楽しみですし、今の時期だと濃紺や紫、グレーや薄いブルー、オレンジに変わっていく様子がとても美しいです。・・・が今の時期は明るくなってくると逆に眠くなってきてこまります。でも、寒い時期のほうが私は好きです。冷えないように毛布を頭からかぶり、毛糸を巻いたりして椅子にもたれて祈るのが好きです。すると本当に祈りに集中できて、時折主のご臨在に触れ涙がとめどなく流れたり、たまには喜びに満たされて号泣(大声出せないので嗚咽といったらいいのかも)したり、本当にみことばにある
あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸を閉めて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。・・・マタイ6章6節。このみことばを実体験できます。ほんとうに恵みの時となること請け合いです。 あっ!請合ってくださるのはイエス様でした!
さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。(マルコ1:35)
もちろん、レベルは全然違うかもしれないけれど、でもこのみことばの深い意味(父なる神様とイエス様の交わり)がなにか分かるような気がします。 もっと若い時は毎朝早く自転車で15分の広瀬川の川原に行っての短い礼拝もすがすがしいものでした。私は夜中から朝方に集中するタイプのようです。皆さんはどのように個人礼拝をしていらっしゃるのでしょうか?今はこの痛みが出てからは眠剤が欠かせないので朝までグッスリですが飲まない時はそっと起きだして祈りの場所に移動しています。静かな恵みの時です。
さて、12月3日の集会報告です。
出席者:大塚さん、長瀬さん、伊藤さん、清水さん、私。
途中から斉藤恵さんが来てくださいました。
賛美歌:クリスマスソングを思いっきり賛美。98番(あめにはさかえ)、111番(かみのみこはこよいしも)、112番(もろびとこぞりて)を一番づつメドレーして最後は落ち着いて静かに109番(きよしこのよる)でした。
聖書箇所ルカの福音書1-2章を読む。長瀬さんがが大好きということで詩篇23篇も読み、清水さんからお話ししていただきました。
その後クリスマスと言うことで、伊藤さんがインストラクターになってくださり押し花の葉書を作ることになりました。美しい押し花をたくさん持ってきてくださって、その細やかな仕事ぶりに感動しました。
コタツの上いっぱいに花をひろげ、「皆クシャミをしないように、鼻息に気をつけて!」といわれながら夢中になって作っていました。なんだか聖書を読む時よりも熱中していたような?
それぞれ個性的で素敵なものが出来ました。私は痛みで集中できず、長瀬さんが代わりに作ってくださいました。ラッキー!!
では、その時の様子をご覧ください。





見てくださいこの満足げな様子を!!なお伊藤先生のお手本はこちらです。

☆素敵でしょ!!
というわけで楽しいひと時でした。
来年の集会日時は今のところ未定です。1月中旬ぐらいになるかもしれません。
イスラエル在住のSさんからメリークリスマス!のお手紙を頂いた。
もう今年も最後の月になりましたね。日本のちまたのクリスマス、年々売らんかなの商戦で賑々しいこと。ここ仙台では毎年12日から「光のページェント」といって定禅寺通りのケヤキが豆電球で飾られます。それはそれは見事なもので暗闇に輝く明かりは暖かく美しいものです。眺めに来る人々が暗闇にいて光を見るのではなく、イエス様の光を心のうちに灯して欲しいものだと毎年思わされています。
1998年の4月に建国50周年で大賑わいのイスラエルに旅をした時、祈りの壁に家族の救いをメモして祈りと共に壁の隙間に入れてきました。移動の時次男に「いつからユダヤ教になったのかな?」と笑われてしまいましたが。
2週間の旅の間中、朝早く死海の海辺で、ティベリヤで、ホテルの屋上で一人で身震いするような主の臨在を感じながら祈った事や、ガリラヤ湖の船上で、突然の静けさに覆われ皆がひとつ心で黙祷に入りました。その夜、ホテルでの証し会の時に、それぞれが主の臨在を感じたと語り合いました。日本にいる時だってご臨在は感じていましたが、そのときは特別な大きさと深さと・・・う〜ん、表現できないくらいの静寂・・・確かに主がここにおられるという感覚でした。
オリーブ山での主がもたれて祈ったとされている岩の冷たい感触にその時の主のお心を思い、感謝しながらポタポタと涙がこぼれた事も良い思い出です。 主が歩まれた道を辿る事も素敵です。許されれば何度でも行って見たいと思います。でもたとえ行く事ができなくても、主が復活し昇天してくださったから、何処にいても私達の心の中に聖霊なる神様がいて下さり、生き生きと私達を生かして下さるんだとつくづく思わされます。感謝しながら帰途に着きました。帰りの機上の窓からオーロラが見られたことも嬉しいことでした。
主が現実に生きて歩まれた所は印象深く、その後の聖書の読み取り方や私自身の信仰が行く前とはガラッと変わったような気がします。
早く元気になってもう一度いきたいなあ。あっとその前に元気になったら一番にロスの田中先生の所にいかなくちゃ。
美鈴さん、睦美さん、亜子さん、和子さんお会いしたいです。教会の皆さんともお会いしたい猛烈に!!




台所でほうれん草を洗いながらふと思ったこと・・・神様が喜ばれる教会とは牧師がまっすぐに主の道を語り続け、信徒がそのみことばの解き証しによって栄養をいただき、信徒一人一人が祈りによって主と出会い、成長させられる・・・そして教会がひとつ心になって祈る祈りが束になって神の前にかぐわしい香となってのぼっていき、神様に喜ばれるのだなあとしみじみ考えました・・・ほうれん草もうまい具合にゆであがりました。
3日の報告はまたあとで皆さん良いクリスマスを!!
聖書には神様と共に歩む人生の歩み方が書いてある。同じ箇所を読んでも、「あっそういうことか!」と前よりももっと深く意味が分かったり、「そうそうほんとにそう」とうなづけたり、心がチクチク刺されて「そうでした」と悔いて、改めようとしたり・・・だから何度読んでも飽きるという事がない本当に不思議ないのちの書。・・・なのになんで!!一回読めば分かるはずのプリンターやパソコンの説明書を開くと頭が痛くなるのは
。 M姉妹に聞く前に印刷を試みた。紙を30枚以上も無駄にしたあげくプリンターもパソコンも凍結。知人に電話をして、来て教えてもらおうとしたら忙しくてダメ。せっかちな私もついに「そうだ、具合が悪い時は休みなさいって事だった」と自分の心をなだめつつ、祈りつつ横になる。 2日くらいたっておそるおそる電源ON!! 「おお!回復していた。良かったぁ」と印刷にかかっていたら、途中でピン!と知恵が与えられたので、やってみたら抜けていたページも上手く印刷できた。やはりこれは必要なことなのだと納得しつつ無事印刷業務完了。その満足感を持ちつつ、やっとパソコンの前にじっくりと座れました。遅ればせながら、11月5日の仙台集会の報告です。
今回の集会場所は長瀬さんのお宅でした。いつもの場所だと遠くて長瀬さんが出席できないことが多いため今回は皆で出かけました。紀州犬(TVでCMに出ているお父さん役そのままの顔をしている)ゆうたくんが吠えまくってのお出迎え、おっかなびっくり前を通って玄関へ。
出席者:長瀬さん、清水さん、大塚さん、岸上さん、私
伊藤さんは欠席でした。長瀬さんのご主人は気を使われたのか別室で絵を描いておられたようでした。 残念!!
賛美歌
私が悩む時も 「主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた」詩篇28章7節から
御手の中で 「主はあなたの道をまっすぐにされる」箴言3章6節
シャイン・ジーザス・シャイン 「明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。『眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。』」エペソ5章14節から。清水さんがこの曲のテープを持ってきてくださったので、皆で歌っていたらベランダの窓越しに耳をこちらに向けて、身体はそっぽ向いて聞いているゆうたくんがいて、なごみながら始まりました。
聖書の読み方について
今回は皆さんに聖書の箇所をたくさん開いてもらいました。それぞれの持っていた聖書が3種類でページが違っていたので聖書を手分けして開き、岸上さんと大塚さんは大忙しでした。
まず、
第二テモテ3章、15,16,17節と
ヨハネ20章31節から輪読しました。
O聖書はキリストへの信仰による救いを与えます。
Oこの時代の人達は旧約しか読まなかったが、イエス・キリストの事(救い主が来られること)が描いてあった。
イザヤ書53章を開く
O三浦綾子さんのところの聖書研究会で救われた人がいる・・・なぜ?
ひまつぶしに来ていた?・・・いいえ2ヶ月に2回も聖書を読んで洗礼を受けたそうです。本当に聖書には力があるのです。
Oある終身刑を言い渡された人がマジに脱獄する事を考えていたそうですが、聖書を渡されたが字が読めないために看守に聞きながら読んで信じ、同房の人に伝道したという話しもあります。
ヒエロニムスと言う人は
「聖書を知らない者はキリストを知らない」と言ったそうです。
マタイ16章22節にペテロがイエス様をいさめて「下がれサタン」といわれた。いつも一緒にいたペテロでさえイエス様が言われたことを良くわかっていなかった。
私たちは聖書を持っているだけで安心するのではなく、落ち着いて読む時間がなかったら、部屋のどこかいつも通るところに置いて開いておくと良いかもしれません。
使徒の働き17章4節〜9節と10節〜12節を読む。
同じ話を聞いてもテサロニケの人達は聞く耳を持たずパウロとシラスを人々の前に引き出そうとした。かたやベレヤのユダヤ人は非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。
私達もこのように毎日集まって聖書を読めたらどんなにかいいことでしょうね。
O聖書のことばを聞く悪い聞き方。
最初から聞こうとしない。
偏見、先入観を持って聞く。(テサロニケの人達は最初から聞かないで迫害した) 先生に教えられたといってもそれそれに違うこともあるので、信仰の常識と言われることも、自分で聖書を読んで調べる事が大切。
他人に適応してしまう。(自分にいわれているのに夫に聞かせたかったとか、あの人に聞かせたいとか思ってしまうこと)
批評家や評論家のようにああでもない、こうでもないと聞く事。(ロイド・ジョーンズという人はオックスフォード大学のジュード博士という講演会には人がたくさん集まるといわれている有名な人との公開討論会を申し込まれたが、「神様は議論や討論、批評されるお方ではない。ひれ伏すべきお方」と断った)
使徒の働き2章46〜47節
そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心を持って食事を共にし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。熱心にみことばに取り組むなら恵み(祝福)を受ける。
第一ペテロ2章2節
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
谷川の鹿のように
あるところで伝道会があるというと、宣伝しなくても人が集まり、日本と違って説教が長いと喜ばれ、短いと怒り、挙句に帰らせまいと靴を隠したりするそうです。
すごいですね。それほどに私たちも神様のみことばを求めていきたいものです。
ある牧師の信徒自慢。
65歳になる主婦・・・10年間で30回聖書を読んだそうです。う〜ん。4ヶ月に一回の割合ですよねえ。きっとみことばが身に着き、その光がその方を輝かしていることでしょう。
私達が考えなければならない事。
聖書を偽らざる神のことばと信じているか。
聖書的な生き方、柔軟な考え方をしているか。
みことばで励ますことや、生きる力があるか。
判断力 (勝手に想像するのではなく、聖書に基づいて、イエス様ならどうするだろうかと考える)
聖書は自分で読む事 (あかしは個々人のもので原則がないので、自分もそうしなければならないのかという落とし穴になってしまうこともある)
聖書は難しいからと信仰書に頼ってばかりいない事。
清水さんから伝道会の報告がありました。
第一ヨハネ4章7〜2節 「ここに愛があります」
ヨハネ3章16節 「この愛を信じるなら」
ヨハネ6しょう28〜9節 「This is work of good」 結果
第一ヨハネ4章7から12節 「私達を生かすこの愛」
イザヤ55章1〜2節、詩篇121篇 読んで見てください。
今回は自分自身反省することばかりでした。
大切な事は清水さんや伊藤さんと語ってきているので、これからは皆でまず聖書を読むことに重点を置いていけたらいいなと思っています。
次回の集会は、12月3日(水)です。場所 今のところ我が家です。
寒くなってきたので、皆さんインフルエンザにご注意を!!
追伸二ヶ月前の匿名さん遅くなってごめんなさい。返事書きました。
この頃ブロック注射をした後はちょっと思い出せないことが多くなって、はて?集会は何日だったっけ?とカレンダーを見る始末。一気にテレビと電話とガスコンロが駄目になってしまったのでサア大変と忙しくしていたら、あらぁもう10日も過ぎてました。ビックリ!
遅くなりました。仙台集会の報告です。
仙台集会:2008年10月1日(水)
出席者: 岸上さん 大塚さん 清水さん 伊藤さん 私
聖書箇所: マルコ7章20節〜23節 (人の心から出て来るもの)
ガラテヤ5章19節〜21節 (肉の行い)
々 5章22節〜23節 (御霊の実)
賛美歌: シャイン、ジーザス、シャイン 私が悩むときも
(レーナ・マリアさんの歌) 清水さんが用意して下さいました。
祈り: 私
お話し 伊藤さん 「二者択一・どっちが得か?」
人間の罪を負って身代わりになってくださった
イエス・キリスト
救い主・油注がれた者
自然

神
人間・生き物の調和が崩れた時、神から断絶され、人間は罪人になってしまった。
霊的死人
神の御子・罪のないお方が40回で死ぬと言われた鞭打ちの刑を39回受けられ十字架に架かって下さった。
霊的死から永遠の命へ、人間を不幸から幸いへと変えてくださった。
罪のないお方が身代わりとなって、私達の罪を帳消しにしてくださった。
信じた時
罪許された罪人
「約束の聖霊」平安をいただく。 大きなポイント!
信仰によって神の子とされる。
人を喜ばせる時に人は幸せになれる。
マザーテレサ
心のもやもやや苦しみや様々な問題を抱えて「滝にうたれて」みたり「お遍路」をしたりするが、解決は十字架の血にしかない、ありのままでいい 「無条件の愛」
神様の話を聞くことが恵みであり、聞いたからには「二者択一」の責任がある。
まとめとして 第一ヨハネ5章11節から12節
そのあかしとは、神が私達に永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。
清水さんから
伝道の書3章1節〜自然の中に永遠をみる特権。
キリスト信仰の基本の大事な学びでした。清水さんからの案内で「この愛があれば」と題して村上宣道先生の,特別伝道集会が18,19日にあるのでいずれかに出席の予定です。
次回の集会は、11月5日(水)長瀬宅での予定となっています!
この頃
ローマ書の7章18節〜20節のみことばがことごとに頭に浮かびます。 特に19節の「私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています」・・・のところが胸に刺さってくる。パウロさんの心の葛藤は、私が感じているようなちっぽけなことではないかもしれないけれど、聖書に書かれていることばのメッセージの内容はもっともっと深いところにあるのだろうけれど、私の生活の中の場面場面で、自分のたらなさを指摘されるような気がしている。
たとえばクリスチャン仲間との証し会は何が言いたいのかすぐ、理解できる恵みがあるし、 また経験から一般論の知恵としての正しさもわかっている・・・のに。伝えたいことや、話しの論点が交錯し、分かってもらっていないと思った途端腹が立ってくる。この怒りは体力がついてきたとは言え、まだ心に余裕がなく、やさしく受け止めてあげられない自分がいるもどかしさと、それだけではなく吹き出してくる自分の古い性質に腹が立っていることは重々承知している。
「変わりたいと願っているのに,すぐ本来持っているものの地が出てしまう」

私は今つくづく思います。
神の愛に触れ続け、その愛の深さが理屈ではなく、心に迫ってきて、自分の醜さ、罪の深さがわかってくると、若い時のように元気に「私は罪人です」と人の前で看板(許されたばかりの堂々の喜び?ちょい自慢?」のようにたやすく言えなくなってしまった。
なにせ神の愛の深さに圧倒されつづけていると、ただ感謝の涙で主の前に頭をたれるしかないし、許されているという深い、それでいて静かな喜びが溢れてくるから。 信仰の世代、性格それぞれがあって老若男女に伝道する力が与えられているのはほんとうに神様のお計らいだなあと思います。
今日はお昼近く、W眼科に行ったら、ハロウィンのお化けかぼちゃがたくさん飾ってあった。ここは女医さんで季節ごとに飾り付けをして患者さんを愉しませてくれる。クリスマスには天井に届くくらいの本物のもみの木
を飾るし、3日間続けてエレクトーン奏者を招いてくださって、待ち時間の間私達は演奏を愉しむ事ができるのです。 それだけではなく、先生のお母様がパッチワークの先生をしておられて、「目が悪いからと家に引っ込んでいないで、教えてあげるから出ていらっしゃい」と励まして下さって、大事な仕上げは手伝って下さるのでバッグや小物がどんどん出来ていきます。始めは生地の裏と表を間違ったり、縫い目が斜めになっていったりとしていた人がこの頃はまっすぐに近くなってきたし、何よりも出来上がって使えるのが嬉しいと喜んでおられます。
私もそこに入れていただいている一人ですが、視力がないわけではないのに、なぜかへたっぴー
少しストレスになりかかってるかな。
でもね、このあいだちょいと感動した事がありました。私は長男の嫁で食べるものはいつでも一番いいものは舅姑に、たらない時は自分は食べなくてもいいというクセがついてしまっていたからなんともないと思っていたんだけれど・・・みんなでお昼をということになって、
五目そばとあとおいしいっていうので3人に一つ餃子を注文をした。3人に一皿5個入り。普通に二人に2個づつ、私はおみやげにいつでも買いに来れるからと1個。夢中でそばを食べていたら、割り箸も手で探るような人が、小皿に半分こにした、いびつな餃子を入れて、「きょうちゃんも食べてね」とくださった。考えもしていなかったから驚いたけど、いびつで小さな餃子をみつめて、その優しい気持ちがなにかほのぼのとして嬉しかった。 もちろんごっつあんです。
さもないことだけれど、なにか忘れかけていたものを思い出させてもらった感じがしました。 そのひとはTさんといいます。どんどん視力が弱ってしまう病です。治療の時にお会いすると、お互いに必ず手を両手で包み込みながら握り合い暖かな時間を過ごします。
そんな時つくづく思わされるのは、自己受容や初級だ中級だと勉強させてもらったのに何も覚えていない悪い生徒だけれど、いっぺんに通じ合う真心ってこれだなと思う・・・いわば覚えの悪さを棚に上げての現場主義。
相手が自分に示してくれる感情は自分を写す鏡だなあと思う
。
やさしく接してもらえると、本当にこちらの気持ちもそれに応答するようになる。
特別に敏感で短気でおっちょこの私は相手の目線ひとつで対応が変わってしまいそうで何をしでかすかわからない自分がこわい。クワバラクワバラ危険には近寄るまいぞ。
そういえばこの間の夜に見舞いがてらと言われてやくざ屋さんのご夫妻に食事のお誘いをいただいた。
いろいろな職業の方達とグループで旅行をして歩いて20年。 5家族いたけれど、20年のうちにお二人亡くなってバラバラになってしまった。それでもなお私達夫婦にはとっても優しく紳士的にお付き合いをしてくださるご夫妻です。お嬢さん達が小さい頃、教会に連れて行って、クリスマスの劇に出てもらったり、ご主人の方には「親分はイエスさま」と「極道の妻たち」でしたっけ?題を忘れましたが、韓国人の奥さん達のビデオを差し上げてあるのでいつか若い衆も見てくれるのではないかと期待しておりますが・・・・もちろん夫と仲良しですが、私がクリスチャンだということを前から尊重していてくださっているのと今体調がよくないことを心配して下さって「何とかなんないのかなあ」と本当に心配してくださっています。ありがたいことです。
お嬢さん達も大きくなって親元を離れてしまったので、1カ月おきにでも食事会をしましょうと言う事になり、帰りの車の中から、「奥さん、何かあったら何時でも言ってよこすようにね」とのやさしいことばを残してくれました。嬉しかったです。
出会わされている方達はまだまだいますが、なんともいい雰囲気なのです。弱さを持っているとこういうふれあいが出来るのですね。
さてだれが最初にイエス様と出会えるのでしょうか?

午後からは神経ブロック注射でした。終わった後、始めて目がまわって、頭がくらくらしてすぐにはおきられませんでしたが、今までで一番くらいに効いたような感じです。疲れていたからかもしれませんが、私には注射が一番効くそうです。早くしなくても良くなるようになるといいですね。と言われてきました。
試練の中にあって耐え忍ぶ{試みにあっても立ち上がる}人は幸いです{幸福です}{うらやましいほどです}。試練に耐え抜いた{合格した}とき、その人は、神がご自身を愛する者達に約束された{勝利者に与えられる}いのちの冠をいただくのです。(ヤコブの手紙1章12節 詳約新約聖書から)
埼玉のO姉(75歳)から「体調はいかが?」と電話をいただいた。東京に行った時、夜ホテルから電話してたくさん話したのだけど、今回も話が尽きなくて又長電話になってしまった。頂いた電話なのに申し訳ないことでした。さっきO姉に上のみことばを葉書に書いて出したところです。O姉は25年くらい前にご自分から「教会に行ってみたいから連れて行って」とおっしゃって、まもなく洗礼を受けられた方です。その時から姉妹になりました。今回もお話の中で「自分は死んで早く神様のもとに行きたいぐらいの苦しみの中にいて,本当にもう耐えられないと思う時があるのだけれど、そんな中でも不思議に平安が与えられているのよねえ。この平安は絶対に神様からのものだと思っているの」と言われてました。
私も思い出して「Oさん。前にキリストに似る者とさせてくださいって祈ったことがあるよね。私達ってイエス様に似たいっていう思いの中にはなんとなく明るく良いことしかイメージしないよね。でも良く考えて見ると全世界の人のあらゆる罪も病気をも背負って下さろうとしている時に、死ぬっくらい鞭打たれて、侮辱された時にも心の中にはきっと父なる神様からの平安を頂いていなくては耐えられなかったと思うし、大変な苦難を受けて下さったのだもの。そのことと、O姉が家族の悩みを一身に背負っているってことは少しイエス様に似てきてるといえるんじゃないの?」 「そっか、そう言われたらなんか胸がすっとしたわ」 「ほんと?よかった。よかった」と長電話も終わりました。
ヨブも凄まじい経験をしましたよね。でも神様と和解をして又祝福されましたよね。読んでみました? 和解・・・天地創造の神様がおられて、私達を愛しておられるのに私達がそれに気がつくまでじっと待っておられる・・・御子イエス様が十字架にかけられてお苦しみになられるのをじっと忍耐されていた・・・それはイエス様が私達のすべての罪を背負って私達の身代わりになって下さり、私達が滅びないで神様のもとに帰るためだったのだと私達が気がついたとき・・・そういう神様がおられて、私達のために犠牲を払っていてくださったことを知らないでいたことに気がついた人が、私をお許しください。イエス様を感謝します。これからの人生をあなたが私と共に歩み、導いてくださるようにお願い致します。・・・と言うのを待っておられる。・・・これが神様との和解・仲なおりの第一歩。
そして神様からのラブレターと言われる
聖書を読み、神に祈り、みことばを調べて、始めて自分の生きる道がどんなに貴重で大切なものか、どんなに神に愛されているかを知っていく
ほんとうに聖書にある通り、
「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。(伝道者の書12章1節)・・・母の老人介護施設に行くとつくづくこのみことばをほんとにそうだなあと痛みを伴って感じます。
大分ご無沙汰してしまいました。たくさんの報告があったのですが、なにもかにも息も絶え絶えにしておりました。啓介先生のメッセージCDも 12日に着きました。ありがとうございました。さて、遅ればせながら順を追って報告いたします。
7日(日)の教会での洗礼式に出席してみましょうかと長瀬さんと話していたので、祈りつつギリギリ6日(土)の夕方まで待って、電話で長瀬さんに体調を聞きました。 抗がん剤を打ったばかりで体調がすぐれず、横になっているということで今回は欠席しますということでした。私はそれから急いで新幹線の切符を買い、7日は東京に発ちました。大久保の社会保険中央総合病院に検査で行くことになっていたからです。二日前から強烈に痛みがあったので一人で行くのは少し不安があったのですが、義母を一人に出来ないので主人についててもらう事にして思い切ってでかけました。東京の暑いこと
暑くての汗か痛くて歩けないことのあぶら汗かごっちゃまぜになってやっとの思いでホテルに辿り着き、シャワーを浴びてすぐダウン。ホテルは病院に近いからだけの理由で申し込んだものの築ん?十年の古い建物。 部屋でのお迎えは名前も分からない見慣れない虫一匹。
ビクシャクしながら、エイッとばかりに水洗で流れて行ってもらいました。
やれやれ横になり本でも読もうかと思ったら、一転にわかに掻き曇り、大きな窓から見える新宿の高層ビルの避雷針にビビッ!バリバリドーン
と雷が落ち、たちまちゲリラ豪雨とやらに
。 丁度
黙示録を読んでいたので 数時間の激しく、荒々しい天文ショーに神様の技を思い、異常気象を思い、不気味な雲のかたちに悪しきものの存在を感じたりと、想像力を逞しくしながらしばし眺めていました。 雷の被害は恐ろしいけれど、部屋の中から見ているとその光の筋が美しく芸術的にさえ感じてしまいます。
昔、雷に感電して病気が治ったと言う人のニュースを聞いた事があって、私も少し感電したらこの痛みが消えるかも・・・などとバカみたいな事を考えていたら、主人までもが「傘をさして外に立っていたら直ったりして」・・・などとのたまった。 なんと40年も一緒にいると考えることまでも似てくるものです。
次の日朝8時頃から
社会保険中央総合病院へ。大きな病院で人も多かったけれど、てきぱきと診察・検査をして12時前に終わった。九州の熊本の病院に入院するかどうか聞かれて「完全に直るなら参ります。」と答えたのだけれど、答えが???だったので、「主治医と相談して決めることにします。」といったん帰ることにした。
歩くのが辛いので少しでも近い駅の新大久保に行き、さてどのコースで帰ろうかと券売機の上にある路線図をぼーっと眺めていたら、駅員さんが「どうなさいました?」と聞いてくれた。検査が長引くと思って二泊三日分のボストンとショルダーバッグを袈裟にかけてすっかりおのぼりさんの風体なので心配して下さったのだろう。とっても親切に切符の買い方まで教えてくださった。 何度も来て知っているのだけれど、痛みが激しく頭がボーっとして何も考えられなかったので、その親切が嬉しくて甘えさせてもらいました。
今回の新幹線は行きも帰りも席が埋まっているのに、不思議に私の座る席は三人掛けに一人。おかげで肘掛を上げてゆったりと足を横にすることができて神様のご配慮に感謝しながら、又おひとりおひとりお祈りをして下さっている方々のことを思いながら祈りつつ感謝して帰ってきました。ほんとうにありがとうございました。まだなんとも言えませんが必ず直ると信じております。
やっとの思いで帰宅し、次の日は緊急扱いで労災病院に行きブロック注射をしてもらいなんとか痛みは治まった。明日(10日)は仙台集会。家でするのは無理なのでエマオに申し込みをして、メッセージは伊藤さんにお願いする事にしました。
さて、10日仙台集会です。
出席者 岸上さん 大塚さん 清水さん 伊藤さん 私
長瀬さんはご主人がMRI撮影のため付き添い。

賛美 平和はじめて知った 570 雨をふりそそぎ
聖書箇所 創世記1章1節〜2章5節
ローマ1章20節
伊藤さんから「皆さんはどんな時、どこに行った時心が安らぎますか?」の質問から始まりました。 山や森や水辺・・・自然の中にいる時。シナイ山で満点の星の中を歩いた時、朝日が昇ってくる時・・・に自然の素晴らしさを感じた。と話が拡がっていき、岸上さんは朝犬の散歩の時に「ねじり花」を見つけ、家だけかと思ったら、同じようにあちこちに咲き始めているのを見て、季節を違わず咲くことの不思議さを話しておられました。
それから
創造の一日一日をひとりづつ丁寧に読んでいきました。
自然をいいなあと思うこと
⇒神の創造を喜んでいることになる。
動物には罪はない。
自然や犬、動物に癒されるのはルーツが一つ、一緒だから。
などなど・・・大塚さんの質問にも清水さんが答えて下さったりしていました。
とても分かりやすい学びで良かったです。
「人間の罪」に入る次の章も伊藤さんにお願いし、その次は清水さんにもお願いすることになっています。どんなお話になるか楽しみです。
次回は10月8日(水) PM1:00〜 エマオ会館 です。
さてこの神経痛を通して思わされたこと。
自分の心の中には汲めども尽きせぬ深い井戸があり、健康な時、満たされている時には感じないけれど、いったん歯車が狂ってくると様々な罪の思いが湧きあがってくることが分かりました。
健康でいた時は体が自然に動き親のこともなんなく求めに答えていられたし、朝、昼、晩とどんな仕事でもこなしていた私。母や義母とも楽しくやり取りをしていた私・・・が。 痛みを発症し、人の世話をする余裕がなくなり自分の痛みを何とか紛らわすので精一杯になってしまった。それでも義母とは40年も一緒だし、気心が知れているので外出や通院、食事などなんとか我慢しながらでも手伝えるのだけれど、もろに被害をこうむっているのは私の母の方。大好きな母であるはずなのに自分の体力、気力の限界を過ぎると、何度も同じ事を言われたり、訳のわからないことや用事を言いつけられたりするともう駄目。
いらいらして、きつく叱るし、醜い感情が湧きあがってきて、こんなに意地悪な人間だったか、こんなに罪深い思いが次々と湧きあがってくるものかと自己嫌悪に陥ってしまう。
やさしさや、思いやりはチョッと待ってこの痛みが治まってから・・・と横になる以外にどうしようもない。ほんの一箇所身体に痛みがあるだけで、自分の生活が崩れてしまうことにつくづく驚いている。私はこの痛みを主の深い愛を知るチャンスを頂いていると思ってしっかりと自分の弱さ、愚かさに向き合い、主に祈り、許しを請っています。
思いつくまま三浦綾子さんの病気のことやそして聖書にある
ヨブのことを思った。ヨブは神様が自慢するくらいの信仰者であり、又裕福であり、子供達にも恵まれ、信仰的にも素晴らしく、子供達の罪のためにささげものをして祈っていた人。それが一瞬にしてすべてを失ってしまった。悪性の腫物が出来ても灰の中に座り「・・・幸いを神からうけるのだから、災いをも受けなければならないではないか」と罪を犯すようなことを口にしなかった。・・・人。
それなのにすべてを失ったのは
なぜ?ではなく、
それだから・・・素晴らしい人だからすべてを無くし、ある意味この世の煩雑さから引き離され、自分と向き合わせられたのだなぁと考えた。きっと今まで経験したことがなかった腹立ちや、怒りで自分の罪深さに向き合あわせられたのかもしれないですよね。そして神様の愛の深さをもっともっと深く知り、この世にはない平安を与えられてもう一度祝福の道を歩めたのでしょう。 私は今のところは痛みだけですんでよかったかなあ ん?
ということは
いただいている恵みに自分が気がついていてもいなくても神さまが与えて下さっているものが無くなった時、始めて人は神の前の自分の本当の姿や、自分の罪がますます深いことを知るきっかけになるのかもしれませんね。
ヨブ記を読んでみましょう
そしてそれぞれに思い巡らすのも秋の夜長の楽しみです。 感じてください。神様のめぐみを。
東京から帰って仙台駅に着いたら主人が待っていてくれた。重い荷物を手渡した時に思ったこと・・・イエス様が苦しみを受けて、何度も倒れられて、シモンに十字架を背負わせた時、お苦しみの中でも少しはほっとしただろうか・・・・感情移入のしすぎかも。
ずっと目が回るくらい忙しい日が続いていて、ブログの下書きも二つ、書きかけで載せられないまま日が過ぎてしまいました。コメントにも返事が書けずで美鈴さんごめんなさい。
義母が角膜の深い部分まで炎症をおこし、両瞼がお岩さん(古くてわからないかなぁ)のように腫上がって目が開けられなくなってしまいました。それに加えて89歳になる年齢のせいか、足元がおぼつかなくなってきたし、5分前のこともすぐ忘れて何度も々繰り返して言うようになったし、眼科から帰ってきたばかりなのに又バッグを持って「眼科に行く」と言い出したりで主人や兄弟達が大分いらいらさせられてるみたいです。 私も家に着いた途端又「すぐ来てくれ」のコール。 やれやれどころかもうヨロヨロしております。 ブログの下書きをしながらコックリコックリして、何も考えられない状態が続いていました。
あまりに疲れ果てているので、集会が出来るだろうかと危ぶみましたが、祈られていることをビンビンと心と身体に感じていたし、「ははん、これが敵のやり方か」と気がついていたので、元気はつらつうとまではいきませんでしたが、エマオでの集会の場所を急遽変えて、主人からいつ連絡が来てもいいように自宅ですることにしました。それが良かったと後で振り返るとわかるのですが、なんと長瀬さんのご主人も途中からきてくださったのですよ
さてそれではご報告を・・・
□8月27日 仙台集会 高橋宅 1時より
出席者 長瀬さん、清水さん、岸上さん、伊藤さん、途中から長瀬さんのご主人と私の主人。 大塚さんはお休み。
黙示録21章1節から22章5節まで輪読。
この箇所もぐっとタイミングでした。主が導いてくださっています。
水曜日は管理人さんがお休みの日で駐車場のゲートを開けるのに何度も階下に行ったり来たりしたものだから、そのあいだ、長瀬さんの質問に清水さんに話していてもらったりして今回はとても気楽に自由に話しあうことができ今までと又違った学びの時となりました。一時間ぐらい立ってから長瀬さんのご主人から電話があって近くにいることが分かったので強く強く家に来るようにお誘いしたら、道に迷いながらも来てくださいました。とにかく男性一人では居にくかろうとすぐ主人に連絡を取り三陸道を走っていたようだったけれども次の仕事の合間にちょっと家に戻ってきてもらいました。
伊藤さんはポートランドで神学校に行っている息子の聡さんの主催でハタチキャンプ(今年20歳になる)をする事になったそうです。錦秋湖キャンプ場で教団教派を超えて7人の青年たちがあつまって「ギデオンの勇士」とされるべく立ち上がろう!!という目的のキャンプだそうです。凄いですね主に賭ける情熱とその若さ
・・・うらやましい
。
続けてお祈りをしていきたいと思っています。
というので聡さんを仙台駅に送りそのあとの参加でした。
長瀬さんのご主人が「自分の方が先に逝くだろうから、奥さんの信じている所で待っていてやりたい。洗礼を受けなければならないのだろうか?」「悪いことや殺人を犯した人でもただ信じますって言うだけで許されるってことがあるなんてなぁ」とか、ほんとに様々な疑問について話しあいがなされました。 丁度九月七日に洗礼式(侵礼で)が雅先生の教会で行われるので長瀬さんの体調が良かったら見に行きましょうという事になりました。そのあと
賛美歌472「人生の海のあらしに」と、285「主よみてもて」をみんなで歌い、祈り4時過ぎに解散となりました。
家でやったせいかなんか自由な雰囲気でみんなで話し合えたし、場所的にも近くて集まりやすかったので、様子を見ながら家で集まってみようかということになりました。しばらくは変幻自在になりそうです。今回は大塚さんがお休みで寂しかったけれど、ほんとに忠実な岸上さんは快く清水さんを送迎してくださったし、清水さんと伊藤さんの伝道の仕方もそれぞれの持ち味があって勉強になったし
とっても楽しい集まりでした。
もう一つ、9月13日までの月,火のいずれかに東京の病院にちょいと検査にいくことになりました。早く直ってばりばり働きたいです。
昨夜は沖縄料理の「ちゅら」さんで及川さんとキムヒョウスクさんと親戚で未信の鈴木さんとに会わせていただきました。始めてお会いしたお二人でしたがあっという間に意気投合!!「又今度ランチしませんか」と鈴木さんにお誘いいただいたので時間が合った時にでもゆっくりお話できることでしょう。
一口メモ
キムチは大根も白菜も秋
以降につけたものの方が甘みが出ておいしいそうです。
今日は異端と言われているOOO・・・から出て教会で学んでいる方にゆっくりお話を聞く事ができました。輸血をしないことで新聞にも載ったし、誕生日のお祝いもしなくて、召された人の記念会もしないとかあまりの教義の違いに「えっ!」とビックリ。
向うさんも「ええ〜」とその違いにビックリ。とても親しくなれたのでこれからゆっくりと越しかたを聞きながらお付き合いをしていこうと思っています。
新しい出会いがあると主にある姉妹になれる予感がしてワクワクです。 証しに力がはいります。










