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「日々の出来事」30分de一巻 Vol-13

2016年12月17日 | Good News
歴代誌は、旧約聖書の中でも比較的印象が薄い書巻である。「歴代誌には何が書いてある?どこが好き?」と問われても、答えに窮してしまうのが正直なところ。少し前に「ヤベツの祈り」が流行った(?)ことがあったが、今は、それが歴代誌であることも忘れられてしまうほど。では、歴代誌の存在意義は何処にあるのか?書かれた目的は何なのか?それらのことを確認するための、30分de一巻である。

本書タイトルである「歴代誌」は、英語の「クロニクル・年代記」と同様、年ごとに起きた出来事や事件を記録した歴史書という意味である。ギリシア語では「パレレイポメナ・省略されたもの」と言い、上巻はサムエル記(ダビデ)の省略されたもので、下巻は列王記(ダビデの子孫)の省略されたものである。しかし本書は、サムエルと列王記の続編ではなく、王政樹立から国家崩壊に至るまでのイスラエルの歴史を、異なった観点で記された別個の書巻なのである。ヘブライ語のタイトルは「ディブレー・ハヤーミーム・日々の出来事」であり、サムエル記と列王記の「再記述法」による書巻として、ユダヤの聖典(タナハ)の一番最後に納められている。

「再記述法」とはユダヤの文法にしばしば用いられる特徴的な表現構成である。あることを一通り記述をした後、その中の特に重要な部分を抜き出して再び解説するという手法だ。その代表的な例が創世記二章である。一章で天地創造を一通り記述した後、その中で最も重要な人間の創造について二章で再記述している。また、モーセの律法の重要な部分を、約束の地に入る前にもう一度説明している申命記も再記述で記された書巻である。

サムエル記と列王記は預言者の視点で記された政治的歴史書であり、祭司の視点で記された宗教的歴史書が、歴代誌・ディブレー・ハイ=ヤーミームである。祭司的視点とは、例えば、北王国の歴史はカット、バテシバ事件やダビデの家族の内紛等もカット。人間としての罪の部分に焦点を当てるのではなく、歴代誌の焦点は神殿建築である。全体的な構成としては・・

 上巻1章から9章:アダムからダビデの系図
 上巻10章から29章:ダビデの治世=神殿準備
 下巻1章から9章:ソロモンの治世=神殿建築
 下巻10章から36章:南北分裂後のユダ王国歴史
そして最後は、バビロン捕囚から解放を告げるクロス王の勅令で終わっている。

再記述の目的は、これまで何度も繰り返し語られている「神様を礼拝したものは祝福され、ないがしろにしたものは滅びる」という原則を伝えるため。礼拝することの大切さ、礼拝を失ったがために起こった悲劇、それをイスラエルの歴史を辿りつつ語り、礼拝を中心としてイスラエルの歴史観国家観、存在意義があることを謳いあげて旧約聖書(タナハ)は幕を閉じる。

それと、実に興味深いことに、本書にはイエス・キリストの初臨と再臨に関する貴重な情報が秘められていた。聖書66巻はすべてイエス様を映し出している。一人一人(一巻一巻)のインタビューを通し、よりはっきりと間近にイエス様が見えてくる。一巻として、一語として無駄はない。本書冒頭の9章に及ぶ系図の羅列ですら、祭司の視点では大切な内容であり、神様の視点では更に深い意味があるのだ。天国に行ったらすべてはわかる。が、その前に少しでもイエス様に近付きたい、神様の視点を知りたい、その熱い思いを持つ時、必ず神様が語ってくださることがある。預言者の視点と祭司の視点、それらすべてを包括する神様の視点を歴代誌の中に見つけてみようではないか。すべての答えは聖書にある。(Report by Mu )

    


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9 コメント

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日々の礼拝 (Mimita)
2016-12-18 09:06:02
今までサムエル記、列王記に続いて漫然と読んでいた歴代誌ですが、この書巻が祭司の視点で書かれた書であることを新しく学びました。

神様を礼拝すること(神様との時間を持つこと)の大切さを神様は、私たちにずっと教えてくださっています。

イエス様が誕生され、十字架にかかり、復活されて、私たちの毎日が礼拝の時です。教会で礼拝を献げることも大切ですが、「日々の生活の中での神様との深い交わりも大切にしよう!」とこの年の終わりに改めて思いました
万事が益となる! (Kent)
2016-12-19 07:02:17
色々な苦難や問題にぶつかっている時が、一番自分の信仰を試されている時だと思いました。イスラエルがバビロンの奴隷だった時も、物凄く辛い時だったと思います。もし全能なる神様が私達一人一人を守ってくださっているのなら、何故辛い出来事ばかり起こるのか?と思うことが人生で何度もありました。ですが、神様はそういった中でも私達と共にいてくださると約束してくれています。どんなに苦しい状況の中でも、神を信じる者には全ての苦難や苦しみは万事と益となる。その言葉に立って、神様が与えた下さった人生を神様の栄光の為に頑張りたいと思います!
見落としがちな聖書 (takashi)
2016-12-25 13:54:40
聖書を読む中で
同じような記述が繰り替えされている箇所が
多くあるが、それぞれに意味があると言うことが
よくわかった。
4福音書もそうであり
それぞれの違った目線で書かれている。
それぞれを読むことで
その場の深い状況が分かってくる。

歴代誌についてもいきなりの系図で
今までほとんど読み飛ばしていた個所で
意味を読み取ることができなかったが
深い意味があることを知った。

聖書はほんとに霊によって読まなければ
理解できない書物であることが分かった。
現代の祭司的視点 (Mu)
2016-12-26 22:02:50
これまで「列王記」と「歴代誌」の区別がよく分かからなかったが、この二つの書巻は、再記述法に則って、異なった観点で記された別個の書であり、タナハの最後の書として納められていることを教えられた。

これで聖書の読み方がまた一つクリアになり、新鮮な思いで「歴代誌」と向かい合うことができるようになった。 その異なった観点とは、預言者の視点で記された政治的歴史書がサムエル記と列王記で、その二つの書巻を、祭司の視点で記した宗教的歴史書が歴代誌である。

歴代誌における祭司的視点とは、ダビデの建築準備と、ソロモンの神殿建築に焦点が当てられていることである。それは、新約の聖霊時代を生きる者にとっては、聖霊の宮(神殿)である私たち自身と、万民祭司として持つべき視点とリンクされているように感じた。

であれば、歴代誌を知ることは、神殿で行われる「礼拝」の意味を知ることに繋がる。人は神を礼拝するために創られた。その約束を忘れずに守り続けるよう、神様が最後に「再記述」してくださった大切な書を心新たに受け取って下巻に備えたい。
聖書は立体的に読む! (渡邊由佳)
2017-01-30 06:58:35
歴代誌は、正直殆ど読んだことがない。 最初の系図で躓くからだ。しかし、当然聖書に無駄なんてものはない。大事なことは、二回繰り返すのである。列王記とサムエル記を読み、それから更に歴代誌を読む事で、イスラエルの歴史を立体的に知ることが出来、またそこから私達が備えるべき主の再臨にも繋がって来る。 クリスチャンとして、イエス様が再び来られる時に備えるためにも、聖書を立体的に読むことは大事だと改めて感じさせられた。
偉大な2人の共通点 (奈都)
2017-02-10 14:03:50
イスラエルの国旗は、ダビデの星。

周りの人に聞いても、最高の王様はダビデだと良く言われます。
確かに知恵の王様と呼ばれ、世界一の神殿を建てたソロモンは、異国から側室を大量に迎えて
結局、偶像崇拝を許して仕舞いましたから。

しかし神様は、ダビデが神殿を建てる事は
許されませんでした。
戦いに明け暮れ、人々の血を流した事が
理由だそうです。
でも釈然と、しなかったんじゃないですかね?
なぜならダビデは、神の為に戦って来たつもりだったでしょうから。

同じパターンに、モーセがいますね。
約束の地を目前に、メりパの失敗が原因で入る事が出来なかった。

でも私は、昔からこう考えていたのです。
もしモーセが、約束の地に入りずっと
指導者を続けていたら、モーセが偶像になってしまわないかな?
同じ様にダビデが、神殿まで建てたら
完璧過ぎて、やはりダビデを拝む様になって
ダビデ自体も、高慢になって仕舞わないだろうかと。

神殿を建てさせなかったのも、約束の地に入れなかったのも、神様の愛なのではないかと
思いました。
再記述の法則 (えんぢぇる)
2017-02-27 09:45:07
今日学びで、重要且つ、忘れてはならないのは、『再記述の法則』です。本書は、サムエル期と列王記の「再記述」であること。「一通り記述した後に、その中で特に重要な部分を抜き出して、別の角度から解説する」この方式は、聖書全体を理解する上で、必要不可欠ですので、皆さん、しっかり把握しておいてください。
主のために生きる (伊東考文)
2017-06-21 06:45:02
主を賛美します。
歴代誌上のレポートを簡単ですが、記します。
いつも聖書の時代背景が大切と思って来ました。十分に調べて読む事が無かったので、田中先生の講解はいつも恵まれます。

そにしても、当たり前の事ですが、旧約はへブル民族の事が主役であるとつくづく思わせられました。新約もそおなのですね。へブル民族がキリスト・イエス様に立ち返るまで、(神様とイスラエルの和解)ですから。

ここからも、彼らがいなければこの世界は成り立たないことが良く分かりました。ユダヤ民族のために祈らなければと思いました。

歴代上はサムエル記の省略。再記述の法則。サムエル記は預言者の視点から歴代誌は祭司の視点から書かれたもの。歴代誌は神殿建設に付き、神様がどの様に働かれたかが書かれている。

そして、マリヤとエリザベツのこと。ザカリヤの事。再臨は仮庵の時。(そおだと思います。)私達キリスト者もまた仮庵の時なのですね。そして、黙示21:3なのですね。

主が私達と共にいて下さる。間断なく。私達を宮としてくださっている事に感謝します。考えられない恵みです。神が共に歩んで下さる、歴史なのですね。それ故、第一テサロニケ5:16~18だと思います。

田中先生のお祈りのお陰で、主のために生きれるようになってきました。(主は何かをしてもらう必要はありませんが、このようにしか表現ができません。)まだの所、多いとは思います。

田中先生の労に感謝します。次の歴代誌下をお送りくださいませ。
日々徒然 (えんぢぇる)
2017-06-21 09:41:33
ロサンゼルスに住んでいた時のことですが、知り合いからこんな連絡が届きました。「那須に家を買いました。私の終の住処です」と。その方は、ビジネスで成功され、これからはご主人と一緒に那須でゆっくりと過ごしたいと言っておられました。

ところが、それから間もなく彼女は癌と診断され、三ヶ月もしない間に、他界されてしまいした。その時、私が思ったのは「悲しい、残念」以上に、「空しい」でした。キリストが仮庵でお産れになられた様に、私達の人生もまた、仮庵なのです。クリスチャンにとってこの人生観は(厭世的な意味ではなく)必要です。

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