Good News Report

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「I コリント」30分de一巻 Vol.46

2017年12月08日 | Good News
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(10:13)

新約聖書が書かれたのは、AD50〜90年の約40年間、使徒の記録は30年間程の出来事なので、新約聖書における配列順の意味は、書かれた時代順ではなく、書かれた背景にある。コリント書が書かれたのは、ローマ書よりも前だが、その配列の意味は、ウチの教会がいつも言っている御言葉を理解する際に必要な、観察、解釈、適応の原則にある。福音書と使徒は福音ムーブメントの客観的事実に関する観察、ローマ書はその事実に対する正しい解釈、コリント書はその解釈の具体的な適応なのである。(メッセージより抜粋)



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十字架に全ての解決がある (Mimita)
2017-12-09 09:47:41
ローマ信徒への手紙が、「福音の総合理解の書」なら、コリント信徒への手紙は、「福音をどのように生活に適応するかの実践書」であると、今日のメッセージで教えていただきました。

今日も、コリント信徒への手紙が書かれた背景を見て行くと、コリントの街は、豊穣の神、アフロディーナと言う偶像を奉っていた大都市でした。豊穣=セックス崇拝でもあり、乱れた価値観が街全体を覆っていたため、コリント教会もその影響を受けていました。

コリント教会は、ローマ教会と違い、パウロさんが自ら宣教に赴き、育てた教会だったため、ことあるごとに、パウロさんはコリント教会に心を砕き、長い期間滞在し、行くことができない時は、手紙を書いて、教え、諭していました。

コリント信徒への手紙Ⅰも、章毎に多岐にわたる事柄について書き記しています。その根幹にあたるテーマは、「十字架に全ての解決がある」と言うことです。パウロさんのコリント教会に対する愛が溢れているこの書簡は、13章に記されているように正に「愛の書簡」であると言えます。

私たちは神様に愛されています。その愛をまだ、神様を知らない人に愛を持って伝えて行く、これこそが、「受けるより与える方が幸いである」と言う御言葉につながり、神の国が広がりの適応です。

今週一週間も、神様の愛の御言葉を実践していきましょう
愛の証し人 (Kent)
2017-12-10 11:00:48
メッセージの最初は、僕の大好きな戦国時代の話から始まりました。日本の戦国時代の話しは非常に面白くて有名ですが、実は、色んな意味で曖昧な点が沢山あり、それが創作なのか、事実なのか、よく分からない点が沢山あります。聖書の真実は長い年月が経っても変わる事がない、本当に素晴らしい書物だと思いました。

今回のメッセージで、コリント書はローマ書よりも前に書かれた手紙である事を知りました。コリント書には、愛の章や賜物と章など、教会に必要な事が多く書かれてます。でも当時、コリントはあんまり良い教会ではありませんでした。沢山の偶像、性的堕落、教会でも不正が多く行われてた時代でした。

でも、それは現代の教会でも基本的に同じだと思います。同じクリスチャンでも、様々な価値観、考え方はそれぞれですが、もし、福音から離れてしまえば、そこはもう教会ではありません。パウロの時代の教会は、今みたいな街の中に建っている教会ではなく、家の教会でした。初代教会は迫害の中で、信仰を守り続けている家の教会の集合体だったのです。

パウロはコリントの教会に沢山の事を語りました、その中で一番有名なメッセージは、愛の章(13章)だと思います。そこにはいくら知恵があっても、いくら福音を語っても、そこに愛がなければ何にもならない!と書かれてます。僕は愛について聖書で学んだつもりでしたが、まだ全然分かっていないと思いました。これから人生を生きてく故に、大切な人との関係、家族関係、仕事関係、全てにおいて神様の愛を表す事が出来る者として歩んで行きたいと思いました!
十字架仰ぎ見る (Mu)
2017-12-11 16:26:06
信仰を持ってからずっと繰り返して教えられ続けている事がいくつかある。そのひとつが聖書の読み方(御言葉の聞き方)である『観察・解釈・適応の原則』だ。先週、ロマ書は福音を正しく「解釈」するために最初に置かれたと教えられて感動したものの、その続きに「適応」が置かれている事を考えていなかった!! と言う訳で、今週もまた感動!

福音書と使徒は福音ムーブメントの客観的事実に関する観察、ロマ書はその事実に対する正しい解釈、そして続くコリント書はその解釈の具体的な適応。そこで、「 時を考えろ」と教えられた。新約は、時代背景が何千年に亘る旧約とは違う。約40年間ほどの記述である新約聖書の配列の意味に必要なことは、書かれた時代順ではなく、書かれた背景を知ること!「コリントの教会は、パウロにとって悩まされ続けた教会。しかし、彼はその教会を生涯愛し続けた。そのパウロの心情に焦点を当てなければ、コリント書は分からない」と言われた。

それは同時に、今回の結論でもある神様の心情に焦点を当てること。つまり、“十字架仰ぎ見る”。 コリント教会が抱え、福音的適応がテーマの各種問題は、今の私たちクリスチャンの群れにもある。党派争い、性的不品行、社会的訴訟、結婚関係、偶像、教会内での秩序、霊的賜物の取り扱い方・・。それら全ての解決は十字架しかない。人間の持つすべての問題解決はイエス様の元にしかないのだ。

聖書は神様の霊感によって書かれた書で、人間の歴史文献とは訳が違って完璧だ。時を超越して今尚、私たちにメッセージを発し続けてくれる、神様の御言葉だ。御言葉を聞き、十字架を見る。そこに見る進べき道を歩む。イエス様と共に。 もう一つ、心に響いたことは、ローマの教会もコリントの教会も、すべて家の教会だった。言うなれば、現代における教会の形態が特殊であるということ。家の教会こそがオリジナルであることに、神様の励ましを受けました。感謝!
人生の鍵 (Ako)
2017-12-14 08:33:34
世の中においても学ぶことは、聖書を学ぶことと同じく歴史事実を知り、そこに隠された真実を知ることが大切である、とメッセージの冒頭。確かに、世間で起きている事故や事件、目の前に置かれている問題に対して、自分の主観を入れて何度議論しても問題の解決はなく、はたから見れば愚かな者、暇人とも思われてしまうでしょう。

コリント人への手紙といえば、素晴らしい聖句が沢山!私はどれほどこれらの聖句によって励まされてきたことかしれません。しかし、実際は、パウロが立てた教会の中でこれほど悩んだ教会はなかった!というコリント教会、訪問を重ね、手紙を書き綴った教会でした。

そのパウロの手紙は、事実と真実を持って一人一人をイエス様の十字架へと立ち返らせるメッセージ。そのメッセージで、私たちに起きた歴史的事実、十字架のイエス様のなされた業が私たちに何をもたらしたのか、神様の真実(奥義)を知る、愛を知る、大切な問題解決となるキーを知るものでした。

クリスチャンであっても、生きていれば苦難もあれば、問題も起きます。そこで私たちがどう生きていくのか?御国をこの地に望む私たちは、権威ある創造主を礼拝し続けることだけ。そうすれば、人を必要以上に裁いたり、噂話が盛り上がることもなくなるかな、と思いました。

感謝!
誘惑対処法 (Yuka)
2018-01-08 21:02:30
今まで、Ⅰコリントのイメージはと言うと、結婚式とか愛とかが強かった。まさか、そういったメッセージの背景に性的な問題があるとは思わなかった。コリント教会に起こっていた問題は、現代の教会でも問題になっている事だ。そして、私達人間にとってもいつも付きまとってくる問題でもある。

そのような問題に自分が直面した時に、どうすれば良いのだろうか?と、常に悩んで来たのだが、自分でごちゃごちゃ考えるよりも、直ぐに十字架に立ち返ると言う事が一番手っ取り早いというのは、とても納得できた。

神様は愛するイエス様を十字架上で犠牲にしてまで、人間に対する愛を示してくださった。その事を思い起こせば、罪の誘惑からも逃れられるのではないだろうか?悪魔の支配下にあるこの世には、実に多くの誘惑があるが、その度に十字架を見上げて、イエス様の愛に立ち返って行こうと思った。
愛がなければ全ては無駄 (Andrew)
2019-12-11 21:19:12
ハレルヤ!
色んなことがあり、学ばされています。主は越えさせてくださいました。今、主は私に愛があるかと問うています。

コリントという問題の多い町のため、そこへのパウロのメッセージは、私にとっては宝の山です。特に前半の事は、イエズス会の活動の事に関係があると思います。その広告塔であるローマ法王(ローマ帝国が形を変えたもの。キリスト信仰を利用した者達)が先日来日して帰りました。これは何かよからぬことの完成かな..と思っています。彼らが獣(反キリスト)に殺された後、獣が立つと見ていますが、聖書的に正しいのでしょうか。

キリスト教が禁教とされ、彼らが去った後、まるで潮が引いた後の様にそこに残ったものは、キリスト・イエスであったと。その様に見えています。その後に、本気で信じた者達への虐殺があったのだと。

堺などは、まるでコリントスの様だったのですね。一つの新しい文化も生まれてきた時代ですね。良いものと悪い物が混在した時代。茶の湯(キリスト教の影響を受けているようですね)、能、華道、武道などが花開いた時代。人が生き生きしていた時代。時間が取れれば調べてみたい時代です。

さて、その様な堺的コリントでのパウロの働きは紛れもなく私達への言葉ですね。イエスの十字架の田中先生のメッセージを聞いていて、全ての聖書の事は、これに尽きると思いました。これ以外にはないですね。
愛への理解が大切な事ですね。神の愛を思い浮かべ、あまりにも広く高くあるので、想像もつかない事と思い諦めていたものは、身近な所から始めて思い味わうことが、分かる秘訣と思わされています。

かって、仏教哲学にはまっていた私は、慈悲心が生まれる直前の「悲」にこだわり人に有る物と捉えていました。しかし、これはどこまでも人間の「悲」で神の愛ではないことが分かりました。(同じものではない。よって、人には愛はない)神の愛を求めます。

「愛は結びの帯として完全だ」「…その上に愛をつけなさい」と、パウロを通して語られた御言葉を思い出しています。十字架の愛が無ければ、全ては無駄であると思わされています。どんな賜物も。。

このでたらめな世界において「鳩の様に素直に、ヘビの様に賢く」生きていきたいと思っています。このキリスト・イエスに全ての良きものがあり私達の力と希望ですね。万人がイエスに様に早く気付きますように。ハレルヤ!!

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