ゴスペル(アフリカン・アメリカンたちの賛美歌)が聞きたい!
でも・・・ 観光客向けのショウみたいなのは嫌だわ~(わがまま)
なので、ローカルの友だちに、異教徒(私)がいっても怒られない(かも知れない)教会を教えてもらいました。
日曜日の朝早く家族Bと出かけました。
「最近はハーレムも大分治安が良くなった」と聞きますが、ハーレム付近に差し掛かると地下鉄の中はがらがらで、乗っているのはアフリカン・アメリカンばかり。
少々不安になりつつ降り立った駅付近も、ほとんど人影なし。
人がいないほうが怖いの。
地図を見つつ、この辺のはず、とうろうろしますが、十字架を目当てに捜しても教会らしき建物は見つからず・・・
ホームレスみたいにペイパーバックをたくさん持ってこっちをじろじろ見ている人やら、道の端にたむろってる体の大きな男性たちがいるんだけど、こちとらがちがちになってるから、道が聞きたくても、この人たちに声をかけられない。
音楽に合わせているのか、グループでなんだか小刻みに揺れていたりして、きちんとした知識がないわたくしたちには「この揺れ」が意味もなく怖いのであります。
地図ではここのはず、と思われるドアをこわごわ開けて入ってみると、中はボロボロ・・・・
・・・つか、ここは物置ですか?という感じの荒れ果てた雰囲気。
この時点で完璧に逃げ腰になったjesterでございますが、中にもう一つあった扉を、ありったけの勇気を振り絞って開けてみると・・・・
なかは立派な教会のホールで、200人近くの正装したアフリカン・アメリカンたちが集まっていて、
「お邪魔にならないようにしますから混ぜてください・・・」とおずおず入っていくと、満面の笑顔で迎えてもらい、後ろのほうの席に着くと、しばらくしてミサが始まりました。
(ホール内の写真は遠慮させていただきました)
激しいビートにのり、神の愛をシャウトする人々。
プロなのか、アマなのか、地面を揺るがすような素晴らしい歌声で、信仰心のない私たちの心にも響いてくる歌声でした。
席についている人たちも乗ってくると立ち上がって踊りだし、私たちにも
「ご一緒に!」という感じで視線で誘ってくださって、私たちも立ち上がって手拍子を取りつつ音楽に身を任せる。
1時間ほどのゴスペルが終わると、牧師さんが出てきて聖書を広げ、
「イライジャとキングの話」を始め、(すみません、聖書の知識がないのでよくわかりませんが、旧約聖書の預言者エリヤ(Elijah)の話だったと思います)
「今、目の前に見えるものに惑わされて、あなたが本当に見るべき、その先にあるものが見えなくなっていないか?」
「行動と人生を変えたいとおもうなら、まず言葉を変えること」
「たった今、あなたが自分を愛せなくても、神はあなたの事を愛している。
なぜならあなたは今ここに存在しているから。
そのことを信じ、感謝することから始めよう」
などなど、普遍で前向きな言葉をたくさん、それは判りやすく、心をこめて力強く話して下さいました。
そして「さあ、隣人を愛そう!」の言葉とともに、周りの人たちと熱いHUG!!
遠くの席に座る人たちも、キリスト教徒でもなく肌の色も違う私たちのところに押し寄せてきて、ぎゅう~と抱きしめてくれる。
多分、よそ者だからこそ、もっと愛をこめて抱きしめてもらった、と思います。
ヨーロッパなどの美しい教会に行くたびに、
「あ~なんていい雰囲気なんだろう。キリスト教に入信してしまおうかしら」なんて思ったりする、ミーハーなわたくしですが、聖書を読むと、どうも「なんかちがうな」と思ってしまうのです。
でもこの日のお説教は心にしみました。
こうして文字にしてしまうとありがちな感じで輝きが半減してしまいますが、あの念のこもった訴えかけるような声で、あの教会に立ち込める「強い祈りの気」のなかで聞くと、一生心の中に宝物として取っておき時々取り出して眺めたい、宝石のような言葉たちでした。
毎週、安息の日に、知ってる人も知らない人もこうして集まって、言葉の大切さや、愛とか信じることの大切さについて、たくさんの人と共感し合い、確認し合い、感謝し合い、抱き合う習慣があるなんて、なんてうらやましいことでしょう。
葬式の時、見知らぬお坊さんに、法名をいただき、よくわからないお経を2~30分ほど上げてもらい、時給にしては馬鹿高い、ほとんどjesterの月給なみのお金を払って、初七日、49日、と同じ事をし続けて・・・
うつむきながら、麻痺した心の中では「ああ、坊主丸儲け。ああ、早く終わらないか・・・」と考えていた自分。
そんな儀式のための宗教ではなく、自分の心の栄養になるような宗教をいまだに見つけられないでいる自分の貧しさが哀れであります。
若き日より「宗教は精神の麻薬である」という言葉を信じて、宗教を否定してきた自分ですが、年を重ねて、人の死に向き合っていくうちに、昔の人の知恵として自分にあった宗教があれば、受け入れてもいいかもしれない、なんて思いがつのります。
年とって気弱になった・・・のかな?
さて、終わってから外にでて道を渡って建物の全体像をみると、ちょうど射してきた朝日に照り映えて、どうして、なかなか立派な教会じゃございませんか!
良く見ればちゃんと壁画風に十字架もついているのです。屋上にだってちゃんとあるし。(真下からはよく見えなかった)
工事中だから、入り口やら入ったところが汚かっただけで、地元の人たちに愛された素敵な教会だったのですね。♪
(感謝の意をこめて、jesterもささやかながら寄付もしてまいりました。
もしこれを読んで、NYにいったらゴスペルを聞きにいかれたいと思った方がいらしたら、正装していくこと、ゴスペルだけ聞いて途中でさっさと席を立ったり、やたらと写真をとりまくったりしないこと、わずかながらでも寄付することが礼儀だそうです。
・・・ま、当然のことですが。)
でも・・・ 観光客向けのショウみたいなのは嫌だわ~(わがまま)
なので、ローカルの友だちに、異教徒(私)がいっても怒られない(かも知れない)教会を教えてもらいました。
日曜日の朝早く家族Bと出かけました。
「最近はハーレムも大分治安が良くなった」と聞きますが、ハーレム付近に差し掛かると地下鉄の中はがらがらで、乗っているのはアフリカン・アメリカンばかり。
少々不安になりつつ降り立った駅付近も、ほとんど人影なし。
人がいないほうが怖いの。
地図を見つつ、この辺のはず、とうろうろしますが、十字架を目当てに捜しても教会らしき建物は見つからず・・・
ホームレスみたいにペイパーバックをたくさん持ってこっちをじろじろ見ている人やら、道の端にたむろってる体の大きな男性たちがいるんだけど、こちとらがちがちになってるから、道が聞きたくても、この人たちに声をかけられない。
音楽に合わせているのか、グループでなんだか小刻みに揺れていたりして、きちんとした知識がないわたくしたちには「この揺れ」が意味もなく怖いのであります。
地図ではここのはず、と思われるドアをこわごわ開けて入ってみると、中はボロボロ・・・・
・・・つか、ここは物置ですか?という感じの荒れ果てた雰囲気。
この時点で完璧に逃げ腰になったjesterでございますが、中にもう一つあった扉を、ありったけの勇気を振り絞って開けてみると・・・・
なかは立派な教会のホールで、200人近くの正装したアフリカン・アメリカンたちが集まっていて、
「お邪魔にならないようにしますから混ぜてください・・・」とおずおず入っていくと、満面の笑顔で迎えてもらい、後ろのほうの席に着くと、しばらくしてミサが始まりました。
(ホール内の写真は遠慮させていただきました)
激しいビートにのり、神の愛をシャウトする人々。
プロなのか、アマなのか、地面を揺るがすような素晴らしい歌声で、信仰心のない私たちの心にも響いてくる歌声でした。
席についている人たちも乗ってくると立ち上がって踊りだし、私たちにも
「ご一緒に!」という感じで視線で誘ってくださって、私たちも立ち上がって手拍子を取りつつ音楽に身を任せる。
1時間ほどのゴスペルが終わると、牧師さんが出てきて聖書を広げ、
「イライジャとキングの話」を始め、(すみません、聖書の知識がないのでよくわかりませんが、旧約聖書の預言者エリヤ(Elijah)の話だったと思います)
「今、目の前に見えるものに惑わされて、あなたが本当に見るべき、その先にあるものが見えなくなっていないか?」
「行動と人生を変えたいとおもうなら、まず言葉を変えること」
「たった今、あなたが自分を愛せなくても、神はあなたの事を愛している。
なぜならあなたは今ここに存在しているから。
そのことを信じ、感謝することから始めよう」
などなど、普遍で前向きな言葉をたくさん、それは判りやすく、心をこめて力強く話して下さいました。
そして「さあ、隣人を愛そう!」の言葉とともに、周りの人たちと熱いHUG!!
遠くの席に座る人たちも、キリスト教徒でもなく肌の色も違う私たちのところに押し寄せてきて、ぎゅう~と抱きしめてくれる。
多分、よそ者だからこそ、もっと愛をこめて抱きしめてもらった、と思います。
ヨーロッパなどの美しい教会に行くたびに、
「あ~なんていい雰囲気なんだろう。キリスト教に入信してしまおうかしら」なんて思ったりする、ミーハーなわたくしですが、聖書を読むと、どうも「なんかちがうな」と思ってしまうのです。
でもこの日のお説教は心にしみました。
こうして文字にしてしまうとありがちな感じで輝きが半減してしまいますが、あの念のこもった訴えかけるような声で、あの教会に立ち込める「強い祈りの気」のなかで聞くと、一生心の中に宝物として取っておき時々取り出して眺めたい、宝石のような言葉たちでした。
毎週、安息の日に、知ってる人も知らない人もこうして集まって、言葉の大切さや、愛とか信じることの大切さについて、たくさんの人と共感し合い、確認し合い、感謝し合い、抱き合う習慣があるなんて、なんてうらやましいことでしょう。
葬式の時、見知らぬお坊さんに、法名をいただき、よくわからないお経を2~30分ほど上げてもらい、時給にしては馬鹿高い、ほとんどjesterの月給なみのお金を払って、初七日、49日、と同じ事をし続けて・・・
うつむきながら、麻痺した心の中では「ああ、坊主丸儲け。ああ、早く終わらないか・・・」と考えていた自分。
そんな儀式のための宗教ではなく、自分の心の栄養になるような宗教をいまだに見つけられないでいる自分の貧しさが哀れであります。
若き日より「宗教は精神の麻薬である」という言葉を信じて、宗教を否定してきた自分ですが、年を重ねて、人の死に向き合っていくうちに、昔の人の知恵として自分にあった宗教があれば、受け入れてもいいかもしれない、なんて思いがつのります。
年とって気弱になった・・・のかな?
さて、終わってから外にでて道を渡って建物の全体像をみると、ちょうど射してきた朝日に照り映えて、どうして、なかなか立派な教会じゃございませんか!
良く見ればちゃんと壁画風に十字架もついているのです。屋上にだってちゃんとあるし。(真下からはよく見えなかった)
工事中だから、入り口やら入ったところが汚かっただけで、地元の人たちに愛された素敵な教会だったのですね。♪
(感謝の意をこめて、jesterもささやかながら寄付もしてまいりました。
もしこれを読んで、NYにいったらゴスペルを聞きにいかれたいと思った方がいらしたら、正装していくこと、ゴスペルだけ聞いて途中でさっさと席を立ったり、やたらと写真をとりまくったりしないこと、わずかながらでも寄付することが礼儀だそうです。
・・・ま、当然のことですが。)
お久しぶりです!
ものすごくご無沙汰してしまって・・もうお忘れかも?と思いましたが、「NY」に惹かれて思わず・・性懲りも無く・・お邪魔してしまいました~
実は私も11月初旬にNYに遊びに行ってきたのです!!(たった二日と数時間ですが) 以来、まだ興奮が続いているもので・・いやあ~楽しかったです。 お陰さまで時差ボケには強かったみたいですが、やはり13時間のフライトは老体にはキツイですね(笑;)
ハーレムは現地旅行社のミニバンでくるくる回って頂きましたが、出来れば本当に「ゴスペル」体験したかったですー!! 実際に教会内で生の歌声と説教を聞いたらどんなに無信心の私でもきっと心揺さぶられたかもしれません~
jesterさんのNYリポートこれからも楽しみにしています。 たまにちょくちょくお邪魔させて貰っていいですか?(私のブログは放棄状態ですが(殴))
NYは、学生時代にすごく憧れて、卒業旅行、OL時代と2度行ってますけど、この年になるとあの緊張感とか何となく怖いとか、敬遠してて行きたい外国リストから外れちゃってました。
ゴスペルはすごく興味があるけど、ハーレムなんてとてもとても・・・
jesterさん、すごいわ!
しかも街の写真まで!街での写真は撮ってても大丈夫でした?
昔のイメージしかない私は、やはりテレビで見てるのが関の山です・・・。
牧師さんのお話、良いですね
日ごろ自分が忘れてしまってるようなズンと心に響くお話ですね。
私は中学から大学まで10年間もカトリックの学校にいたくせに全く心を揺さぶられずに終わってしまった・・・。
実家の神道も教えとかはよくわかってないし、親戚のおじちゃん、おばちゃんのお葬式のお坊さんのお話もただひたすら時間が過ぎるのを耐えて待つ・・・・。
でも、そろそろこの年になって、自分自身がきちんと向き合って聞いたら、少しはわかるお話もあるのかな、なんて思いました。
今年もよろしくです!
更なるNYレポ、楽しみにしてます
10年間プロテスタント系の学校にいたくせに(←みのんたんの真似じゃ)心を揺さぶられるどころか反発心を心根に植え付けてしまった私・・・
でも、最近は「宗教」というより、もっと素朴な神々への感謝の気持ちの「信仰」「祈り」には心が開きつつあるのを感じます。年のせいか??
jesterさんの文章を読んでいると、心が晴れ晴れするような清々しい気持ちになります。
今年も楽しみにしています。NYレポの続きよろしくです。
ごぶさたしております。
いつぞやは拙宅にコメントいただき、ありがとうございました
なんかjesterさん、充実した日々を送っておりますなあ。羨ましい限りです。
ワタシなんてさ~~~仕事仕事仕事で潤いなんて皆無だもんね~~~。
何はともあれ、乾ききった(涙)dim子を本年もよろしくお願いいたします。
>お久しぶりです!
ものすごくご無沙汰してしまって・・
こちらこそご無沙汰しておりまする~~
>もうお忘れかも?と思いましたが、「NY」に惹かれて思わず・・性懲りも無く・・お邪魔してしまいました~
エマさんを忘れるわけないです!
ご訪問ありがとうございます!
>実は私も11月初旬にNYに遊びに行ってきたのです!!(たった二日と数時間ですが)
おお! 一番いい季節ですね♪
まだセントラルパークでごろごろ出来たのでは?
わたしもセントラルパークで昼寝したかったのですが、凍え死にます・・・・
しかしそれでもめげずに、ダウンを着てふらふらと歩きまわりましたけれど・・・・
>お陰さまで時差ボケには強かったみたいですが、やはり13時間のフライトは老体にはキツイですね(笑;)
わ~~ さすがですね~~
私はフライトより時差ぼけのほうが辛かったです。
特に帰国してからが・・・・
>実際に教会内で生の歌声と説教を聞いたらどんなに無信心の私でもきっと心揺さぶられたかもしれません~
わたくしのようなものがいうのは熱心なクリスチャンの方には申し訳ないのですが、「祈りたい」という気持ちにはちゃんとなったのでした。
>jesterさんのNYリポートこれからも楽しみにしています。 たまにちょくちょくお邪魔させて貰っていいですか?(私のブログは放棄状態ですが(殴))
ありがとうございます!
なんかコメントをいただいて、自転車操業を続けてるブログなので、ご訪問いただいて、とってもうれしいです♪
ぜひまたいらしてくださいね。
(つか、更新しなくては!ね、自分!!!)
>この年になるとあの緊張感とか何となく怖いとか、敬遠してて行きたい外国リストから外れちゃってました。
そうなんす。
わたくしも、南の島かなんかでぼんやりしたかったのですが・・・ なぜだか気がついたらNYにいっておりました・・・
>ゴスペルはすごく興味があるけど、ハーレムなんてとてもとても・・・
しかも街の写真まで!街での写真は撮ってても大丈夫でした?
最近は大分治安が良くなったようです。
しかも行ったのは朝でしたしね。
カメラは人間には向けられませんでしたね。やはり。
>牧師さんのお話、良いですね
日ごろ自分が忘れてしまってるようなズンと心に響くお話ですね。
なんか、かなり感動してしまいました。しかもほんとに話術巧みで、判りやすくて、さすがでしたわ。
>実家の神道も教えとかはよくわかってないし、親戚のおじちゃん、おばちゃんのお葬式のお坊さんのお話もただひたすら時間が過ぎるのを耐えて待つ・・・・。
ほんとにあれはなんなんでしょう。
もう2度とやりたくないです・・・・
>でも、そろそろこの年になって、自分自身がきちんと向き合って聞いたら、少しはわかるお話もあるのかな、なんて思いました。
「引き寄せの法則」なんか読んだりしてますけど、今回聞いた話は、かなりそれに近くて、感じ入ってしまいました。
こちらこそ今年もよろしくです!
>10年間プロテスタント系の学校にいたくせに(←みのんたんの真似じゃ)心を揺さぶられるどころか反発心を心根に植え付けてしまった私・・・
わははは!
反発心というのが、私がお経を聞きつつ「宗教法人は税金がかからない」とか考えてるのと同じ??
>でも、最近は「宗教」というより、もっと素朴な神々への感謝の気持ちの「信仰」「祈り」には心が開きつつあるのを感じます。年のせいか??
「信仰」「祈り」そして「感謝」
本当ですね~
そういう感じで心に沿うような宗教ってないのかしら?
私の場合、こういうことを考えるのは、心が弱ってるからなのかもしれない気もしますが・・・・
>jesterさんの文章を読んでいると、心が晴れ晴れするような清々しい気持ちになります。
今年も楽しみにしています。NYレポの続きよろしくです。
きゃああああ・・・バタリ(嬉しくて倒れた)
過分なお言葉、ありがとうございます。
そういえば、勘三郎さん、体調不良で劇の舞台、降板なさいましたね。
心配です・・・・
彼がキャンセルなんてよっぽどの事?
こんなにご無沙汰してるのに、ご訪問、うれしいですだ!
>いつぞやは拙宅にコメントいただき、ありがとうございました
そうそう、でも何回かお邪魔してもお返事がなかったので、もうブログをおやめになったのかなと思っておりました・・・
ほんとに嬉しいです♪
>なんかjesterさん、充実した日々を送っておりますなあ。羨ましい限りです。
そうでもないんですよ・・・
去年はほんとにいろいろあって充実というより疲労困憊でしたの。
涙でぐじょぐじょジトジトという点では潤ってましたけどね。カビがはえそうですわ。
>何はともあれ、乾ききった(涙)dim子を本年もよろしくお願いいたします。
こちらこそ、よろしくお願いします!