前を見ても・・・
後ろを見ても・・・
わけいっても
わけいっても
延々と続く桜並木なのは、青山霊園を西麻布から外苑前まで貫く通り。
ああ、美しや。
おしゃべりなアン・シャーリーじゃなくても、この花のトンネルの下を馬車で走ったら「まあ、クスバートさん!まあ、クスバートさん!」といったっきり、無口になってしまうだろうな。←意味不明ですかね?
いつか、満開の桜の下、この通りをオープンカーでゆっくり走ってみたい、野望。
(馬車とか、わがまま言いません・・・)
青山霊園は、墓地なのにお花見客が多くて、「○○通り、○○番地のお墓の前の席」というと、ブルーシートをひいた宴会に宅配ピザがとれるそうです。
あいにく日曜日は天使が堕ちてきそうに低い曇り空でしたが、最後のお花見週末とおもって、早朝にダウンを着て散歩しました。
散っていくソメイヨシノと、今まさに満開になるほかの種類の桜とが見事に入り乱れて、湿気を含んだ冷たい大気は『桜餅の匂い』でいっぱい。
もう散り始めた桜は、歩道を薄桃色に染め、一斉に風に舞ってきれいです。
雪のように散りしきる桜を見ていて、以前読んだ
永遠の0 (講談社文庫)
を思い出しました。
墓地から連想する『死』のイメージと降りしきる桜吹雪で、
「お前と俺とは 同期の桜・・・ 中略
咲いた花なら散るのは覚悟
みごと散りましょ 国のため」
なんて歌が浮かんだからかも。
ああ嫌だ。この歌大嫌いなのに。
いわゆる『戦争もの』の小説は最近ほとんど読むチョイスにない私ですが、
『その存在を知らなかった本当の祖父が特攻隊だったということを知った現代の若者が、その祖父の姿を探究する』
というテーマに惹かれて読んでみました。
911の時、あの恐ろしいテロリズムを、多くのアメリカのマスコミが「Kamikaze Attack」と書きたてました。
国を守るため、信仰を守るため、自死を覚悟で飛行機で敵に体当たりする姿が重なったのでしょう。
日本人の私としては、こういう記事を読んでつらかった。自分の知人も911で亡くなったので、なおさらでした。
911のテロと零戦の特攻隊は、精神構造的に同じなのか。
終戦近くになって、無駄死にとわかっていながら特攻を命じられ、断れずに死んでいった若者は、優秀で戦後の日本復興のために兵役が免除されていたはずの理工系の旧制大学・旧制専門学校の学生が中心だったそうです。
ろくな飛行機ももう残っておらず、帰りの燃料を積むことを許されず、脆弱な機体では本懐を遂げて敵を攻撃することすら叶わずゲームの標的のように撃ち落とされ、中には敵地に着く前に海に落ちてしまった機も多くあったそうです。
「国にいる家族を守る」という建前のもとに貴重な命を無駄に散らしていった若者たち。
その心中やいかに無念だったかと忍ばれます。
死んでいった祖父やその友達たちと同じ年代で「ニート」の主人公・健太郎は、自分と同じぐらいの若い学生たちがどんな気持ちで飛び立っていったのか、またそんな中で
「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」
と言って、天才的な飛行士だったにもかかわらず臆病者とそしられた、母もあったことのない祖父が、なぜ終戦直前に特攻していったのかという真実に迫るため、もうほとんど生き残っていない関係者を探して、話を聞いて歩きます。
関係者へのインタビューの中で次第に明らかになる謎。
まさに戦争の狂気です。
そして、最後に謎が解けたとき、泣かそうという著者の意図が丸見えであるにもかかわらず・・・、ちょっと泣けました。
今、中国や韓国と日本の関係が悪化し、簡単に「相手を叩け」的な発言が聞かれるようになってきました。
戦後60年以上たって、戦争を経験した世代がいなくなり、その悲惨さを伝える人が少なくなって、また歴史を繰り返すようなバカなことがあってはなりません。
そのためにも、こういった「戦争の真実」を描いた小説がたくさんの人に読まれるといいなと思いました。
戦争は、万が一どうしても回避できないのなら、喧嘩が大好きな一部の人たちが、どこか離れ小島に行って、その人たちだけでやってくれればいいです・・・・。
ホントに・・・・
後ろを見ても・・・
わけいっても
わけいっても
延々と続く桜並木なのは、青山霊園を西麻布から外苑前まで貫く通り。
ああ、美しや。
おしゃべりなアン・シャーリーじゃなくても、この花のトンネルの下を馬車で走ったら「まあ、クスバートさん!まあ、クスバートさん!」といったっきり、無口になってしまうだろうな。←意味不明ですかね?
いつか、満開の桜の下、この通りをオープンカーでゆっくり走ってみたい、野望。
(馬車とか、わがまま言いません・・・)
青山霊園は、墓地なのにお花見客が多くて、「○○通り、○○番地のお墓の前の席」というと、ブルーシートをひいた宴会に宅配ピザがとれるそうです。
あいにく日曜日は天使が堕ちてきそうに低い曇り空でしたが、最後のお花見週末とおもって、早朝にダウンを着て散歩しました。
散っていくソメイヨシノと、今まさに満開になるほかの種類の桜とが見事に入り乱れて、湿気を含んだ冷たい大気は『桜餅の匂い』でいっぱい。
もう散り始めた桜は、歩道を薄桃色に染め、一斉に風に舞ってきれいです。
雪のように散りしきる桜を見ていて、以前読んだ
永遠の0 (講談社文庫)
を思い出しました。
墓地から連想する『死』のイメージと降りしきる桜吹雪で、
「お前と俺とは 同期の桜・・・ 中略
咲いた花なら散るのは覚悟
みごと散りましょ 国のため」
なんて歌が浮かんだからかも。
ああ嫌だ。この歌大嫌いなのに。
いわゆる『戦争もの』の小説は最近ほとんど読むチョイスにない私ですが、
『その存在を知らなかった本当の祖父が特攻隊だったということを知った現代の若者が、その祖父の姿を探究する』
というテーマに惹かれて読んでみました。
911の時、あの恐ろしいテロリズムを、多くのアメリカのマスコミが「Kamikaze Attack」と書きたてました。
国を守るため、信仰を守るため、自死を覚悟で飛行機で敵に体当たりする姿が重なったのでしょう。
日本人の私としては、こういう記事を読んでつらかった。自分の知人も911で亡くなったので、なおさらでした。
911のテロと零戦の特攻隊は、精神構造的に同じなのか。
終戦近くになって、無駄死にとわかっていながら特攻を命じられ、断れずに死んでいった若者は、優秀で戦後の日本復興のために兵役が免除されていたはずの理工系の旧制大学・旧制専門学校の学生が中心だったそうです。
ろくな飛行機ももう残っておらず、帰りの燃料を積むことを許されず、脆弱な機体では本懐を遂げて敵を攻撃することすら叶わずゲームの標的のように撃ち落とされ、中には敵地に着く前に海に落ちてしまった機も多くあったそうです。
「国にいる家族を守る」という建前のもとに貴重な命を無駄に散らしていった若者たち。
その心中やいかに無念だったかと忍ばれます。
死んでいった祖父やその友達たちと同じ年代で「ニート」の主人公・健太郎は、自分と同じぐらいの若い学生たちがどんな気持ちで飛び立っていったのか、またそんな中で
「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」
と言って、天才的な飛行士だったにもかかわらず臆病者とそしられた、母もあったことのない祖父が、なぜ終戦直前に特攻していったのかという真実に迫るため、もうほとんど生き残っていない関係者を探して、話を聞いて歩きます。
関係者へのインタビューの中で次第に明らかになる謎。
まさに戦争の狂気です。
そして、最後に謎が解けたとき、泣かそうという著者の意図が丸見えであるにもかかわらず・・・、ちょっと泣けました。
今、中国や韓国と日本の関係が悪化し、簡単に「相手を叩け」的な発言が聞かれるようになってきました。
戦後60年以上たって、戦争を経験した世代がいなくなり、その悲惨さを伝える人が少なくなって、また歴史を繰り返すようなバカなことがあってはなりません。
そのためにも、こういった「戦争の真実」を描いた小説がたくさんの人に読まれるといいなと思いました。
戦争は、万が一どうしても回避できないのなら、喧嘩が大好きな一部の人たちが、どこか離れ小島に行って、その人たちだけでやってくれればいいです・・・・。
ホントに・・・・