Mihoちゃんが掃除中に、足を踏み外してべたっと横になっているLauraを見つけた。
いつもはいない場所で、見つかって慌てたのか、もともとこの格好で寝ていたのか。
それにしても、だらっと垂れた後ろ足、お尻は半分落ちかかっている。
慌てて、写真を撮ったので、ブレているが堕落した生活を送っているLauraそのものだ。
しばらくすると、また場所を変えてへばっている。
生産性のない堕落した毎日を完璧に撮影成功。
これで、この娘の実態が世間の皆さまにわかってもらえるだろう。
話は変わって、元山古志村村長の長島議員がお亡くなりになった。
2004年に中越地震があって、翌日には現地に調査に入ったことが思い出される。
全村避難という難題に立ち向かい、陣頭指揮をなされていた長島村長の姿を思い出す。
そして、見事に復興の礎を築かれ、国会議員になってもご活躍された。
惜しい方を亡くしたとい言葉では軽すぎるかもしれない。
あの時、誰もが懸命に復興に努力していた。
この写真は、被災地の最先端で道路が寸断されていたため、自衛隊のヘリが着陸し、これから資材運搬の大型ヘリ輸送の段取りをし始めた一コマ。源太郎が撮影した一枚。
当然健太郎も山をこえ徒歩でこの地に立っている。周辺は崩れ落ちた斜面だ。
防災のリーダーだった長島元村長のご冥福を祈ります、
国会議員に立候補した当時は、新潟の田舎の村長さんが大丈夫だろうかと心配しましたが、
どっこい、持ち前の真面目さで頑張っていられた姿を何度も目にしてました。
今となっては本当に、惜しい、早かった、としかいいようがありません、残念です。
早いもので震災から13年も経つんですね。
関東でもあの地震の揺れは感じ、家内がとりあえずの機材を準備し、寝袋を持って警察の許可車両で現地に駆けつけました。
現地は、まだ錦鯉の養殖池が干上がり、道路にはマンホールが浮き上がり、道は波打っていました。
徒歩で衛星電話を携え、登坂して東竹澤に入り被害調査でした。まだ水没前でしたので、繋がれていた犬を解放し、被害の凄まじさに声も出ませんでした。もうすっかり復興した様子で本当に良かったと思います。長島村長はよく頑張っていましたね。惜しい人を亡くしました。合掌