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『 主イエスの名を全世界の上に 』(2017年1月1日・礼拝説教より抜粋)

 皆さん、新年明けましておめでとうございます。教会の暦では、1月1日、新年の初めの日は、「主の命名日」として定められておりまして、イエス様がお名前を正式に「イエス」と名付けられた事を覚える日になっております。なぜ、元旦の日がその日になっているのか?その理由は、本日の福音書に書かれてあります。こうあります。
(ルカ2:21)「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。」
 ちょっと算数の問題になりますけども、つまり、12月24日の夜、御子イエス様が生まれたとするならば、それから8日たった日は1月1日、元旦の日になるわけです。ですから、イエス様が地上にお生まれになった日を12月24日の夜と定めて来たキリスト教会は、イエス様の命名日も、1月1日と教会の歴史の中で定めて来たわけです。でもこれは、相応しい日にちの定め方ではないかと私はそう思います。なぜなら、1月1日、新しい年の初めの日にイエス様がイエスと名付けられたことを想い起こすことは、とても良いことだと思うからです。1月1日とは、新年の初めの日ですから、これから始まる一年間を前にして、私たちはよく抱負を述べたり、抱負を考えたりします。日本人の伝統としては書初めをやったりもします。つまり、これから始まる一年間を、どのように過ごすのか、どのような心持ちで生きていくのか、その事を考える日が1月1日なのです。ですから私たちクリスチャンは、当然その日に、神様のことを想い、イエス・キリストのことを考えるべきなのです。
 1月1日を教会は、主の命名日として定めました。これは私たちが、これから始まる一年間を、すべて、主イエスの名のもとに行い、主イエスの名において、行っていきたいという、決意表明であり、またそのような、神様への祈願、祈りでもあります。また尚且つ、全世界、全てのものが、主イエスの名による御支配の下にあるということ、即ち、全ての人間、全ての出来事、全ての事柄は、主イエスの名による神様の御支配の下にあるのだという、私たちの信仰告白でもある、ということです。毎年毎年やって来る1月1日、主の命名日をこのような日として、私たちは覚えて参りたいと、そう思うのであります。(全文はこちら)
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