どうやら少し知的?作業にも向えられそうになったようで、相次いでブログ書き込み。 詩などと いわゆる歌の歌詞とは やはり違うように思うのだが、歌詞の中でも 溜め息の出るような流石のものもあれば、よく考えて聴くものじゃあないものもある。 言葉の使い方で好きなのは どこかにも書いたが、中島みゆき。「悪女」等が好きだ。 どうかな、って思うのは小田和正・・・、など。歌は好きだけれど 詞がねえ、ってところ。 こうせつの「妹よ」?や さだまさしの「関白宣言」「秋桜」もそう、彼らでなくても書けそうな詞が続く。 (こうせつの“夢一夜”は好いんだけれどね) 中島みゆきの歌詞がお気に入りだからということでもないが、数年前に一挙に詩作をし、出版した頃には かなり彼女の歌を聴き込んだのを覚えている。 “目を閉じる前に最後に見るのが 貴方であればいい。目を開け最初に見えるのが 貴方であってほしい”なんていうのは ちょっと僕には出てこない歌詞だ。 で、近頃 おお~って聴いた歌詞では 一青窈の「君と好きな人が百年続きますように」(ハナミズキ)などがそうだ。 まだまだ書き残したいのだが、明日の準備もあるし 今夜は朝市の実行委員会で商工会にも出かけるので、昔の名曲からこの季節のお気に入りの歌詞を――― 君の唇がさよならと動くことがこわくて下をむいてた・・・・春が来て君はきれいになった去年よりずっときれいになった・・・・。
40数年も前になる郷里の同窓生が 当店に立ち寄ってくれました。 瀬戸内の小都市から 東京に住むご子息に会うことで 奥様と二人で車での旅。 そして その後に 名湯・草津温泉に向かわれる途中とのことでした。 昨年あたりの年賀状てそんなつもりだあるんだ、と書かれていたようにも覚えていましたが、NAVIだよりで この突然の そして まるで近くに住んでいるかのような来訪の仕方には 驚きと 大感激でした。 たしか憲法記念日が誕生日とかで憲一という名前、憲ちゃんとか憲坊、う~けん・・・とか呼んでいました。 僕の記憶が正しければ、小・中学時代は 僕と同じように「図工」好きの少年。 ジョークも言えるが 一番の人柄は とにかく「相手が喜んでくれるなら いっぱい協力しまっせ。」というような人。 ちょうど その日は定休日。 翌日の準備にはまだ時間もあったのですが、わざわざコピーしてくれた10枚余のCDを さっと手渡してくれると 美人の奥様とお店を少し眺められ「ほんなら、行くわ。 お互いガンバロなあ。」とか言って ほんの数分間のやりとりでした。 憲坊らしい素敵な再会の仕方、ひとときでした。 元気づけられたり、辛くなった時に ホッとできるの友人とかは、必ずしも いっぱい喋ることでも 頻繁に顔を会わせることでもなくって 折々に「忘れてないよ、応援してるよ。」ってエールを送っていただいている方達のようにも思えます。
サクラ色の貴方がたに大感謝のこの頃です。
お店では 少々煩がられようが 好みの音楽を流している。 もちろん、BGMとしての選曲も考えるのだが 手持ちのCDから選ぶのだから 所詮 好みのものになる。 使っているプレイヤーは 以前に勤務していた社の25枚チェンジャーで、 CD25枚を いろんな風に演奏できる。 さしずめ 今収まっているのは数人のアーチストのアルバムと 先ごろ友人(彼についてはこの後に書くつもり)から頂いたピアノによるオールデイものの10枚セット。 これらを ランダムやベストといった演奏モードで その日の気分で廻している。 本来は ちょと切ないめのバラードが大好きだが 昨秋 徳永英明を聴きながら「ちょっと、パン屋さんには重いか・・・。」となり、今年になってからは、 ミスチルが2枚、コブクロが4枚、スピッツが2枚、バンクバンド、スキマスイッチが各1枚とオムニバスのR35となっている。 それに 先週から 手持ちのものの中から 春、桜を歌ったものを中心にコピーした1枚が加わった。 サクラビト(ELT)、サクラ色(アンジェラ・アキ)、桜(コブクロ)、さくら(森山直太朗)等々だ。 春、桜の季節・・・。桜を待ち、散る日を惜しむ こんな命の膨らむ季節なのだが 歌はなぜか 切ない詞が多い。 もちろん 福山の「桜坂」や、ユーミンの「春よ来い」などのように 暖かさが香るテンポのものもある。 そして これらの歌詞にも 素敵なものが多い。 前述の「桜」「さくら」は どちらも その歌い手を 超ポピュラーにした数年前の名曲でもある。 で、例えば 小渕クンは “咲くLove”という歌詞を “さくら~”と黒田クンに歌わせ、 「名もない花には名前を付けましょう・・・・・誰かの声でまた起き上がれるように・・・。」と結ぶ。 さすが。 アンジェラ・アキは、 サクラ色の時代の 桜色の君と桜色の私を決して忘れない、と熱唱する。 サクラ色の時代・・・ねえ。 このあたりの お気に入りの詞たちについては 後日書いてみたいと思います。 それにしても 昨日から急に寒さが戻った。 春、早く来い。
読むこと、書くこと、聴くこと・・・・が、本当に少なくなってしまった。 パン屋さんというのは、所詮 肉体労働で それも楽しめなくなってしまうと コンナモンになってしまうのかと ちょっと自嘲気味に考えてしまう。 それでも・・・・と、得意の気位の高さというのか 誇りというのか 負けず嫌いというのか、エエカッコしいと言うのだろう 本屋などに出掛けてみる。 最近読んだのは 「ダイイング・アイ」だ。 僕にとっては3冊目か4冊目になる東野圭吾の最新作。 これも 本屋さんに並ぶ「売れている本」の中から選んだもので いってみればミ-ハー的選択。 その前は「ホームレス中学生」で、これほど話題になる以前に読み終わっている。が、そんなに感動した記憶もないのは 内容よりも 文章や 語彙が一々気になる悪癖のせいかもしれない。 もう一つは体力の衰えかなと思う。読書にしろ映画を観るにしろ 一気に入り込む(近頃は ハマルとか言うらしいが)には 体を震わせるだけの体力が必要で 怠け者にはちょっと厳しいのだ。 それでも なにかを読んでいたい、そういう習慣を生涯続けられれば 嬉しいことだ。 と、いうこともあって 次は音楽の話・・・・・。
いろんなところやチラシで「バレンタイン・デイ」向けの商品が目立つ。そんなものを見ながら 当家の末っ娘 セミ?パテシエとも いろいろ話をする。 かと言って パン屋でチョコ菓子を作ることもないのだが・・・・。 「チョコ・デニッシュ」というものを ひな祭りくらいまでは作ってみようと思う。 さて 新しい商品の試食というか 確認は この末娘にやってもらう。 が、時折 パン屋さんと洋菓子屋さんの違いのようなところを感じる。 かつて 「シェフのおやつシリーズ」なるものを 始めようとして、少し小さいけれど ちょっと高価な具材を使ってみたことがある。 が、思ったほど売れなかった。結局 普通の大きさにしてしまった。カマンベールチーズとオレンジを包んだ「チーズボール」なども その類だ。 お腹を満たすことも パンには必要なことで そこそこの大きさのものがやっぱり売れる。 スーパーのパン屋などが 醗酵過剰気味に膨らませて焼いているのも そういうことだろう。 数年前の パン屋さんのヒット商品「あんぐりパイ」を 当店でもやろうとした折に 試作品を食べた 我が末娘の感想は 「餡の量も 栗の大きさも もう少し小さいほうがいい。 その方が上品だ。」というものだった。 「いいや、これ以上小さいと お客さんが手を出してくれないかも・・・。」と 返答したことを覚えている。 口当たりを大事にする洋菓子と やはりボリュウムもなくてはと言うパンの違いがあるようだ。 そんなどちらもが よく売れるお店になればありがたいのだが・・・。 ともあれ、このセミ?パテシエ殿が 「旨いよ。」と言ってくれると ほっとする。