ご無沙汰しております。インターン生の小林真人です
クリスマス
いかがでしたでしょうか
さて、この度 私はカンボジアへ3週間程滞在させていただきました。
‥ので、本ブログを楽しみにしていただいているみなさま、長らくお待たせして大変申し訳ございませんでした

遅くなりましたが、カンボジアでの経験も踏まえて
11月8日(火)に開催された、
市民のための環境公開講座、「環境ジャーナリストが見た20年」のレポートをお送りします

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<<概要>>
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環境問題は公害問題に端を発し、80年代には開発による自然破壊の問題が起き、
やがて資源問題や食糧問題などの地球環境問題に変遷した。
公害の時代は環境に関する法律がなく、量に気を取られ質を忘れ、
富士山という日本人の精神の原点でさえ真っ黒に汚したが、人々に倫理観は残っており、
官僚が会社を周り社会環境に関する協力・要請をすれば応えた。
しかし、現在は多岐化する環境問題によりその社会変革の意識が希薄化しているようであり、
その背景には行動に起こす際に必要な心構えの欠如や環境の本質を捉えられないことなどがある。
現在抱えている原発問題を含め、環境問題の解決のために今後は、倫理観を湿らさず、
環境教育がESD(Education for Sustainable Development)にシフトしてきているように、
世の中の価値観およびライフスタイルの変化が求められている。
また、政治を良くすることは環境を良くする最短距離であり、政治への関心の高まりも必要である。
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■開発と環境保護の表裏性
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新聞記者には徹底して客観報道が求められていたそうですが、
環境問題はその原則を崩し提唱報道を生んだ、その事例を原さんがお話くださいました
地域の方々へのメリットが生まれる尾瀬の開発に対し、それに伴う自然破壊の問題を原さんが
取り上げようとした際、開発が間違っていると言い切れるかを企業や行政の方々から問われたそうです。
確かに開発には(金銭的)価値がある一方で、
当時自然に対し(金銭的)価値があるという捉え方はされていませんでした
一方で自然保護団体が反対していましたが、彼らは自然を良しとする価値判断をしており、
新聞に開発反対と記事を出した場合もそれは自然を良しとする価値判断を下した、
すなわち客観報道ではないことになります
ここに(自然の)権利の代弁(アドヴォカシー)、さらには提唱報道の原点があるとのことです
確かに、普通問題には二者の対立があり、裁判の場合は両者から主張を聞き、
客観的に判断が下されますが、自然は何も語らないため裁判ができません
その観点で言えば自然は子どもよりずっと弱者、最も弱い存在ですね‥。
さらに、もちろん子どもも大切ですが、子どもは1つの生命です。それに対し、
自然にはそこにたくさんの動植物や昆虫といった生命がありますよね。
これらたくさんの生命の権利の代弁をしなかったらどうなっていたかと思うとゾッとします。
環境と叫ぶことが当たり前ではなかった時代、自然保護団体やジャーナリストの自然を代弁する動きに嬉しく思います
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■必要とされるライフスタイル
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概要にも書いたライフスタイルですが、どのようなものが求められるのでしょうか
長崎大学の佐久間先生が以前市民のための環境公開講座で講演された際、
「今まで正しいと思っていたことの中に、何か間違いがなかったか」と発言されたそうです
また、石さんは身近なところで、私たちの食生活は年間約20kg摂取している
食品添加物と冷蔵庫による保存体制により成り立っていることを挙げられました。
良い機会ですので、環境破壊が持続可能な範囲でしか起きていないと思われる、
カンボジアの地方の村(家庭)を2ヵ所訪れたので写真も交えて紹介しようと思います

どちらの村も近所には親戚が一同に介し、共同で農耕を行い生活しています。
家は煉瓦か木造で、1階は(壁を作らず)屋外にしてダイニング、キッチン、物置など。
外付けの階段で登る2階は1部屋のみで寝るスペースだけでした
めぼしい家電はなく、二酸化炭素を排出するのは移動用のバイクと蛍光灯のみといったところでしょうか。
その蛍光灯も20畳ほどの2階室を1本のみで照らすので日本の感覚からすると真っ暗です
ちなみに別に寄った高校の教室には電気がありませんでした。授業はすべて昼だそうです。
蛍光灯は使わず太陽光や月光、水道はなく雨水に桶、ガスはなく炭火焼、
冷蔵庫はなく氷に保冷庫 (これも一方の家庭にはない)、暖房器具はなく薄いブランケット2枚という生活です。
このようなライフスタイルを送ることが出来れば、現代の日本に適応するかはともかくまず持続可能でしょうね
私は便利すぎる生活を送っていたなと考える一方で、便利すぎる生活を受けて
生活の知恵を自分が失った、さらに便利な手段に依存しているなと感じました
以前キープ協会の方が「月明かりで本が読める」とおっしゃっていましたが、
そういった身近にある環境に優しい発想と行動を自分ができなくなっているのも依存にあると思います
環境に優しい工夫と行動は何も無いところから生まれるものではないのでしょうか‥。
なので私は一人暮らしをする際には是非冷蔵庫なしの生活に挑戦し、
便利さから離れ考えて生活してみようと思います
以下少しだけ、カンボジアの写真です。


シェムリアップ西部のダートー村。木々に囲まれています。鶏とヒヨコがそこら中にいます。
シェムリアップ南部の村。こちらは洪水が多い地域で一転ひらけており耕作地が多いです。
屋外に作りつけられたキッチン。飲み水は水釜からすくって飲みます。
皿を洗うところ。左上の水釜に雨水が入っており、水をすくって洗います。
手伝いましたがかなり苦労します。
さらに貧しい地域あるいは国へ行けば、このプラスチックさえないでしょうね。

































