日々の覚書

MFCオーナーのブログ

ポール・イズ・ライブ

2017年04月15日 18時38分00秒 | 音楽ネタ


既に皆さんご存知の通り、ボール・マッカートニーが来日公演を行う。4月25日が武道館、27日・29日・30日が東京ドームという事で、もうすくだ。今回は(も?)、東京公演だけなのだろうか。それにしても、ポール・マッカートニーにとって、ビートルズ時代も含めると、6回目の来日公演になるらしい。ソロになってからは5回目という事になるが、そのうち3回が21世紀になってから、というのが凄い。なんか、年齢を重ねるたびにパワーアップしてるような感じ。前回、すなわち2015年の来日公演を見た友人によると、2時間以上にわたり、座りもせず水も飲まずにステージをこなしていたそうで、いやぁとにかく凄い。僕は、それほどポール・マッカートニーの熱心なファンではないし、今回の来日公演も行かないけど、それでも、いつまでも元気でいて欲しいと、願わずにいられない。

という訳で、レコード・コレクターズ先月号は、ポール・マッカートニー特集だった。一位、何回目だろうか?(笑) ま、来日公演が決定した事、数年前から続くアーカイブ・コレクション・シリーズの第10弾として、アルバム『フラワーズ・イン・ザ・ダート』の拡大版が発売される事、が重なったのを受けての特集だろうと思われるが、比較的最近の作品、なんて思っていた『フラワーズ・イン・ザ・ダート』が、実は出てから既に28年が経過している、という当たり前の事実は、ちょっとした衝撃だった(笑) あれから28年か...ポールの初来日公演を東京ドームで見た事を、今さらながら思い出した。年とったなぁ(爆) あの時のオープニングは「フィギュア・オブ・エイト」、知らない曲だったけど、『フラワーズ・イン・ザ・ダート』の収録曲だった。

以前にも書いた事あるけど、僕はポール・マッカートニーは好きだけど、熱心なファンではなく、大ヒット連発だった70年代に比べると、80年代の作品にはあまり魅力が感じられなくて(えらそーに)、ほとんど聴いてない。だから、『フラワーズ・イン・ザ・ダート』も未聴である。発売された当時は、エルビス・コステロという意外なミュージシャンと組んで新境地を開拓、という事で話題になっていた記憶があるが、なにせ熱心なファンではないので(笑)、CDを買ったり借りたりして聴いてみよう、というまでには至らず、要するに、ポール・マッカートニーの新作が出た、という情報だけがあるものの、FMやらMTVやらで耳にする事がなかったので、聴かないままで終わっていたのである。かといって、今回のアーカイブ・コレクション化を機に聴いてみようか、という心境でもない(笑)

この、2010年の『バンド・オン・ザ・ラン』を皮切りにスタートしたポール・マッカートニーのアーカイブ・コレクションだが、これまでに9作がアーカイブ化されており、次はこの辺りではないか、と実は僕は思っていた。

 

『ロンドン・タウン』と『バック・トゥー・ジ・エッグ』、共に1970年代後半、ポールが絶好調だった時期のアルバムなのであるが、今となってみると、なんか地味な存在になってしまっている。なんでだろうね?(笑) ちなみに、僕はこの2枚共LPで持ってて(数年後に中古盤を買ったのだが^^;)、どちらも好きなアルバムであるのだが、確かに地味かもしれない、とも思う(笑)

『ロンドン・タウン』が出たのは、1978年の夏頃と記憶している。この年の春先、ポールは「夢の旅人」という、スコットランド民謡みたいな牧歌的な曲をイギリスで大ヒットさせていた。なんでも、当時のイギリスでのシングル・レコードの売り上げ記録を更新し、その記録は未だに破られていないとかという超特大ヒットであったのだが、もちろん、当時の僕からすると、「夢の旅人」は、えっ?うそっ?、てな感じの曲であり、これっぽっちも良いと思えなかった(笑) B面の「ガールズ・スクール」の方が、ずっと良かったな。

後に聞いたのだが、ご承知の通り、ポール・マッカートニーはウィングスを率いて、1976年にアメリカツアーを敢行し、大成功を収めている。その模様を記録したライブ盤『ウィングス・オーバー・アメリカ』も全米No.1を獲得するヘストセラーとなった。ウィングスはヒートルズを超えた、とすら言われ、ポールにとっては正に我が世の春であったろう。そんな喧噪が落ち着き、夢だったアメリカ制覇を成し遂げてイギリスに戻って落ち着いてみると、やはり自分はイギリス人なのだ、とそのアイデンティティを再認識して「夢の旅人」に至り、そして『ロンドン・タウン』に至るのだそうな。分かるような分からないような(笑)

でも、まぁ確かに、しばらくアメリカナイズされた作品でヒット連発だったのと比較すると、『ロンドン・タウン』は嘘のように地味というか、静かなアルバムである。シングル・カットされて全米No.1になった「幸せの予感」を含むアルバムなのだが、でもやはり静かな印象。しかし、この「幸せの予感」がまた素晴らしい曲なのだ。僕も当時から大好きで、さすがポール・マッカートニーと一人勝手に唸っていた(笑) ただ、この曲は是非アルバム・バージョンで聴いて欲しい。ベスト盤に入っているDJエディットとかでは物足りない。

個人的には、冒頭を飾るタイトル曲がとにかく好きだ。この曲聴きたさにLPに針を落とし、そのまま最後まで、というパターンだな(笑) ほんと、何度聴いても良い曲と思う。シングル・カットはされたけど、大してヒットしなかったんで、ベスト盤には未収録だが名曲だ。“銀色の雨が汚れたロンドンの街に降り注ぐ”なんてベタな歌詞も、霧の街ロンドンのイメージを誘発する。

この『ロンドン・タウン』は、ほとんどジャケットに写っている3人(ポール&リンダにデニー・レイン)の3人で録音されたそうで、そのせいか、アコギをメインにしたトラッド風の曲もあったりして、全体的にシンプルな印象。ただ、前述の通り、アメリカ臭はほとんど感じられない。どの曲も、うっすらと霧がかかったかのようなウェット感がある。マイケル・ジャクソンがカバーした「ガールフレンド」だって、実に英国風のポップスだ。正に、イギリス人としてのアイデンティティが作らせた傑作と言えるのでは。極上のメロディを持った名曲は少なくて、やっぱ地味だけどね(笑)

で、続いて『バック・トゥー・ジ・エッグ』である。出たのは1979年の夏頃と記憶している。新生ウィングスとしての初アルバムであり、先行シングル「グッドナイト・トゥナイト」もヒットしたし(アルバムには未収録)、イギリスの有名ミュージシャンを多数招集したロケストラも話題となり、発売前から世間は大騒ぎしていたのではなかったかな(笑) ま、それだけ、ポールの一挙一投足に皆が注目していた証である。

と、そんな状況の中で世に出た『バック・トゥー・ジ・エッグ』だが、やや地味だった『ロンドン・タウン』に比べると、新生ウィングスのお披露目というのもあり、バンド・サウンドを全面に押し出した作りになっている。前作同様、極上の名曲はあまりないので(笑)、違った意味で地味ではあるが、勢いはあるし良いアルバムと思うよ。ただ、話題のロケストラは、当時も今も成功してるとは思えない。ロケストラ名義では2曲収録されていて(「ロケストラのテーマ」と「ソー・グラッド」)、参加ミュージシャンも、ウィングスのメンバーに加え、ギターにハンク・マービン、ピート・タウンゼント、デビッド・ギルモア、ベースにジョン・ポール・ジョーンズ、ロニー・レーン、キーボードにゲイリー・ブルッカー、トニー・アシュトン、ドラムにジョン・ボーナム、ケニー・ジョーンズ、といった面々(よく見るとツェッペリンとザ・フーは参加率高い)による豪華なセッションと言えば聞こえはいいが、皆で一緒に演奏してるもんで、誰が何をやってるのか分からない。ジャズのビッグバンドみたいに、名前を連呼しながら順番にソロ交換でもやってくれないと、これだけの顔ぶれを集めた意味がないのではなかろうか。

とはいえ、前述したけど、良いアルバムだ。ラジオのジングルみたいなオープニングから「ゲッティング・クローサー」になだれ込んでいく展開がたまらない。この曲、アルバムからの第一弾シングルだったのだが、やはり大してヒットしなかったので、ベスト盤に収録される事もない、知る人ぞ知る曲なんだけど、個人的はに大好きな曲だ。ポールお得意のメロディアスなロックンロールって感じ。

A面ラストの「アロー・スルー・ミー」もシングル・カットされた。この曲も当時から実は好きなのだが、やはり大したヒットにならず、地味な存在の佳曲な訳だが、数年前に出た『ピュア・マッカートニー』というベスト盤に収録されていたのには驚いた。これによって、熱心なファンでない多くの人たちに、「アロー・スルー・ミー」が知られる事になったと思うと、実に喜ばしい(笑) B面にさりげなく鎮座している、これまたポールお得意のメドレー曲の2連発もいいね。

この後、新生ウィングスとして、このアルバムを引っさげ、1980年についに来日公演が実現するはずだったのだが、ご存知の通り、大変残念な結果になってしまった。日本の音楽史上5本指に入る大事件だったと思う。確かに、平成になってから、ポール・マッカートニーの来日公演は実現したけど、この時のショックを引きずっている人は、まだたくさんいるのではなかろうか。

という訳で、絶頂期の作品であるにもかかわらず、地味な存在になってしまっている『ロンドン・タウン』と『バック・トゥー・ジ・エッグ』、是非陽の当たる場所に戻してあげて欲しい、と切に願うものである。で、いま気づいたけど、この2枚共、収録曲数がLPにしては多い。『ロンドン・タウン』は15曲、『バック・トゥー・ジ・エッグ』は14曲である。なんというサービス精神! こんな所も地味になる要因なのだろうか?(よく分からんぞ)

では、ポール・マッカートニーのファンの皆さま、目前に迫った来日公演を、是非堪能して下さいませ。この2枚の曲は絶対にやらないでしょうけどね(爆)
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実は15周年を迎えていたU-500

2017年04月08日 16時02分30秒 | 与太話
久しくネタにしていなかったので、覚えておられる人も少ないと思うが、U-500すなわち「毎日の昼食代を500円以下に抑える」プロジェクト(笑)が、実は、スタートしてから15周年を迎えていたのである。しかも、2年前に(笑) 世間に知られる事もなく、粛々と15年も続いていたとは...しかも、現在も継続中で、この4月から、なんと!17年目に突入したのである。う~む、我ながら、なんとなく凄いと思う(違)

という訳で、今回は久々にU-500ネタである。まずは、節目となる15年の総括(笑)を。「数値で見るU-500の15年」ってとこかな(笑)

期 間         :2001年4月~2016年3月
期間中総昼食回数    :3,616回
期間中総昼食代     :1,572,967円
期間中1回当たりの昼食代  :435円

積み重ねとはいえ、15年間の昼食代総計が150万円以上、というのが恐ろしい(笑) 1回平均435円にもかかわらず、この数字である。もし、昼食に500円以上かけていたら、と思うとゾッとする(爆)

ま、それにしても、消費税値上げ等を乗り越えて、昼食500円をキープし続けた、というのは驚嘆に値する(自分で言うな)。実は、以前に書いたと思うが、この期間中、一回だけ月の昼食代平均が500円をオーバーした事がある。忘れもしない(爆)2004年4月である。この時の数値はいうと、

期 間    2004年4月
昼食回数   20回
昼食代総計  10,112円
1回平均     505.6円

今となっては、非常に悔やまれる(爆) ま、大勢に影響はないのが、かろうじて幸いだが。

で、ついでなので、15年の期間中、最も月平均が低かった月の数値もご覧下さい。2003年12月である(いらねーよ)

期 間    2003年12月
昼食回数   19回
昼食代総計  6,051円
1回平均     318.5円

月平均が400円を下回った月は、この期間中26回あるのだが、その中でも318.5円というのは、突出した数字である。一体、どんな物を食べていたのか?(笑)

と、そんな(どんな?)U-500は、15周年を迎えた以降も、粛々と継続中である。では、16年目に突入した昨年度、つまり2016年4月~2017年3月の結果を、ここに公表させて頂く。

期 間    2016年4月~2017年3月
昼食回数   238回
昼食代総計  107,111円
1回平均     450円

うむ、まぁ良い数字ではなかろうか。ただ、この数字には少々からくりもある。それも公表しましょう(笑) 2016年度に昼食を取った場所の統計である。

1位・・・社員食堂 110回

これが”からくり”である(笑) どうしても、我が社の社員食堂で昼食を取る事が多くなる。また食堂で食べると1食400円なので、実に安上がり、U-500に対する貢献度無限大なのであるが、これはフェアではない、と仰る向きもあるだろう。そういう意味では、500円以下では喜んでいられない、毎月450円以下を目指さねば、という事で、2017年度は、それを目標に頑張ろうと思う(笑)

しかし、昼食回数238回で、社員食堂利用が110回、率にして46%、つまり、2日に一度は昼時に会社にいた(昼食代抑えるために、わざといるようにしていた、という時もある)訳だ。もっと、外回りしなさい(爆)

では、一応、2位以下も公表する。

2位・・・吉野家        7回
2位・・・コンビニ、キオスク等 7回
4位・・・小諸そば       6回
4位・・・なか卯        6回

少ない(爆爆) これ以下は、すき家とか駅の立ち食い蕎麦とかが続く。

という訳で、今後も引き続きU-500頑張りますので、よろしくお願いします(何を?)
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沈黙

2017年03月06日 00時07分04秒 | 映画
先日、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙-サイレンス-』を見た。あの有名な遠藤周作の小説が原作である(余談ながら、最近、同じ遠藤周作の小説『真昼の悪魔』がテレビドラマ化されている。偶然?)。遠藤周作は自身もクリスチャンとして知られているけど、その日本人のクリスチャンが書いた重いテーマの作品を、アメリカ人のマーティン・スコセッシ監督がどんな解釈で映画化するのか、結構興味津々だった。キリスト教国家アメリカで、この作品がどう受け止められるのだろう。

遠藤周作の小説は若い頃読んだ。衝撃的だった。ネタバレになるかもしれんが、神のしもべたちが苦しんでいて、神の助けを必要としているのに、神は声すらかけてくれない。本当に神はおられるのか? 本当に神は我々しもべの事を思っていて下さるのか? 本当に神は我々に道を示して下さるのか? 僕のような無宗教とは違い、信徒にとっては重大な問題である。というか、信徒というのは神を信じているのが当たり前であり、その信徒がわずかでも神の存在を疑う、という事自体あり得ないのであり、矛盾した行いなのてあるにもかかわらず、いや矛盾しているからこそ、小説の主人公は苦しみ続ける。これ自体、キリスト教徒として失格と言えるのではなかろうか。アメリカ人は、そういうのを許すのか?

という訳で、『沈黙-サイレンス-』である。ま、確かに、原作同様暗く重い映画だった。キリシタン達をあの手この手で拷問するシーンには、目を背けずにはいられなかった。信徒たちの、そして宣教師たちの苦しみはイヤというほど伝わってくる。宣教師は悩み、苦しむ。自分が転べば(棄教すれば)信徒たちは苦しみから解放される。どうしたらいいのか。でも神は何も言ってくれない。彼の苦しみは果てしなく続く。

ネタバレになるかもしれんが、原作では、悩み苦しんだ末に、この宣教師は棄教し、日本人の僧侶となる。いや、映画でも同じだ。けど、さすがハリウッド映画である。かような、キリスト教徒にとって到底受け入れられない結末を、ただで許す訳にはいかないと見えて、予防線を張ってある。言い訳とか逃げ道とかに言い換えてもいい。その逃げ道(と僕には思えたもの)については、ここでは触れずにおくが、良くも悪くもハリウッドというか、自国民の反感を買わないように手は打っている(笑) さすがに、巨匠マーティン・スコセッシと言えども、その呪縛からは逃れられないようだ。アメリカ人というか、キリスト教徒の業は深い(意味不明)

という訳で、良い映画ではあるものの、手放しでは評価出来ない、中途半端な作品になってしまったのは残念だ。所詮、遠藤周作が小説に書き綴った思いは、日本人だからこそ理解出来る類のものなのか。

あと、ついでに言うと、登場人物の大半は日本人なのだが、ほとんどがカタコトとはいえ英語が喋れる、というのも、ハリウッド映画のお決まりだな、と思った。それと、主人公の宣教師の同僚で一緒に日本に来て、棄教を拒んで死んでいく宣教師が、アンガールズの山根によく似てたなぁ(爆)

ところで、『沈黙』といえば、この曲をご存知の人はどれくらいいらっしゃるのか?

https://www.youtube.com/watch?v=F7W8NWw2HtQ

そう、野口五郎の「沈黙」である。1977年のシングル曲だ。人気絶頂の頃である。この頃の野口五郎は、正に飛ぶ鳥落とす勢い、出す曲出す曲ヒット・チャートを賑わせていた。そんな時期の一曲がこの「沈黙」であり、ツインギターによるイントロのフレーズが印象的だった。確かに、40年近くが経過した今となっては、知る人ぞ知る名曲に過ぎないんだろうな、とは思ってたし、それなりに覚悟(?)はしてたんだけど、こないだ行ったカラオケボックスには、やっぱりこの曲はなかった(笑)

ま、なんたって野口五郎と言えば、「私鉄沿線」であり「甘い生活」であったりする訳で、これらにも顕著なように、哀愁漂うメロディとドラマティックな曲構成の昭和青春歌謡路線なのである。野口五郎自身はギターが得意で、青春歌謡路線ではなく、もっとAOR風の音楽を志向していたのは有名な話だけど、でもやっぱり彼には青春歌謡が似合う。「私鉄沿線」に代表されるように、この手の曲は素人が歌うと平坦になってしまって、なかなか盛り上げる事が出来ない。野口五郎みたいに感動的に歌い上げる、なんて事は不可能。結構難しいのだ。やっぱり五郎って上手いよな、って改めて思う。

僕自身は、この「沈黙」の他、「針葉樹」とか「季節風」とか好きだった。当時は知らなかったけど、「沈黙」の作詞は松本隆で、サビの♪どんな気がする~、というフレーズはディランのあの曲から貰ってきたのか? みたいな事を書いてるのを近年読んだ。松本隆とディランって、切っても切れないのかね(笑)

ところで、さらに「沈黙」と言えば、こんなのもある。

https://www.youtube.com/watch?v=QkqAEjZfVv8

アラン・パーソンズ・プロジェクト(APP)の1979年のヒット曲である。邦題は「Damned If I Do」、後々ヒット・チャートの常連となるAPPであるが、思い起こせばこの曲が初めてのヒット曲だったような気がする。というか、APPってシングルカットするの?なんて驚いた記憶がある。40年近く前のことだが(爆)

ほとんどの人がそうだと思うけど、APPは単発的なプロジェクトだと、僕も思っていた。1976年の『怪奇と幻想の物語~エドガー・アラン・ポーの世界』というアルバム自体、ポーの作品をモチーフにしたコンセプト・アルバムだったし、このアルバムの為だけに、ミュージシャンが集められたのだ、と思っていたのである。なのでその1年後(だったかな?笑)、APPの新譜というのを渋谷陽一の『ヤングジョッキー』で紹介してたのには驚いた。あれ、単発じゃなかったの? って感じ。そしたら、いつの間にか、単発どころか、押しも押されもせぬヒット・メーカーになっていた。人の人生なんて分からないもんだ(意味不明)

数あるAPPのヒット曲の中でも、僕が好きなのは「沈黙」の他、「タイム」「ドント・アンサー・ミー」あたりかな(聞いてません)

さらに「沈黙」というと(もういいです)
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アナログ復活?

2017年03月05日 19時28分37秒 | 音楽ネタ


近頃、若い人たちの間に、アナログ愛好者が増えているらしい。デジタル全盛の現代に於いて、わざわざアナログ・レコードを聴くというのは、炊飯器があるのに敢えてお釜で飯を炊くのと一緒で、まぁ一種のノスタルジーというか何というか、単にアナログの良さに目覚めたというより、不便であってもアナログにこだわる事に価値を見出しているというか、ま、とにかく、ちょっとした自己満足でしかないのでは、とアナログ世代は思ったりする。アナログの方が音に暖かみがある、などと愛好家の若者は言うが、確かにそういう側面はあるけど、ではなぜ、LPはCDに取って変わられたのか、というのを考えてみると、それはCDの方が便利で楽だったからであり、音の暖かみ云々以上に大多数のユーザーにとって重要な事だったのだ。今にして思うと、1980年代中頃に起きたLP→CDの移行は、ほんとアッという間だった。商品としてのCDが発売されたのが1982年だそうだが、1985年頃には新譜が出る際、LPとCDの両方が発売されるようになり、そのうちCDの出荷枚数がLPを追い抜き、ついにソニーが”LPを生産しません宣言”をしたのが1988年と記憶している。他社も追随し、1989年春以降、日本では新譜LPが発売されなくなった。ほんの数年間で、何十年もその地位を守ってきたLPが、姿を消してしまったのだ。それだけ多くの大衆がCDを支持したのである。皆、CDの方が便利で使いやすいと思っていたのだ。

そりゃ、確かに、CDは画期的だった。コンパクトで持ち運びが楽だし、再生してても途中でひっくり返す手間は不要だし、傷とか埃とか気にしなくてもいいし、頭出しやらランダムやらの再生モードも便利だったし、再生してる途中の針飛びやスクラッチノイズで興ざめ、なんて事もない。LPから乗り換える人が多かったのも当然だ。

最近の、若い人たちのアナログ人気は、ここいらに対する揺り戻しなのでは、という気がする。

僕も、LPからCDに移行しつつある、というのは気づいてたし、周囲が徐々にCDプレーヤーを買い始めて、内心焦ったりもしてたけど(笑)、しばらくはLPにこだわっていた。洋楽の新譜はLPを買い続けていたのだ。前述の、”LP生産しません宣言”までは。

ただ、意地を張るのに疲れた訳ではないが(笑)、その”LP生産しません宣言”で少し安心してCDを買うようになった。そうなると、国内外問わずCD一色になるのに時間はかからなかった。90年代初頭から1枚もLPは買っていない。

何度も言ってるけど、CDは楽だ。音の違い云々は多少あるけど、それはLPで出ていた物がCD化される際に問題になる事であり、最初からCDで発売される物が多くなってくると、別に気にはならない。録音するのも楽だ。僕は、CDをカセットテープに録音した音、というのが好きだったのだが、録音ボタンを押してしまえば、針飛びとか気にしなくていいし、曲順を変えたり一曲減らしたりして再生、というのも簡単だし、パソコンが普及すると、CDから必要な曲を取り込んで保存したりメールで送ったり、という事も出来るようになった。いずれも、LP時代には面倒だった事ばかりだ。CDは、音楽の聴き方も作り方も変えてしまった。

とはいえ、ある時期までは、LPとCDを並行して聴いていた。面倒だの何だの言っても、僕はやはりLPが好きだったし(音もさることながら、サイズがたまらない。CDはちゃっちくてアカン。ジャケットの芸術性は、あのサイズでないと楽しめない)、LPで持ってるのはCDでは買わなかった。アニバーサリー・エディションとか、ボーナストラック等が入って、LPと若干違う内容になってるならともかく、LPと全く同じ内容なら買っていない。だから、相変わらずLPでないと聴けないアルバムもかなりある。

そのLPたちは、ずっと実家に置きっ放しになってて、長い間聴いていなかった。が、最近とある事情により、実家に置いてある物も少しづつ整理しなければならなくなり、まずは何枚かのLPを持ってきたのである。プレーヤーも昔使ってたのを持ってきた。かれこれ30年近く前に買ったものだが(余談だが、この頃既にシステム・コンポが主流で、アンプやプレーヤーを別々に揃える、というのは難しくなっていた)、まだまだ十分使える。久々にアナログが聴ける環境となったのだ。なんか嬉しい(笑)

という訳で、近頃よくLPを聴いている。

 

お馴染みの名盤たち。

 

80年代のアルバムが多いのは、80年代に一番LPを買っていたからだ。

LPは、ご承知のように、音質自体はCDにひけはとらないものの、音量は低いので、LPを聴く時は、ボリュームを大きくしなければならないのだが、さすがにCDとは違い、ある程度の音量でないと良い音で聴けない(もちろん、これは僕のオーディオ・システムの問題であって、LPの問題ではないと思う)。それと、聴く時は最低でも、片面全部はかけないといけない。ま、一度針を落としたら、最後まで聴くのが普通、と言われて育ってるもんで(笑) プレーヤーも古いとはいえ、ボタンを押せば、アームが自動的に動いて、レコード盤に載って再生を始め、終わったら自動的に上がって定位置に戻る、という動きをするタイプなのだが、いかんせん長い事使ってなかったら設定方法ほ忘れてしまったので、針を載せるのも戻すのも手動(笑)という訳で、かなりLP聴くのも面倒ではあるのだが、前述したけど、CDでは聴けないのばかりなので、懐かしさも手伝って、感動しながら聴いてる(笑)

僕は基本的に、CDとLPの音の差はあまりない、という考えだが、若かりし時にLPで聴いていたせいか、気のせいかCDで聴いてもLPで聴いた時の感動があまりない、みたいな経験もしてて、例えばクイーンは『カインド・オブ・マジック』までLPで聴いてて、後年CDでも揃えたのだが、特に『オペラ座の夜』あたりまでは、LPの方が良かったような気がしてたりする。そういうのって、やっぱりあるのかな?

という訳で、やっぱりアナログっていいもんだ(笑)
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建国記念日

2017年02月11日 12時58分28秒 | 時事・社会ネタ
今日は建国記念日である。人それぞれ色々意見はあるだろうが、海外のニュースなどを聞いてると、つくづく日本に生まれた幸せを感じる。やはり、日本は良い国だと思う。でも、その行く末を思うと、不安を感じる事もある。

今、世界中で問題になっているのが、難民、特にシリアからの難民の受け入れだ。日本は、シリア難民の入国については、かなり厳しい姿勢で臨んでいて、審査を通過して受け入れた難民は、これまでに6人しかいないらしい。が、さすがに国連あたりからの圧力に耐えきれなくなったのか、300人規模で、シリアの「留学生」を受け入れる事にしたそうな。留学生なのに、妻子等の家族を帯同出来て、そのまま日本で就職して永住への道も開けているとか。ま、要するに、「留学生」とは言ってるけど、実質的に難民の受け入れである。

個人的には、難民どころか、移民受け入れも反対である。そりゃ、確かに、自国に住めなくなって、海外へ移住せざるを得ない人たちは、本当に気の毒だと思う。中には、自業自得と言えなくもない国もあるが、気の毒だからと言って、では日本へ来て下さい、というのはちょっとおかしい。高齢化と人口減が深刻な問題になっている日本にとって、移民を受け入れれば、その両方の問題を解決出来る、なんてとんでもない事を言ってるのもいるが、そんな目先の損得だけで、日本人のアイデンティティ崩壊にも繋がりかねない大問題を論じないで欲しい。断言する。移民、それもイスラム系移民(=難民)を受け入れたら、日本は崩壊する。

海外、特にヨーロッパの例を見ればお分かりだろう。イスラム系の難民を大量に受け入れたドイツ、フランス、スウェーデンといった国で、何が起きているか。難民たちによる凶悪犯罪が増加、難民と先住民とのトラブルも絶えず、国民たちの不満は難民受け入れを推進した政府に向かっている。元々、自分とこ以外の宗教は認めず、自分たちがいつも正しくて、全ての民族の中で自分たちが一番優れていると思っているイスラム教徒には、「郷に入れば郷に従え」なんて言葉は存在しないから、どこへ行っても、自分たちのやり方を貫き通し、紛争の種を蒔く。イスラムって、そういう宗教だ。歴史が証明している。そんな連中が、何万人も日本に入ってきたらどうなる?

しかも、今最も問題になっているのはシリア難民だが、中東の中においてでさえ、他国からバカにされていると言われるくらい、シリアは民度の低い国である。そういう連中が日本にやって来たらどうなるか、火を見るより明らかだ。

日本に住みたいのなら、日本のルールを守って欲しい。日本という国に敬意を払い、ちゃんと働いて、税金を払って、周りの人たちに迷惑をかけないで生活する人なら、受け入れてもいいと思う。文化も風習も違う外国にいて、しかも受け入れて貰っているのに、難民全員にスマホを支給しろとか、給食に豚肉を入れるなとか、勤務時間中でも時間になったらお祈りさせろとか、とにかく勝手な事ばかり言う奴らは入国させるべきでない。難民申請して審議中でも、日本に滞在する事は出来るらしいが、そんなのも入国させたらダメだ。定住の既成事実を作って、そのまま居ついてしまうぞ。許可が下りない難民は、送り返すべき。トランプのやってる事は正しいのだ。

他国に比べると、宗教や人種に寛容な日本は、つい言う事を聞いてやってしまうだろうから、イスラムは住みやすいだろう。「多文化共生」という言葉があって、つまり、文化・風習等が異なる民族でも、お互いを理解し合って、平和に暮らしましょう、という考え方なのであるが、そんなのイスラムにとって都合が良いだけの考え方だ。奴らは「多文化共生」を盾に、自分たちの好きなようにする。受け入れ側は「多文化共生」に縛られて、ただ黙認するだけ。イスラムに悪いからと、ニューヨークで“メリークリスマス”と言っちゃいけない、なんておかしくないか? これでは「多文化強制」だ、と言った人がいたが、正にその通り。海外では、リベラリストたちが唱える「多文化共生」によって、イスラムたちに浸食されている。

日本は良い国だと思う。僕は、日本に生まれて良かったと思ってるし、誇りにも思っている。それだけに、閉鎖的と言われようと何だろうと、この国を移民たちに荒らされたくない。人口が減って、このままだと日本が維持出来なくなる、というのであれば、それも仕方ないこと、と思う。日本人がいなくなったら、日本は終わり、それでいいのではないか。移民を受け入れて、名ばかりの日本を維持していくより、ずっとその方が潔いと思うけど。

てな事を改めて感じた建国記念日なのであった。
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