気管支喘息とCOPDは閉塞性肺機能障害を呈する二大疾患である。前者においては気流制限が可逆性で構造変化も軽度であるのに対し、後者にみられる気流制限は不可逆性で、とくに肺気腫では組織破壊が顕著であるという対照的な特徴をもつ。このように両者は疑問の余地もなく明確に区別されるように思えるけれども、時に鑑別困難な症例も存在し、肺機能検査を行えない診療所レベルではCOPD患者が喘息と診断されている例もないわけではない。その大きな理由の一つとして、喘息発作に有効な治療がCOPDの増悪(exacerbation of COPD)に対しても有効であることが挙げられる。COPDそのものは長期的には一方的に進行・悪化するとしても、COPDの増悪は薬物治療(ABCアプローチ;日本呼吸器学会編. COPD診断と治療のためのガイドライン 第3版、2009年)に反応し、あたかも可逆性があるかのように感じられるのである。
両者が類似しているのは臨床的な見かけばかりではない。病態にも共通点のあることが認識され、お互いを意識しつつ研究が進められてきた。そこで焦点とされているのが慢性気道炎症である。喘息の本態がそれであることはもはや常識だろう。COPDでも慢性気管支炎に限らず、そのことを示す数多くの研究があり、それらの結果によれば、喘息における炎症は好酸球とTh2細胞優位であるのに対し、COPDのそれはマクロファージや好中球、CD8陽性リンパ球が重要な役割を果している。また、前者ではIL-13やIL-4、IL-5などのTh2サイトカインや、stem cell factor、thymic stromal lymphopoietinのようなケモカインが重要であるのに対し、COPDではTGF-βやTNF-α、FGF、IL-1β、IL-6が重要な因子であるという(J Allergy Clin Immunol 2009; 124: 873-880)。このような肺・気道局所の炎症は喀痰中の活性物質やNOなどの呼気、さらには呼気液中物質に反映される。一方で、血清CRP値などの急性相蛋白やサイトカインの増加にみられるような全身性の炎症も認められており、機序の詳細は明らかでないものの、単なる局所(気道)炎症の“spill-over”でもないようだ(Proc Am Thorac Soc 2009; 6: 638-647、Curr Opin Pulm Med 2009; 15: 133-137)。いずれにせよ、慢性炎症を生じる最初の段階に関わる最大の要因は喫煙であるが(Lancet 2007; 370: 797-799)、その後の過程では慢性感染もinnate lung defenseを障害し、炎症を慢性化させることにより、COPDの成立に寄与していることが示唆されている(Proc Am Thorac Soc 2009; 6: 532-534)。
COPDの増悪においてはさらに喀痰総細胞数、好酸球、好中球、リンパ球数が有意に増加する。さらに増悪の前後で喀痰中の炎症細胞の構成比には変化がなく、炎症の質が変化したものではないと示唆するものがある(Int J Chron Obstruct Pulmon Dis 2009; 4: 101-109)。また、急性増悪時に気道ないし全身性にTNF-αやIL-6、IL-8などが増加するとされるが(Clin Med 2009; 9: 170-173)、これまでの報告のそれぞれの結果は必ずしも一致していないようだ。これは細菌感染の有無など病態が均一でないこともその原因としてあるだろう(Int J Chron Obstruct Pulmon Dis 2009; 4: 101-109)。上述のように、喘息治療に範をとったステロイドの全身投与は既にCOPD増悪の治療として確立されており、結果として病態にも即した合理的なものであると感じられるかもしれない(Curr Opin Pulm Med 2009; 15: 133-137)。しかしながら、COPD患者の一部では十分量のステロイドにも反応しないことは多くの臨床医が経験しているはずだ。これはCOPDにおいては構造変化をきたしていることに加え、炎症細胞の主体がステロイドに抵抗性のマクロファージ、CD8陽性Tリンパ球であることも関与している可能性がある(日呼吸会誌 2004; 42: 710-716)。これを克服すべく抗TNF-α抗体などさまざまな治療が検討されているのだが(Lancet 2009; 374: 744-755)、現時点ではそれらの優位性が示されるどころか、むしろ肺炎や悪性腫瘍の発生が多かったと報告されており、抗サイトカイン療法の安易な適用は厳に慎むべきだと思う(Proc Am Thorac Soc 2009; 6: 638-647)。
三木清は現代ほど“成功”に重きを置く時代はなかったと指摘した(人生論ノート PHP研究所、2009年)。それから半世紀以上を経て、その頃とは比べものにならぬくらいに物質的には豊かになったが、今でも事情は異ならないように見える。むしろ、その傾向はますます強くなっているとさえ言えるかもしれない。かつて医は仁術であり、惻隠の情からわれを忘れて手をさしのべるがごとき行為とされていた。そして少なくとも建前の上では個人的な成功を追い求めることは医師にふさわしくない行為としてはばかられ、自ら矜持を保っていた。ところが、高度経済成長、バブル景気をくぐり抜け、さらに小泉改革に直面した日本の医療は大きく変わったのだ。経済的効率性、グローバリゼーションの掛け声とともに医療の市場化=自由競争の原理が導入され、そこでは勝ち残った者が善であるとされたのである。若手医師が自らの市場価値を高めることに躍起となったのも当然だ。キャリア形成には何の得にもならぬ地方の病院など見向きもせず、あえて苦労しなくともお膳立てされた研修システムに乗れば効率的に専門医資格を獲得することが可能で、一方、リスクから守られ、しかも世間的に見栄えのよい大都市の有名病院に殺到した。学問の府でさえ世間の動きとは無縁ではあり得ず、目端の利く研究者はベンチャー企業を設立し、未公開株で金儲けを企むものさえ出現した。ただひたすら地道に診療に汗を流すばかりでは評価の対象とはならない。生き延びるためには、社会が存続するための基本的な機能としての医療という視点を考えている暇などない。たとえあえて火中の栗を拾おうと志したとしても、息つく間もなく消耗し、あるいは専門医受験資格を得ることもできず、それぞれが持っていた理想を放棄させられた挙げ句の果てに訴訟リスクにさらされる。こんな時代はひっそりと息をひそめてやり過ごす。そして知己を千載の下に待とうと思うのである。 (2010. 7. 20)
両者が類似しているのは臨床的な見かけばかりではない。病態にも共通点のあることが認識され、お互いを意識しつつ研究が進められてきた。そこで焦点とされているのが慢性気道炎症である。喘息の本態がそれであることはもはや常識だろう。COPDでも慢性気管支炎に限らず、そのことを示す数多くの研究があり、それらの結果によれば、喘息における炎症は好酸球とTh2細胞優位であるのに対し、COPDのそれはマクロファージや好中球、CD8陽性リンパ球が重要な役割を果している。また、前者ではIL-13やIL-4、IL-5などのTh2サイトカインや、stem cell factor、thymic stromal lymphopoietinのようなケモカインが重要であるのに対し、COPDではTGF-βやTNF-α、FGF、IL-1β、IL-6が重要な因子であるという(J Allergy Clin Immunol 2009; 124: 873-880)。このような肺・気道局所の炎症は喀痰中の活性物質やNOなどの呼気、さらには呼気液中物質に反映される。一方で、血清CRP値などの急性相蛋白やサイトカインの増加にみられるような全身性の炎症も認められており、機序の詳細は明らかでないものの、単なる局所(気道)炎症の“spill-over”でもないようだ(Proc Am Thorac Soc 2009; 6: 638-647、Curr Opin Pulm Med 2009; 15: 133-137)。いずれにせよ、慢性炎症を生じる最初の段階に関わる最大の要因は喫煙であるが(Lancet 2007; 370: 797-799)、その後の過程では慢性感染もinnate lung defenseを障害し、炎症を慢性化させることにより、COPDの成立に寄与していることが示唆されている(Proc Am Thorac Soc 2009; 6: 532-534)。
COPDの増悪においてはさらに喀痰総細胞数、好酸球、好中球、リンパ球数が有意に増加する。さらに増悪の前後で喀痰中の炎症細胞の構成比には変化がなく、炎症の質が変化したものではないと示唆するものがある(Int J Chron Obstruct Pulmon Dis 2009; 4: 101-109)。また、急性増悪時に気道ないし全身性にTNF-αやIL-6、IL-8などが増加するとされるが(Clin Med 2009; 9: 170-173)、これまでの報告のそれぞれの結果は必ずしも一致していないようだ。これは細菌感染の有無など病態が均一でないこともその原因としてあるだろう(Int J Chron Obstruct Pulmon Dis 2009; 4: 101-109)。上述のように、喘息治療に範をとったステロイドの全身投与は既にCOPD増悪の治療として確立されており、結果として病態にも即した合理的なものであると感じられるかもしれない(Curr Opin Pulm Med 2009; 15: 133-137)。しかしながら、COPD患者の一部では十分量のステロイドにも反応しないことは多くの臨床医が経験しているはずだ。これはCOPDにおいては構造変化をきたしていることに加え、炎症細胞の主体がステロイドに抵抗性のマクロファージ、CD8陽性Tリンパ球であることも関与している可能性がある(日呼吸会誌 2004; 42: 710-716)。これを克服すべく抗TNF-α抗体などさまざまな治療が検討されているのだが(Lancet 2009; 374: 744-755)、現時点ではそれらの優位性が示されるどころか、むしろ肺炎や悪性腫瘍の発生が多かったと報告されており、抗サイトカイン療法の安易な適用は厳に慎むべきだと思う(Proc Am Thorac Soc 2009; 6: 638-647)。
三木清は現代ほど“成功”に重きを置く時代はなかったと指摘した(人生論ノート PHP研究所、2009年)。それから半世紀以上を経て、その頃とは比べものにならぬくらいに物質的には豊かになったが、今でも事情は異ならないように見える。むしろ、その傾向はますます強くなっているとさえ言えるかもしれない。かつて医は仁術であり、惻隠の情からわれを忘れて手をさしのべるがごとき行為とされていた。そして少なくとも建前の上では個人的な成功を追い求めることは医師にふさわしくない行為としてはばかられ、自ら矜持を保っていた。ところが、高度経済成長、バブル景気をくぐり抜け、さらに小泉改革に直面した日本の医療は大きく変わったのだ。経済的効率性、グローバリゼーションの掛け声とともに医療の市場化=自由競争の原理が導入され、そこでは勝ち残った者が善であるとされたのである。若手医師が自らの市場価値を高めることに躍起となったのも当然だ。キャリア形成には何の得にもならぬ地方の病院など見向きもせず、あえて苦労しなくともお膳立てされた研修システムに乗れば効率的に専門医資格を獲得することが可能で、一方、リスクから守られ、しかも世間的に見栄えのよい大都市の有名病院に殺到した。学問の府でさえ世間の動きとは無縁ではあり得ず、目端の利く研究者はベンチャー企業を設立し、未公開株で金儲けを企むものさえ出現した。ただひたすら地道に診療に汗を流すばかりでは評価の対象とはならない。生き延びるためには、社会が存続するための基本的な機能としての医療という視点を考えている暇などない。たとえあえて火中の栗を拾おうと志したとしても、息つく間もなく消耗し、あるいは専門医受験資格を得ることもできず、それぞれが持っていた理想を放棄させられた挙げ句の果てに訴訟リスクにさらされる。こんな時代はひっそりと息をひそめてやり過ごす。そして知己を千載の下に待とうと思うのである。 (2010. 7. 20)









