四十の学び舎 トホホギス (旧校舎)

2013年5月~2014年3月までの、学び直しオバサーンの日記です。

「1+1=2」

2014年02月21日 10時14分43秒 | 論理学
 大雪の影響で、英語学概論の参考文献の到着が予定到着日時よりも2日ばかり遅れておりましたので、ちょいと論理学に寄り道をしたのです。

 テキストで論理記号を見てしまったし、少し予備知識を入れておこうと考え、『入門! 論理学』(著:野矢茂樹、中公新書)に手を伸ばしました。実は先日すでに再読モードに入っていたのですが、17頁で壁にブチ当たっておりました。昨冬に初めて読んだときには、スルーっと通過した地点なんですけどね。。。

その壁の名前は、「演繹」。
野矢先生曰く「いくつかの前提からなんらかの結論を導くもので、その導出が絶対確実なもの(前提を認めたならば結論も必ず認めなければならないもの)、そのようなものを「推論」と呼びます。あるいは、もうちょっと専門的というか堅い言い方では「演繹」と呼ばれます。論理学があつかうのは、まさにここなのです。」

論理学があつかうまさにココ、の演繹が、私には今一つ掴めなかったのです。

演繹は、史学概論をカジカジしていたときにも遭遇したコトバです。当時のノートを見ると、「演繹と帰納」のところに、変な図説がありました(自分で書いたんんですけどね)。いろいろな形の物体に縦線や横線、水玉の模様が書いてあって、その集合から共通の模様を取り出すのが帰納。帰納で取り出した共通の模様から物体を特定するのが演繹、と説明してあります。

この私の理解した演繹と、論理学の演繹が、どうしても頭の中で重なってくれないのです。

困りました。
で、考えました。
思いつく一番簡単な演繹を検証してみよう!
で、私の思いついた一番簡単な演繹である可能性をもったモノ。
それが「1+1=2」なのでした。

一番簡単だと思ったんです。
「一本の木と一本の木があれば、二本の木があると結論してもよい」というのがすなわち「1+1=2」だし、間違ってないはずなんですけど、なんだか落ち着かない。その理由が分からなくて、「1+1=2」はしばらくの間、泳がせていたのです。

1本の木と1人の人間が存在するとき、「1+1=2」は適用されるのか、ということも考えました。木と人間との存在を名前で分けなければ、大丈夫。しかし、名付けてしまうと、単位が違うということになるなぁ、とか。

 ブチブチと考えていた私に、そもそも「1」という数字に演繹があるのだと教えてくれたのは、『数学入門(上)』(著:遠山啓、岩波新書)第1章「数の幼年期」でした。1本の木から「1」という数字を抜き出して理解することについて、書いてあります。
ある集合から数を抜き出す方法の説明があって、をれを元に自分で適当に作ってみたのが、「大教室に大勢の学生がいる。教授が全員に小テストの問題用紙を配ってすべて回収したら、53枚あった。大教室には53人の学生がいたと言える」という例文です。
学生の数を、紙に移して数える方法です。当たり前すぎるくらい当たり前のことなのですが、あまりに当たり前すぎて考えたことがなかったんですよね。
これは、紙に人間の数を写し取る方法です。
存在を記号に写し取っているのが数字(自然数と言うべきかな)。
「1」という数字が存在から演繹されたものである、と考えてもいいのかな、といまビクビクしながら考えています。
するってーと「1+1=2」はどうなるか。
演繹の上塗りではなかろうか、とこれもビクビクしながら考えています。
演繹を使った演繹ですね。

そんなこと言ったら、「語」はどうなのよ。
こうなるとビクビクも極地。
木、人、山、川などなど存在と対になっている「語」
心、勇気、愛情、神さまなど、存在を確認できないものを表す「語」
数字は存在から抽出された「語」
論理学が取り出した、否定「~でない」、連言「または」、選言「かつ」、条件法「ならば」という「語」は何を表しているのだろう???

・・・あれ?
論理学は「1+1=2」と同じように、第1次の演繹を経た次のフェーズの演繹なんじゃないか、と書こうと思っていたのですが、、、
よくわからなくなってしまいました・・・


タイムアウトです。
いい加減、英語学概論に帰らないとレポートが終わらない!
レポートが終わったら、改めて論理学に向き合おうと思います。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

論理学ヲ再開ス

2014年01月13日 19時46分06秒 | 論理学
 昨年夏に着手た地理学をC群受験予定科目の第1としておりましたが、第2位に降格することにしました。替わって第1に据えたのは『論理学L』です。もともと、地理学よりも論理学の方を優先するつもりでしたし、2012年の暮れには、入門書に着手しておりました。”これなら簡単に単位が取れるカモ”という魔がさして(かつて地理学を専攻しておりましたので)つい繰り上げてしまった地理学を引っ込める形での、論理学再浮上です。

 2012年10月に慶應通信に学士入学し、初めて取り組む科目に『史学概論』を選びました。そのテキストに”「必然」の論理”(x)(Fx⊃Gx)なるものがあって、四苦八苦いたしました。それで、「論理学の体得は必須」と考えるようになったわけです。過去問を見て傾向を探るというワザも知らなかったとってもウブな私でしたから、「”必然の論理”が科目試験で出題されたらマズイ」と考えました(いまならば、過去問の傾向を見て出題される確率は極めて低い、と考えますが)。当時はまだ『論理学L』のテキストは配本されておりませんでしたから、2012年の年末は『入門! 論理学』を試験対策として読むことにしたのです。ところが、第1~3章は何とか理解できたのに、第4章『「ならば」の構造』(「ならば」は「条件法」)がボンヤリとしか理解できず、私はピタッと立ち止まってしまいました。押しても引いても、スカッと理解できないのです。試験日は迫って参ります。英語Ⅱも同時に受ける予定でおりましたし、何時までもここ引っ掛かっているワケにもいかず、試験で”「必然」の論理”が出たら諦める、という選択を私は余儀なくされたのでありました。

 2013年は、初科目試験に始まって、次のテキスト科目やら、スクーリングやら、英語やらで、「アッ!」と言う間に暮れてしまい、新年を迎え、現在に至っております。

 昨夏スクーリングの『哲学史』を受講し玉砕したあと、慶應義塾の岡田光弘教授がインターネット上で公開なさっている『論理学入門講義ノート』という資料を発見いたしました。この資料の『はじめに』によりますと、論理学の学習者には従うべき”有用”な規則があるといいます。以下に簡単に引用いたします。
一つ、始めから順に読み進めるコト
二つ、内容を完全に理解してから次へ駒を進めるコト
三つ、理解できるまで繰り返し読む、ダメなら時間を空けて読むコト
四つ、できれば論理学が得意な友人を得るコト
五つ、頭だけではなく、手も使うコト
※詳しくは『論理学入門講義ノート』を参照のコト

 私は独学スタイルの通信学生ですので、学び舎に四つめの規則を求めるのは難しいのですが、他の規則ならば従うことができます。この掟を胸に、改めて『入門! 論理学』への臨んでみたいと思います。

 本当は昨年末から取り組むつもりでいたのですが、『国語学』を優先したため、ズレ込んでしまいました。2012年のレポート課題で取り組んでいる『東洋史概説I』の早期完了を目指しつつ、ときには論理学攻略に時間を費やしたいと思います。




『入門! 論理学』
(著:野矢茂樹、中公新書)

今度こそ、まるっと呑み込まれて下さいますように(-人-)
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加