四十の学び舎(旧校舎)

2013年5月~2014年3月までの、学び直しオバサーンの日記です。

幸先ヨッシャーッ!

2014年01月22日 12時27分37秒 | 国語学
 昨日、出勤前にポストを覗くと小ぶりな茶色い封筒が届いておりました。
帰ってきました、国語学です。取り出すなり、ベリベリと封筒を開いて、合格の文字を見て、暫しフリーズ・・・

やった。やったよ、おかあさん。ワタシ慶應通信のレポート、一発合格したよ・・・



受付年月日は、1月6日、事務局仕事始めの日。返送年月日1月20日。
整理番号はでございます。
大晦日に発送し、仕事始め早々受付て頂き、整理番号は1、嬉しい合格のオマケ(?)つきです。これ以上幸先の良いスタートはないのではなかろうか、とひとりニヤニヤしてしまいました。

先生曰く「レポートの内容は、課題の趣旨に添った適切なものと認められる」、と。頂いたコメントは簡潔ですが、コレ読めば読むほど味が出る(気がする)。
て き せ つ
適切、あゝなんて素敵なコトバでせう。

 2012年の課題で臨んだ国語学のレポートは、自選した五つの古今異義語の変化の過程を考察する、とても面白いレポートでした。テキストをしっかり読んで、折口先生のご指導を受けた気持ちになりながら、取り組むことができたのは、なにより。
賛否両論あるとは思いますが、慶應通信がこの年代物のテキストを未だ現役としてくれているのは、私にとってはとっても有難かった。だって、先生はあの”折口信夫”(幾つかの丸谷才一氏の著書を通した目線ですw)なのですから。いやはや、これは貴重な学習経験でした。
満足満足。


さぁ、この勢いに乗って、『東洋史概説I』のレポートに取りかかろう


==メモ==
発送:2013年12月31日
受付:2014年1月6日
返送:2014年1月20日
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間に合いました!

2013年12月31日 23時15分33秒 | 国語学
大晦日の午後9時半、国語学のレポート完成!
近所の大きな郵便局の夜間窓口より発送いたしました~

はー
間に合ってよかった。
慶應通信の原稿用紙(手書きで裏表のアレ)を5枚用意して、清書を始めたら、その原稿用紙がなくなっても終わらないから、ビックリしました。。。

事もあろうか、どこで勘違いしたのか、一体全体何が起こったのか、
20字詰20行の原稿用紙で20枚分の下書きを用意していたといふ、摩訶不思議なコトが、、、

The 年末ですねwww


とっても楽しかった国語学のレポート道中でしたが、下書き後半を圧縮したために論理的に飛躍気味な組み立てになってしまいました。間に合わせはしたけれど、目標としていた一発合格は大きく遠のいてしまったようです。。。



まさか、国語学のレポートが2013年のトホホホ〆になるなんて(-"-)。

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ことばのうみにて遠泳中w

2013年12月27日 01時08分37秒 | 国語学


 アッチぃ引っ掛かりコッチぃ引っ掛かりしながら、昨日、ようやっと国語学のテキストを読み終わり(遅い!)、レポート作成作業を再開しました。
 最初の単語カード作りで使用した辞書『古語辞典』(三省堂)、『古典基礎語辞典』(角川学芸出版)、『精選版日本国語大辞典』に、明治生まれの『言海』(復刻版、ちくま学芸文庫)と、最近生まれた『明鏡』(大修館書店)を加えて選出済みの古今異義語を(新たに発見した語と挿し替えたい欲望と戦いながら)整理し直し、簡単なプロットを用意して、イザ執筆です!

 予定では、もう下書きを終えているハズだったのですが、道半ばで力尽きました・・・ なんとなーく、国語だし、古典絡みでもあるし、テキストも縦書きだし、最終的に清書は手書きになるし、、、と、原稿用紙を引っ張り出して下書きから手書きで臨んでおりまして、6時間を費やしても、半分しか書きあがっておりません・・・
(手書きって、こんなに大変だったかしら????????)

 まぁ、それでもゴールは見えて参りました。下書きは明日の朝勉タイムに終わるハズです。30日まで出勤ですが、下書きさえ終えれば、速度アップできるはず。目標だった年内提出を達成できそうですw
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おおおお~っ( ´Д`)

2013年12月22日 10時15分24秒 | 国語学
 未だ、チマチマと折口先生のテキスト『国語学』を読んでおります。
夜スク英語Rの試験のため英語漬けになった後の『国語学』の味わいは、別格ですなぁ。チョットばかしメンドクサガリの私のことで、本文に注釈があってもスッ飛ばし後で確認という読み方をしてしまいがちなのですが、このテキストは本文に添えられた(註)の小文字に出会うたびに、いそいそと後注ページを繰り出して読んでしまいます。

 何故かというと、「それはねぇ~」「だってねぇ~」、「まぁねぇ~」という感じで、詳細が説明されていたり、問題点が指摘されていたりして、とても面白いから。
 田舎暮らしの女子高生時代、教科書に掲載されていた折口先生の写真に感じたトキメキ(過去記事『休み時間のしなさだめw』参照)は本物だったのかもしれません!

 チマチマと本文と注を行き来しながらテキストを読み進めていて(速度は牛歩)、思わず「おおおおっ」と独りごちた記述がございました。注ではなく本文ですが、以下に引用いたします。

第二章『言語の発生的観察』の第五節『助動詞・助辞の屈折』より
(前略)、言語には尚、科学性の深い論理性が重要なのである。おそらく、日本語の今後の行くべき所は、助動詞の発生原因が示してゐる様に、気分を豊富にし、感動を豊にこめ、判断をきつぱりと言はないと言ふ様な点から、脱却する必要が多いのだらう。それは助動詞の表現に対しての、反省と言うことが必要だと思ふ。
※一部旧字体漢字を改めております


以前、レポートの書き方学習の道中(『レポートの書き方、その2』参照)で引用した『理科系の作文技術』の木下先生の記述を、以下に再び引用してみましょう。
相手をおもんぱかって敢えて自分の考えを明言せぬ言語習慣が,私たちの社会の風通しをわるくしている.また科学(自然科学とかぎらず社会科学でも人文科学でも)は冷たく澄んだ世界で,そこではとことんまで突きつめた明確な表現が必要なのだ


 木下先生の作文指南では、引用した部分の目的を達するために「修飾語の刈り込み」という手法が推奨されておりました。
 折口先生は、助動詞&助辞の働きそのものから研究すべきであると書いています。

手法や研究方法は違えど、日本語の特徴をとらえて、それを反省しつつ、論理で磨き込んで科学的記述を可能にしようとする目的は同じであろうと、私は捉えました。

・・・そして、そのことに、深く深く感動を覚えたのであります。



あゝ、きょうの冬晴れの朝の空のように、スカッと青くどこまでも明瞭な日本語を書いてみたいなぁー
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国語学のテキストを齧ると、、、

2013年12月11日 20時47分54秒 | 国語学


 写真は、1949(昭和24)年6月20日初版の折口信夫著のテキスト『国語学』と、2011(平成23)年3月1日初版の丸谷才一著『完本 日本語のために』です。

 『国語学』は、課題だけを見てレポート作成に着手してしまったので、改めてテキストを最初から読み始めました。第一章の『種々なる国語現象』の第二節に、標準語を設定する意味への言及があります。折口先生曰く「標準語が定まらないでは、学校における低学年の国語教育はできない」、「一地方に偏つた言語表現性を、汎日本的に押し広めて、日本人の表現しようとする意思が、滞りなく十分発揮出来ると言ふ所に、目的を置かなければならない」という部分です。これに触れ、思わず書架から降ろしたのが『完本 日本語のために』なのでした。

 この本の中に、『言葉と文字と精神と』という日本語論があります。これが、折口『国語学』以降の、近代日本語史を教えてくれるのです。
 日本国内のあらゆる地方の言葉の中から一番勢力の強い言葉が標準語として設定されるとき、一番の拠り所になるのは文法であると、折口先生は書いています。地方のことばと標準語である東京の言葉を「日本語の中に横たはつてゐた文法によつて、整頓してゆく」という方法が行われて、標準語の語彙が豊富になってゆく。
 この「日本全国に通じてゐる、普遍的な文法」(折口先生)の脆弱化を指摘しているのが『言葉と文字と精神と』です。丸谷先生は、国語改革によって導入された新仮名遣いと、常用漢字を定めることの弊害を取り上げています。

 旧仮名遣いから新仮名遣いへの移行のために起きた弊害を理路整然と説明されると、素晴らしく得心が行くのですが、今から旧遣いへ戻すことは可能なのだろうか、と考え込んでしまいます。言語は楽なほうへ向かうとは『国語学』の中で折口先生も指摘するところで、規則を緩め(そのせいで弊害が起こっているわけですが、それに気づいている人は少ないと思われ、実際に私もこの本に出会うまで考えてもみなかったほど)すっかり世間に浸透している新仮名遣いを、旧仮名づかいへ再び変更するのは、旧→新への変更よりも難しいのではなかろうか・・・
 この問題は、さらに学習を深め、改めて考えてみなければならないな、と感じます。

 常用漢字については、私も新聞を読んでいて疑問に思うことがとっても多い!
漢字熟語をひらがな&漢字で表記しているのを見ると、イラッとしてしまいます。読めればいいというものではないでしょう。知らない(もしくは読み方がわからない)熟語でも漢字を見れば意味が想像できる、というのが、漢字熟語の便利なところなのに。「漢字は部首さえ覚えてしまえば意味が想像しやすい文字である」と『私の外国語学習方法』(ちくま学芸文庫)の著者で、16カ国語を身に着けたロンブ・カトー女史も言ってます。漢字は象形文字の名残を留めた部首というキッカケと想像力で読める便利な文字なのです。
 全部ひらがなにして(平仮名)と続け書きするか、平仮名(ひらがな)とするか、新聞や教科書ならば、文字数を惜しまず表記してほしい。ルビをふるという手もあります。ふり過ぎると、行間に蟻んこがウジャウジャしているような仕上がりになってしまうのは確かですが、、、
とにかく、漢字の使用は、書き手の裁量に任せておけばいいでしょう。新聞にしろ教科書にしろ、出版社は商品を作る訳ですから、きちんと読者のレベルを考えて各社の基準で表記を決めればよいのです。時代と読者に合った表記を考えるのも、仕事のうちだと思うのです。それをせず、安易に漢字熟語のかな混ぜ表記に走っている印刷物を見ると、とても悲しい心持になります。。。



 ハナシは明後日の方へ飛びますが、実は、昨日、出勤前にこの記事を書こうとしていて挫折しました。時間切れで完成を諦めたとき、保存ボタンと間違えて公開ボタンを押すというミスを犯しました。慌ててひっこめましたが、どうやら、更新情報が皆様のもとへ飛んでしまったようで、、、、
今朝、訪問者数が更新時と同じレベルで増えているのを見て(このブログのアクセス記録は、リアルタイムではなく翌日発表なのです)、公開情報を飛ばす設定にしていたことに思い至りました。更新情報を得て覗きに来てくださったみなさま、無駄足をお踏ませし、申し訳ありませんでした。。。

 本日はお休みでしたので、ついさっきまで丸谷本を読み返しておりました。これをちゃんと書こうとすると、遅筆な私の事ですから、いつ書きあがるかわからない・・・
 常用漢字表記の取り決めに迎合する出版社へのやるせない思いを吐き出したところで、『国語学』への思いを綴るのは一旦休止します。ホントは、もっとしっかり丸谷本に書かれている批判に言及したかったのですが、力不足で書くことができませんでした。

 折口『国語学』のその後の国語学として、丸谷近代~現代日本語論に興味がおありの方は、『完本 日本語のために』を読んでみて下さい。とても刺激的です。 オマケに『大学入試問題を批判する』という章の初っ端は、「慶應大学法学部は試験をやり直せ」です。この本を最初に読んだとき、私は塾生ではなかったので笑って読み過ごしましたが、塾生となりこのタイトルを見ると、ヒヤリとします。この文章が公表されたあとのコトもあとがきに触れられています。


以上、『国語学』のテキストからの2日にわたる大脱線でした。
いやはや、なんとも、力不足です。
さっさと軌道修正をしてテキストを読み切り、レポートに再挑戦したいと思います^^;
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