〇一ノ瀬俊也『飛行機の戦争1914-1945:総力戦体制への道』(講談社現代新書) 講談社 2017.7
日本が太平洋戦争に敗北した理由の一つとして「大艦巨砲主義」という言葉がある。日本軍は、伝統的な艦隊決戦に拘りつづけ、「航空戦力を基軸にした海軍戦力の再構築が果たせなかった」という批判である。戦艦大和、武蔵は、同主義の代表的事例と見なされている。しかし、本当のところ、国民の「軍事リテラシー」において、戦艦と飛行機は、どのように認識されていたのか。本書は時代を追って説き明かしていく。
まず、大正~昭和初期。第一次世界大戦の青島戦で、日本陸海軍の飛行機は初の実戦を体験し、大戦間の欧州における飛行機の急速な発達は日本国内でも関心を高めた。大正の初めの時点で「飛行機の優劣が戦艦による海戦全体の死命を制する」という原則が、すでに日本国民にも報じられていた。
この時期、「都市防空思想の立役者」として活躍したのが長岡外史である。このひと、日本の飛行機の発展に貢献した人物という認識はあったが、なぜ航空戦力の拡充が必要かというと、将来の戦争では爆撃機が日本の都市を襲う→迎撃できる戦闘機が必要、という理屈だったのだな。長岡は、大坂・名古屋などの大都市が敵の空爆によって灰燼に帰する様を、空恐ろしいくらいリアルに描いている。いや、当時の人々が、どれだけ「リアル」と感じたかは分からないが。
次に、満州事変(昭和6/1931年)以後。空軍の重要性が国民に根づいた結果、軍への飛行機の献納運動が盛んに展開された。空軍は、海軍軍備の劣勢を補うものとして期待された。なお、当時の海軍が、仮想敵国アメリカの軍備をどう見ていたかも興味深く、アメリカが大艦巨砲主義を取り、プラス航空隊を整備して「制空権下の艦隊決戦」を目指している以上、日本もそれに追随せざるを得ない、と主張している。また、昭和初期から活発化した都市防空演習は、国民の不安と恐怖を煽り、空襲を阻止できるのは航空軍備しかないという認識が広まっていく。
昭和12年(1937)に勃発した日中戦争では、陸海軍の航空部隊が大きな役割を果たし、南京や重慶への事実上の無差別爆撃も行われた。防空演習を通じて「空襲の恐怖」を学んできた日本国民は、敵国の首都を炎上させることで快哉を叫ぶのである。この事実の順序関係は、本書で初めて認識したところで、なんとも苦いものがある。
日中戦争の華々しい戦果は、積年の対欧米劣等感を払拭し、海軍内には大艦巨砲主義どころか、航空戦力さえあれば対米戦は可能とする見解が生まれた。日米開戦の年、昭和16年(1941)の著『日米戦はば』には、戦艦で劣っても空軍さえあれば負けない旨の記述があるという。ううむ、今となっては緒戦で勝ち過ぎたのがいけなかったように思う。昭和15年(1940)の零戦の登場など、少なくとも一時期の日本の航空機制作技術は、欧米に引けをとらない水準に達していた(と思いたい)。しかし優位は続かなかった。
多くの国民が飛行機増産に動員され、航空機燃料となる松根油の増産に駆り出された人々もいた。しかし、今でこそ知ることのできる実際の統計(日米の飛行機生産数)は非情である。特に、生産能率の面ではるかに及んでいないという事実は悲しいが、当時の人々に知るすべはなかっただろう。一方、飛行機の乗員の技量については「日本が各段に上」という宣伝が行われていた。「米国の弱点を”人”に見いだす大正以来のなじみ深い考え方」と著者は書いているが、こういう欺瞞をいまの日本もやっていないか(別の国を対象にして)よく考えてみる必要があると思った。
以上のように、戦時下の国民にとっての対米戦争は航空機主体の戦争だった。にもかかわらず、戦後の日本に「大艦巨砲主義」批判が定着したのは、航空戦に協力した民衆を免罪するためではなかったかと本書は結論する。この視点はとても興味深い。100パーセント賛成するわけではないけれど、忘れないようにしたいと思う。最後に本書で初めて知った高村光太郎の詩(昭和14/1944年)の最初の2行だけ引用しておこう。「黒潮は何が好き。/黒潮はメリケン製の船が好き。」というものだ。著者は「戦時下対国民宣伝のもっとも陳腐な事例」とくさしているけど、毒々しい悪夢のようで忘れがたい。
日本が太平洋戦争に敗北した理由の一つとして「大艦巨砲主義」という言葉がある。日本軍は、伝統的な艦隊決戦に拘りつづけ、「航空戦力を基軸にした海軍戦力の再構築が果たせなかった」という批判である。戦艦大和、武蔵は、同主義の代表的事例と見なされている。しかし、本当のところ、国民の「軍事リテラシー」において、戦艦と飛行機は、どのように認識されていたのか。本書は時代を追って説き明かしていく。
まず、大正~昭和初期。第一次世界大戦の青島戦で、日本陸海軍の飛行機は初の実戦を体験し、大戦間の欧州における飛行機の急速な発達は日本国内でも関心を高めた。大正の初めの時点で「飛行機の優劣が戦艦による海戦全体の死命を制する」という原則が、すでに日本国民にも報じられていた。
この時期、「都市防空思想の立役者」として活躍したのが長岡外史である。このひと、日本の飛行機の発展に貢献した人物という認識はあったが、なぜ航空戦力の拡充が必要かというと、将来の戦争では爆撃機が日本の都市を襲う→迎撃できる戦闘機が必要、という理屈だったのだな。長岡は、大坂・名古屋などの大都市が敵の空爆によって灰燼に帰する様を、空恐ろしいくらいリアルに描いている。いや、当時の人々が、どれだけ「リアル」と感じたかは分からないが。
次に、満州事変(昭和6/1931年)以後。空軍の重要性が国民に根づいた結果、軍への飛行機の献納運動が盛んに展開された。空軍は、海軍軍備の劣勢を補うものとして期待された。なお、当時の海軍が、仮想敵国アメリカの軍備をどう見ていたかも興味深く、アメリカが大艦巨砲主義を取り、プラス航空隊を整備して「制空権下の艦隊決戦」を目指している以上、日本もそれに追随せざるを得ない、と主張している。また、昭和初期から活発化した都市防空演習は、国民の不安と恐怖を煽り、空襲を阻止できるのは航空軍備しかないという認識が広まっていく。
昭和12年(1937)に勃発した日中戦争では、陸海軍の航空部隊が大きな役割を果たし、南京や重慶への事実上の無差別爆撃も行われた。防空演習を通じて「空襲の恐怖」を学んできた日本国民は、敵国の首都を炎上させることで快哉を叫ぶのである。この事実の順序関係は、本書で初めて認識したところで、なんとも苦いものがある。
日中戦争の華々しい戦果は、積年の対欧米劣等感を払拭し、海軍内には大艦巨砲主義どころか、航空戦力さえあれば対米戦は可能とする見解が生まれた。日米開戦の年、昭和16年(1941)の著『日米戦はば』には、戦艦で劣っても空軍さえあれば負けない旨の記述があるという。ううむ、今となっては緒戦で勝ち過ぎたのがいけなかったように思う。昭和15年(1940)の零戦の登場など、少なくとも一時期の日本の航空機制作技術は、欧米に引けをとらない水準に達していた(と思いたい)。しかし優位は続かなかった。
多くの国民が飛行機増産に動員され、航空機燃料となる松根油の増産に駆り出された人々もいた。しかし、今でこそ知ることのできる実際の統計(日米の飛行機生産数)は非情である。特に、生産能率の面ではるかに及んでいないという事実は悲しいが、当時の人々に知るすべはなかっただろう。一方、飛行機の乗員の技量については「日本が各段に上」という宣伝が行われていた。「米国の弱点を”人”に見いだす大正以来のなじみ深い考え方」と著者は書いているが、こういう欺瞞をいまの日本もやっていないか(別の国を対象にして)よく考えてみる必要があると思った。
以上のように、戦時下の国民にとっての対米戦争は航空機主体の戦争だった。にもかかわらず、戦後の日本に「大艦巨砲主義」批判が定着したのは、航空戦に協力した民衆を免罪するためではなかったかと本書は結論する。この視点はとても興味深い。100パーセント賛成するわけではないけれど、忘れないようにしたいと思う。最後に本書で初めて知った高村光太郎の詩(昭和14/1944年)の最初の2行だけ引用しておこう。「黒潮は何が好き。/黒潮はメリケン製の船が好き。」というものだ。著者は「戦時下対国民宣伝のもっとも陳腐な事例」とくさしているけど、毒々しい悪夢のようで忘れがたい。
表紙・帯写真の軍用機は、九九式艦爆(愛知航空機製、1939年生産開始)。ところが、この写真に釣られて本書を購入した「軍用機オタク」や「軍事研究家」が居たとしたら、見事に肩透かしを喰らいます。本書の内容は、むしろ裏表紙・帯写真の内容・・・「飛行兵募集ポスター」「志願兵検査」「防空演習」「松根油採取風景」等々、「銃後の世界」が主題だからです。
しかも、本書を注意深く読むと、名著『失敗の本質』への扱いが冷淡で批判的なことが分かります。(巻末「参考文献一覧」の掲載から外されている!)これなどは、読書界における「失敗の本質」ブームへの反発であり、警鐘なのでしょうか? 曰く、≪戦後社会における戦争は、たしかに真摯な反省の対象ではあったが・・・経営者用の『教材』としても語られることがあった。その最たる例は有名な『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』だろうが・・・しかし、こうした大艦巨砲主義への・・・批判に対しては、近年の歴史研究で反論が加えられている。その要点は・・・米海軍もまた多数の新型戦艦を建造するなど、戦艦に注力していたではないか、というものである。≫(「はじめに」)
本書の結論は、こうだ。≪戦前戦中の日本において、海軍の戦争はたしかに戦艦主体で構想されていたが、大正末期以来、「制空権下の艦隊決戦」・・・空母や飛行機もその不可欠の要素と位置づけられていた。・・・海軍は・・・このような軍備の建設方針を国民に向けて積極的に語った。この<軍事リテラシー>向上という大正以来の一連の営為は、戦時下の国民が対米戦争とは飛行機で戦われるべきものと考え・・・それに協力していった要因と私はみる。≫(「おわりに」)
もっと云えば、本書も『失敗の本質』(※)も、到達点に然程の差異は感じられません。そこに至るプロセスとして、「真実の歴史とはもっと重層的なもの」という著者(一ノ瀬氏)の主張・・・「上から目線」や「紋切り型」歴史観へのアンチテーゼと解すべきなのでしょう。
※例えば、『失敗の本質』の第三章(失敗の教訓)→「日本軍の環境適応」で記されたロジック。