見もの・読みもの日記

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饕餮(とうてつ)文の正しい見かた/神秘のデザイン(泉屋博古館分館)

2012-02-29 22:57:13 | 行ったもの(美術館・見仏)
泉屋博古館分館 開館十周年記念展『神秘のデザイン-中国青銅芸術の粋-』(2012年1月7日~2月26日)

 京都・鹿ヶ谷にある泉屋博古館本館には、中国古代の青銅器が常設されている。中国古代(殷周時代)の青銅器といえば、饕餮(とうてつ)文と呼ばれる、過剰で偏執的な装飾に表面を埋めつくされたものが多い。ただし、あらためてWikiを読んでみたら、当初から饕餮と呼ばれる存在(怪物?鬼?最高神?)の描写であったという証拠は何もなく「後世に饕餮文と呼ばれているだけ」なのだそうだ。

 とにかく「饕餮文」という言葉を覚えてしまうと、ぐるぐる渦を巻いた文様に、ちらりと目鼻らしいものが見えただけで、ああ、饕餮文ね…と流し見てしまうのが素人である。ところが、本展は、展示品の表面を白黒写真に起こし(隙間を埋める不要な文様を消した上で)ここが目、ここが口、ここが足、ここが尾、という具合に、怪物のパーツを丁寧に示してくれているのだ。驚いた。今まで、どれも顔のアップかと思っていたら、実は多くの場合、遠近法を無視して、足や尾も描かれているのである。

 そのほか、龍や鳥なども、思ってもいなかった姿勢で、渦巻文の中に潜んでいることが明らかになる。視力、いや心理学検査の問題のようだ。目からウロコ。今まで、ずいぶんたくさん古代の青銅器を見てきたはずなのに、私は何を見ていたんだろうと思った。

 造形的な逸品は『虎卣(こゆう)』。泉屋博古館のサイトに行くと、最上段のバナーの右端に、ぽつんと外側を向いて鎮座している。後ろ足とシッポの三点で立ち上がった、猫背の虎である。よく見ると胸にヒトを抱いていて、無表情なヒトの頭はトラの口に、スッポリおさまっている。

 第2室、秦・漢・唐と時代が新しくなるにつれ、青銅器は祀りの道具から高級調度品へと変わる。確かに、前漢(前1-2世紀)には美的センスが一気に近代化(!?)して、現代人にも理解できるものになっていると思う。さらに、宋・明代には、古代の青銅器を尊ぶ気持ちから、その模倣品がつくられ、一部は日本にももたらされて、古銅花入れや香炉として珍重された。『金銀錯獣形尊(きんぎんさくじゅうけいそん)』(北宋9-11世紀)は戦国時代の犠牛をかたどった倣古作。コーギー犬のような体形、ウサギ耳、赤い玉眼が可愛い。

 予想を裏切って面白い展示だったが、もうひとつ私には、新鮮な発見だったことがある。ホールにしつらえられた「住友家の正月飾り」である。住友家は、正月の床の間に別子銅山の「小(こばく)」「吹炭(ふきすみ)」「床尻銅(とこじりどう)」を飾り(それぞれ白木の三宝に載せる)、事業の繁栄を祈ってきたという。

 左端の「小(こばく)」は、その年の最高品位の銅鉱石。しめ縄と水引で飾る。中央の「吹炭(ふきすみ)」は燃料。松竹梅の造花と水引で飾る。右端の「床尻銅(とこじりどう)」と呼ばれる、大きな煎餅のようなぼろぼろの銅板は、1691年(元禄4年)、別子鉱山で採掘された最初の鉱石から作ったもので、「住友家の家宝」であるそうだ。

 そうかー。住友といえば金属、住友といえば銅山なんだな、とあらためて認識。重工業時代を知らない私は、住友といえば、銀行か総合商社のイメージしかなかった。だから、家業の「銅」に敬意を表して、泉屋博古館には青銅器コレクションがあるのか?!と思ったが、当たっているかどうかは知らない。でも、こうやって立ち返る歴史を持っている企業は、なんとなく信用できる気がする。

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