見もの・読みもの日記

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理想と誇りの住まい/集合住宅(松葉一清)

2016-08-29 01:46:23 | 読んだもの(書籍)
○松葉一清『集合住宅:二〇世紀のユートピア』(ちくま新書) 筑摩書房 2016.8

 20世紀前半、世界中で建設された集合住宅は、庶民にも快適な生活を行きわたらせようという強い信念に支えられていた。この時代、建築家たちが目指した住空間を、本書は「ユートピア」と呼ぶ。

 店頭でパラパラめくったら、冒頭に長崎の軍艦島が取り上げられていた。日本で最初に鉄筋コンクリートの高層住宅が建てられた地として知られているが、最近読んだ『世界「最終」戦争論』で姜尚中先生が、格差と階層を色濃く反映した集合住宅だったことを指摘していて、関心を抱いていたのだ。

 本書では、三菱の社員と中国人や朝鮮人労働者の待遇の差という話は出てこない。むしろ、猛烈な風と高波に抗う厳しい自然環境が、資本家と労働者に一種の戦友意識をつくり出したと語られている。しかし、いずれにしても鉱夫を高密度で住まわせる目的に特化した結果、快適さに配慮した「都市計画」は存在しなかった。ピラネージの「監獄」を思わせる光景。今日の廃墟には「ディストピア」の暗さが漂っているという。

 軍艦島の章からあとは、しばらく海外の集合住宅の紹介が続く。フランクフルト、ウィーン、アムステルダム、パリ。いずれも20世紀前半(つまり軍艦島と同じ頃)に建てられた集合住宅が現役で残っている。それらは、規格化・工業化によって建築生産の効率を上げることで、大都市労働者の住宅問題の解決を図る試みであった。より多くの人々に「生活に最低限必要な機能」を満たす(この意味は、多くの日本人が考えるよりも、かなりレベルが高い!)住空間を提供すること。それが建築家の社会的使命であり、モダニズムの志向する「ユートピア」だった。私は初めて、モダニズム建築の真の意義を理解したように思う。

 写真と著者の訪問ルポで紹介されている各都市の集合住宅は、それぞれ異なる背景や設計思想を持つ。しかし共通している点もあって、個別の住空間以上に、コミュニティのデザイン(都市計画)に注意が払われていることはそのひとつだろう。ベンチの老人たちが子供たちを見守るような、コミュニティの機能が今も健在であり、多くの住民が自分の住宅の歴史に誇りを持って、百年近い歳月を経た集合住宅を維持管理しながら住みこなしているというのは驚きだった。日本の集合住宅の場合、どうしても仮住まい意識が強くて、なかなかそれほどの愛着を持てないと思う。

 そして再び日本へ戻る。1930年、関東大震災からの帝都復興が進む中で、建築家・山田守(1894-1966)が紹介したヨーロッパのモダニズム建築、とりわけドイツ語圏でいう「ジードルンク」(集合住宅団地)に注目が集まり、同潤会アパートメントが生み出される。「同潤会」の建築家には、ただの「ねぐら」でなく、暮らしの全てをまかなう小宇宙=ユートピアを目指す意識が明確にあった。同じ意識をもって、江東区のスラム・クリアランスのための集合住宅も手がけた。

 1980年代、同潤会アパートの老朽化が進み、建て替えが始まると、保存運動が起きたことは、私も記憶している。著者は、ノスタルジーの対象としてではなく、「ユートピア」志向を語り継ぎ、それを学ぶために残す価値があったと振り返る。しかし、老朽化の状況(まっすぐ歩けないほど床がうねり、傾斜していた等)を考えると取り壊しはやむを得なかったとし、ヨーロッパの同時代の集合住宅と比べて「彼我の技術、そして建設後のメンテナンスに対する知識の落差」を嘆いている。特に後者の差は大きいのではないかと思う。2015年までに同潤会アパートは全て姿を消した。

 なお、世界の集合住宅ルポに登場しなかったイギリスでは、「田園都市」構想による労働者救済が試みられた。「田園都市」の提唱者であるハワードは、レッチワースに職住近接の住宅都市の実現を図った。緑に囲まれたなかに住宅の街区があり、居住者はそこから徒歩で仕事に出かけるのだ。これもまた、今なお健在であるという。うらやましい…というか、やっぱり日本人の「健康で文化的な最低限度の生活」に対する感覚は、もっと是正されるべきなんじゃないかと思う。本来の「田園都市」は労働者の快適な生活のためのものであって、一握りの投資資産家のものではないのだ。

 「ユートピア」を目指した同潤会アパートが完全消滅し、軍艦島が世界遺産として残ったことに対する思いを著者は「歯がゆさ」と表現している。今はせめて、この「歯がゆさ」だけでも未来に継承していくしかないと思った。
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