元衆議院東京2区の泡沫候補・千葉 潤のきょうのひとこと

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「選挙の後は…」(2015/3/31)

2015-03-31 12:53:22 | 日記
きょうは2015/3/31(火)です。

「選挙の後は…」(2015/3/31)

「選挙では 『できる』と叫び 当選し 選挙の後は 失望させる?」-。

沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古沖への移設のための埋め立て作業に必要な岩礁破砕許可の権限を持つ翁長雄志知事が3/23に沖縄防衛局長に対して作業を中止する指示を出していた問題で林芳正農林水産相が3/30に指示の効力を一時的に停止する決定をした波紋が広がっています。普天間問題での国と沖縄県との対立は深刻なものになっています。

言うまでもなく自由な民主主義国家では選挙で示された「有権者の意思」は最大限に尊重されなければならないと思います。確かに「民意」というものは大切です。しかし、それでもやはり、自由な民主主義国家においては、「公約」の実現可能性やその与える影響などを十分に検証することなしに掲げた「公約」を選挙後は「唯一絶対の結論」として扱うような「選挙至上主義」だけは断じて許すことができないのです。「選挙至上主義」を容認すれば最終的には自由な民主主義国家は崩壊することになるのです。

 くどいようですが、自由な民主主義国家では選挙で示された「有権者の意思」は最大限に尊重されなければならないとは思います。しかし、「公約」の実現可能性やその与える影響を十分に議論することのないままに示された「有権者の意思」というものが本当の意味での有権者の意思であるかどうかは非常に疑問です。多少の批判を恐れずにあえて言わせてもらうのならば、十分に議論することのないままに示された意思は無責任なものになりがちなのです。もしも有権者が選挙前に「公約」の実現可能性やその与える影響について徹底的に検証した上で選挙で「公約」の実現を望む意思を示した場合には、自由な民主主義国家ではそうした意思を示した有権者の責任も同時に問われるはずなのです。

あくまでも一般論ですが、最近は選挙で「公約」は「実現できる」などと叫んで当選して選挙の後は多くの人たちを様々な意味で失望させる無責任な人間たちが増えています。実現可能性やその与える影響などを十分に検証することなしに掲げた「公約」を選挙後に「唯一絶対の結論」として扱うような「選挙至上主義」は民主主義の土台を破壊することになるのです。先の沖縄県知事選では普天間問題についての「公約」の実現可能性が本当に十分な形で検証されたのでしょうか? 今現在問われているのはそのことのはずなのです。きょうのところはこれ以上の深入りは避けることにしておきます。

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「いつまで続く?」(2015/3/30)

2015-03-30 07:01:59 | 日記
きょうは2015/3/30(月)です。

「いつまで続く?」(2015/3/30)

「『握手』とか 『言葉を交わす』 話とか いつまで続く? 『形』のニュース!」-。

きのう3/29に安倍晋三首相はリー・クアンユー元首相の国葬に参列するためにシンガポールを訪問しました(→3/29朝に羽田空港を出発、3/30未明に帰国)。相変わらず安倍首相は休日も活動的です。

ちなみに安倍首相は同じく国葬に参列した韓国のパク・クネ(朴槿恵)大統領らとあいさつや握手を交わしたなどと報道されています。握手の話とか言葉を交わした話とか…。いったいいつまでこんな「形」だけのニュースが続くのでしょうか? そもそも「握手」とか「言葉を交わす」などという程度のことは本当にニュースとして取り上げるべきことなのでしょうか? 「形」だけのニュースにうんざりしている人たちも少なくないと思います。誰かひとりだけ、どちらか一方だけに原因があるわけではないのですが、本当にうんざりさせられるものです。

 さて、話は変わります。きょう3/30に暫定予算案が成立する見通しです。参議院で審議中の2015年度予算案の年度内成立の見通しは立たず、また自然成立が4/11ですから、やむを得ない必要不可欠な手続きになるわけです。その上で、あえて言わせてもらうのならば、本当に参議院で「十分な審議」をする必要があるのでしょうか? またそもそも参議院では「十分な審議」をしているのでしょうか? 2015年度予算案とは直接的な関係のない質問ばかりしている議員たちの映像を見ながら参議院での審議に疑問を持っている人たちも少なくないと思います。2015年度予算案の審議を「形」だけ「十分な審議」をしたことにする意味が問われていると思います。

最近「形」だけのニュースが増えているような気がします。確かに「形式」は大切です。しかし、こうも「形」だけの実質的な中身の乏しいニュースが増えてくるとうんざりさせられるものです。中身が乏しくなったのは誰かひとりだけ、どちらか一方だけに原因があるわけではないということをあえて指摘しておくことにします。

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「『よそ者』」(2015/3/29)

2015-03-29 07:00:58 | 日記
「『田舎者』 『よそ者』見ると 身構えて 『田舎のルール』 押し付け出すか?」-。

きょうも日本の政治に関連した個別具体的な事例とは直接的な関係はないけれどもこれからの日本国にとっては重要な「田舎」と「都会」の問題についてさらに考えてみることにしたいと思います(→参考:2015/3/28付、2015/3/25付、2015/3/24付、2015/3/23付、2015/3/21付、2015/3/18付、2015/3/15付、2015/3/14付、2015/3/9付etc.)。何度も繰り返し取り上げていますが、これからの日本国を考える場合には拡大を続ける「新しい首都圏」(→参考:2015/3/15付、2015/3/14付、2015/3/9付、2014/8/25付、2014/8/14付、2014/8/13付、2014/7/31付、2014/7/30付etc.)の問題と真正面から向き合わざるを得ないのです。そして「新しい首都圏」の拡大は様々な意味で勘違いしている人間たちの「温床」となる「田舎」を衰退させていく可能性が高いのです。

何度も繰り返していますが、多くの人たちは「田舎」という言葉にどのようなイメージを持っているのでしょうか? 例えば、「豊かな自然に恵まれていて大きな建物は学校と役所ぐらいしかない場所」を思い浮かべるのでしょうか? あるいは「だいたいの人たちの職業が農林水産業である場所」「勤務先と言えば学校か役所か農協ぐらいしか存在しない場所」を思い浮かべるのでしょうか? あるいはまた「人間の数よりも牛や馬や豚や鶏などの数の方がずっと多い場所」のことを思い浮かべるのでしょうか? 確かに「田舎」の中にはそういう場所がたくさんあるのだろうと思います。しかし、くどいようですが、私に言わせれば、そうした見かけの上での「田舎的なもの」が「田舎」の本質ではないのです。私に言わせれば、一人ひとりの個人の「プライバシー」などが尊重されないような「あまりにも息苦しい空気」の中に「田舎」の本質を見出すことができるのです。

「田舎」という言葉を聞くと真っ先に「互いの親兄弟の名前と顔だけではなく、叔父叔母祖父母などの親戚の名前と顔も互いに知っているような場所」「店や駅やバス停や道路などがたった1つしかないのでいつどこで何をしたのかがすぐに知られてしまう場所」のことを思い浮かべるという人たちも少なくないと思います。そういう意味では「田舎」とは「『公』『私』の区分が明確になっていない場所」「一人ひとりの個人の『プライバシー』などが十分に保障されていない場所」であると考えることができると思います。あえて言い換えれば、「田舎」とは「ほとんどすべての人たちが『田舎のルール』に忠実に従う『住民A』や『住民B』にされてしまう場所」ということになります。

もしも「よそ者」がそんな「田舎」にやってきたとしたらいったいどういうことになるのでしょうか? おそらく良い意味でも悪い意味でも「田舎のルール」に忠実に従う「住民A」や「住民B」とはハッキリ違う「よそ者」としての扱いを受けることになるのだろうと思います。極端な場合には「よそ者」を見ると身構えて「田舎のルール」に強くしがみついたりを押し付けたりするようになる「田舎者」も出てくるのかもしれないと思います。ある意味では「田舎」とは「田舎のルール」に忠実に従う「住民A」や「住民B」と「よそ者」とをハッキリと区別することができる場所であると考えることができると思います。そしてさらに言えば「よそ者」だらけの「都会」ではなかなか聞く機会がない「よそ者」という言葉を好んで使うような人間たちは正真正銘の「田舎者」ということになるのだろうと私は見ています。繰り返しになりますが、ほとんどの人たちに対して「田舎のルール」に忠実に従う「住民A」や「住民B」になることを求めるような「空気」が残り続けることになるのならば、しがらみのあまりない若い人たちが「田舎」から「都会」へと向かう動きはさらに進むことになるだけだと思います。「新しい首都圏」の拡大は日本全国に残されたそんな「田舎」を衰退させて消滅させることになる可能性が高いのです。この問題についてはまた取り上げることにします。

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「『住民A』」(2015/3/28)

2015-03-28 11:54:45 | 日記
きょうは2015/3/28(土)です。

「『住民A』」(2015/3/28)

「『田舎』では 『住民A』の 人生は 他の『住民』に 決められていく?」-。

きょうも日本の政治に関連した個別具体的な事例とは直接的な関係はないけれどもこれからの日本国にとってはかなり重要な問題についてさらに考えてみることにしたいと思います。何度も繰り返し取り上げていますが、これからの日本国を考える場合には拡大を続ける「新しい首都圏」(→参考:2015/3/26付、2015/3/24付、2015/3/23付、2015/3/21付、2015/3/18付、2015/3/15付、2015/3/14付、2015/3/9付、2014/8/25付、2014/8/14付、2014/8/13付、2014/7/31付、2014/7/30付)の問題と真正面から向き合わざるを得ないのです。そして「新しい首都圏」の拡大は様々な意味で勘違いしている人間たちの「温床」となる「田舎」を衰退させていく可能性が高いのです。

何度も繰り返していますが、多くの人たちは「田舎」という言葉にどのようなイメージを持っているのでしょうか? 例えば、「豊かな自然に恵まれていて大きな建物は学校と役所ぐらいしかない場所」を思い浮かべるのでしょうか? あるいは「だいたいの人たちの職業が農林水産業である場所」「勤務先と言えば学校か役所か農協ぐらいしか存在しない場所」を思い浮かべるのでしょうか? あるいはまた「人間の数よりも牛や馬や豚や鶏などの数の方がずっと多い場所」のことを思い浮かべるのでしょうか? 確かに「田舎」の中にはそういう場所がたくさんあるのだろうと思います。しかし、くどいようですが、私に言わせれば、そうした見かけの上での「田舎的なもの」が「田舎」の本質ではないのです。私に言わせれば、一人ひとりの個人の「プライバシー」などが尊重されないような「あまりにも息苦しい空気」の中に「田舎」の本質を見出すことができるのです。

 「田舎」という言葉を聞くと真っ先に「互いの親兄弟の名前と顔だけではなく、叔父叔母祖父母などの親戚の名前と顔も互いに知っているような場所」「店や駅やバス停や道路などがたった1つしかないのでいつどこで何をしたのかがすぐに知られてしまう場所」のことを思い浮かべるという人たちも少なくないと思います。そういう意味では「田舎」とは「『公』『私』の区分が明確になっていない場所」「一人ひとりの個人の『プライバシー』などが十分に保障されていない場所」であると考えることができると思います。あえて言い換えれば、「田舎」とは「ほとんどすべての人たちが『田舎のルール』に忠実に従う『住民A』や『住民B』にされてしまう場所」ということになります。そして極端な場合には「住民A」の人生はその他の「住民」によって決められてしまうことになるのだろうと思います。もしも「住民A」になることを拒むのならばその人は「田舎」の中では「よそ者」としての扱いを受けることになるのだろうと思います。これからもほとんどの人たちに対して「住民A」になることを要求するような「空気」が「田舎」に残り続けることになるのならば、しがらみのあまりない若い人たちが「田舎」から「都会」へと向かう動きはさらに進むのだろうと思います。自由な民主主義国家においては誰でも自分自身の人生を自分自身で決めることができる自由があるはずなのです。

 「田舎」というところはほとんどすべての人たちが「住民A」として生きることを強制される場所であるからこそ「おかしな慣習」や「しがらみ」がいつまでもなくならないのだろうと思います。そして「田舎」というところでは「公」「私」のけじめを知らない輩が「公」「私」のけじめを知らないまま一生を終えることが不可能ではないのだろうと思います。繰り返しになりますが、自由な民主主義国家においては誰でも自分自身の人生を自分自身で決めることができる自由があるはずなのです。自由な民主主義国家の中に「住民A」の人生が他の「住民」によって事実上決められてしまうような「田舎」が残っているのはあまりにもおかしな話なのです。「新しい首都圏」の拡大は日本全国に残されたそんな「田舎」を衰退させて消滅させることになる可能性が高いのです。この問題についてはまた取り上げることにします。

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「どう響くのか…」(2015/3/27)

2015-03-27 06:49:45 | 日記
きょうは2015/3/27(金)です。

「どう響くのか…」(2015/3/27)

「『県』内に 『政令市』ある 不自然さ 投票率に どう響くのか…」-。

きのう3/26に統一地方選挙の前半戦トップを切って北海道、神奈川、福井、三重、奈良、鳥取、島根、徳島、福岡、大分の合計10の道・県知事選が告示されました(→投開票日は4/12)。どういうわけか最近は問題視されることが少なくなってきていますが、「政令指定都市選出の道府県会議員」と「政令指定都市の市議会議員」は本当に両方とも必要なのでしょうか? 私は統一地方選挙の機会に「道府県」と「政令指定都市」の関係を改めてじっくりと考えてみる必要があると思います。

例えば、神奈川県には横浜市(371万1450人(2015/1/1現在))、川崎市(146万1909人(同))、相模原市(72万2949人(同))の3つの政令指定都市があります。3市の人口の合計は589万6308人(同)になりますから神奈川県の人口910万346人(同)の実に約65%を占めることになります。率直に言わせてもらうのならば、神奈川県にとって政令指定都市である横浜市と川崎市と相模原市とはいったい何なのでしょうか? 県民の約65%が政令指定都市の市民でもあるという中途半端な状態は投票率にどのような影響を与えるのでしょうか? それとも与えないのでしょうか? 私はこの機会に「道府県」と「政令指定都市」の関係を改めてじっくりと考えてみる必要があると思っています。

 そもそも「政令指定都市選出の道府県議会議員」はどのような問題意識を持ってどのような政治活動を志して「政令指定都市選出の道府県議会議員」になったりなろうとしたりしているのでしょうか? そして実際問題としてそれぞれの政令指定都市特有のどのような問題をそれぞれの道府県議会の中で処理することができているのでしょうか? 実際にそれぞれの道府県議会の中でそれぞれの政令指定都市特有の問題のいくつかを処理していることは間違いないのだろうと思います。それならなぜそれぞれの政令指定都市特有の問題をわざわざ道府県議会の中で処理しなければならないのでしょうか? それぞれの道府県の中では政令指定都市とその他の市町村には実質的な違いがなくなってしまうのでしょうか? なぜ「政令指定都市の市議会議員」として「政令指定都市の市議会」の中で処理することができないのでしょうか? 原因は制度の不備なのでしょうか? 「政令指定都市」と「道府県」の関係が問題になります。

 道府県内に政令指定都市があるという不自然さは地方選挙の投票率にどのような影響を与えるのでしょうか? それとも与えないのでしょうか? 地方選挙の投票率に道府県民の多くが政令指定都市の市民でもあるという中途半端な状態はどのような影響を与えるのでしょうか? それとも与えないのでしょうか? くどいようですが、私は統一地方選挙の機会に改めて「道府県」と「政令指定都市」の関係をじっくりと考えてみる必要があると思っています。この問題についてはまた取り上げることにします。

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「『わが軍』の『空母』?」(2015/3/26)

2015-03-26 08:03:59 | 日記
きょうは2015/3/26(木)です。

「『わが軍』の『空母』?」(2015/3/26)

「『わが軍』の 『空母』に見える ことよりも 大切なのは 『戦力』なのか」-。

きのう3/25に空母のような広い甲板を持つ海上自衛隊最大の護衛艦「いずも」が就役しました(→全長248メートル、基準排水量約1万9500トン。建造費約1200億円。同時に5機の哨戒ヘリなどが発・着艦可能。軍事的に見れば普通は「ヘリ空母」に分類されるという)。また安倍晋三首相が3/20の参院予算委で自衛隊を「わが軍」と呼んだことについて波紋が広がっています。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(日本国憲法9条1項)、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」(日本国憲法9条2項)

 あくまでも念のために確認しておきますが、日本国民ならば何度も読んだことがあるであろうお馴染みの日本国憲法9条で「保持しない」とされているのは「戦力」であるはずなのです。「わが軍」でも「軍隊」でも「空母」でもないということには注意が必要になります。さらにあえて言えば、たとえ「軍隊」や「空母」であったとしても「戦力」にならないものであるのならば保持していたとしても少なくとも憲法違反にはならないということには注意が必要になります。例によって例のごとく永田町周辺で「わが軍」などという言葉や「空母のような外見」が独り歩きし始めていることにうんざりさせられます。大切なのは「軍隊」や「空母」であるかどうかということではなく「戦力」であるかどうかということのはずなのです。

 日本国の自衛隊は「軍隊」なのでしょうか? 日本国の内閣総理大臣が自衛隊を「わが軍」と呼んではいけないのでしょうか? 海上自衛隊の護衛艦「いずも」は「わが軍の空母」なのでしょうか? くどいようですが、大切なのは「軍隊」や「空母」であるかどうかなどということではなく「戦力」であるかどうかということのはずなのです。永田町周辺でバカバカしい騒ぎが始まらないことを心から望んでいます。

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「『田舎』なら…」(2015/3/25)

2015-03-25 07:50:39 | 日記
きょうは2015/3/25(水)です。

「『田舎』なら…」(2015/3/25)

「『田舎』なら 合法的な 『ストーカー』? 『都会』でやれば 『犯罪』になる!」-。

きょうも日本の政治に関連した個別具体的な事例とは直接的な関係はないけれどもこれからの日本国にとってはかなり重要な問題についてさらに考えてみることにしたいと思います。何度も繰り返し取り上げていますが、これからの日本国を考える場合には拡大を続ける「新しい首都圏」(→参考:2015/3/24付、2015/3/23付、2015/3/21付、2015/3/18付、2015/3/15付、2015/3/14付、2015/3/9付、2014/8/25付、2014/8/14付、2014/8/13付、2014/7/31付、2014/7/30付)の問題と真正面から向き合わざるを得ないのです。そして「新しい首都圏」の拡大は様々な意味で勘違いしている人間たちの「温床」となる「田舎」を衰退させていく可能性が高いのです。

何度も繰り返していますが、多くの人たちは「田舎」という言葉にどのようなイメージを持っているのでしょうか? 例えば、「豊かな自然に恵まれていて大きな建物は学校と役所ぐらいしかない場所」を思い浮かべるのでしょうか? あるいは「だいたいの人たちの職業が農林水産業である場所」「勤務先と言えば学校か役所か農協ぐらいしか存在しない場所」を思い浮かべるのでしょうか? あるいはまた「人間の数よりも牛や馬や豚や鶏などの数の方がずっと多い場所」のことを思い浮かべるのでしょうか? 確かに「田舎」の中にはそういう場所がたくさんあるのだろうと思います。しかし、私に言わせれば、そうした見かけの上での「田舎的なもの」が「田舎」の本質ではないのです。私に言わせれば、一人ひとりの個人の「プライバシー」などが尊重されないような「あまりにも息苦しい空気」の中に「田舎」の本質を見出すことができるのです。

 私は「田舎」とは「公」「私」の区分が明確になっていない場所であると考えています。「田舎」と言えば「互いの親兄弟の名前と顔だけではなく、叔父叔母祖父母などの親戚の名前と顔も互いに知っているような場所」「店や駅やバス停や道路などがたった1つしかないのでいつどこで何をしたのかがすぐに知られてしまう場所」のことを真っ先に思い浮かべるという人たちも少なくないと思います。確かに人口が少ない場所ではそこに住んでいる人たちのほとんどすべてが互いに知り合いで互いにいつどこで何をやっているのかを知っていたとしても特に不思議なことではないのだろうと思います。もちろんそうした互いに知り合いばかりの場所には「都会」にはない様々なメリットもあるとは思います。しかし、互いに知り合いであるが故に一人ひとりの個人の「プライバシー」などが十分に保障されていない場所というものはやはり息苦しいものです。そして繰り返しになりますが、そんな互いに知り合いであるが故に一人ひとりの個人の「プライバシー」などが十分に保障されていない場所に「公」「私」のけじめをつけることができないあまりにも非常識な人間たちが紛れ込んでしまうことになれば、「プライバシー」などは完全に無視されてただでさえ息苦しい「空気」がさらに息苦しいものになってしまうのです。息苦しい「空気」がさらに息苦しくなれば、しがらみのあまりない若い人たちが「田舎」から「都会」へと向かう動きにさらに拍車をかけることになるのだろうと思います。

 世の中には隣人が外出するたびにわざわざ同じ時間帯を選んで同じ場所にやってきて余計なことをしつこく話しかけてくるような煩わしい人間たちがいます。ひどいのになると隣人の生活パターンを調べ上げて隣人がいつも外出する時間帯に家の前の道路や外出先で待ち伏せしているような勘違いした人間たちもいます。店や駅やバス停や道路などがたった1つしか存在しない「田舎」では偶然を装って隣人を待ち伏せしていたとしても隣人の後をつけてきたとしてもおそらく「奇遇」ということにされてしまうのだろうと思います。しかし、そんな「田舎」ではなかなか咎めるのが難しい「合法的なストーカー」のような迷惑行為を「都会」でやれば「犯罪」になる危険性がかなり高くなるのです。いくら「田舎」では咎められなかったとしても「都会」ではそんな非常識な迷惑行為は通用しないのです。「田舎」というところは「公」「私」の区分が明確になっていない場所であるからこそ「おかしな慣習」や「しがらみ」がいつまでもなくならないのだろうと思います。「田舎」というところでは「公」「私」のけじめを知らない輩が「公」「私」のけじめを知らないまま一生を終えることが不可能ではないのだろうと思います。繰り返しになりますが、「新しい首都圏」の拡大は日本全国に残されたそんな「田舎」を衰退させて消滅させることになる可能性が高いのです。この問題についてはまた取り上げることにします。

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「『田舎』では…」(2015/3/24)

2015-03-24 11:07:16 | 日記
きょうは2015/3/24(火)です。

「『田舎』では…」(2015/3/24)

「『田舎』では 『プライバシー』は 無視される? 『公』『私』のけじめ 知らない輩!」-。

きょうも日本の政治に関連した個別具体的な事例とは直接的な関係はないけれどもこれからの日本国にとってはかなり重要な問題についてさらに少しだけ考えてみることにしたいと思います。何度も繰り返し取り上げていますが、これからの日本国を考える場合には拡大を続ける「新しい首都圏」(→参考:2015/3/23付、2015/3/21付、2015/3/18付、2015/3/15付、2015/3/14付、2015/3/9付、2014/8/25付、2014/8/14付、2014/8/13付、2014/7/31付、2014/7/30付)の問題と真正面から向き合わざるを得ないのです。そして「新しい首都圏」の拡大は様々な意味で勘違いしている人間たちの「温床」となる「田舎」を衰退させていく可能性が高いのです。

くどいようですが、ごく普通の多くの人たちは「田舎」という言葉にどのようなイメージを持っているのでしょうか? 例えば、「豊かな自然に恵まれていて大きな建物は学校と役所ぐらいしかない場所」のことを思い浮かべるのでしょうか? あるいは「だいたいの人たちの職業が農林水産業である場所」「勤務先と言えば学校か役所か農協ぐらいしか存在しない場所」のことを思い浮かべるのでしょうか? あるいはまた「人間の数よりも牛や馬や豚や鶏などの数の方がずっと多い場所」のことを思い浮かべるのでしょうか? 確かに「田舎」の中にはそういう場所がたくさんあるのだろうと思います。しかし、私に言わせれば、そうした見かけの上での「田舎的なもの」が「田舎」の本質ではないのです。私に言わせれば、一人ひとりの個人の「プライバシー」などが尊重されないような「あまりにも息苦しい空気」の中に「田舎」の本質を見出すことができるのです。

 私は「田舎」とは「公」「私」の区分が明確になっていない場所であると考えています。「田舎」は「互いの親兄弟の名前と顔だけではなく、叔父叔母や祖父母などの親戚の名前と顔も互いに知っているような場所」であるということを真っ先に挙げる人たちもいます。確かに人口が少ない場所ではそこに住んでいる人たちのほとんどすべてが互いに知り合いになっていたとしても特に不思議なことではないのだろうと思います。もちろんそこに住んでいる人たちが互いに知り合いであるということには大きなメリットもあります。しかし、互いに知り合いであるが故に一人ひとりの個人の「プライバシー」などが十分に保障されていない場所というものはやはり息苦しいものです。

 そんな互いに知り合いであるが故に一人ひとりの個人の「プライバシー」などが十分に保障されていない場所に「公」「私」のけじめをつけることができないあまりにも非常識な人間たちが紛れ込んでしまうことになれば、「プライバシー」などは完全に無視されてただでさえ息苦しい「空気」がさらに息苦しいものになってしまいます。息苦しい「空気」がさらに息苦しくなれば、しがらみのあまりない若い人たちが「田舎」から「都会」へと向かう動きにさらに拍車をかけることになるのだろうと思います。「田舎」というところは「公」「私」の区分が明確になっていない場所であるからこそ「おかしな慣習」や「しがらみ」がいつまでもなくならないのだろうと思います。「田舎」というところでは「公」「私」のけじめを知らない輩が「公」「私」のけじめを知らないまま一生を終えることが不可能ではないのだろうと思います。繰り返しになりますが、「新しい首都圏」の拡大は日本全国に残されたそんな「田舎」を衰退させて消滅させることになる可能性が高いのです。この問題についてはそう遠くないうちにまた取り上げることにします。

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「『田舎』とは…」(2015/3/23)

2015-03-23 07:07:30 | 日記
きょうは2015/3/23(月)です。

「『田舎』とは…」(2015/3/23)

「『田舎』とは 一人ひとりの 『プライバシー』 ほとんど保障 できない場所か?」-。

きょうも日本の政治に関連した個別具体的な事例とは直接的な関係はないけれどもこれからの日本国にとってはかなり重要な問題についてさらに少しだけ考えてみることにしたいと思います。何度も繰り返し取り上げていますが、これからの日本国を考える場合には拡大を続ける「新しい首都圏」(→参考:2015/3/21付、2015/3/18付、2015/3/15付、2015/3/14付、2015/3/9付、2014/8/25付、2014/8/14付、2014/8/13付、2014/7/31付、2014/7/30付)の問題と真正面から向き合わざるを得ないのです。そして「新しい首都圏」の拡大は様々な意味で勘違いしている人間たちの「温床」となる「田舎」を衰退させていく可能性が高いのです。

繰り返しになりますが、ごく普通の多くの人たちは「田舎」という言葉にどのようなイメージを持っているのでしょうか? 例えば、「豊かな自然に恵まれていて大きな建物は学校と役所ぐらいしかない場所」のことを思い浮かべるのでしょうか? あるいは「人間の数よりも牛や馬や豚や鶏などの数の方がずっと多い場所」のことを思い浮かべるでしょうか? 確かに「田舎」の中にはそういう場所がたくさんあるのだろうと思います。しかし、私に言わせれば、そうした見かけの上での「田舎的なもの」が「田舎」の本質ではないのです。

 一方、「田舎」とは「互いの親兄弟の名前と顔だけではなく、叔父叔母や祖父母などの親戚の名前と顔も互いに知っているような場所」「プライバシーが全く存在しない場所」などということを真っ先に指摘する人たちもいます。確かに「田舎」の中にはそういう場所がたくさんあるのだろうと思います。確かに人口が少ない場所ではそこに住んでいる人たちのほとんどが互いに知り合いになっていたとしても不思議なことではないのだろうと思います。互いに知り合いであるのならば一人ひとりの個人の「プライバシー」などはほとんど存在しないような状態になってもそれほど不思議ではないのだろうと思います。そして私から見れば、そんな一人ひとりの個人の「プライバシー」などはほとんど存在しないような状態の中にこそ「田舎」の本質が含まれているのです。

 私に言わせれば、「田舎」とは互いに知り合いになっているために一人ひとりの個人の「プライバシー」が十分に保障されていない場所のことを意味しています。あえて言い換えれば、「田舎」とは「公」「私」の区分が明確になっていない場所ということになります。一人ひとりの個人の「プライバシー」が十分に保障されていない場所であるからこそ息苦しくなって「田舎」から「都会」に飛び出そうとする若い人たちが増えるのだろうと思います。そして一人ひとりの個人の「プライバシー」が十分に保障されていない場所であるからこそ、言い換えれば「公」「私」の区分が明確になっていない場所であるからこそ、「おかしな慣習」や「しがらみ」がいつまでもなくならないのだろうと思います。くどいようですが、「新しい首都圏」の拡大は日本全国に残されたそんな「田舎」を衰退させることになる可能性が高いのです。この問題についてはそう遠くないうちにまた取り上げることにします。

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「歴史認識」(2015/3/22)

2015-03-22 10:47:58 | 日記
きょうは2015/3/22(日)です。

「歴史認識」(2015/3/22)

「『民族』の 『歴史認識』 振りかざす 奇異な会談 繰り返す意味!」-。

きのう3/21に岸田文雄外相、中国の王毅(ワンイー)外相、韓国のユン・ビョンセ(尹炳世)外相が韓国・ソウルのホテルで会談しました。日中韓3カ国の外相会談は約3年ぶりになります。いわゆる「歴史認識」の問題にも多くの時間が割かれたなどと報道されています。言うまでもなく「歴史を直視」するということはとても大切なことです。しかし、「歴史を直視」するということと「偏狭な民族の物語」(→参考:2015/3/10付、2015/3/7付、2015/3/6付)を押し付けたり押し付けられたりするということは全くの別物であるということをあえて強調しておくことにします。

率直に言わせてもらうのならば、国際的に見れば中国や韓国の「歴史認識」の問題が数年前から新たな深刻な問題として受け止められるようになり始めているのではないかと思います。確かに今から10年以上前であったのならば「歴史認識」の問題と言えばほぼ間違いなく日本のことを意味していたのだろうと思います。しかし、東アジアのどこかの国で「偏狭な民族の物語」を前提とした「歴史認識」を振りかざしながら特定の民族を憎悪した暴動がたびたび発生していることに対する国際的な懸念が少しずつ大きくなっているのです。「歴史認識」の問題を決着させるためには正確な「歴史的事実」に基づいた議論が必要不可欠であるということをあえて強調しておくことにします。

 繰り返しになりますが、日本国の隣国などでもっともらしく語られている自己中心的な「偏狭な民族の物語」は本当に正確な「歴史的事実」に基づいたものなのでしょうか? あくまでも念のために言っておきますが、当事者の「証言」だけでは十分な裏付けのある「歴史的事実」と認定することはできないのです。言うまでもなく正確な「歴史的事実」に基づいたものでなければ「歴史を直視」することにはならないはずです。私は、未来のために「偏狭な民族の物語」をもっともらしく語っている隣国の「カルト」らに徹底的に「歴史的事実」を示すように強く求め続けなければならないと考えています。あくまでも正確な「歴史的事実」を追求しようとする科学的な態度が未来を切り開くと考えています。

 その上で、あえて言えば、「偏狭な民族の物語」を前提する「民族」の「歴史認識」を振りかざす奇異な会談を繰り返すことにいったいどんな意味があるのでしょうか? 国際社会は東アジアの隣国が繰り返している一連の奇異な会談をどのように見ているのでしょうか? どんなに少なくともどこか一国だけにそのすべての責任があるとは見ていないはずです。安倍晋三首相が発表することを検討している「戦後70年談話」についてはその持つ意味をじっくりと考えながら内容や文言を慎重に吟味していきたいものです。この問題についてはまた取り上げることにします。

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「『田舎』には…」(2015/3/21)

2015-03-21 13:33:37 | 日記
きょうは2015/3/21(土)です。

「『田舎』には…」(2015/3/21)

「『田舎』には 価値観一つ しかなくて 『勝者』はずっと 勝ち続けてく?」-。

きょうも日本の政治に関連した個別具体的な事例とは直接的な関係はないけれどもこれからの日本国にとってはかなり重要な問題についてさらにもう少しだけ考えてみることにしたいと思います。何度も繰り返し取り上げていますが、これからの日本国を考える場合には拡大を続ける「新しい首都圏」(→参考:2015/3/18付、2015/3/15付、2015/3/14付、2015/3/9付、2014/8/25付、2014/8/14付、2014/8/13付、2014/7/31付、2014/7/30付)の問題と真正面から向き合わざるを得ないのです。そして「新しい首都圏」の拡大は様々な意味で勘違いしている人間たちの「温床」となる「田舎」を衰退させていく可能性が高いのです。

多くの人たちは「田舎」という言葉にどのようなイメージを持っているのでしょうか? 例えば、「豊かな自然に恵まれていて大きな建物は学校と役所ぐらいしかない場所」のことを思い浮かべるでしょうか? あるいは「人間の数よりも牛や馬や豚や鶏などの数の方がずっと多い場所」のことを思い浮かべるでしょうか? もちろんそのような「田舎的なもの」があふれた場所のことを「田舎」と呼んでいる人たちは少なくないと思います。しかし、私に言わせれば、そうした見かけの上での「田舎的なもの」が「田舎」の本質ではないのです。

 くどいようですが、「田舎」という言葉を聞いてどのような場所を思い浮かべるでしょうか? もしかすると「互いの親兄弟の名前と顔だけではなく、叔父叔母や祖父母などの親戚の名前と顔も互いに知っているような場所」を思い浮かべるのかもしれません。あるいは、「先祖代々そこに住んでいる有力者一族がいる場所」を思い浮かべるような人たちもいるのかもしれません。確かに「田舎」の中には今でもそんな場所がまだたくさん残されているのだろうと思います。そして私から見れば、そんな場所の中に「田舎」の本質が含まれているように見えるのです。

 私に言わせれば、「田舎」とはほぼ1つの価値観しか存在しないような場所のことを意味します。ほぼ1つの価値観しか存在しない場所だからこそ息苦しくなって「都会」に飛び出そうとする若い人たちが増えるのだろうと思います。そしてほぼ1つの価値観しか存在しない場所だからこそそこで「勝者」になった人間たちはそこに残り続けていさえすればずっと勝ち続けることができるのだろうと思います。繰り返しになりますが、「新しい首都圏」の拡大は日本全国に残されたそんな「田舎」を衰退させることになる可能性が高いのです。この問題についてはまた取り上げることにします。

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「繰り返される…」(2015/3/20)

2015-03-20 01:59:41 | 日記
きょうは2015/3/20(金)です。

「繰り返される…」(2015/3/20)

「形変え 繰り返される 悲劇あり! 『風化』気にせず 『本質』見抜け!」-。

3/18にチュニジア・チュニスの国立博物館前で男2人が銃を乱射して日本人3人を含む外国人観光客ら23人が殺害された事件の波紋が広がっています(→参考:2015/3/19付。容疑者2人は治安部隊が殺害。また3人の日本人を含む47人がけが)。現時点においても事件についての正確で詳細な情報や背後関係の有無などについては不明のままです。しかし、それでもやはりテロ事件であるということだけは間違いないのです。いずれにしても卑劣なテロは断じて許すことができないということだけをあえて強調しておくことにします。

さて話は変わります。きょう3/20でオウム真理教による地下鉄サリン事件(1995/3/20)から20年になります。地下鉄サリン事件では13人が死亡して約6300人が被害を受けました。当たり前と言えば当たり前の話ですが、「20年前」ということは今現在の大学生が生まれる前か生まれたばかりの頃のことになるわけです。20年という歳月を経れば生まれたばかりの赤ちゃんが選挙権を持った立派な成人になるのです。「20年」という時の流れはそれほど長いものなのです。ですから地下鉄サリン事件が「風化」するのは当然すぎるくらい当然すぎることなのです。あえて繰り返しますが、地下鉄サリン事件が「風化」するのは当然のことなのです。その上で、さらに言えば、実は地下鉄サリン事件の「風化」よりもはるかに怖いのが事件の「本質」を見抜けないということではないかと私は思うのです。

 あえて大雑把な言い方をすれば、私から見れば、テロというものは時間と場所と形を変えて何度も何度も繰り返されているように見えるのです。時間や場所や形は変わったとしても物事の本質はそう簡単には変わらないはずです。たとえいくら地下鉄サリン事件が「風化」したように見えたとしても事件の「本質」をしっかりと見抜いて教訓とすることができるのならば、そう簡単に悲劇を繰り返すことはないのだろうと思います。私は、この20年で地下鉄サリン事件がすっかり「風化」してしまったことよりも、あれから20年経ってもオウム真理教のようなカルトの問題点の「本質」を見抜くことができる人たちの数があまり増えなかったということの方がはるかに大きな問題であると考えているのです。このままではやがてまた地下鉄サリン事件のような悲劇が時間と場所と形を変えて再び繰り返されることになってしまうのではないかと私は心から心配しています。

 ちなみに20年前のあの日の朝、私は、丸ノ内線で国立国会図書館に行く予定でした。そして前夜の予定よりも少し寝坊したためにテレビを見ながらその日の予定を再調整していたときにあの不可思議な事件を伝えるニュースが次々と流れてきたことを思い出します。何にしてもあれから20年です。地下鉄サリン事件が自分自身の実体験の記憶の中にまだしっかりと残っている私としては、事件の「風化」よりもオウム真理教のようなカルトの問題点の「本質」を見抜くことができる人たちの数があまり増えなかったということの方がはるかに大きな問題であるように思うのです。この問題についてはそう遠くないうちにまた取り上げることにします。

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「正当化!」(2015/3/19)

2015-03-19 07:49:00 | 日記
きょうは2015/3/19(木)です。

「正当化!」(2015/3/19)

「殺人や 自暴自棄など 正当化! テロリストらは 『宗教』名乗る?」-。

3/18にチュニジア・チュニスの国立博物館前で男2人が銃を乱射した後に外国人観光客らを人質にして博物館に立てこもる事件が発生しました。そして突入した治安部隊によって容疑者の男2人は殺害されました。これまでに外国人観光客ら19人が死亡、日本人少なくとも2人を含む38人がけがをしたなどと報道されています。チュニジアのシド首相が日本人5人が死亡したと述べたなどという情報もありますが…。何にしても現時点では事件についての正確で詳細な情報や背後関係などは不明です。

くどいようですが、事件の詳細や背後関係などはまだ不明です。しかし、それでもやはり、少なくとも現時点でもテロ事件であるということだけはおそらく間違いのない事実なのです。テロというものは自分たちが強く信じ込んでいる何らかの自己中心的な価値観に基づいて殺人や自暴自棄な行動などを正当化します。そしてテロリストらが「宗教」を名乗ることも少なくないのです。だからこそテロとの戦いは難しいのです。

 言うまでもなくテロと戦うためには「物理的な力」が必要不可欠です。その上で、あえて言えば、テロとの戦いは、テロリストらが強く信じ込んでいる「宗教」を名乗る自己中心的な価値観との戦いでもあるということをもっと強く認識する必要があります。言い換えれば、テロとの戦いは、テロリストらが強く信じ込んでいる何らかの自己中心的な価値観による「マインドコントロール」との戦いでもあるのです。「マインドコントロール」と戦うためには「物理的な力」だけでは不十分であるということをあえて強調しておくことにします。

 ほとんどの人たちは長い人生の中で一度ぐらいは「自暴自棄な感情」を抱くことがあると思います。しかし、実際に「自暴自棄な行動」をするようになってしまう人たちはかなり少ないのです。「感情」と「行動」は全く別物なのです。頭の中で考えることと実際に行動するということは決定的に違うのです。だからこそ「感情」と「行動」の間にある「壁」を簡単に乗り越えられるようにする「マインドコントロール」との戦いが重要になるのです。繰り返しますが、テロとの戦いは、テロリストらが強く信じ込んでいる何らかの自己中心的な価値観による「マインドコントロール」との戦いでもあるのです。この問題についてはまたすぐに取り上げることになります。

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「『田舎者』」(2015/3/18)

2015-03-18 07:51:16 | 日記
きょうは2015/3/18(水)です。

「『田舎者』」(2015/3/18)

「井の中の 蛙のような 『田舎者』! 『大海』になり 溺れていくか?」-。

きょうも永田町周辺の個別具体的な事例とは直接的な関係はないけれどもこれからの日本国にとってはとても重要な問題についてさらにもう少しだけ考えてみることにしたいと思います。何度も繰り返し取り上げていますが、これからの日本国を考える場合には拡大を続ける「新しい首都圏」(→参考:2015/3/15付、2015/3/14付、2015/3/9付、2014/8/25付、2014/8/14付、2014/8/13付、2014/7/31付、2014/7/30付)の問題と真正面から向き合わざるを得ないのです。

少し別の角度から「新しい首都圏」が拡大し続けるという現象の持つ意味を考えてみることにします。多少の批判を覚悟の上であえて言わせてもらうのならば、日本の地方にはそれぞれの「田舎」の中でしか通用しない悪しき慣習や「しがらみ」などによって守られた「田舎者」がまだまだたくさんはびこっています。「新しい首都圏」が拡大し続けるということは、そうした悪しき慣習や「しがらみ」などによって守られながら利益を得ている「田舎者」から「温室」や「安住の地」を奪い取るための絶好の機会になるのです。あえて言い換えれば、「井の中の蛙」のような「田舎者」にとっては「新しい首都圏」は「大海」に見えるのだろうと思います。「井の中の蛙大海を知らず」という古い言葉に新たな意味を付け加えることができるかもしれないのです。

 困ったことに「井の中の蛙」のような「田舎者」ほど「東京にあるもの」を何でも強く欲しがる傾向があるのです。何度も繰り返していますが、「本物の東京」と比べれば誰の目にも明らかに見劣りのする「できそこないのちゃちな東京」を地方にいくつかつくってみても「東京一極集中」と「地方の衰退」を止めることはできないのです。そんなことをしても「田舎」から多くの人たちが「本物」を求めて「都会」に向かう流れはますます加速すると思います。そもそも「本物の東京」と比べても見劣りしない「ミニ東京」を作るのにいったいどれだけのカネが必要になるのでしょうか? そう考えれば永田町周辺から聞こえてくる「東京一極集中」と「地方の衰退」に歯止めをかけるために県庁所在地などの地方拠点都市を「受け皿」となり得る「ミニ東京」にするべきなどという主張に十分な説得力がないことがよく分かると思います。

 日本各地にまだまだたくさん生息している「井の中の蛙」のような「田舎者」は「新しい首都圏」が拡大したときにはことごとく「大海」の中で溺れていくことになるのでしょうか? 新たな環境の中で生き抜くために自ら変わろうとする「蛙」は出てこないのでしょうか? 繰り返しになりますが、私は、東京と同じ「土俵」の上に乗って「東京」と張り合おうなどと思っている限り、いわゆる「東京一極集中」を食い止めることはできないと考えています。このまま「新しい首都圏」が拡大を続ければさらに多くの人たちが様々な理不尽な「しがらみ」を「田舎」に捨てて「都会」を目指す動きに拍車がかかることになると私は見ています。この問題についてはそう遠くないうちにまた取り上げることにします。

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「『One of them(ワン・オブ・ゼム)』」(2015/3/17)

2015-03-17 11:47:05 | 日記
きょうは2015/3/17(火)です。

「『One of them(ワン・オブ・ゼム)』」(2015/3/17)

「あの悲劇 『One of them(ワン・オブ・ゼム)』と 受け止めて 『脱・被災地』と 『脱・被災者』を!」-。

大型サイクロン「パム」が直撃した南太平洋のバヌアツなどではかなり大きな被害が出ている模様です。しかし、現時点では被害の詳細は不明です。仙台市で開かれている第3回国連防災世界会議に出席していたバヌアツのロンズデール大統領は急きょ帰国して指揮を執ることになったなどと伝えられています。国際社会では救援活動や緊急支援の動きが始まっています。それにしても自然災害とその被害というものはいくら注意をしていても完全になくすことができないものであるということを改めて実感しています。

ちなみに安倍晋三首相はバヌアツのロンズデール大統領と3/14に仙台市内で会談した際に支援を約束したそうです。また3/16には現地の被害状況を把握するために外務省がバヌアツに調査団を派遣しています。私としては、できることならばまだまだ「被災地」と呼ばれることが多い場所のまだまだ「被災者」と呼ばれることの多い人たちの中からも同じ地球上の別の場所で発生した自然災害の救援活動や緊急支援に積極的に取り組むような動きが増えていくことを期待します。多少の批判を恐れずにあえて言わせてもらうのならば、ある程度の長い時間と地球全体の中で客観的に捉えるのならば、東日本大震災と津波、そして原発事故も「One of them(ワン・オブ・ゼム)」に過ぎないのです。私は、あの悲劇を「One of them(ワン・オブ・ゼム)」と受け止めて「脱・被災地」と「脱・被災者」を実現することが復興を一日も早く進めることに繋がると考えているのです。

 繰り返しになりますが、確かに復興はまだ道半ばだと思います。もちろん大震災と原発事故の直後から完全に時間が止まったような状態が続いている場所もまだ数多く残されています。そして言うまでもなく「被災地」や「被災者」に対する支援はこれからも必要です。しかし、私は、本当の意味での復興とは「その土地を愛している人たちがこれからもその土地で生活していくことができるようにすること」を意味していると考えているのです。「その土地を愛している人たちがこれからもその土地で生活していくことができるようにすること」を最優先で考える場合には「被災地」や「被災者」という看板が大きな障害になると考えているのです。そして「被災地」と呼ばれる場所に住んでいる「被災者」の中には4年経った今でも自分たちが住んでいる場所のことを「被災地」、自分たちのことを「被災者」と呼ばれることに抵抗感や違和感を覚えている人たちも少なくないのではないかと思っています。

 くどいようですが、もちろん復興はまだ道半ばだと思います。しかし、それでもやはり、そろそろ「被災者」「被災地」「復興」などという発想から卒業する必要があると考えます。「その土地を愛している人たちがこれからもその土地で生活していくことができるようにする」ためには「被災者」「被災地」「復興」などという発想から一日も早く卒業する必要があるのです。繰り返しになりますが、ある程度の長い時間と地球全体の中で客観的に捉えるのならば、東日本大震災と津波、そして原発事故も「One of them(ワン・オブ・ゼム)」に過ぎないのです。私は、あの悲劇を「One of them(ワン・オブ・ゼム)」と受け止めて「脱・被災地」と「脱・被災者」を実現することが復興を一日も早く進めることに繋がると考えています。この問題についてはまた取り上げることにします。

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