元衆議院東京2区の泡沫候補・千葉 潤のきょうのひとこと

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「見えてくる」(2017/12/13)

2017-12-13 08:54:51 | 日記
きょうは2017/12/13(水)です。

「見えてくる」(2017/12/13)

「置き換えて みると初めて 見えてくる 『目的』良いが 『手段』はどうか」-。

きょうも個別具体的な固有名詞には触れないように注意しながら政治の現場における「目的」と「手段」の関係についてもう少し別の角度から考えてみることにしようと思います(→参考:2017/12/12付、2017/12/11付、2017/12/10付)。何度も繰り返していますが、いくら「目的」が正しかったとしても、実現するための「手段」が致命的に間違っているのならば、「目的」を実現することはできないのです。

例えば、地球上から「麻薬」とそれによる被害をなくそうとする場合には、医療行為などの一部の例外を除いて「麻薬」の使用・販売・製造などを違法化し、そして「麻薬」の使用がいかに人体に不可逆的で深刻な悪影響を与えることになるのかということを繰り返し訴え続けるという「手段」が用いられています。日本でも「ダメ。ゼッタイ。」などと何度も繰り返されています。その上で、ほとんどすべての主権国家には警察などが「麻薬」の使用・販売・製造などの禁止を担保するための「強制力」として存在しているわけです。どんなに少なくとも聴く耳を全く持とうとしない人間たちに「禁止」を強制するためには倫理観などとは別の「強制力」が必要になるのです。

ここであえて別の事例を考えてみることにします。もしも禁止する物が「麻薬」ではなく「毒キノコ」である場合には、事情はどのように変わってくるのでしょうか? あるいは、変わらないのでしょうか? 「毒キノコ」が人体にとって有毒であるということは誰もがすぐに理解することができると思います。そしてそもそも「毒キノコ」は人間の生存に必要不可欠なものではなく食べなくても生きていくことができるものです。ですから、いくら空腹の状態であったとしても「毒キノコ」を「毒キノコ」であると分かった上であえて食用として食べるような人たちはなかなかいないと思います。そして「毒キノコ」の他に別の食べ物がある場合には「毒キノコ」を「毒キノコ」であると分かった上で食べるような人間はまずいないと思います。そう考えるのならば禁止しても他の食べ物に簡単に置き換えることができる「毒キノコ」の場合には禁止の効果は大きくなると考えられるのです。

さらに別の事例を考えてみることにします。もしも「コーヒー」を禁止したとしたら社会にはいったいどのような影響を与えることになるのでしょうか? もちろん「コーヒー」の代わりに「紅茶」や「日本茶」などを飲むという人たちもいると思います。あるいは、「コーヒー」の「定義」に微妙に当てはまらないような「代替コーヒー」を開発する人たちが出てくるかもしれないと思います。もしかすると「コーヒー」を禁止する理由に納得することができない人たちは闇で「コーヒー」を取り引きして陰でこっそりと飲むことになるかもしれないと思います。何にしても「コーヒー」は人間の生存には必要不可欠なものではないですし、他の飲料に比較的容易に置き換えることができるものですから、禁止することは不可能ではないと考えられるのです。もっともそもそも「コーヒー」を本当に禁止する意味があるかのかどうかについては別の話になります。

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