元衆議院東京2区の泡沫候補・千葉 潤のきょうのひとこと

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「『目的』と『手段』」(2017/12/10)

2017-12-10 23:30:15 | 日記
きょうは2017/12/10(日)です。

「『目的』と『手段』」(2017/12/10)

「『目的』と 『努力』は共に 素晴らしい! それでもやはり 『手段』は疑問!」-。

きょうは久しぶりに個別具体的な固有名詞には触れないように注意しながら政治の現場における「目的」と「手段」の関係について考えてみることにしようと思います。あくまでも念のために言っておきますが、政治の現場においては「目的」と「手段」の関係は死活的に重要なものになるのです。

実現するのが非常に難しいけれども世界中のほとんどすべての人たちが賛成していることをずっと諦めずに一生懸命になって取り組んでいる人たちを褒め称えることはとても素晴らしいことであると思います。しかし、いくらそうした人たちを褒め称えたとしてもそうした人たちの行っていることのすべてを褒め称えているわけではないということには注意が必要になるのです。あえて言い換えれば、「目的」が正しいこと、そしてその「目的」を達成するために「努力」を続けていることについてはほぼ無条件に褒め称えることができたとしても、その「目的」を達成するための「手段」についても褒め称えているかどうかについては定かではないのです。

例えば、人が人を殺す「殺人」が悪いことであるということは世界中のほとんどの人たちがよく分かっていると思います。言い換えれば、世界中のほとんどの人たちは「殺人」をなくすという「目的」が正しいことであるということをほぼ無条件に理解することができると思います。そして「殺人」をなくすという「目的」を達成するために努力をし続けることが尊いことであるということも世界中のほとんどの人たちはほぼ無条件に受け入れることができるのではないかと思います。しかし、「殺人」をなくすという「目的」を達成するための「手段」については様々な意見があるのです。「殺人」は絶対にいけないことであると世界中のすべての人たちに何度でも繰り返し訴え続けることが何よりも大切なことであると考える「宗教家」のような人たちもいますし、「殺人」は許されないことであるということを法律に定めることが何よりも重要なことであると考える「法律家」のような人たちもいますし、自分にとって大切な人たちの生命を自分自身の「力」を使ってなんとか守り抜こうとする「用心棒」のような人たちもいるはずです。そして現実の世界では「宗教家」と「法律家」と「用心棒」のすべてが同時にそろっていてもすべての「殺人」をなくすことができないということをあえて指摘しておくことにします。

繰り返しになりますが、地球上から「殺人」をなくすという「目的」は正しいのです。そしてその「殺人」をなくすという「目的」を達成するために「努力」を続けることも尊いことなのです。しかし、それでもやはり、「殺人」をなくすという「目的」を達成するための「手段」には疑問を感じるという人たちが少なくないはずなのです。くどいようですが、政治の現場においては「目的」と「手段」の関係は死活的に重要なものになるのです。きょうのところはあえてここまでにとどめておくことにします。

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