「昭和の時代のある仙台一高生」の記憶(2012/5/29更新)
「不惑」を通り過ぎて年齢的に見ればとうに人生の下り坂に差し掛かった「昭和の時代のある仙台一高生」が、文学的価値も経済的価値も全くなく、特に読み応えのあるわけでもない散文をおぼろげな記憶を頼りにダラダラと書き連ねています。
「一高らしさとは」(2012/5/29)
私なりに今現在の平成の一高生たちを見ていて気になったことがあります。それはかつての「一高の良さ」や「一高らしさ」などが現実からかけ離れて神話化されているのではないかということです。昭和の時代に一高生をやっていたOBの一人としては、いつの間にか誇張されたり歪められたりして作り上げられた神話を完全に破壊し、男子校であることが当然だった時代の「一高の良さ」や「一高らしさ」を正しく伝えていきたいと心から思います。
さて、かつての「一高の良さ」や「一高らしさ」の具体例として「男らしさ」や「激しさ」が挙げられることも多いようです。共学化後に「男らしさ」を持ち出すのは反則ではないかという気もします。でも、同じ言葉を聞いてもイメージするものは人それぞれ違うのだろうと思います。そこで私自身が経験した昭和の時代の運動祭におけるある出来事を「一高らしさ」とは何かなどということを考えるための素材の一つとして提供しようと思います。
それは私が1年生のときの運動祭の大騎馬戦での出来事でした。入学したばかりの私は「騎手」の友人を乗せる「馬」の一部を担当していました。そして前方斜め上から「この野郎! ふざけるな! 崩れろ!」などと罵声を浴びせられ、一方的に激しく引っ張られたり小突かれたりしながらも、両手で味方の「騎手」の両足を押さえて前後左右にバランスを取りながら転ばないように必死に耐えていました。一緒に「馬」をやっていたはずの味方はいつの間にか引き離されてなぜか私が一人で「騎手」の友人をおぶっているような格好になっていたのです。
すると今度は私の肩から腕の辺りに何かが触ったような不自然な感覚がしました。見上げると「敵の騎手の上級生」が必死に私に蹴りを入れようとしていました。何が何でも私を蹴ろうとしたために敵の騎馬が崩れそうになって「バカ! 危ないから止めろ!」などという叫び声も聞こえてきました。その隙に引き離されていた味方が復帰してようやく反撃の準備が整いました。腹を立てた私が味方を強く引っ張って敵の騎馬に突進して行こうとしたその瞬間に、真上から「もういいよ。勝ったから」という声がしました。
「騎手」の友人を降ろして立ち上がると、顔を真っ赤にして興奮した「敵の騎手の上級生」が睨みながら私に近寄ってきて「お前、ふざけるなよ!」などと捨て台詞を残して去っていきました。別の敵の上級生は「悪いなあ。あまり気にするなよ」と私に言い残して去っていきました。
すぐに味方の上級生たちがやってきて「どうしてこの騎馬は1年だけになっているんだ? これじゃダメだ」「2年でもダメだ。3年を入れておかないと。そうじゃないと、あいつらまたやってくるぞ」などと素早くメンバーの入れ替えを指示しました。隣の騎馬と急きょメンバーを入れ替えて2戦目へ。そして2戦目も味方の勝利に終わりました。
勝利が決まった直後、今度は少し遠くから先程と同じ罵声が聞こえてきました。その方向を見ると、例の「敵の騎手の上級生」と、勇敢にも彼に何かを言い返したらしい友人が一触即発の状態になっていました。しかし、すぐに別の上級生たちが間に入ったので事なきを得ました。ちなみにこの勇敢な友人は応援団に入りました。
今から振り返ってみると、この運動祭での出来事の中には、勘違いした「激しさ」だけではなく、「一高らしさ」や「一高の良さ」の実例が含まれていたのではないかと思います。
実は私の在学中、運動祭以外でもこうした類の勘違いした「激しさ」をたびたび目にすることがありました。例えば、当時のストームはかなり激しいもので「素人」にとっては非常に危険なものになっていました。しかし、それが良くないということは私自身も頭では分かっていたのですが、学校側がストームを問題視すると妙に反発してそうした勘違いした「激しさ」でさえも容認してしまうという形で「共犯者」の一人になっている自分がいました。もちろん今ではそのことを後悔しています。
千葉 潤 (高39回、昭和62(1987)年卒)。
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