「音楽&オーディオ」の小部屋

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爆笑!大江戸ジョーク集

2017年03月13日 | 復刻シリーズ

今年(2017)から「月曜日」に限って、これまでのブログの中で今でもアクセスが絶えない記事をピックアップして登載しているが、今回は7年ほど前に投稿したタイトル「爆笑!大江戸ジョーク集」である。それでは以下のとおり。

たまには肩の凝らないジョークの紹介をしてみよう。

「爆笑!大江戸ジョーク集」(2007.11.10、笛吹明生、中公新書刊  


「幕府高官、大名から市井の人々まで、彼らはこの天下太平の江戸時代をどのように過ごして「笑い」にしてきたか。それは現代のサラリーマン社会に通じるものがあるはず。いつだってジョークは庶民の楽しみ!」
という前置きのもとに本書の中から三点ほど抜粋してみた。

☆ “唐渡り”

中国製品というと現時点では”やや不安"のイメージが拭いきれないが、当時の「唐渡り」というとありがたいように思える。これは、江戸の昔、中国からの輸入品に偽装があったという話である。

【唐渡りの雀を、お殿様に献上することになった。ところが目録の記載に一羽足りない。目録を直すのはたいへんなので、日本の雀を一羽加えて誤魔化しておいた。

ところが、目の肥えたお殿様は、一目で日本の雀を見破った。「唐の雀とは珍しい献上品よのう。だが、日本の雀が一羽混じっておるようじゃな」

殿様に言い当てられた日本の雀、「恐れながら申し上げます。私は通訳なのでございます」】

☆ “素行調査”

【江戸城表御殿で、密談が行われていた。
「このたびの人事でござるが、この者を勘定方へ役替えいたす所存でござる」
「ふむ、いかような人物じゃ?」
「それはもう。文武に励み、性は篤実。生活ぶりも質素倹約。勘定方へうってつけの人物でござる。」
ならばよかろう、と決しかけたとき、別の者が口を挟んだ。
「お待ちください、目付けによる人物評価が届いてござる。それによると、なんと、長唄の稽古に通っているとのこと」
一同は嘆息した。
長唄といえば、色っぽい女師匠がつきもの。弟子はそれを目当てに入門する。謹厳実直な幕府高官でも、それぐらいは知っている。
「長唄はいかんな。別の者にいたせ」
こうしてせっかくの出世をふいにした御家人の趣味は、実は和歌、ウタ違いの三十一文字を習っていたのであった。】

☆ “・・・・・臭い”

江戸時代は建前社会である。建前さえあればどんな理不尽でも横車でも通る。

【土屋能登守野泰直は急な病に倒れた。まだ23歳の若さなので跡継ぎもいない。どうも病が重そうだというので、弟を養子にする届出をした。根回しを受けた老中は
「病と申すが、まだ能登守は若い。急いで養子をせずともよいのではないか?」
「いえいえ、こればかりは・・・・・・・・」
「ふうむ、・・・それでは養子ということで。大事にいたせ」
養子の手続きには大目付が出向き、親戚なども立ち合う。むろん、病気療養中の土屋能登守泰直本人も・・・・・・・。
さて、手続きが済み、養子となった弟・土屋英直は病臥中の兄に改めて、「父上」と挨拶する。
大目付も能登守に「このたびは跡継ぎを得られて祝着(しゅうちゃく)至極」
と言葉少なに挨拶して終了する。
さりげなく座を外した一同、いっせいに外の空気を吸って、「やれやれ、臭い病人だ」
土屋能登守はとっくに死んでいるのだった。】

解説

実話である。常陸土浦藩九万五千石の土屋能登守泰直は23歳の青年大名であったが、亡くなったのは寛政二年(1790)五月三日で、現代の暦では六月十五日にあたる。実際に亡くなったのはもっと前なので、季節柄かなり臭かった・・・はずである。

手続きに立ち合う大目付も、許可した幕府もとうに亡くなっていることは知っているが、そこは目を瞑(つむ)って、生きているつもり、で押し通したのである。
  

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