「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴およそ40年・・読書感想、独り言などを織り交ぜてつれづれなるままに書き記したブログです。

読書コーナー〜「寿命の予測」〜

2012年02月14日 | 読書コーナー

ときどき、「自分はいったい何歳ぐらいまで生きるんだろう」と思うことがある。

あっさり死んでしまうとせっせと収集した真空管やオーディオ機器が「主」を失うので、「もったいない」精神から発したものだが、先日、一粒種の娘とウォ−キングをしているときに、「お父さんが死んだら、オーディオ機器はすぐに売り飛ばしてしまうんだろうねえ」と鎌をかけてみたら、「ううん、ずっと使うつもりよ。しかし故障したときに困るから、誰か扱い慣れた人を紹介しておいてね」という現実的な言葉に”本気度”が伺えてまずはひと安心。

そのうち、我が家のオーディオ・システムの音声信号と電源系統の「流れ図」を作成して、スイッチを入れる順番などを書いておかねばと思いつつ、まあ、あまり急ぐこともあるまいという希望的観測だが果たして・・・。


自分の寿命ばかりは「神のみぞ知る」といったところだが、2〜3年おきに”こっそり”利用しているのがイギリスの権威ある科学専門誌
「ネイチャー」に出ていた寿命の算出方法。

翻訳のうえ掲載されていたのは
「ボケるボケないは生き方できまる」(2007年3月5日、大和書房刊)という本で、著者は東京大学教授の石浦章一氏。

さて、あなたの寿命は現在の状態で何歳ぐらいになるだろうか。興味のある方は次により試算を。

基本は76歳、次の質問に回答して合計した数字に76を加えた数字があなたの寿命。+は寿命増加要因、−は減少要因。該当しない項目は0。

 あなたは今何歳ですか。30〜50歳なら+2、51〜70歳なら+4。

 男性なら−3、女性なら+4。

 200万人以上の都会に住んでいるなら−2、1万人以下の町なら+4。

 自分の祖父母の一人が85歳を超えていたなら+2、二人とも80歳を超えていたなら+6。

 両親のどちらかが50歳以前に心臓疾患で亡くなっているなら−4。

 兄弟姉妹や両親が50歳以下で、がん、心疾患、糖尿病になっているなら−3。

 年収1000万円以上を稼いでいる人は−2。

 大学卒は+1、大学院卒は+2。

 65歳以上で今働いているなら+3。

10 連れ合いがいるなら+5。

11 現在独身は−3、25歳から数えて独身時代が10年以上続いているなら、10年ごとに−3。

12 現在の仕事が机上の仕事は−3、身体的運動が必要な仕事は+3。

13 週5回、30分以上の運動を続けているなら+4、週2〜4回なら+2。

14 1日に10時間以上寝る人は−4。

15 性格として、リラックスタイプは+3、緊張タイプは−3、幸せと思うなら+1、不幸せと思うなら−2。

16 この1年間に制限速度オーバーでつかまったことがあるなら−1。

17 1日に1合以上の酒を飲む人は−1。

18 1日にタバコ2箱以上吸う人は−8、1〜2箱なら−6、半分から1箱なら−3。

19 標準体重より20Kg以上肥満なら−8、
     〃     10Kg〜20Kg肥満なら−4、
     〃      5Kg〜10kg肥満なら−2、
※自分の標準体重=23.5×自分の身長m×自分の身長m

20 あなたが40歳を超えた女性で毎年婦人科医に診察を受けているなら+2。

以上の質問項目により、自分の寿命を計算してみたら、何と予想外の長生きで「82歳」と出た!

ちなみに、日本人の平均寿命は2010年時点で男性79.64歳、女性86.39歳。


さて、この寿命テストからいろんな健康対策が浮かび上がってくる。とにかくプラス項目を大きく伸ばし、マイナス項目を減らすことに尽きる。

マイナス要因が極めて大きい(最大−8)のは18のタバコと19の肥満。タバコの害はもう周知の事実で言わずもがな。

肥満の害は最高水準の医療技術と経済力を誇るアメリカ人の平均寿命が世界ランキング10位外という結果が物語っている。(あのハリケーン・カトリーナの被災地ニューオーリンズでの被害者たちの肥満のテレビ映像がいまだに目に焼きついて離れない!)

摂取カロリーを3割減にするとクモからサルに至るまで寿命が3割延びるそうだ。

の項目では年収が高いのにマイナス要因とは意外だが、それだけストレスの影響を考慮したもの。14の寝すぎは逆にストレスが少なすぎる点が考慮。の都会暮らしは空気や水の汚染とストレス。1011の結婚と独身問題もストレス、外食と栄養のバランス、規則的な生活などが考慮。

7、8、12については職業によって寿命の違いがあることをうかがわせる。郡山女子大学の森一教授によると宗教家は寿命が長いというデータがある。ずっと昔の奈良時代の頃でも僧侶の平均寿命は70歳前後。

僧侶の長寿の要因は「過食を避け心身の修行に励んだこと、森林浴効果や読経・説教による精神の安定、それにプラスして規則正しい生活、永続的な仕事、世のためになっているという生きがい、世俗のストレスから離れるといったこと」が挙げられるそうだ。

なお、レイ・カーツワイル著の「ポスト・ヒューマン誕生」の417頁に古代からの平均寿命が記載されていたので参考までに記載。
        

クロマニヨン人の時代   18歳
古代エジプト         25歳
1400年ヨーロッパ     30歳
1800年ヨーロッパ     37歳
1900年アメリカ       48歳
2002年アメリカ       78歳

1900年までの遅々とした寿命の延びに比べて、1900年からたった100年の間に30歳も伸びたことに注目。

私たちは実に恵まれた時代に生きている!

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独り言〜ネットオークションの「掘り出し物」〜

2012年02月11日 | 独り言

いやあ、久しぶりにネットオークションで真空管の「掘り出し物」を手に入れることができた。まさにルンルン気分〜。

と、ここで先ず、自分なりの「掘り出し物」とは何かを定義しておこう。

それは「相場よりもずっと安い価格」、「性能がいいと定評のあるもの」、「滅多に市場に出回らないもの」、この3つを兼ね備えたものを意味している。


そして、今回ゲットしたのはRCA「12AU7 クリアートップ」。

                         

とりあえず、落札した経過を得々と(?)述べさせてもらおう。

開始日時     1月31日

開始時の価格  2,000円(4本)

終了日時     2月5日(日) 21時55分

落札価格     3,600円

電圧増幅管の「12AU7」(ヨーロッパでの呼称は「ECC82」)は真空管アンプの初段管に使用されることが多く、我が家でも5台保有の真空管アンプ(いずれもパワーアンプ)のうち4台に使用している。つまり常在戦場に8本(1台2本×4台)必要となるのでスペア管を確保しておく必要があるため、1週間に一度くらいは必ずネットオークションに「12AU7 ECC82」で検索をかけている。

しかし、どこかの「心ない業者」が連続して何頁にもわたって出品しているのにまったく閉口するが、ようやく合間を見つけて目についたのが「RCA12AU7 クリアートップ」で、しかも4本まとめて出品されている。

一般的に真空管の黄金期は良い職人と良い材質に恵まれていたことにより戦前から1960年代までとされている。1970年代に入ると品質が落ちるので、(あくまでも通説だが、実体験上ではそのとおり!)自分が狙っているのはヴィンテージ管と称するもので、この1960年代までに生産された真空管のうち現代に引き続き残されたものである。

アメリカの「RCA」は1919年に創立された古い歴史を持ち、真空管のメーカーとして世界的な名門企業で、ブランドとして申し分がない。これまで実際に「6FQ7」、「6SL7GT」(いずれも電圧増幅管)、「2A3出力管」、「5V4G整流管」などを購入して使用してきたがすべて期待を裏切られたことがなかった。

出品されている「12AU7」も1960年当時の製品とあり、しかも「クリアートップ」ときている。これは特別に音質に配慮されて製造されたもので、ゲッター(メッキ部分)が真空管の内のサイドにあるため、頂上が透明なのでこう呼ばれているが、とりわけ「美音」とされており高域はより美しく透明感があって極めて繊細という定評がある。

そういうわけでこの「クリアートップ」は通常のRCAブランドの同種の真空管よりも2倍以上の価格で、しかも稀少管なので滅多に市場には出回らない。いわばマニア垂涎の的の真空管である。自分は実際に「6FQ7」のクリアートップを購入して使ったことがあり噂どおりだったのでその値打ちは十分、分かっている。

オークションで最初に2、000円(4本)という価格を見たときに「エッ、冗談でしょ!」。

しかも実測値付きで、廃棄値56に対して4本(双三極だから8極)とも95以上でほぼ新品同様である。おまけに出品者の評価も「良い評価」が1500をオーバーしていて、悪い評価が0なのは実に安心できる。

これは滅多にない「掘り出し物」だと直感し、一気に戦闘モードに突入したのは言うまでもない。

すぐに「ウォッチリスト」に登録して毎日、入札価格の推移をチェックしていたが、大幅に値上がりするだろうと予想していたのになかなか上昇しない。「おかしいなあ?」と首をひねりながら、入札者7名、価格も2700円程度のままでとうとう5日の入札最終日の夜へと突入。

これはてっきり、(目に見えない強敵が)落札終了寸前に駆け込み入札で一気に決着をつけようという腹づもりだろうとおよそ予測がついた。これまで散々この手で欲しくて、欲しくてたまらない真空管を奪われてきている。

今回もまあ、たぶん無理だろうと諦め気味に、「宝くじは買わなければ当たる可能性がない」し、「オークションも入札しなければ手に入る可能性がない」ので、「11,000円」という貧乏人としては精一杯の最高価格を奮発して入札し、そのまま就寝。予想では軽く2万円は越えると踏んでいた。

翌朝、起きるなりメールを見ると、何と自分が落札者になっているではないか。しかも終了価格が3,600円!

4本で3,600円だから1本が900円という信じられない価格。これだから「オークションはやめられない」と小躍りしたのは言うまでもない。

ネットオークションで「真空管漁り」を続けてもう10年以上になるが、当時と比べて、オークションの世界も随分世知辛くなってまさに「鵜の目鷹の目」の世界、近年は「掘り出し物」はまったく期待できないと諦めていたがこういうこともたまにはあるんですよねえ・・・・。

しかし、実際に現物が手元に到着しないと「とらぬ狸の皮算用」だが、すぐに出品者から振込先の連絡が入り、ネットバンクで支払いを完了すると火曜日の午後には早くも真空管が無事到着。迅速な対応は実にありがたい。

さっそく、最近修繕してもらったばかりのPX25・2号機の初段管「ムラードECC82」を外し、付け替えて試聴開始。

その結果だが、この原稿を書いている時点まで3日間ほど連続して試聴しているが、自分の耳にはどちらがいいとも悪いともまったく判断がつかず、「どちらもいいよねえ」。両者とも音の印象が実に似ているのである。

しかし、値段的にはムラードは今では1本の価格が1万円近くするはずなので、それに対してRCAは900円だから圧倒的な差があるからお買い得感は満点。

とにかく、これで最上級の「12AU7」が4本、コレクションに加わったのでこの型番に限ってはまったく後顧の憂いなし!

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オーディオ談義〜「球ころがし」〜

2012年02月07日 | オーディオ談義

ブログを始めてから早いもので、もう5年が過ぎたが、初めのうちはもの珍しさもあってこまめに2日に1回のペースで投稿していたものの、この頃はちょっと”ネタ切れ”気味で3日〜4日に1回の更新へとペースダウン。

それでも原稿作成のためにパソコンに向かう時間がバカにならないが、カミさんや娘からは「相変わらず何の得にもならないことばかりして〜」と揶揄(やゆ)されながらも、まあ、暖かく(?)見守ってくれている。

さて、「得になるか、ならないか」は傍目には金銭的な動きが一切ないので、まるでムダ働きのように映っているのだろうが、実はこのブログのおかげで「有形無形の得」をしていることをカミさんたちは一向にご存じないのが痛快と言えば痛快。

果たしてその「有形無形の得」とは?

一言でいえば「全国津々浦々の音楽愛好家・オーディオマニアの方々との交流」がそれで、このブログがなければ絶対に知り合いになれなかった人たちがいろいろ点在している
のだ!

その中で、とりわけ「有形の得」をさせてもらっているのが奈良県にお住いのMさんである。

バッハの「マタイ受難曲」をことのほか愛好され、グレン・グールドが弾く「イギリス組曲」などのCDを貸してもらったりして、懇意にさせていただいて、もう3年以上のお付き合いになる。しかも、アンプづくりの達人で、これまで全面改修してもらった真空管アンプが3台にものぼるがいずれも完璧な仕上がりで、大いに助かっている。

クラシック好きのうえにアンプ製作者ときているから、まったく理想的な技術者さんである。

と、ここで、この両者を兼ね備えるとなぜ「理想的」なのかをちょっと補足しておくと、自分なりの見解で言わせてもらえば、組み立てたばかりのアンプが「果たしてどういう音がするのか」、こればかりは製作者にとっても未知の存在で、絶対に試聴と調整が欠かせないが、その時に判断基準となるのが「音楽マインドと優れた耳」というわけで、たとえばコンデンサーの値を替えたり、銘柄を替えたりと、「微調整」によってはじめて「いい音」がするアンプが出来上がるもの。

仕上げが非常に大切というわけだが、とにかくMさんが手を入れたアンプは音楽性が高くて、そのうえ滅茶苦茶にSN比が良く、「ハム音」のハの音も一切聞えてこないのが大きな特徴。SPユニットに耳をピッタリくっつけてようやくサーッという音がかすかに感じ取れる程度なのだからその腕前たるや”もの凄い”。

さらに、ありがたいのが「修理のお礼」で(あまり大きな声では言えないが)、自らは遠慮してご請求されないので、いつもこちらの言い値どおりの「雀の涙」程度でお茶を濁しているものの、いつの日かまとめて「ご恩返し」をせねばと考えている。

今のところ、もっと気候が良くなってからの温泉付きの我が家への別府招待旅行をご提案中だが、いまだに色よい返事をもらえていない・・・。

さて、Mさんには厚かましくも2週間ほど前に4台目となる真空管アンプの修理をお願いしておいたところ、この3日(金)の午後に無事完了して我が家に戻ってきた。

このアンプは14年ほど前に、あるマニアの方に製作してもらったものだが、いろんな接続箇所の腐食が進んで雑音が出だしたので全幅の信頼を置くMさんに全面的な改修をお願いしたもの。

                   

左が半年ほど前に修繕していただいたアンプ(PX25・1号機)で、右が今回、全面改修をしてもらったアンプ(PX25・2号機)。

いずれも、三極管の世界ではウェスタン社の「WE300B」と並び称されるイギリス製の「PX25」を出力管としたアンプで、第一システムの中高域用SPユニット「Axiom80」に限定して使用しているもの。

これまで1号機で十分満足していたのだが、万が一、故障したときのことを考えて予備として完璧な状態で持っておこうと、2号機をMさんに送付してとりあえず試聴してもらったところ「小編成に限っては素晴らしい音ですが、1000ヘルツ以下の音があまり出ていないようです。全面改修となると部品代に相当かかりますが、どの程度の予算を考えてますか?」と打診があった。

真空管アンプの部品代を下手にケチると後々の”はね返り係数”が大きくなるし、今回のアンプはとりわけシンプルな回路なので最高級の部品を使ってもらう方がいいと判断し、思い切って「天井知らずでお願いします」。

その後3〜4日ごとにメールで進捗状況の報告があって、部品の方は「9ピン真空管ソケット(金メッキ仕様)、カソード抵抗にはデールのメタルクラッド、スプラーグのコンデンサー、線材にベルデン」などを購入された由で、画像つきの説明なので実に分かりやすい。

Mさん独自のスタイルの大きな特徴は回路の「左右独立電源」にあり、これまでの真空管アンプもいずれもそのポリシーで統一されており、今回も同じ回路にしてもらったが、2〜3日間のエージングの結果により大編成もバッチリというわけでご納得のうえ送付していただいた。

まず、絶対といっていいほど自画自賛をされない方だが、今回のアンプに限っては珍しく「音のランクが上がったかと思います。まあ、聴いてみてください」とのメールに元気百倍!

さあ〜、3日(金)の到着直後の15時ごろから試聴開始。

「凄い!実に反応が早くて音離れがいい。スピード感にあふれる音、おまけに音に華やかさがあるがけっして安っぽくならない。これならクラシックだけでなくジャズでも十分にいける」というのが第一印象。

期待以上の仕上がりに大満足だが、さらに欲が深くなっていろんな役目を果たしている真空管を随時交換して音の雰囲気の変化を探ってみた。

いわゆる「球ころがし」。

今回の対象は「初段管」、「出力管」、「整流管」の3種類で、この組み合わせとなると膨大な数になるが、これまでのノウハウのもと、相性のよさそうな組み合わせはおよそ分かるのでかなり絞れた。

とにかく金曜日の午後から、月曜日まで、丸3日間、食事と運動の時間を除いて飽きもせずにあれこれ
続けるのだから、カミさんから「変人、奇人」扱いされるのも仕方がない。

まずは「初段管」の「12AU7=ECC82」から。

テレフンケン、シーメンス、東芝、JAN,そして新品同様のまま10年以上もエースとして大切に温存してきた「ムラード」と、差し替えてみたところ、好き好きの範疇だろうが、やはり「ムラード」が一番バランスが取れているように思えて見事合格。 

次に出力管「PX25」の比較に移った。オリジナルのイギリス製「GEC−VR40」とチェコ製の「RD27AS」(PX25同等管)との聴き比べ。

後者はこれまで1号機に挿していたものだが回路や出力トランスが変わるとどういう反応を示すのか大いに興味がある。

試聴してみると、この2号機に限っての話だが、「RD27AS」(直筒管)はレンジが広くなって躍動感も増すが、何もかも隅々まで容赦なく照らし出すような趣で、もっと陰影が欲しい印象を受けた。

こういう点ではさすがに「GECーVR40」はイギリスのゼントルマン風に節度があって、細かな襞の陰影でさえも思慮深く再現する風で実に好ましい鳴り方。音色の艶も一枚上のような印象を受けたのでこれに決定。さすがはオリジナルだと思った。

最後に整流管の方だが、これもマルコーニの「5U4G」、STCの「5R4GY」(いずれも直熱管)、RCAの「5V4G」、ウェスタンの「422A」(いずれも傍熱管)といったところをいろいろ試してみた。

                       

整流管の銘柄変更は出力管や初段管などのように顕著な差は見られず、むしろ規格数値とのマッチングに要注意といったところだが、この中ではウェスタンが音が浮わつかず実在感を示す趣があったのでこれに決定。

以上のとおり、いろいろ球を差し替えながらたっぷり遊んで真空管アンプの音の変化の面白さを満喫させてもらった。

今年の冬も昨年と同様に実に寒気が厳しいが”冬来たりなば春遠からじ”、このアンプが我が家のオーディオ・ルームに一足早く春の息吹をもたらしてくれたようで、大いに心が弾んだ。

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読書コーナー〜「シューマンの指」〜

2012年02月03日 | 読書コーナー

「奥泉 光」氏(1994年芥川賞)の著書「シューマンの指」(2010年10月)を一読したところ、久しぶりに作家による情熱的な音楽論に接した印象を受けた。

                               

「シューマンの曲はどれもそうだけど、一つの曲の後ろ、というか、陰になった見えないところで、別の違う曲がずっと続いているような感じがする、聴こえていないポリフォニーというのかな」(37頁)という言葉が、まるで通奏低音のように全編を貫いていく。

周知のように一昨年の2010年はショパンとシューマンの生誕200年だったが、世の中はショパン、ショパンと騒ぐばかりでシューマンは一顧だに(?)されなかったのはまだ記憶に新しい。

この風潮に抗するかのように、大のシューマンびいきでシューマンへの愛を語らせたら人後に落ちない奥泉氏は音楽ミステリを絡ませながらも本書の中で、ここぞとばかり「シューマン論」を展開する。

この「シューマン論」については生半可な人間が中途半端に要約するよりも、興味を覚えた方に限っては直接、本書を読んでもらう方がずっといいと思うので、このブログでは例によって、書評やあらすじは抜きにして本書の中から印象に残った言葉をピックアップしてみよう。

著者は早々と15頁で本書の主人公をして次のように述懐させる。「シューマンのピアノ協奏曲イ短調op54はモーツァルトによって豊かに開拓されたピアノ協奏曲のジャンルの中で最高傑作だが、実際に聴くこともなく30年の間、心の中で聴いてきた」

「鼓膜を震わせることだけが音楽を聴くことじゃない。音楽を心に想うことで僕たちは音楽を聴ける。音楽は想像の中で一番くっきりと姿を現す。耳が聴こえなくなって、ベートーヴェンはよりよく音楽を聴けるようになったんだ」

ウーム、これは「音楽鑑賞の本質的な問題」ではなかろうか。本書の中で一番心に響いた言葉で、実は自分にも大いに思い当たる節があるのである。

あれは忘れもしない、不本意な異動で冷や飯を食わされたときだったから、たしか35歳のときになるが、片道1時間半の長距離通勤の行き帰りの自動車の中でオペラ「魔笛」(モーツァルト)を聴く中、第二幕におけるタミーノ(王子)とパミーナ(王女)が仲直りするシーンで、音響空間の中に溶け入るように消えていく弦合奏を聴いているときに後頭部の一部がジーンと”痺れるような感覚”を覚えてしまい、どうもその感覚が日常生活の中でしばらく頭の中から消えて失くならず、どうかすると仕事中でさえもふと手を休めた時などにその弦合奏とともに”痺れるような感覚”が蘇ってきて困った(?)ことがあった。

「いい音楽」とはずっと後に尾を引いていくものだと、このときはじめてわかったが、この感覚がどうしても忘れられず、狂気と熱情を狩り立てて様々な演奏の「魔笛」のフルセットを買い求めていく原動力となったのは否めない。

作家の五味康祐さん(故人)の名著「西方の音」にも、満足なオーディオ装置を買えない貧乏な青年(五味さん)がシュワンの音楽カタログを見ながら想像の世界の中で音楽を聴く”名シーン”が展開されているが、実際に聴いていないのに心で聴くとはこういうことかと思ったことだった。

こういうことを書いていると、つくづくオーディオの役割とはいったい何だろうかと考えてしまう。

一般的に私たちはいったん好きになった音楽はとことん、まるで骨までしゃぶり尽くすように何回も聴くものだが、どんな名曲だって、そりゃあ何回も聴けば飽いてくるのは当たり前で、そういうことの繰り返しの中で私たちは記憶の中から次々に自分の名曲を失っていく。

名曲に親しむために苦労してオーディオを買い求めたのに、一方では(オーディオが)名曲を失う役割をも果たしているというこのパラドックスをどう理解すればいいのだろうか。

煎じ詰めるとオーディオとはいろんな音楽を聴くための単なる入り口に当たる役割を果たしているに過ぎず、いったん気に入った音楽が出てくればいたずらに淫することなく心の中でそっと鳴り響くようにするのが本当の「音楽愛好家」というものかもしれない、な〜んて思うのである。

いつのまにか、ちょっと堅苦しい独りよがりの精神論みたいになってしまった。主観的な話なので、どうか真に受けないように〜。

さて、シューマンという作曲家は正直言って音楽史の中でさほど重要な役割を果たしているとも思えず、これまであまり親しむ機会を(あえて)持とうともしなかったが、本書を読んで大いに触発され、せめて「ピアノ協奏曲op54」でも聴いてみようかと手持ちのCDを探してみた。

”やっぱり、持っていないかなあ”と諦めかけたときに、ふと以前「ディヌ・リパッティ」(ピアニスト)の4枚セットを購入していたことを思い出だして引っ張り出すと”ありました、ありました!”。最後の4枚目のCDにグリークの「ピアノ協奏曲」とセットで収録してあった。

                           

さっそく聴いてみると、音が出た瞬間に「な〜んだ、モノラル録音か〜!」。

そりゃあ、そうだろう、なにせ1948年の録音(カラヤン指揮)なんだから仕方がないよねえ。しかし、不思議なものでしばらく聴いているうちにまったく気にならなくなって演奏の方だけに惹き込まれた。人間の耳は実に都合よくできている。

「どこかで一度聴いたことがあるよなあ」というのがこのピアノ協奏曲の印象だが、それ以上の感慨は特に覚えなかった。どうもリパッティとオーケストラとの息が合ってないような気がしてならず、他の演奏を聴くと好きになるのかもしれないが、とりあえず奥泉さん、ゴメン。

その替わり、続けて聴いたグリークのピアノ協奏曲(1947年録音)には全身全霊で痺れてしまった。

録音状態もシューマンのものよりずっと良かったが、その演奏たるや形容のしようがないほどで、まったく”ロマンに満ちあふれた素敵な演奏”の一言に尽きる!やっぱり「リパッティ」にはとてつもない歌心がある。

あまりの素晴らしさに参考のため「ステレオ名曲に聴く」(小林利之著)を見ると、何とリパッティの演奏が「群を抜いてすぐれた演奏」とあるではないか!

「グリークの音楽の、そくそくと身にせまる甘くはかない清冽な詩情をキリリと引き締まった抒情性と美しいタッチで表現していて、聴くものの胸に訴えかけてくる。ほかのどのレコードも及ばぬ美しさです」。まったく、さもありなん。

当分の間、この名曲・名演奏を簡単に失わないように1日1回に制限して聴くことにしよう〜!?

最後に、本書でもう一つ印象に残る言葉があったのでぜひ紹介させて欲しい。

「ベートーヴェンは、ピアノ・ソナタというジャンルを完成させた。後期の、とりわけ最後の作品111のc−Moll(ツェーモル→ハ短調)は明らかに破壊だろう?偉大な完成者が自分で解体してみせるところまでやり尽くしたジャンルで、後から来た人間に何ができるだろう?それへのシューマンの解答が、小曲集形式なのだ。」(31頁)

作品111の熱狂的なファンの一人として、こういう言葉を聞くとなぜかもう胸が締め付けられて”切なくなる”のである。

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オーディオ談義〜周波数200ヘルツ以下の世界

2012年01月31日 | オーディオ談義

先日、何気なくテレビを観ていたら「建もの探訪」(テレビ朝日)という番組が放映されていた。

首都圏近郊の洒落た新築の建物を外観、内部の構造、機能などに亘って細かく紹介する番組で、1000回を超える長寿番組(ウィキペディア)だそうだから、きっと何度かご覧になった方も多いことだろう。

「もっと快適な家に住みたい」というのは、誰もが永遠に抱く「夢」のようなものだから長寿番組というのも十分頷ける話で、たとえば自分だって、30畳程の天井の高い大広間でウットリと音楽を聴いている姿を今でもときどき夢見ることがある!ああ、一度でいいから「宝くじ」に当たらないかなあ〜。

今回、テレビに登場している建物は広さはそれほどでもなかったが、機能的にはうらやましくなるほどの設備を備えていて、たとえば壁面全体をガラスにして採光を十分なものにし、その一方で夏の暑さをしのぐため壁面の上からシャワーのように水を垂れ流す家庭内循環システムを取り入れてあった。

見た目にも「これは涼しそうだなあ〜」と、思わず感心ながら観ていると、そのうち、2階にある家主の6畳ほどの書斎にテレビカメラが侵入したところ、それほど大きくもない机の上の左右両端に高さ30cm、幅20cmほどの小さなバスレフ型のスピーカーが設置され、中央付近に小型の真空管アンプが鎮座しているのを映し出した。

探訪者(俳優の渡辺篤史さん)が「ご主人はオーディオをされるんですか」との問いに(家主が)「ハイ」と”にっこり”。書棚にはCDもたくさん収めてあったし、地元の「第九を歌う会」のリーダーも務められているそうで、さぞや音楽が好きな方なのだろう。

しかし、改めて「え〜っ、これがメインのオーディオ装置なの?」と、あまりのミニチュアぶりにいささか驚いてしまった。

人間が聞こえる周波数帯域は周知のとおり、20〜20000ヘルツとされており、オーディオ装置で音楽を再生するとき、30〜15000ヘルツぐらいをカバーできれば、まずは上等の部類に入るだろうが、この装置だとスピーカーの口径からしておそらく下の帯域が200ヘルツ程度も行けば上出来だろう。

まるで箱庭や盆栽を楽しむような趣といったところだが、もしかすると自分が知らないだけで、これが現代の「オーディオの一般的な姿」なのかもしれないと思ったことだった。

オーディオの目的が音楽を聴くことにあるのは言わずもがなだが、(音楽に)感動する仕組みは各自の脳の中にセットされているので、オーディオ装置のレベルに言及するのはあまり意味がないと思っている。

つい先日も小さなラジカセでモーツァルトの「ファゴット協奏曲第二楽章」を聴いて胸を打たれたばかりなので、赤の他人が軽々に装置の良し悪しの価値判断を出来ないことは分かっているが、こういうシステムだと「オーディオの楽しみ」というものが半分くらいしか味わえないのではないかという気がする。

「周波数200ヘルツ以下の世界」がオーディオで最も”おいしい”ところなのにそれを味わっていないなんて、実に”もったいない”。


従来からの、これは独り勝手の個人的な思いだが、オーディオの醍醐味の一つは「量感」と「分解能」の「程よい調和」にあるような気がしてならない。

「量感」とは読んで字のごとく「豊かな音」を指し、「分解能」については、自分なりの理解ではたとえば再生中の音場で個別の楽器の位置とか、奥行き、音色をくっきりと表す能力を指す。

この両者を「いかにバランスよく両立させるか」にオーディオマニアとしてのセンスが一番問われると勝手に思い込んでいるのだが、この命運を文字通り左右するのが、およそ「周波数200ヘルツ以下の世界」なのであ〜る。

この周波数帯域を具体的に分割して言えば、30〜60ヘルツの「最低音域」部分、60〜100ヘルツの「低音域」部分、100〜200ヘルツの「中音低域」部分となる。

自分のオーディオ人生を振り返ってみると、結果的にこの帯域をいかにうまく再生するかという部分に「血(お金)と汗と涙」の70%近くを注ぎ込んだような気がする。

以上、前置きが随分と長くなったが我が家の第一システムの再生装置に話を移そう。

このシステムの中高音域に使っている「Axiom80」には今のところまったく不満はないが、問題は中低音域のフォステクスの「SLEー20W(口径20cm)4発」にあって、周波数帯域の受け持ち範囲がまさにこの200ヘルツ以下に該当しているのだが、どうもこの辺りの「分解能」がいまいちで、オーケストラの響きが団子の塊りのように聴こえることがあり、最近、第二システムの「JBL軍団」が急成長してきたこともあり、とみにその弱点が目立つようになってきた。

これまでも、6か月おきぐらいに「4発」にしたり「3発」にしたりと試行錯誤してきた経緯があり、今回もその”繰り返し”というわけだが、今回は新たにアイデアを思いついたので「善は急げ」とばかり
28日(土)の午前中から現状のウーファー「4発」から「3発」に容れ直す作業に取り掛かった。

いつも土曜、日曜にオーディオの作業が集中するようだが、休日はカミさんが家に居るのでスピーカーを降ろしたり上げたりするときに「お〜い、加勢してくれ〜」と言えるから便利。


              

今回の作業の順番を写真で説明すると、一番左が取り掛かる前のウーファー「4発」。

中央がウーファー1発を取り除いた後にスペアとして保管している「Axiom80」を試しに容れたもので、これでとりあえず試聴してみたが、まったく冴えなかった。この縦長のボックスは内部にそれぞれユニットごとに分厚い板で斜めに(定在波を防ぐために)仕切っているのだが、「Axiom80」にとっては、なにぶん容積が足りなかったとみえて「高域がキャンキャン」して聴きづらかった。

改めて、SPユニットに応じた適切な容量のボックスの重要性を考えさせられたわけだが、以前はこの状態で聴いていたこともあるので「あの頃はよくもまあ、こんな音で我慢して」という感じ。もしかして自分の耳が急成長したのかな?

結局、一番右の写真が最終形となった。今回のアイデアというのは取り除いたユニットの穴を板で塞ぎ、がっちり裏からネジ止めしたもので、使わないユニットをそのままにしておくと、全体の響きが悪くなるそうなのでやはりこれが現在のところベストの処置のような気がする。

これで試聴してみると、音に適度に締りが出て、「量感」と「分解能」のバランスが程よく取れ「バッチリ、200ヘルツ以下もOK!」だが、これまでの経験上、あまり早く結論を出さないほうがよさそうなので、まあ1週間ほどいろんな音楽ソースで試してみようかな。


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独り言〜今冬、一番の寒波が襲来〜

2012年01月27日 | 独り言

26日(木)はこの冬一番の寒波が襲来。

あまりの寒さに震え上がってしまい、一日中、家に閉じこもったままで「小人、閑居して不善」(?)をなしてみた。

この一日の経過を追ってみることにしよう。
まずは早朝からオーディオで一仕事。

このところ、ブログに登場することの多い我が家のJBLのシステムだがまだまだ大切なことをやり残していた。

それは各SPユニットの前後の位置の「振動板合わせ」。

市販のスピーカーシステムをそのまま利用している方は、メーカーのほうで各ユニットの振動板をきちんと合わせているのでまったく縁のない話だが、自作派にとっては(3ウェイシステムの場合)低音、中音、高音のユニットの振動板の位置を合わせることは「いい音」を得るための大切な要件の一つ。

なぜかといえば、音声信号が入ったときに各ユニットの振動板が同時に同じ位置で動いた方が音が濁らず”スッキリ”するわけだからまずは当たり前の話。

ただし、低音と中音のユニットの振動板の位置合わせについては、そりゃあ合わせるに越したことはないが、クロス1000ヘルツの場合で34cm近くの波長になる(音速340m/sec÷周波数1000ヘルツ)のであまり神経質になる必要はないものの、中音と高音のユニットばかりは「cm単位」で合わせることが必要。

この辺は基本的な事項としてオーディオをやり始めたころに仲間から口を酸っぱくして教えてもらった。


とにかく我が家の場合は中音ユニット(JBL−LE85ドライバー)と高音ユニット(JBL−075ツィーター)の位置合わせをまだやってなかったが、まあ、それほど音が大きく変わることはないだろうと”たか”をくくっていたこともある。

とにかく、「075ツィーター」に専用の台を作り前後に動かせるようにして簡単に調整ができるようにしていたので、まずLE85の位置決めをしてから、075を適当に前後に動かして調整し左右両チャンネルについて30分ほどで終了。

                   

これで聴いてみると、普通の音量で聴く分には以前と変わりがないような気がするが、「ガツン」と大きなアタック音が入ったときに音がまとまってスッキリ抜けていく感じがなかなかよろしくて、やはり明らかに”効果あり”だった。

こんなことなら、もっと早くやっておくべきだった。やはりオーディオはズボラはいけない!

☆ 由紀さおりのテレビ番組

音が良くなったところで、昨晩(25日)録画しておいた「由紀さおり」のテレビ番組を試聴。

NHK総合テレビの「SONGS」という午後10:55〜11:25の30分番組で、「欧米でも人気沸騰!由紀さおりニューヨークでライブ」の解説があったのを目ざとく見つけて録画予約しておいたもの。

彼女のニューアルバム「1969」については、以前のブログでも触れたが、朝日新聞の12月初旬の「人」欄の記事により12月12日からアメリカ公演とあったので、その模様をかねてから知りたいと思っていたのでまさにグッドタイミング。

                    

ニューヨークのタウン・ホールで行われた実況ライブと彼女のこれまでの歌手としての歩みを織り交ぜた非常に見ごたえのある内容だった。

63歳という年齢を感じさせない歌声(ハイの伸びがもっと欲しい気もするが年齢からして贅沢は言えない!)と場馴れした堂々たる態度に”さすが”と唸ったが、共演の「ピンク・マルティーニ」という楽団もすごくうまくて、これはまさに絶妙のコンビ。

           

公演終了後、帰途に就くアメリカの観客数人にインタビューをしていたがいずれも大好評で、彼女の面目躍如といったところだろう。

番組の終わり頃のインタビューで「これからも、このエネルギーに満ち溢れたニューヨークでもっと攻勢をかけたい」という趣旨のことを言っていたが、世界的に大ブレークした彼女の今後の活躍が楽しみで、おそらく2枚目のアルバムも発売されることだろうが、その時はすぐに「買い」!

☆ 「幸福な生活」百田 尚樹(ひゃくた なおき)著

                      

午後は、もっぱら読書三昧。

本を購入すると狭い我が家では置き場所に困るので(お金もないが!)4か所の図書館から借りてきた新刊を中心に、毎日ざっと目を通していく感じだが、始めの10頁ほど読み進むとおよそ自分と相性のいい著者かどうか分かるので時間が節約できて大いに助かる。

「幸福な生活」は短編集だが、ちょっと読んだだけで「これは面白い」とすぐに惹きこまれた。いずれも幸福な夫婦生活を題材にしながらも、最後の”どんでん返し”というか「ブラック・ユーモア」が強烈で、ものすごく印象的。

「百田尚樹」という作家はどうしてこうも、うまいんだろう!

☆ 夜の会合

夜の7時からは地元自治会の毎月の定例役員会議。何かと忙しい「会計」事務を担当してからもう丸4年にもなる。懇意にしている方から説得されて仕方なく引き受けたが、もう義理は十分果たした。

任期は今年の3月までで現在、役員の改選手続き中だから絶対に辞めさせてもらう決意でいるが、はたして後任がうまく見つかることやら、ちょっと不安〜。
 

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オーディオ談義〜「ツィーター」の出番がやってきた〜

2012年01月24日 | オーディオ談義

「出来の悪い子供ほど可愛い」という言葉があるが、オーディオ装置も似たようなところがあって、手がかかれば、かかるほど可愛くなるところがある。

現在、第二システムとして位置付けているJBLのユニット群がまさしくそういう存在。

タンノイのボックスにJBLのユニットを収めているので、本家筋はタンノイのユニットにあたり、JBLは分家筋になるので当初から不憫な役回りなのもその理由のひとつ。

改めて、システムの概要を紹介しておくと、現在、クロスを1000ヘルツ前後に設定して中低域ユニットを「D130」(口径38cm)、高域ユニットを「LE85ドライバー+ウッドホーン」の2ウェイシステム(D130のボックスはタンノイ・ウェストミンスター)のラインアップ。

既製品と違って自分勝手に編成したシステムなので愛着もひとしおで、未開拓地を耕すような気分にさせられ、今のところいい遊び相手になっている。

つい先日の21日(土)の午前中も、(オーディオの)お師匠さんの湯布院のAさんと一緒に「LE85ドライバー」を駆動している「WE300Bアンプ(モノ×2)」の真空管の入れ替え実験をやってみた。

            

試聴する曲目は最近、お気に入りのモーツァルト「ファゴット協奏曲第二楽章」。ちなみに「ファゴット」という楽器は木管楽器の一つだが、「ウィキペディア」にこう但し書きがあった。

「ファゴット」は英語圏では「バスーン」と呼ばれており、もし「ファゴット」と発音してしまうと、同性愛者の侮蔑的呼称「オカマ」を意味するので十分に注意しなければならない。


さて、実験の対象となった出力管は正真正銘の「WE300B」(1950年代製造)と「GD4300BC」(ゴールデンドラゴン)の2種類。

後者は言わずと知れた中国製の近代管で値段からすると前者の1/5以下なので、はじめから勝負は見えているようなものだが、ところがどっこい、「オーディオは値段ではありませんよ」と言わんばかりに、そうは問屋が卸さなかったのが(オーディオの)面白いところ。

高域方向への抜けはWE300Bの方に分があったが、中域あたりの解像力はGD4300BCの方がむしろ上回っていて、「私は総合力ではGD4300BCの方が好きです。我が家のWE300Bのスペアとして欲しくなりました」とAさん。

もちろん、我が家の周辺機器の使用する範囲で相性が良かったということに過ぎないし、GD4300BCのエージングが完全に済んでいるという条件下の話なのでどちらが優れているとかいう断定は厳禁だが、「カーボン・プレートと金メッキ端子」の装備は伊達ではないようで、この善戦ぶりには思わず頬の筋肉が緩んでしまった。

実を言うと、今回の実験の背景にはWE300Bの寿命は定数以下で余裕をもって使ってやると30年近く持つという実話が存在しており、自分のこれからの寿命となると、とてもそれほどまでには保てないので、今回の実験を通じてこれまで(大事にするあまり)ほとんど使ってこなかったWE300Bが圧倒的に上回れば、これからずっと使ってやろうと思っていたというわけ。

これでGD4300BCの寿命が尽きるまで精一杯使って、それからWE300Bを使うことに決めた。

とにかくこれで実験は一段落、今度は第一システムの「Axiom80」の試聴に移った。試聴曲目は引き続き「ファゴット協奏曲」。

「ファゴットが音響空間をゆったり漂っているように聴こえてきます、まったくオーディオを意識させない自然な音です。何か、聴いてはいけないものを聴いてしまいましたね〜。これに比べるとJBLは残念ですがちょっと落ちます・・・・」とAさん。

どこをどう押してもJBLのユニットからはこういう「漂う感じ」は出てこない気がするが、ジャズなどのメリハリのきいたストレートな再生は得意中の得意なので、何とかこの分野に活路を見い出してやりたいものだ。

我が子の不得意科目を時間をかけて克服するよりも、むしろ得意分野をさらに伸ばしてやった方が総合得点は上がる!

結局、第一システムのお蔭でJBLシステムのアラがもろに見えてきたというわけだが、結論としては「高域の伸びにちょっと問題あり」ということに落ち着いた。こうなると、いよいよ「ツィーター」の出番となる。

一晩おいて、ゆっくり作戦をめぐらして翌22日(日)の早朝から作業に取り掛かった。

このところ、ずっと待機中の悲哀を味わっていた「JBL075(ステンレス製のリングホーン装備)」さんに専用アンプとして「2A3」真空管のシングル・アンプをもってきて、クロス周波数はウェスタン製のオイル・コンデンサー(ブラック仕様:2.1μF)で9500ヘルツ付近(6db/oct)でカット。

当初、「075」をウッドホーンの上に直接、載せたところあまりの重量のせいかLE85の響きが素っ気なくなったので、近くのホームセンターに行って木材を見繕って専用の台を作りその上に075を載せることにした。

         

「LE85」と「075」のレベル調整にちょっと手間取ったが、どうやら午前中に完了。

午後からテストCDで低域、中域、高域の位相チェックをしたところいずれもOKでバッチリ聴けるようになったが改めてツィーターの威力には驚いた。

音楽全体が非常に瑞々しくなってさらにレベルアップした感がある。

結局、システム全体をもう一度おさらいすると低域は「D130」(アンプは「01−A」)、中域は「LE85」(アンプは「300B」)、高域は「075」(アンプは「2A3」)とオールJBLの3ウェイ・マルチ・システムが完成。

一見ありふれた組み合わせのようだが肝心の低域用ボックスがタンノイだから、こういう組み合わせはおそらく世界でも珍しいことだろう。

問題は「音」のほうだが、「親バカ」ぶりはほどほどにして、いろんなソースを聴いてみて判断するつもりだが今のところ非の打ちどころなし。

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音楽談義〜モーツァルトのファゴット協奏曲〜

2012年01月20日 | 音楽談義

「作家は自身が一冊の本なんだ。一作だけ翻訳しても彼の身体の一部を切り取ったにすぎない」と、「本の寄り道」(2011年10月30日、鴻巣友季子:翻訳家、文芸評論家、河出書房刊)の228頁に書いてあった。 

                       

「作家」を「作曲家」に言い換えて「作曲家は自身が(すべての)曲目なんだ。一曲だけを聴いても彼の身体の一部を切り取ったにすぎない」と、つくづく思い知らされたのが次の出来事だった。

 以下、その顛末を記してみよう。

先週末に帰省した娘と雑談しながら小さなラジカセでCDを一緒に聴いていたら、実に耳触りのいい音楽が聞こえてきたので「もしかして、これはモーツァルトの作曲かな〜」と当てずっぽうで言ったところ、娘から「当たり〜、さすがお父さん!」の声が。

            

この”当たり”の曲目は第10トラック「ファゴット協奏曲〜第二楽章」だった。

これまで娘が購入したCDを何気なしに聴いて好きになった歌手は結構多い。「エンヤ」、「サラ・ブライトマン」、「エンニオ・モリコーネ」(映画音楽の作曲家)といったところだが、まさかクラシックで気に入った曲目を発見するとは夢にも思わなかった。しかも、モーツァルトの曲目で!

あまりに聴き心地が良かったので、再度リクエストしてじっくり聴かせてもらったが思わず目頭が熱くなるほど心に染み入った。

解説によるとわずか18歳のときの作品だというが、モーツァルトの才能に改めて舌を巻いた。

また、
低音も高音も、音の鮮度もまったく物足りない小さな「ラジカセ」なのに曲目自体がいいとオーディオ装置のレベルなんて関係ないのを改めて実感した。

それにしても「まだまだモーツァルトには隠された名曲が多いんだなあ」と思わず嘆息すると同時に、つい先日のオペラ「魔笛」に関するブログで、知ったかぶりをして小賢しく「魔笛以外のモーツァルトの曲目は才能の浪費ではないか」と言い放った自分が何だか恥ずかしくなってしまった。

たしかに「魔笛」はモーツァルトの最高傑作だとは思うのだが、とても(モーツァルトは)「魔笛」だけで”ひと括り”に出来るような単純な作曲家ではないことを痛切に思い知らされたというわけだが、そういう思いを強くしているときに、たまたま冒頭の言葉を見かけてピタリと胸に収まったというわけ。

そういえば、近年聴いているモーツァルトの曲目は「魔笛」をはじめ「ドン・ジョバンニ」「フィガロの結婚」などのオペラばかりで、それに時々「ピアノ・ソナタ」や「室内楽曲」が加わるぐらいで他の曲はあまりCDトランスポートの卓上とは縁がない。

いまさら聴かなくても「もう分かっている」というわけだが、これを機会にと悔い改めて久しぶりに次の曲目を引っ張り出してきて、娘を誘ってオーディオ装置の前にどっかりと座りこんだ。

「フルートとハープのための協奏曲K299」(ランパル&ラスキーヌ)、「ディベルティメントK136第二楽章」(コープマン指揮)、「ホルン協奏曲K412〜」(カラヤン指揮)、「フルート協奏曲K313・オーボエ協奏曲K314」(ベーム指揮)、「ポストホルン・セレナーデ」(マリナー指揮)

このうち白眉なのは、やはり「フルートとハープ・・・」で、「魔笛」からは伺えない洗練された優雅さと華麗さの極みが感じられ、改めてこれほどの名曲だったのかと心の底から唸った。娘も、これと「オーボエ協奏曲」が特に気に入った様子なのでしばらくCDを貸してあげることにした。

ところで、前出した「ファゴット協奏曲」だが、この演奏は指揮者が岩城宏之さんとあって、奏者も日本人だがCDに登場するぐらいだからうまい方には違いないが、海外盤ではどういう演奏があるのだろうかと「HMV」を覗いてみると、カラヤン指揮(ベルリンフィル)とベーム指揮のがあった。

せっかく好きになった曲目なので、せめて最高の演奏と録音で聴きたいというのが人情というもの。

カラヤンは前回のブログ「ヨーロッパの三大オーケストラ物語」によると、ブルリン・フィルの在籍時期によって指揮に少しムラがあるようで、ベームの方が無難と言えば無難だが、はたして、どちらを購入したらいいんだろうかとちょっと迷ってしまう。

むしろポイントはファゴット奏者なのだろうが、こればかりは皆目、見当がつかない〜。

それから最後になったが、冒頭に紹介した「本の寄り道」は全部で240冊の本の書評集だが、「紹介してあるすべての本を読みたい」と思わせる著者「鴻巣 友季子」(こうのす ゆきこ)さんの卓抜した文章表現力には驚いた。

世の中にはすごい才能の持ち主がいる!

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読書コーナー〜「ヨーロッパ三大オーケストラ物語」〜

2012年01月17日 | 読書コーナー

本の題名は忘れたが、昨年の11月ごろに「書評はどうあるべきか」についての本を一読したことがあり、書評とは「書いてある内容について自分なりの所感を述べる」ものであって、本に書かれてある内容をそのまま紹介するのは、単なる「受け売り」でとても書評とは言えない、ということが書かれてあった。

たしかに正論で、この「読書コーナー」にしても書評としての位置づけをするのなら「私見を交えての読後感想」なんだろうけれども、自分のような素性の知れない人間がたとえ感想を記したとしても何の値打もないし、おそらく誰も興味を持たないと思う。

というわけで、このコーナーも引き続き「受け売り」させてもらいます〜。


さて、今回は「指揮者の役割」〜ヨーロッパ三大オーケストラ物語〜(2011年9月20日、新潮選書)について。

                         

著者の「中野 雄」(なかの たけし)氏は以前、オーディオ・メーカーの「ケンウッド」の社長をされていたことがあり音楽評論に関しても著書多数で、音楽にもオーディオにも造詣の深い方。

ちなみに「ケンウッド」は今はどうか知らないが昔は良質のユニークな製品を次から次に製品化していた。

たとえば30年ほど前に製造されたプリメインアンプの「01−A」(出力100W)は音質に配慮して筐体が非磁性体(つまり、鉄を使わない)で作られており、電源部も隔離されていて音質も超Good。

このアンプ(トランジスター)は自分も大のお気に入りで、オーディオ仲間ののMさんから「メインアンプ」に改造してもらい、現在の第一、第二システムの低域用に使用しているが中高域用の真空管アンプとの音色のマッチングがいいので実に重宝している。

ただし、何せ古い製品なので、いつ故障してもいいように(半田付けの箇所のひび割れが多いそうだ)順次オークションで購入し続け、今では手持ちが6台(うち3台使用中)にも及んで、ひとまずは安全地帯である。

再び話は戻って、中野氏の著作にはほかにも「モーツァルト 天才の秘密」というのがあってこれは一読後、おおいに感銘を受けて、以前、このブログでも内容の紹介をしたことがあった。

「生まれつきの天才は存在しない、”臨界期”までに本人を取り巻く環境、たとえば適切な教育を受けることなどが大きく影響する」、また「好きで好きでたまらないことに嫌だと思わないで打ち込む才能が天才の条件の一つ」という結論が印象に残っている。

さて、本書の内容は次のとおり。

序章    指揮者の四つの条件

第一章  指揮者なんて要らない?〜ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

    間奏曲その一  世界一のオーケストラはどこ?

第二章  カラヤンという時代〜ベルリンフィルハーモニー管弦楽団〜

    間奏曲その二  コンサートマスターの仕事とは?

第三章  オーケストラが担う一国の文化〜ロイヤル・コンセルトヘボー管弦楽団〜

終章    良い指揮者はどんな指示を出すのか?

写真でご覧のとおり、本書の表紙に副題として「ヨーロッパ三大オーケストラ」とあり、すぐに、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルが浮かんだが、残る一つはどこだろう、「ドレスデン・シュターツカペレ」かなと、
思ったところ上記の内容紹介にあるとおりロイヤル・コンセルトヘボー・アムステルダムだった。

認識不足なんだろうが、コンセルトヘボーのCDは手元にないし、地味な存在だと思っていたのだが、2008年の英国「グラモフォン」誌(12月号)の発表した「世界ランキング」で第一位の栄冠を獲得したというから驚き。

いったい、このオーケストラのどこがそんなにいいのだろうと、思っていたところ本書にその回答と思しき部分があったので引用(209頁〜)させてもらおう。

「或るオーケストラの弦楽器セクションを評してその良否を口にする場合、何をもってその価値尺度となすか。アンサンブルの精度か、音色か、音量か、はたまた音符を正確に音にする技術的能力のことを指すのか。

基準は聴き手それぞれの美的感性によるのであろうが戦前のコンセルトヘボーの弦楽器群に対する賛辞は、まず何よりも、その厚みを持った艶やかな音色に寄せられていた。」

まあ、こういう良き伝統があるというわけだが、一流のオーケストラになるための必須条件は抜群の力量を持ったコンサート・マスターの存在である。1961年当時、常任指揮者のオイゲン・ヨッフムから当時名ヴァイオリニストだったヘルマン・クレッバースはこう口説かれた。

「現世のことは別として、歴史的に考えてみたら一国の存在意義は軍事力ではない。結局、文化なんですね。或る国、或る民族が人類の歴史に刻む遺産、それは文化しかない。経済的な繁栄も強大な武力も、時が経ってみれば単なる出来事に過ぎない。虚しいものです。

君が生まれ育ったオランダには、かって世界に誇る文化の華が咲き誇りました。たとえばレンブラント、フェルメール、フランツ・ハルス〜国立美術館に収められている絵画の巨匠たちの作品群です。近代ではあのヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。オランダ人、オランダという国の歴史が彼らの作品の中に芸術にまで昇華されて刻み込まれている。

では、今、この国には何があるか。世界に対して発信できる文化として、われわれは何をもっているか。残念ながら絵画も、文学も、昔日の輝きを失っているとしか言えない。あるのは音楽、うちのオーケストラだけです。この楽団以外にオランダという国は世界に向かって自らの文化を発信する手段を持っていないのです。

私たちのオーケストラはアムステルダムの市民によって創設され、メンゲルベルク(指揮者)が50年という歳月をかけて育て上げ、磨き上げた、生きて現在活動している文化財なのです。

オランダ国民にはこのオーケストラが今もっている演奏の質と名声を保持し、次の世代、いや永遠に伝えていく義務があると思う。コンセルトヘボーの死は、今やオランダという国の文化の死を意味するといっても過言ではないでしょう」

結局、クレッバースはこの殺し文句で口説き落とされるわけだが、ヨーロッパにおけるオーケストラの存在意義、ひいてはクラシック音楽への接し方がよく分かる話である。

ユーロ不安に象徴されるように、もはや落日の一途をたどるヨーロッパだが、これから文化的な伝統と経済的な側面との明暗がどのような跛行的展開を遂げていくのか興味があるところ。

翻って、世界に発信できる文化として現代の日本には
いったいどういうものがあるのだろうかとも考えさせられる。

本書にはほかにもたくさん引用したい部分があったが、長くなりすぎるのでこの辺で打ち止め〜。

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オーディオ談義〜やっぱりJBLはすごい!〜

2012年01月12日 | オーディオ談義

昨年の12月に、タンノイのウェストミンスターのボックスにJBLのユニット(D130、口径38cm)をブチ込んでからおよそ1か月。

                   

下の写真の左がオリジナルのタンノイ「HPD385」で、右がJBL「D130」でともに口径が38cm。

                                    

「水と油」のような関係のタンノイとJBlを組み合わせるなんてと正統派の奈良のMさんから顰蹙をかったことは、年末のブログで記したとおり。

「ごもっともです」と深く反省しながら、いずれはタンノイのオリジナルユニット「HPD385」に戻そうと思いつつ、何せ図体が120kgほどのボックスをわざわざ移動させて裏蓋を開け、苦労して8本のネジで取り付けた「D130」をすぐに撤去するわけにはいかない。

まあ、折角なので当分、この状態のままで「どうせダメ元でいいから」といろいろ「オーディオ遊び」をしてみることにした。

今回はその1か月間の顛末を記してみよう。


☆ ボックス内の中蓋の撤去

ウェストミンスターのボックスの中を覗いたことのある人なら分かりやすいが、ユニットの背圧を受け止めて長大なバックロ−ドホーンに導くための中蓋(写真)がネジで固定してあるが「D130」のユニットの形状を考慮してこの中蓋を撤去し、その代わりに吸音材として「羽毛」を木綿袋に小分けしてぎゅうぎゅう詰めに押し込み、裏蓋だけで背圧を受け止めるようにした。

                   

☆ クロスオーバーの設定

周知のとおり、タンノイのオリジナルユニットは同軸2ウェイを1000ヘルツでクロスさせているが、JBLでは低域用の「D130」と中高域用の「LE85+ウッドホーン」のどの辺でクロスさせた方がいいのか、ウェスタン製のコイルとコンデンサーで500ヘルツ付近を中心にいろいろ試したところ、やはり1000ヘルツ付近が一番自然な音がした。この辺はさすがにタンノイさんで低域のショートホーンの形状がこのあたりでピタリと照準を合わせているようだ。

☆ D130にフェルトを貼り付け

以上の状態にして、聴いてみると以前に比べて格段の差で聴きやすくなったが中域付近がどうも不自然で音の濁りが感じられる。そこでオーディオ仲間の湯布院のAさんに来ていただいて確認してもらったところ、やはり同じご感想で、「D130の中央のアルミの部分が中高域の音にかぶって悪さをしてるようですね」とのご意見だったので、試しにアルミの部分にフェルトを接着剤で張り付けてみたところ、これが大正解。

                                        

次から次に試聴する曲が実にうまい具合に鳴ってくれる。

「低域から中高域への繋がりが自然ですごく良くなりました。たったこれだけのことでこんなに変わるとは驚きました!」

押しつけがましさのない収束の早い低音が実に気持ちが良くて、分解能の良さが際立ちます。D130と中高域用のLE85とのスピードが一致してますのでまるでフルレンジで聴いているみたいです。”大地の歌”の第6楽章(マーラー作曲:オートー・クレンペラー指揮)に至っては、これまでここで聴かせてもらった中では最高の音で鳴ってます。改めてJBLのすごさを感じました。」
とAさん。

まさか、これほど「大化け」するとは夢にも思わなかったが、たしかに「D130」にとってウェストミンスターのボックスは、大きくて、重たくて、ビクともしないし、バックロードホーン効果も大いに期待できるとあって、これ以上ないような理想的な容れ物といっていいだろう。

これなら、もしタンノイのユニットと入れ替えたとしても「いい勝負」になるに違いないし、第一システムの「Axiom80」との差も大きく縮まったように思う。

改めてAさんに聴き比べてもらうと
「中高域は”Axiom80”の方に軍配が上がりますが、低域はJBLの方が上です。もしお客さんにどちらがいいか聴いてもらうとしたら大きく意見が分かれることでしょう」。

人生には「上り坂」と「下り坂」があってそれ以外にも「”まさか”の坂」というのがあるそうだが、今回がそれこそ、この「まさか」だった。

これからはその日の気分次第でどちらの音を選択して聴くか、まことに贅沢な悩みが続くことになるが、どうか今年はこのまま「運のいい年」になりますように〜。

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魔笛談義〜年末のBS放送「ミラノ・スカラ座の魔笛」〜

2012年01月10日 | 魔笛談義

「失敗学」の権威「畑村陽太郎」氏(東大工学部名誉教授、現在、福島原発の事故調査・検証委員会委員長)によると、講義の途中で学生たちに過去の「失敗事例」を持ち出すと急に身を乗り出してきて目が”生き生きと輝き出す”という。

「同じような失敗を繰り返したくない」という共通の心理が働き、他人の失敗経験から何らかの教訓を汲み取ろうと前向きになるそうだが、その一方で他人の「成功事例」ともなるとさほど熱心にならないという


「成功するよりも失敗しないことの方が大切」というわけだが、まあ、成功事例といえばサクセス・ストーリーとして小説なんかで読む分には気楽で面白いが、現実の身近な話ともなると、どうしても「自慢めいた話」になりがちなので敬遠されるのは否めない。

正直言って他人の「自慢話」に付き合うのを好む人はあまりおるまい。

「エッセイなんてどうせ自慢話だ」と言ったのはエッセイストの山本夏彦氏だが、ブログだってエッセイなので、「自慢話」を「自慢話」らしくしない配慮が必要だと思っているが、ブログを始めてからもう5年以上にもなるがこの辺がなかなか難しい。

とにかく唐突に自慢話を登場させると「あからさまだ」と嫌われるので「自然な流れの中で」、「表現にも一工夫」しながらさりげなく登場させるように心がけているが、こればかりは読む人次第なので判定がいろいろ分かれるところだろう。

しかし、止むに止まれず、これだけはどうしても自慢させてほしいという「生命線」みたいなものが誰にでも必ず一つか二つはあるもので、そういう場合には「そうか、そうか」と快く頷いてほしいものだ。

そして、それは、自分の場合だとモーツァルトのオペラ「魔笛」のCD、DVDの保有枚数なのであ〜る!

実はブログを始めたきっかけというか、拠って立つ所もここにあるわけで、「これだけは絶対に人には負けない」というバックボーンがあると、人間(=ブログ)は結構、打たれ強くなれるものである。

とにかく、現在、所有している魔笛のCDが23セット、CD(ライブ盤)が11セット、DVDが14セットで、すべて合わせると48セットにもなる
!(下の写真はほんの一部)

            

何せ2時間半の長大なオペラだから1セット当たり2〜3枚として 、枚数にすると確実に100枚以上は超える。およそ30年近くに亘ってこれだけのいろんな「魔笛」を追い求めて購入し、聴きまくったのは日本全国でも指折りではあるまいか、なんて思うことがしばしばある。

まあ「魔笛」に魅せられた後半生だったといえるが、オーディオにしても「魔笛」を「いい音」で聴きたいばかりにやむなく深みに入り込んでしまった結果でもある。

さて、そこで「魔笛のどこがそんなにいいの?」という話になるわけだが、モーツァルトが35歳で亡くなった年(1791年)に書かれたこのオペラには、彼の音楽のすべてが詰まっているといっても過言ではないほどの快心の出来栄えで、次から次に登場する歌曲(全22曲)が心に染み入る極上のメロディばかり。

(あのベートーヴェンでさえもモーツァルトの「魔笛」を最良の作品だと公言し、心酔のあまり「魔笛の主題による12の変奏曲」を献上している。)

また、生と死、善と悪、明と暗、美と醜、荘厳にして滑稽、などの対立する概念が公平に音楽に反映されているところがこのオペラに深い奥行きを与えている。

たとえば、ほんの一例だが王女(パミーナ)に言い寄って悪さをしかける憎まれ役の黒人の奴隷頭(モノスタトス)でさえも”やさしい眼差し”が注がれ、愛嬌のある歌が捧げられている。

こういうところがこのオペラにこの上ない人間愛の豊かさを感じさせ、いつ聴いても「まったく何という音楽だろう!」と感心する。

もちろん楽譜を読めない素人なので専門的な分析に基づいた鑑賞力にはほど遠いが、情緒的、感覚的に聴く分には大いに自信があり、通しで一度聴けばおよそ「演奏のレベル」が把握できる。


まず聴くポイントは次の主役級の5人の歌手たちの歌唱力の出来具合であり、指揮者とオーケストラとのマッチングである。

タミーノ(王子、テノール)、パミーナ(王女、ソプラノ)、夜の女王(コロラトゥーラ)、パパゲーノ(道化役、バリトン)、ザラストロ(高僧、バス)たち。

ただし残念なことにこれら5人の配役が完璧にそろうことはまず不可能で、誰かが良ければ誰かが悪いといった調子だし、これに指揮者の力量やオーケストラの響き、録音状態が加わるのでまず「魔笛」の完璧な演奏は未来永劫に望めないというのがこれまでの自分の正直な感想である。

まあ、トップクラスの演奏でも80点もいけば満足すべきだというのが偽らざる心境。

また、歌手たちやオーケストラの仕上がり具合とともに、もっと重要な要素なのがこのオペラ全体から受ける印象である。

まず、モーツァルトの最晩年の特徴である「(天高く、雲一つない澄み切った秋の青空のような)透明感、清澄感」が感じられなければならない。次に「死は最良の友達です」(父親あての書簡)を彷彿とさせる物悲しさ、はかなさ」が全編からそこはかとなく漂ってくれば、自分が思い描く「魔笛」はひとまず完結する。

モーツァルト独特の「物悲しさ」とは「悲しさが疾走する」とも「涙が追いつかない悲しさ」とも形容されるほどに有名だが、ピアノ協奏曲やクラリネット五重奏曲などもたしかにいいのだが、全編を通じてこの「透明感」とか「物悲しさ」を「心地よいリズム感覚」とともに味わえるのはやはり「オペラ」を措いてほかにない。

極論すれば、「オペラ」と「ピアノ・ソナタ全曲」を除いた、ほかのすべての作品はモーツァルトの才能の浪費ではないかと、思いたくなるほどに「魔笛」の出来栄えは素晴らしい。

さて、前置きが随分と長くなったが、年末のNHK・BSの深夜放送でミラノ・スカラ座で「魔笛」の放映があったので逃さず録画して、日を改めて2時間半の長丁場をじっくり鑑賞させてもらった。

日     時:2011年12月31日(土) 1:00〜3:30

チャンネル :NHK BSプレミアム(103)

題     名:華麗なるオペラの世界 ミラノ・スカラ座歌劇「魔笛」

指揮&演奏:ローランド・ベーア、ミラノ・スカラ座管弦楽団

「スカラ座」でドイツ語による「魔笛」(ジングシュピール=歌芝居)を上演するなんて、「そんなのあり?」という違和感を持ったのが最初の印象だったが、とにかく歌手たちの熱唱さえ聴ければ”どうでもいいや”と開き直ってじっくり耳を傾けた。

結論から言えば残念なことだが「透明感、清澄感」や「物悲しさ、はかなさ」の”かけら”も感じられないような、理想には程遠い「魔笛」だった。

さすがに第二幕終盤のパパゲーノとパパゲーナによる「パ、パ、パ」は圧巻だったが、押しなべて歌手たちに「余裕」というものが感じられず昔と比べると随分小粒になったような印象を受けた。

世界クラスでどのくらいのレベルに位置する歌手たちが出演したのか、その辺がさだかではないので断定は禁物だが、ペーター・シュライアー(タミーノ役)など朗々と歌う往年の名歌手たちと比較するとやっぱり見劣りする。

どうもウィリアム・クリスティ指揮の「魔笛」(1995年録音)以降、気に入った演奏に出会わない、一度でもいいから目の覚めるような「魔笛」が出てこないものか・・・。

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オーディオ談義〜液晶テレビと真空管アンプ〜

2012年01月06日 | オーディオ談義

今回は液晶テレビ(6年前に購入したシャープの「アクオス」45インチ)の近くに置いた真空管アンプがテレビ画面に帯磁した盛大な「静電気」の影響を受けて雑音を発生したという話。

       

現在、4台の真空管アンプ(いずれもパワーアンプ)を持っていて、いろいろ持ち味に応じて使い分けしている。出力管ごとに内訳を記しておくと、WE300B(モノ×2)、PX25(2台)、2A3、VV52Bといずれも三極管のシングル。

真空管は出力が小さいながらも中高域に繊細な表現力を持っているところが一番気に入っている。

したがって、第一、第二システムともに中高域用には必ず真空管アンプを使用しているが、このところずっと第二システムのタンノイ・ウェストミンスターの中高域用には「2A3」を使ってきたが、久しぶりに年も改まったことだし気分転換のために「VV52B」の真空管アンプを使うことにして接続してみた。

(この「気分転換のために」という理由にならない理由が実は大いに問題あり。これまでの経験で、結果的には気付かないうちに何らかの不満が隠されていることが多い!)

すると、いきなりスピーカーから”ジーッ”と嫌な雑音がするではないか。特に、左チャンネル側からの雑音が大きい。

「あれっ、おかしいなあ〜、何故だろう?」。

この「VV52B」アンプは中型サイズだが、電源トランスや出力トランスが大きいため重量もかなりあって、置き場所に困り、オーディオラックの上に載せていたもので三極管のシングルにしては出力が20ワット近くあり、高域用のみならず低域用にも使えるので随分と重宝している。 

このアンプは購入してからすでに20年近く経過し、いたるところ接触不良を起こしていたので半年ほど前に奈良県のMさんに全面的に改修してもらったところ、見違えるほど音が良くなり大喜びしたものでそんなに急に悪くなるはずがないし、どうも不思議で仕方がない。

先ず疑ったのが真空管の故障。先ず初段管(テレフンケンのECC82)を左右入れ替えてみたがまったくノイズが変わらず。次に出力管を入れ替えても同じで変わらない。もしかしてケーブル自体の接触不良なのかと点検してみたがこれも不良個所が見当たらない。

とうとう原因が分からないまま、睡魔が襲ってきたので一眠りして、明くる日の早朝、目が覚めたとたんにふと液晶テレビの近くにアンプを置いているのが原因かもしれないとようやく気が付いた。液晶画面に近い方の左チャンネルから特に盛大なノイズがするのもこれで説明がつく。

すぐに、ガバッと跳ね起きて、オーディオルームに駆け込むなりアンプの初段管のECC82にシールドケースを被せて電源スイッチをオンにしたところ、雑音が激減したのでようやく原因が判明した。

今さらながら液晶テレビの画面(スイッチは待機状態)には盛大な静電気が滞留されていることを再確認したが、真空管の素子も単なるガラスケースに覆われているみたいなものなので外部からのノイズの侵略にはめっぽう弱いというのは今さらながらの新発見だった。

それも低域用に使っているときには何らノイズが発生していなかったので高周波ノイズとしての反応が顕著のようである。

とにかく場所を移動させて、2A3アンプを追い出してこのVV52Bアンプをラックの下段に納めて聴いてみたところノイズが皆無になったので先ずはひと安心。

          

それに音質の方も大違いで、「2A3シングル」に比べてスケール感が増大したのには驚いた。中高域用(1000ヘルツ〜)のアンプを替えただけで、音楽全体がこんなにガラリと変わるのならもっと早い段階で試しておくべきだった。

やはりオーディオは理屈よりも実験で、やってみなければ分からないところが多々あるが、まあこれまでの経験もあるし2週間ほど聴いてみて慎重に最終結論を出すべきだろう。

ところで、写真をご覧になって目ざとい方は出力管の「VV52B」に何やら黄色い針金が巻きつけてあるのを気が付かれたと思うが、これはこのアンプを低域用として使っていた時に「マイクロフォニック・ノイズ」が盛大に発生していたのでそれを止めるためにガラス管の振動防止用として巻きつけたものである。

「マイクロフォニック・ノイズ」とは音が鳴りやんでも真空管のガラス管が共振して”こだま”のように音が反響してしまい聴きづらくて非常に始末に困る現象。

きちんとしたノイズ防止用としてガラス管に巻きつける防震ゴムが販売されているがVV52Bは大型真空管のため購入するととても高価なので自分なりに工夫して針金で締め付けたものだがこれで8割程度は明らかに防止できたが、今回は高域用として使うためノイズが皆無なのも大いに助かる。

それにしても今回は改めて中高域用のアンプの重要性に気付かされたが、第一システムの「Axiom80」専用に使っているWE300BやPX25アンプを持ってきたら果たしてどういう音がするのだろうかと試してみたくなる。

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読書コーナー〜「耳トレ!」

2012年01月03日 | 読書コーナー

(本年、最初の投稿です。「寒中お見舞い申し上げます」。今年もどうかよろしく〜。)

さて「音楽&オーディオ」を愛する人間にとって「耳が遠くなる」ことほど悲しいことはないが、聴力は20歳ころをピークに徐々に低下しはじめていき、65歳以上の4人に1人、75歳以上の2人に1人は補聴器が必要な状態だと、ショッキングな書き出しで始まるのが

「耳トレ!」(2011.10.3)である。

                       

大学教授で現役のお医者さんが書いたこの本には「耳の健康」に対する情報が満載で実に”ため”になる本だった。

以下、とりわけ興味を引いた点を自分自身のために忘れないように箇条書きスタイルで整理してみた。なお、※の部分は自分の勝手な感想である。

☆ 難聴の大きな要因は「騒音」と「動脈硬化」

2007年10月、日本の国立長寿医療研究センターから「加齢と難聴には相関関係がない」というショッキングなニュースが発表された。主として難聴に関係していたのは「騒音」と「動脈硬化」の二つだという。

「騒音」の原因には「騒音職場」とともに「ヘッドフォン難聴」「イヤフォン難聴」が挙げられ、

一方の「動脈硬化」は言わずと知れたメタボリックシンドロームである。

この二つは日常生活の中で十分予防が可能だが、今の段階から一人ひとりが心がけていかない限り、近い将来「大難聴時代」がやってくることは必至のようだ。

☆ 日本語は世界一「難聴者」にやさしい言語

どの国の言語にもそれぞれ固有の周波数帯というものがあり、母国の言語を繰り返し聞いて育つうちにその周波数帯以外の音を言語として聞き取る脳の感受性が失われていく。

そのため生後11歳くらいまでには母国語を聞いたり発音する能力に特化した脳が出来上がる。(※一人で二か国の言語を操るバイリンガルの「臨界期」が10歳前後と言われる所以でもある)

日本語で頻繁に使われる周波数帯は125〜1500ヘルツで、英語は2000〜12000ヘルツで随分と違う。日本語は世界の言語の中でもっとも低い周波数帯の言語で、英語は世界一高い周波数帯の言語である。

したがって、英語民族は高齢になると早い段階で高い音が聞き取りにくくなって不自由を感じるが、日本人はすぐには不自由を感じない。その点で日本語は世界一難聴者にやさしい言語である。

※ 英語圏の国で製作されたアンプやスピーカーなどのオーディオ製品には、高域にデリカシーな響きをもったものが多いが、これで謎の一端が解けたような気がする。その一方で、とかく高域に鈍感な日本人、ひいては日本のオーディオ製品の特徴も浮かび上がる。

☆ 聴力の限界とは

音の高い・低いを表す単位がヘルツなら、音の強さや大きさ(=音圧レベル)は「デシベル(dB)」であらわす。
 

人間が耳で聞き取ることのできる周波数の範囲は20ヘルツ〜2万ヘルツ(空気中の1秒間の振動が20回〜2万回)の間とされているが、イルカやコウモリなどは耳の形や構造が違うのでこの範囲外の超音波でさえ簡単に聞き取れる。 

ただし人間の場合は20ヘルツ以下の音は聴覚ではなく体性感覚(皮膚感覚)で感じ取り、2万ヘルツ以上の音(モスキート音)は光や色として感じ取りその情報を脳に伝えている。

※ 人間の耳は一人ひとりその形も構造も微妙に違うし、音を認知する脳の中味だって生まれつき違う。したがって同じオーディオ装置の音を聴いたとしても各人によって受け止め方が千差万別というのが改めてよくわかる。

自分でいくら「いい音だ」と思ってみても、他人にとっては「それほどでもない」という日常茶飯事のように起こる悲劇(?)もこれで一応説明がつく。

☆ 音が脳に伝わるまでの流れ

耳から入った空気の振動は外耳道と呼ばれる耳の穴を通り、アナログ的に増幅されて鼓膜に伝わり、アブミ骨などの小さな骨に伝わってリンパ液のプールである蝸牛へ。そこで有毛細胞によって振動が電気信号に変換され、聴神経から脳に伝わる。これで耳の中の伝達経路はひとまず終了。

この電気信号が言語や感情と結びついた「意味のある音」として認識されるまでにはもう少し脳内での旅が続く。

電気信号が聴神経や脳幹を経て脳内に入ると、まず、大脳の中心部にある「視床」に送られる。ここは、脳内の情報伝達の玄関口となっている。視覚、聴覚、皮膚感覚などあらゆる感覚情報が必ず通る場所で、単純に音だけを聴いているつもりでも、様々な感覚情報とクロスオーバーしている。

(※ 音楽を聴くときにカーテンなどでスピーカーを隠してしまったり、あるいは目を瞑って聴いたりすると、機器の存在を意識しないでより一層音楽に集中できるのは経験上よく分かっている。これから音楽を聴くときは少なくとも目を瞑ろう!

「視床」を通過すると音の伝達経路は「言語系ルート」と「感情系ルート」の二つに大きく分かれる。前者は最終的に「言語野」に到達するが、後者は大脳の一次聴覚野を通らず、いきなり「扁桃体」に直結していて「イヤな音」「うれしい音」というように音を直感的・情緒的に受け止める。

※ 直感的な発想だがオーディオマニアが音楽を聴くときには主として「感覚系ルート」がはたらき、オーディオマニア以外の人たちが(音楽を)聴くときには主として「言語系ルート」が働いているように思うが果たしてどうだろうか。

ほかにも本書には「音楽好きための難聴予防テクニック」など貴重な情報が満載で、末永く「音楽&オーディオ」を楽しみたいと思われる方は是非ご一読されることをお薦めしたい。

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オーディオ談義〜「メーカーの技術屋さんは信頼できるの?」最終第3部〜

2011年12月30日 | オーディオ談義

前々回からの続きです。3回シリーズのこれが最終段です。

(これが本年最後の投稿になりますが、今年も読者の皆様から元気をもらったおかげでどうにか続けることができました。ありがとうございました。どうか良いお年を迎えられますように〜。


したがって、最初からこの種の製品に対してはある程度疑惑の眼を向けていて、果たして手を抜いているのか、いないのか漠然とながらも常に判断するのがクセになっている。もちろん、その製品の値段と見合った範囲内での話だし、自分の耳にそれほど自信を持っているわけでもないが。

こういうクセがついたのも、けっして責めを負わせるわけではないがオーディオ仲間のN・Mさんの影響も否定できない。

N・Mさんは、現在は引退されているが若い頃は実際に首都圏のオーディオメーカーに勤めておられた方で、どちらかといえばオーディオよりも音楽を優先される方。

メーカーに勤務されている時代、周囲で大学の電気系を出たてのホヤホヤの技術者や、何ら音楽への興味を持っていない技術者の連中たちが企画設計の段階からアンプづくりに携わり、コストダウンと物理特性だけをたよりに「音楽性に欠けた」製品を次々に量産化していくのをずっと目(ま)の当りにしてこられ、
「メーカー製品は当てにならない」
というのが持論である。

まあそういうわけで、裏事情にも詳しいN・Mさんからオーディオ評論家たちも含めてメーカーの実状を散々聞かされたこともあるし、実体験上でもメーカー既成のネットワークの悪さ加減を認識していたので「一事が万事」というわけでもないが、どんな有名ブランドであろうと「技術力、恐るるに足らず」という気持ちが植えつけられたことは否定できない。

たしかに、N・Mさんがご指摘のとおり音楽を愛好している人が自ら設計して作った製品は音質に独特の光芒を放っているようで、たとえばマランツの往年の名真空管プリアンプ「マランツ♯7」などはその筆頭だし、スピーカーではたしかJ・B・ランシングの初期の製品もそうだった。

そもそも「音」は「空気の振動」として伝わり、耳はそれを受け止める臓器にすぎず、実際に「聞こえる」と感じているのは脳である。もっといえば、もともとこの世には「音」なんてものは存在しておらず、各自の脳が勝手に「音」としてイメージしているだけである。


したがって、オーディオ機器の表現力には製作者の「脳のイメージ=美的感受性」がストレートに反映されているといっていい。

真剣にいい製品を手に入れようと思うのならどこの誰が作ったかわからないような「既製品」を購入するよりも、そういう技術者を発見、発掘して、そのうえで頭を下げて作ってもらうのが一番近道で確実な方法であることがこれでお分かりだろう。

しかし、よくよく考えてみると、「音楽愛好家」=「オーディオマニア」の図式でさえ難しいのに「音楽愛好家」=「オーディオマニア」=「高度な電気技術者」の連立方程式の成立なんて現実にはとても至難の業ではなかろうか。

高名な音楽評論家の吉田秀和さんのオーディオ装置を、どなたかのブログで拝見したことがあるが実に”こじんまり”としたシステム(たしかスピーカーはエラックだったと記憶している。エラックといえばずっと昔、愛用していたカートリッジのSTS−455Eを思い出す)だった。

もちろん、音楽評論の真髄を極めた方だからそれなりに深いお考えのもとに選択されたのだろうが、明らかに巷のオーディオマニアの範疇には入らないタイプである。

もともと人間の脳なんて「音楽=右脳の活用」、「物理学(電気技術)=左脳の活用」なんだから、お互いにまったく畑違いの分野であり、これは、もう”いい、悪い”を超越して生理学的な問題であることはたしかである。

とするなら、もはや機器のほうは「ある程度の段階」で諦めて、沢山「いい音楽」を聴いて個人としての美的感受性を磨き、音楽的なイマジネーション力を向上させる方が「正道」だという考え方も当然成り立つわけである。

作家の五味康祐さん(故人)がオーディオ関係の著作を通じて、しきりにこの辺を力説されていたのを、今となってはっきり思い出す。

ただし、機器を「ある程度の段階」で諦めるという話だが、実際にはこの「ある程度」という段階の具体的な見極めが実に難しい。どこでどういう区切りを付けるのか、マニアがいつも悩んでいるのもこの点にある。

自分もけっして例外ではない。これまでオーディオ機器を入れ替えるたびに「まあ、この辺ぐらいで止めとくかな〜」と何度口(くち)ずさんだことだろう!財力とも大いに関係してくるしねえ〜。

結局、マニアにとって「音楽」とは日頃使っているオーディオ製品(=製作者)に対する信頼感と愛情を抜きにして語れないわけだが、Mさんが言われるように「メーカーの技術屋さんに一目も二目も措く」のか、N・Mさんのように「メーカー製品は当てにならない」と思って聴くのか、この先入観によって音楽を聴く姿勢が随分と左右されるようである。

果たしてオーディオマニアにとっては、どちらが幸せなのだろうか。
 

これはとても自分の手に負えそうもない難題なので、逃げるわけではないが解答のほうは読者の皆さんに下駄を預けた方がよさそうである。

「あなたはメーカー製品を信頼しますか、しませんか?」

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独り言〜「この心臓ならマラソンだって大丈夫!」〜

2011年12月27日 | 独り言

以前のブログにも登載したように、今年の1月に「労作性狭心症」と診断され、即座に「心臓カテーテル手術」を受けて「ステント」を2本、心臓血管の狭窄した部分に挿入した。

退院する際には、
「1年後に再度カテーテル検査をしてステント部分の血管の詰まり具合を是非見せてください」との病院からのお達しだった。

その来年の1月が間近に迫る中、現在、心臓の自覚症状に違和感はまったくないものの、このまま何となく気になる状態で「正月」を迎えるのも「癪」なので早めに病院に行って先制攻撃を仕掛けることにした。

前回はなにせ始めての「心臓手術」におっかなびっくりで、わざわざ隣のO市の大病院を選んで手術を受けたが、「心臓カテーテル」は技術的に確立され安全な手術だと分かったので、今度は気楽な気持ちで車で10分ほどの交通の便がいい地元の公的病院で診てもらうことにした。

12月14日(水)〜16日(金)にかけて二泊三日の小旅行気分で入院したが、15日の手術に備えて14日の夕方に主治医(以下、「O医師」)と面談。

まず自分から、こう切り出した。

「前回のO病院でのカテーテルの手術中のことですが、それこそ息をするのも苦しいほどで脂汗をビッショリ流しました。動脈硬化でニキビ状になった血管にステントを埋め込んだとき、プラーク(垢)が飛び散り一時的に毛細血管の一部が詰まったみたいです。

プラークが飛び散りそうなときはステントの両端にパラシュートをつけて回収するようになっていると聞いていたのですが、どうもお医者さんがそういう処置をやってくれなかったみたいで、もしかして後遺症が残っていないかと心配です。術後の血液検査でも心臓細胞の一部破壊が数値として明らかに出ていました。」とやんわり申し上げた。


すると「心臓血管に異物を入れるときは生体が拒絶反応を起こしますので、ステントにパラシュートを付けるかどうかは医師の判断に任されていますが、やはり異物には違いないのでなるべく容れない方がいいと思いますよ・・・。とにかく必要な処置を施したら素早く撤退するのが原則です。前回のときは手術中に一時的な軽い心筋梗塞を起こされたのでしょうね〜」と、明らかに思い当たる節のありそうな顔をしながら当たり障りのない返事をするO医師。

年齢的にはまさに脂の乗り切った40歳代くらいの温厚そうな方だったのでまずはひと安心。何せ自分の命を100%委ねる相手だから人間観察にはひときわ慎重になる。

ここまで言っておけば、念には念を入れて慎重に手術をやってくれるに違いない。

翌15日は、予定きっかりの13時から手術開始。

文字通り、まな板の上の鯉で手術台の上で覚悟を決めて深呼吸を繰り返す中で前回どおり右手首からカテーテルを挿入されたが今回は明らかにカテーテルが心臓に届くのが自覚症状としてわかった。

事前に同意書をとられたとおり、術中に人工的に心臓に痙攣をおこさせる薬を注入されて(心臓の)動きの反応を観察されたが、まったく異常がなかった。前回のときは1時間ほどかかったが、今回は滞りなく30分ほどであっさり終了。

その日の夕方、O医師から画像写真を見ながらていねいに説明があった。

「まったく異常はありませんでした。今のステントはレアメタルが使ってあってものすごく性能が良くなっています。以前は10人に2〜3人の割合で再狭窄が見つかっていましたが、現在では一桁違っていて、100人に2〜3人の割合になりました。

ステントを埋め込んだところが大きな血管となって中心的な役割を果たしています。ほかに一部の血管が細くなっているところがありますが、それをカバーするかのように他から血管が迂回してきています。この心臓ならマラソンだって大丈夫ですよ。そのために、ステントを容れたのですからね。心臓を大事にしすぎるとかえって筋肉がサボってしまいますから適度にハード・トレーニングをしてください。」
とうれしいお達し。

「いやあ、先生どうもありがとうございました」と、うれしさと感謝の気持ちいっぱいで、前もってカミさんから指図があったとおり「心付け」を少々包んだ。(こんなこと、書いていいのかな?)

その場で気持ちよく受け取ってくれたので、安心していたところ、退院後の翌々日、自宅に「現金書留封筒」が届いた。

「折角のご配慮の御品ではございますが、私ども〇〇病院に勤務する職員挙げて、綱紀の厳正な保持に取り組んでおり、皆様からのご贈答品につきましては固くご辞退申し上げているところでございます。お気持ちのみ、頂戴させていただきます。」という文面が添えてあって「心付け」がそっくり同封してあった。

医師への任意の謝礼で受け取ってもらえなかったのは今回が始めてのケースで、まさか送り返して来るとは夢にも思わなかったが、かえって現金書留代金の余計な出費をさせてしまい大いに恐縮したことだった。

さ〜て、この宙に浮いた「お金」をどうすりゃいいのか「思案橋ブルース」だが、カミさんに正直に言おうか、それとも・・・。

なお、日ごろ運動ジムに通っているうちに顔見知りになった同年輩ぐらいのご婦人から、カテーテル手術の経過を詳しく訊かれたので、状況を正確に教えてあげると、その方のご主人がやはり狭心症気味でカテーテル手術を恐ろしがってなかなか病院に行きたがらなかったそうだが、自分の話を伝え聞いてようやく重い腰を上げて病院へ行こうと決断された由。

もちろん、ステントの挿入後は毎日、血液をサラサラにする薬が欠かせないのがデメリットの一つだが、94歳と11か月で今年の9月に亡くなった母は25年間ずっとこの薬を飲み続けたが副作用はまったく心配しなくてよかった。


このご婦人によると、自分が教えてあげた「この心臓ならマラソンだって大丈夫ですよ!」とのお医者さんの言葉が、どうやら強力な”プラス・イメージ”となって病院行きを渋るご本人の背中を力強く後押しした模様だ。

どうやら「ステント」を容れてしまうと行動に制約ができて半病人みたいになるという先入観があったらしい。

もしかして、
人助けに貢献できたかな?

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