波は静まりました。「イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。弟子たちは恐れ驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と互いに言った」(ルカ8:25)というやりとりがあります。溺れてしまう、という弟子たちの不安と焦りには、信仰がないという考え方が表されています。ところが神の言葉はその命じるところによって、風も波も従うのです。しかしマルコでは、「まだ」信じないのかと問い詰めており、弟子たちに厳しいイエスの姿が明らかにされていますが、ここでは淡泊に、信仰がどこにあるか、とだけ尋ねています。イエスに従うことを重視し、弟子たちはまだこのときには従うに価しないと見なしているマルコでは、弟子たちに本当の信仰があるとは言えないことが前提となっています。十字架と復活を経て、再びガリラヤに戻りイエスに会うとき、弟子たちは本当の意味でイエスに従う者となるのです。そして読者がまさにそのようにしてイエスに従うのだという誘いになっています。ルカでは、福音はもうローマへ向けて広がっていっています。エルサレムで一つのクライマックスを迎えた後、現在進行形というあり方で、福音がアジアからローマのほうへ広がっていっている最中の出来事です。信仰はどこか。そう問われて、この方はどなたなのか、というマルコの言葉を同じく語らせながらも、答えは見えているルカの描き方がこぼれてきているようであります。
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