斑尾の住人

斑尾の開発当時から居座っている人間の裏話。

遭遇

2015-05-28 21:55:01 | Weblog
今日は斑尾高原内のトレイル整備の一日でした。
 午後からの整備に参加。

   トレイルの途中初めての遭遇です。

この時期、ギフチョウ、ヒメギフチョウは良く見かけますが
  ヒメギフチョウの交尾状況に遭遇しました。



また、道標の支柱には「はるぜみ」の抜け殻が・・・・
     いま、ちいちゃな体であちこちの森で一生懸命鳴いています。


斑尾山麓開発の成り立ち 2

2015-05-28 11:40:14 | Weblog
昭和39年(1964)8月飯山市は市制10周年、10月1日には東海道新幹線が開通、
10日からは第18回オリンピック東京大会開催(94ヶ国 5541人の選手が参加)、
11月9日佐藤栄作内閣が成立など日本経済は大きく動き始めました。
    40年代に入り、驚異的な高度成長を遂げた日本経済と共に、行政側より開発の動きが始まり、12月信越経済協議会において、斑尾山麓地域の開発計画が浮上、長野県と新潟県とを結ぶ林道沼・万坂線の道路改良を足がかりに、
 昭和40年(1965)6月8日「林道沼・万坂線期成同盟」が結成されたが観光開発のためには土地提供という形での地域の協力が必要であったため、計画ははかどらなかった。
 しかし、行政の動きと共に地域住民の側でも斑尾山麓の開発を推進しようという気運が次第に高まりつつあったのです。

斑尾山とスキーのかかわり  その2

2015-05-27 21:26:02 | Weblog
 大正2年(1913)
     1月12日と3月 飯山中学校(現飯山北高)寄宿生、斑尾山にスキー登山。

 昭和7年(1932)
     1月30日~31日 第10回全日本スキー選手権並びに第6回明治神
      宮スキー大会予選会が神明ヶ丘に雪不足のため分道スキー場で開催。
      選手、役員は分道と堂平の民家に分宿。

 昭和8年(1933)
     11月16日 分道スキー場にヒュッテ完成。
      分道に飯山最初の民宿が二軒誕生。(ご飯と味噌汁付きで一泊50銭、一軒5~6人の宿泊であった。)
 昭和9年(1934)
     1月 6日 飯山・田口間20kmスキーツアーコース開きを分道ヒユッテにお
      いて開催。
     1月28日 飯山・斑尾・田口スキーツアーコース開きでツアーを実施。
     2月18日 名古屋鉄道局主催、田口・斑尾・飯山スキーツアーで婦人・子供を含 め80余名が完走。
 昭和16年(1941)
     2月16日 全国皆スキーに併せ飯山町民スキー行事で坊主山と分道にてスキー
           行軍。
 昭和32年(1957)
     3月10日 田口・斑尾・飯山スキーツアーは復活し、33年3月2日・34年
     3月1日・36年3月19日・42年3月19日と実施されている。


 このような記録が残されています。
   昭和7年に全日本スキー選手権が開催されていたとは驚きです。