日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

タシケント・ペテルブルク旅行 ●広島県連呉支部

2016-09-19 21:38:38 | 日記
タシケント・ペテルブルク旅行
●広島県連呉支部藤井孝志
 8月16日から11日間、タシケント・ペテルブルク旅行に行ってきました。
呉支部の企画で、12人がこの旅行に参加しました。
 今回の旅行は、サンクトペテルブルクに1年、タシケントに5年暮していた一杉次郎さんと奥様のエルビラさん、娘さんのカリーナさんが計画、推進、ガイドなど旅のすべてを作ってくださいました。
一杉さんご家族の呉支部への最高のプレゼントです。
(これからロシア旅行記を編集し、10月2日ロシア旅行報告会を開催する予定です)

 タシケント1日目は晴れ、ハズラティ・イマーム・モスク、ケクリダシ・メドレセ(神学校)
などの歴史的建造物、独立広場、抑圧犠牲者の広場、ナボイ劇場、キャラバンサライ、日本センターと
盛りだくさんな観光をした。
 キャラバンサライの中に入ると「オィ、ジロサン」と、ナボイ劇場の先生と歌手がお出迎え、
一杉次郎さんと3人で歌うロシア民謡とイタリア民謡を、ほんの2~3メートルの距離で聴くことがでた。
さらに夕食レストランでは、カリーナさんの友人であるオペレッタ歌手のクリモフさん、コンセルバトーリの先生達4人と交流会。
 迫力満点で心にしみるようなきれいな歌を聞くだけでなく、コンセルバトーリの先生が伴奏するピアノの周りに、クリモフさんと旅行者全員集まって「バイカル湖のほとり」、「モスクワ郊外の夕べ」など歌ったことは、忘れがたい思い出になるであろう。
タシケント2日目は晴れ、特急に乗ってサマルカンドまで足を伸ばし、モスクやメドレセ、天文台、レギスタン広場などの歴史的建造物を見学しました。ホンサロイホテルの屋上では、ウズベキスタンの代表料理プロフの実演がり、カリーバさんが通訳した。一杉次郎さん、エルビラさん、カリーナさんは呉支部のロシア料理教室の先生でもある。おいしいプロフとバルチカビールで乾杯した。

 タシケント3日目晴れは、ヤッカサライの抑留者記念館と日本人墓地、マハッラ(居住、自治会の類い)を訪問しました。

 サンクトペテルブルク1日目午前は雨の中、宮廷・元老院広場、イサキーエフスキー広場、マリンスキー劇場、アレクサンドル・ネフスキー墓地などの見学。午後はエルミタージュ美術館に入って、日本語ガイドのリーザさんの案内を受けながらそのコレクションを十分に鑑賞した.そして夕食のレストランではロシアの歌舞を堪能した.

 サンクトペテルブルク2日目は晴れ。午前は、芸術広場とネフスキー散策の後ロシア美術館入館、レーピンの有名な絵画「ボルガの舟引き」に巡り会えた.午後は土産物店「オネーギン」とドームクニーギで買い物の後、血の教会に入館した後、ペテルゴフへ移動してアレクサンドリアホテルに宿泊した。ホテルでは宮廷料理とクリミアワインに舌鼓を打った.

 サンクトペテルブルク3日目晴れ。午前は、サンクトペテルブルク郊外のショッピングセンターで買い物、トイレやシャワー室、耕耘機などダーチャ生活の道具の多さに驚いた.午後はプーシキン市付近のダーチャ訪問をして、そこの家族と交流しながら「こんなダーチャが欲しいな」とため息をついた.

 サンクトペテルブルク4日目午前は雨の中、ペトロドパレーツ(ペテルゴフ)、ピョートル大帝の夏の宮殿、すばらしい噴水の芸術に圧倒された.午後は雨も上がり、コトリン島へ長大な堤防をミニバスで通って行った。この島のクロンシュタット軍港は数々の歴史の舞台になった所だが、日本人はあまり来ないそうだ。

 サンクトペテルブルク5日目は晴れ。アレクサンドリアホテルを出発してプーシキン市のエカテリーナ宮殿と、プーシキンが学んだ貴族のエリート学校リツェイを入館見学した.夕方再びサンクトペテルブルクのオフチンスカヤホテルへ移動してさよならパーティー。タシケントからサンクトペテルブルクへ引っ越して来られた、一杉さん、エルビラさん、カリーナさんの親友であるオペラ歌手家族とご一緒できた.ここでも迫力のある歌を聴くことができた.

 タシケントのナボイ劇場、キャラバンサライ、オペラ歌手とコンセルバトーリの先生達、抑留者記念館、マハッラ、ガイドのトゥルキンさん。サンクトペテルブルクのダーチャ、ガイドのリーザさん。これらは出会いは日本ユーラシア協会の交流の旅でもあった。手土産と一緒に「憲法九条27カ国語訳」のパンフレットを手渡しました。旅行成功の2大要因は「天気」と「人』と言われる。2日ほど雨天があったが、参加者と出会っ人々に恵まれたことは天気を挽回して余あるものであった。(ここまで呉支部藤井)

●呉支部の藤田洋子さんから感想
参加者の一人、藤田さんから以下の感想が寄せられました。
 タシケントは、日差しがきついものの湿気が少なくカラッとして日陰に入ると風が吹き抜け、酷暑の日本より過ごしやすく思えた。モスクやメドレセのブルータイルが青空に映え本当に美しい。広い道路、緑の濃い街路樹手入れされた公園の芝生と花々、ブルーで統一されたビルの窓ガラスなど、きちんと整備された中心部もいいが、交通渋滞や市場の喧騒の光景に人間味を感じ興味が湧く。夕刻、畑に放牧している牛を数頭引き連れラッシュ時の道路を巧みに渡り家路に向かう子どもの姿、特急アフロシアブに乗りサマルカンド行く時、車窓から見た綿花やトウモロコシ畑に点在する家屋や畜舎の傍らで働く人たちの姿に懐かしい記憶が蘇った。しかしシルダリア地方を過ぎる頃、風景は一変した。広大な茶色の平原が延々と続く。これには圧倒され、異郷の地にやって来たことを実感した。 特に印象深い訪問先の一つは「極東から強制移送された数百名の日本国民」が建設に貢献した「ナヴォイ劇場」、ここでは丁寧な館内ガイドの上、座席に座りオーケストラの練習を聴くというレアな体験までさせてもらい感激した。また「日本人抑留者記念館」では館長スルタノフさん製作の映画を鑑賞し、抑留者がダムや工場建設、水路工事などにも従事したことを知った。展示の充実にも敬意を持った。「マハッラ」のヒローラさん宅訪問も貴重な体験だった。彼女手作りのプロフを頂いた後、中庭を囲むように設計された各部屋とトイレやサウナ、地下の貯蔵室も見学させて頂いた。その機能性に感嘆した。近所の子どもたちとの思いがけない交流も心に残る。今回の旅中、訪問した随所でシルクロード、ティムール、帝政ロシア、ソ連時代、独立と、ウズベキスタンの歴史を感じることが多かった。旅のナビゲーターをして下さった一杉さん、エルヴィラさん、カリーナさんの豊富な現地情報や体験、知識、トルティンさんの博学で軽妙なガイドがあったからこそと思う。
 サンクトペテルブルクの旅の思い出を幾つか・・・・・
★青銅の騎士像
8月20日雨の中、元老院広場を歩いて青銅の騎士像へ。たまたま、銅像の後ろから接近したので、その足元の蛇がまず目に飛び込んで来た。そのリアルさに驚く。どのようにして運んで来たのだろうか、巨大な自然岩の形を生かした台座には馬に乗ったピヨートル大帝の銅像があった。後脚だけで立つ馬、その脚が踏みつける蛇(宿敵スウェーデンとか)と言い、さらにエカテリーナ2世がフランス人に制作依頼してから12年の歳月を要したという説明を聞くにつけ、なんと大仰なことと、思ってしまう。その日の朝イサーク広場で見た「ニコライ1世の騎馬像」も立派だった。馬の前脚は宙を浮いているし、台座には彼の功績が彫り込まれている。今回の旅で、幾つもの像を見たが、対峙できるほどの高さのものはほとんどない。見上げるほど高いものばかりだ。制作年月や資金を相当かけている凝った芸術作品だ。多くの人が駆り出されたことであろう。
★ レンブラントのダナエ (エルミタージュ美術館)
 好きな一冊、ワジム・フロロフの「愛について」にこんなシーンがある。母と息子がエルミタージュ美術館に来て、この絵を見ている時、ウクライナ風の男がやって来てダナエの裸について語る。そこから、男と母のあけすけだけど健康的な大人の会話が始まる。それを聞く息子のサーシャ。その後、色々な経緯があり母と息子は別の人生を歩むのだが、この物語の中で非常に意味あるシーンだ。その「ダナエ」にお目にかかれるとは!!   
8月20日午後、エルミタージュ美術館は混んでいたけれど、「ダナエ」をちゃんと鑑賞することが出来た。1985年硫酸を浴びるという不運を乗り越え、今ここにある「ダナエ」、ありがたや!中野京子「名画の謎」を読み、少し予習もした。ダナエの枕もと上方にいるキューピット(両手を縛られた泣き顔)も、カーテンの奥にいる老婆もしっかり見た。光を浴びたダナエのなまなましい肉感に見入ってしまった。それにしても、フラッシュ無しなら写真オッケー、無防備に思えるほど至近距離で鑑賞でき、その上、入館料が安い。サンクト市民が羨ましい。
★ レストラン「サンクトペテルブルク」でのショー
 印象に残る風景の一つに、20日夜レストラン「サンクトペテルブルグ」の店前からグリボエードフ運河越しに見た「血の上の教会」がある。アレクサンドル2世が暗殺された場所の上に立つ教会は、どこかユーモラスな外観で夕陽を浴びていた。「サンクトペテルブルグ」でショーを見ながらのディナーは贅沢で楽しい時間だった。食事、ショー、旅のメンバーとの語らいは忘れられない。懐かしいロシアの曲、美声の歌手、美男美女の踊りに酔いしれた夜だった。
★ ロシア国立美術館
8月21日10時の開館とほぼ同時に入館。荷物は「クロークルーム」に預ける懐かしいやり方で、年配のスタッフがそれらにタグを付け、我々は札を受け取り、帰る時、札と引き換えに荷物をもらう。コインロッカーではない、このクラシカルさ、迷路の先にあるクロークが面白い。館内に椅子・ソファーがたくさんあり、疲れたら座ってゆっくり絵を鑑賞できる。 
アイヴァソフスキーの海の絵は貸出中でお目にかかれず、残念だったが、イリヤ・レーピンの絵をたっぷり堪能できたのは嬉しいことだった。有名な「ヴォルガの船曳き」は想像以上に大きい。船を引く人々の苦悩の息遣いまでが伝わりそうな絵だ。「1901年5月7日の国家評議会」に至るとそのスケールに絶句。「トルコのスルタンへ手紙を書くザポロージャ・コサック」の登場人物の表情を見ながら、その時代を知りたいと思う。肖像画「裸足のトルストイ」に黴臭い文豪ではなく生身のトルストイを感じ、「ニコライ二世」に最後の皇帝の姿を見る。「新兵の門出」では新婚間もない夫の出兵を新妻や家族が見送る農家のワンシーンを見事なまでに切り取っている。作家のような画家だと思った。そして多作な画家だ。
ポレノフ「キリストと不義の女」などは、キリスト教への造詣がないと理解し難い絵については、中島さんに解説していただいたのが参考になった。この美術館では新たに二人の画家のファンになった。ニコライ・ゲー「オリガ・コスティチェワの肖像」、地味だが、知的な女性の内面を感じる一枚。ウクライナ出身のアルヒープ・クインジ「ウクライナの夕景」は離れがたい一枚だった。この絵に郷愁を感じると言うカリーナさんと「好み」が一緒だったことも嬉しい。
★ ダーチャ
 8月22日ダーチャ訪問。旅の前に「ダーチャですごす緑の週末 ロシアに学ぶ農ある暮らし」(豊田菜穂子)を読み、著者が絶賛していた映画「モスクワは涙を信じない」(ダーチャのシーンがある)を観た。
娘さん一家と共に迎えて頂いたダーチャの主は気取りのない人柄のご婦人で、お家、庭の東屋風テラス、サウナ、温室など隅々まで気さくに案内して下さった。庭は豊田さんの本の表紙とよく似た庭だった。家事をした後、庭や畑の手入れをし、午後はクラッシクを聞きながら読書というダーチニキの生活が家にも庭にも表れている。本当の豊かさを感じる。もちろん街での暮らしも仕事もこなしながらのことだと思うが。庭のリンゴ、サージ、桃、ベリー類などの果実、花々も少しずつ増やしてきたようで、それぞれの成長が大きいものからまだ小さいものまでとばらつきあって、それが好ましかった。シャカリキになって一生懸命というよりは、楽しみながらのスタイルが素敵で、学びたい点が多い。お茶と一緒に頂いた庭のリンゴ、手作りのお菓子が美味しかった。ウズベクやサンクトで食べたリンゴは小さくて青く、皮ごとかぶりつくと口一杯に酸味が広がり、その後ゆっくりと甘みが追いかけてくる。舌に残る記憶だ。
豊田さんの本は「今日は劇場、明日は菜園」「ロシア人は手間暇かけることに意味があると考える」「生産の喜びを知らずして、消費の快感に浸るなかれ」等々多くの示唆を含む。今、我が家のキーワードは「ダーチャ」だ。
このダーチャ訪問前に「ホームセンター」風の大型専門店に寄ったのだが、トイレ、シャワー、浴槽、農作業に必要な機材、花や野菜の種まで充実した品揃えとお手頃な値段に驚いた。一杉さん、實成さんたちに解説してもらいながらのホームセンターツアーは驚き、発見が多く、買い物も楽しんだ。 
★クロンシュタット
8月23日雨。 午前中ペトロドバレーツでピョートール大帝の夏の宮殿を見学し、広く美しい公園を散歩した後、フィンランド湾にあるコリン島へ。その時、通った道路は、実は一部がダムと聞き驚く。フィンランド湾を洪水から守るダムの上にある道路を通ってきたらしい。ペトロフスキー公園前でバスを降車。早々、トイレを借りるため、その前のカフェに走った。年代物の建物、内装、トイレドアもユニーク、トイレも清潔。こんなカフェで一杯飲んでみたい!
呉と同じく軍港都市という街の歴史をガイドのエリザさんが事前に調べ、日本語の手書きの説明書面まで用意してくれていた。その誠意がうれしく、ありがたかった。雨も止み、港からサンクトの市街が見渡せた。サンクトやペテルゴフの豪華絢爛さに食傷気味になっていたこともあるのか、クロンシュタットの歴史を感じさせる街並みに心が和んだ。街を行く人々にも黄昏時の気配が漂い、ロシアに来たことを実感する。港を後にして、レンガ倉庫の並ぶ通りを抜け、マカロフ橋を渡り、海の聖堂、ニコライ聖堂に着く。改装された聖堂は外見も内側も素晴らしい。ソ連時代は映画館として使用されていたとか、今回の旅では同様の話をよく聞く。広場にあるマカロフ提督の銅像も凝った造形だ。銅像の横側には、日露戦争時に旅順でのペトロパブロフスク撃沈のレリーフが刻まれている。マカロフはこの撃沈で戦死した。今もって人気の人なのか、花も手向けられている。
★琥珀の間(エカテリーナ宮殿)
 8月24日エカテリーナ宮殿。昨日のピヨートル大帝の夏の宮殿同様、観光客が多い。人混みの中では、迷子にならぬよう、スリにあわぬようと自分に言い聞かせる。エカテリーナ宮殿の中でも取り分け有名な「琥珀の間」についての話で興味を持ったのは、第二次世界大戦、独ソ戦でのナチスによる略奪とその後の復元エピソード。今も多くの人がその略奪された「琥珀の間」を追っているということもミステリーっぽいが、古今東西よくあることのようだ。
 帰国後、サンクトの地図を見ながら、案内して頂いた場所をチェックしてみた。随分いろんな所へ行っているのに驚いたり、その位置関係を再確認したりと楽しい作業をした。サンクトペテルブルク妄想旅まだしばらく続きそうだ。(呉支部 藤田)




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