清水町千[せんだい]代のぶどう山椒

縄文時代からの贈り物。大切にし、伝承したい。
奥深き山郷から自然豊かなリポートをお送りします。

清水町千[せんだい]のぶどう山椒

2016-09-18 01:38:08 | 自然とともに
 踏まれても、踏まれても伸びる雑草  
 踏まれなくても伸びる雑草に追われる農家の悲哀は、経験者で
なければわからない。

 いつか読んだ文献に農家の言葉が載っていたのを思い出す。
「農家は雑草との戦いだ」
「一生を雑草との戦いで来た」と。

 そして、
「雑草のごとく生きる」さらに、
「雑草のように生きられたら」と。

 確かに雑草は強い。
地面に這いつくばって生きる農家とよく似たところがある。

 得るものが少なくて、使うモノも少なくこれといったところがない。
 正に雑草のごとく生きるのもまた面白いが、貨幣社会であるだけに
そこに欲望が沸いてくる。これが一番の曲者となる。

 ただ俯いて何をするでもなく、何もできずに一生を終える人が多い。
もう少し頭の中の構造が違ったものであったなら、このようなことは
しなかったかもしれないと自戒の念でいっぱいである。。

 高齢化社会の一員ともなれば、いまさら何もなすことがない。
かろうじて読み書きそろばんが出来る程度では、無理もないが、
せめて社会のお役にたてればといろいろ頼まれることはお引き受け
する。

こちらはまともに進んで当たり前のこと。爪の先ほどのずれが
生じれば、陰で何を言われるかわからない社会構造の中での生活と
相成る。

最近「仕事は」と聞かれたら
「百姓」と答えることにしている。ぶっきらぼうにいうモノだから、
相手は続いては何も言わない。農業経営者でなく百姓なのである。

人様には自分の職業くらいソフトに答えると良いだろと思う。
あたりが良いだろうが、多少ひがみ根性が出るのかも知れない。

 都会では世間知らずの人を指して「百姓」という。彼らは蔑みの
言葉として使うのであるが。

 40年近く派手なビジネスをした後の百姓は、一昔を過ぎても
知らないことが多い。

 生まれながらに生家でずっと生活をし、百姓をしていたらもう少し
違う人間になっていたかもしれない。

 例えば、夜が明ければ早朝より地域をパトロールするとか、人様に
嫌われる言葉を口から出まかせに言うとか、唯うつむいた地動さんの
ように黙ったまま金集め以外何も知らずに生きられたかもしれない。

 なまじ世間を見てきた(つもり)だけの雑草は、伸び方も知らない。
 僅かの金の使い方を知っているだけでいつもピーピーいっている。
もう一度花を咲かせようにも齢が待ってくれない。これが悲しい現実。

 しかし、夢だけは持ち続けたいし、違った方向での楽しみを充実
させたいものと思っている。
 

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