日本古靴資料館

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日本人に本格的な靴作りを教えた偉人、レマルシャン

2017-05-26 09:02:46 | 靴業界の偉人

明治時代、靴の創生期に日本人にヨーロッパ流の本格的な靴作りを教えた外国人がいました。
その名はF.J.レマルシャン。

レマルシャンは1837年、オランダのメドルボルフで生まれました。
貴族の出身でしたが、少年のときにフランスの叔父の経営する靴工場で靴作りを学びました。

ある時パリで幕府派遣使節の1人と知り合った事を機に、当時23歳のレマルシャンは日本へ向かいましたが、乗った帆前船が波浪で遭難したために、長崎に到着したのは文久3(1863)年、レマルシャンは26歳になっていました。

当初はキリスト教の宣教師として暮らしていましたが、その後横浜に向かい、横浜で靴作りをしていました。
明治3(1870)年6月、レマルシャンは1年契約で高知藩に靴教師として雇われました。
契約終了後の明治4(1871)年5月に横浜に戻り、再び靴屋をしていましたが、翌明治5(1872)年3月、伊勢勝造靴場の西村勝三の必死の懇願により、レマルシャンは伊勢勝に靴教師として招かれました。

当初レマルシャンは西村勝三の誘いに乗り気では無く、最初の契約は半年間で給料は月125ドルでしたが、最終的には3年以上伊勢勝に勤めることになります。

レマルシャンのヨーロッパ流の本格的な靴作りの指導によって、日本の靴作りの技術は飛躍的に上昇し、数々の名人を輩出しました。
主な弟子は
●岩井信六(札幌に北海道初の靴店、岩井製靴店を開業)
●高橋誠治(京橋に高橋靴店を開業、皇室御用達となる、東京靴同業組合初代組長)
●伊東金之助(イトー靴店創業者、レマルシャン独立後も後を追ってレマルシャンの元で働く)

明治8(1875)年、独立して芝田村町に靴店を開業します。
この頃に磯村すてと結婚して日本に帰化して磯村安兵衛の婿養子となって磯村姓を名乗ります。
明治天皇の御料靴を製作したのもこの頃でした。

レマルシャンは学問好きであったらしく、明治12(1879)年、神田淡路町の共立学校(後の開成中学)に42歳で入学しています。

明治15(1882)年に銀座尾張町2丁目5番地に洋風店舗の「レマルシャン製靴所」を新築します。
横浜の舞田橋通りにも支店を出して、社交界の女性達や高級官吏の注文に追われていました。

しかし明治19(1886)年2月1日、レマルシャンは49歳で亡くなりました。
その後明治39(1906)年6月、西村勝三らによって向島にレマルシャンの感謝碑が建てられました。
その碑には
「君は人となり温敦朴質、子弟を率いて懇篤に指導し、諄々として倦むことがなかったので、みなよく成業した。今日わが国に外靴輸入の跡を絶ち、在日外人がみなわが製品を用いるばかりか、わが靴工にして海外で業を営むものも少なくない。これはひとえに君の功の大なるによるものである」
と記されています。

レマルシャンの長男の磯村半次郎は、明治末期から大正時代にかけて靴の名人として有名になり、大正天皇と皇后の御料靴を製作しました。

※レマルシャンの生年は靴産業百年史だと1839年、ニッポン靴物語だと1837年となっていますが、今回はニッポン靴物語の方を採用しました。


レマルシャン自身のスケッチによる銀座のレマルシャン製靴所
レマルシャンの雇入証明書

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文化
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