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アメリカ屋靴店の歴史 その3

2017-09-29 10:44:05 | アメリカ屋靴店
開店当時の新宿はまだ場末の感じでしたが、店主の宮崎伊助自ら

「ご通行中の皆様、道路の延長とおぼしめして、ご自由に店内をご覧下さい。アメリカ屋は消費者の味方です。皆様の味方です。こんな安い靴はどこにもございません。」

とマイクで毎日朝から晩まで独特な宣伝放送をしていました。

開店当初の販売方針は機械靴に重点を置き、アメリカから仕入れた修理機械も稼働させました。

開店から9ヶ月後には隣の店舗の権利を買い取って拡張し、開店から8年後の1933(昭和8)年に新宿駅東口の伊勢丹百貨店の前に支店を出しました。
これを機にアメリカ屋の売り上げは倍増し、平日で200~300円、土日は700円前後を売り上げました。

直属工場を設けて手工製のオリジナル製品を販売し、店員も25人程まで増えて順風満帆の日々でしたが、1937(昭和12)年7月、日華事変の勃発を機に日本は戦争に突入していきます。

1938(昭和13)年7月に革靴三規則が公布されて革製品の統制が厳しくなり業界が大騒ぎする中、伊助は軍からの要請で三菱商事の下請けとしてビルマ(ミャンマー)の最前線で軍靴の補給や修理をする組織を設立することとなりました。

1942(昭和17)年、伊助を含めた一行15名はビルマの最前線へ向かいました。
伊助の他5名は靴の指導員、その他が各種軍需用革具製造指導員で、伊助は少佐待遇の責任者でした。

伊助は義弟の難波誠司氏に店の一切を任せました。

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文化
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