第8回タウンミーティング・山本が終了。20名の参加者で開催した。毎回の事ながら、90分という制約された時間の中での「仕切り」に悩む。
「長尾たかしは大阪市のカラ残業や、厚遇問題や、官公労のヤミ専従問題を何故コラムにズバッと記さない」との中々鋭い質問があった。実は係る質問はメールでも多く寄せられていて悩ましいところではあったが、誤解を恐れずに記す。
まず、私は道州制論者である。いわば地方分権社会の実現が、我国のあらゆる問題を解決する糸口となることを信じている。大前研一いわく「政策とは、あれもこれもをやることではなく、一点突破全面展開できるものでなければならない」。地方がますます重要になってくる世の中を望むものとして、長尾たかしの構想は、むしろ「地方の官」にとって歓迎されるべきと思っている。
が、なかなか理解されなかったのが現実である。最近ではお陰さまで、地元自治体職員の方々と同じ空気を吸う時間に恵まれ長尾たかしを徐々に理解して頂いている。
一連の厚遇問題、ヤミ専従問題は、官公労に限ったことではない。政治にも官にも民にも心当たりは沢山あるはずだ。だから見逃すのかということではないが、本音を言えば「コメントの必要性を感じぬほど呆れている」「胸に手を当てて考えなさい、正しなさい」と思う。
これら諸問題を解決するために、北川元三重県知事ならこうするだろう。まず、この段階では個人の処分をしないという条件で、カラ残業、ヤミ専従を自主申告させる。全体を把握したうえで、トップ、管理職に厳罰を処する。まず、この層が責任を取ることは免れられない。トップ、管理職とはそういうものだ。そして、その後調査で隠していた更なる実態が発覚した場合は、当事者の個人的責任を問うものとする。手当などの全額返済を実施。
厚遇問題は議会で問うて欲しい。そして、それらを許してしまった市民の責任として、集団で傍聴席に押しかける。市民は議会の動向を見て、次への選挙の参考とするだろう。要は全ては有権者が握っているのだ。私の事務所にもお門違いの陳情が来る。お話は聞くだけ聞くのだが、大概の場合、丁重にお断りする。出来ないし、出来てしまえば、特定の人に対し不公正な利益を与える内容が多い。しかし、多くの地方議員は何とかして解決してしまう。そこには行政への働きかけがあり、特別の配慮をしてもらったことで議員は支援者を増やす代わり、行政へ物申すことが
出来なくなっている。そんな議員を選んでいるのは私達である。
「慣例だった」というコメントがあったが、あらゆる業界が慣例を今一度良心に立ち返って検証してみる必要があるのではないか。特に、「この程度くらいという驕り」はまず徹底的に排除すべきである。
そういえば、
゛わかっちゃいるけど / やめられない ゛
スーダラ節っていうのがありましたなぁ。
「長尾たかしは大阪市のカラ残業や、厚遇問題や、官公労のヤミ専従問題を何故コラムにズバッと記さない」との中々鋭い質問があった。実は係る質問はメールでも多く寄せられていて悩ましいところではあったが、誤解を恐れずに記す。
まず、私は道州制論者である。いわば地方分権社会の実現が、我国のあらゆる問題を解決する糸口となることを信じている。大前研一いわく「政策とは、あれもこれもをやることではなく、一点突破全面展開できるものでなければならない」。地方がますます重要になってくる世の中を望むものとして、長尾たかしの構想は、むしろ「地方の官」にとって歓迎されるべきと思っている。
が、なかなか理解されなかったのが現実である。最近ではお陰さまで、地元自治体職員の方々と同じ空気を吸う時間に恵まれ長尾たかしを徐々に理解して頂いている。
一連の厚遇問題、ヤミ専従問題は、官公労に限ったことではない。政治にも官にも民にも心当たりは沢山あるはずだ。だから見逃すのかということではないが、本音を言えば「コメントの必要性を感じぬほど呆れている」「胸に手を当てて考えなさい、正しなさい」と思う。
これら諸問題を解決するために、北川元三重県知事ならこうするだろう。まず、この段階では個人の処分をしないという条件で、カラ残業、ヤミ専従を自主申告させる。全体を把握したうえで、トップ、管理職に厳罰を処する。まず、この層が責任を取ることは免れられない。トップ、管理職とはそういうものだ。そして、その後調査で隠していた更なる実態が発覚した場合は、当事者の個人的責任を問うものとする。手当などの全額返済を実施。
厚遇問題は議会で問うて欲しい。そして、それらを許してしまった市民の責任として、集団で傍聴席に押しかける。市民は議会の動向を見て、次への選挙の参考とするだろう。要は全ては有権者が握っているのだ。私の事務所にもお門違いの陳情が来る。お話は聞くだけ聞くのだが、大概の場合、丁重にお断りする。出来ないし、出来てしまえば、特定の人に対し不公正な利益を与える内容が多い。しかし、多くの地方議員は何とかして解決してしまう。そこには行政への働きかけがあり、特別の配慮をしてもらったことで議員は支援者を増やす代わり、行政へ物申すことが
出来なくなっている。そんな議員を選んでいるのは私達である。
「慣例だった」というコメントがあったが、あらゆる業界が慣例を今一度良心に立ち返って検証してみる必要があるのではないか。特に、「この程度くらいという驕り」はまず徹底的に排除すべきである。
そういえば、
゛わかっちゃいるけど / やめられない ゛
スーダラ節っていうのがありましたなぁ。